えぞのあやめ

とりみ ししょう

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一の段 あやめも知らぬ  ポモールの村から(一)

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 蠣崎十四郎の消息は、大舘の蠣崎家の人びとにとっては、それよりぷっつりと途絶えたといってよい。
 
 二か月ほどののち、十四郎討ち死にの噂が伝わったが、すぐにあてにならぬことがわかった。
「まだ、しぶとく生きておるのではないか。死にざまも伝わって来ぬ。」
 新三郎などはいったらしい。警戒を解かないのだろうか、とあやめは思った。
 ただ、春先の唐子の内陸部での戦いで、蠣崎侍が少なくとも一人は死んだことはたしかのようである。惨憺たる敗戦であり、ひとつの村が根こそぎ滅びたと伝わった。
 蠣崎侍は一人も戻ってこない。全員、結局は討死したのではないかといわれた。
「十四郎も、はかなくなったようですな。」
「まだまだ若いのに、哀れじゃ。」
 五男定広と六男長広が話しているところに、ご名代が通りがかり、二人を無言で睨んで去ったという。
 法源寺住職の蠣崎随良は、長い経をあげた。大舘から、供養料がおりたともいう。

 あやめは動じていなかった。すでに、十四郎との細い糸を結んでいたから、大舘が十四郎討ち死にの報をうける数日前に、生存は確信できた。
 往路、十四郎たちが船に乗ったのがエサシ。そこからヨイチまで行き、内陸部に入ったのだが、十四郎は湊に伝手を残しておいてくれた。
 ヨイチの蝦夷商人から、和人(シサム)の将は負傷するも命は無事、との報が疾く寄せられた。そのときには、安堵のあまり、あやめは部屋の柱にすがってひそかにむせび泣いた。
 ただ、伝わるのは、そればかりであった。
「森と川のおひとはどうした?」
 コハルに尋ねるが、要領を得ない。
 森川がひそかに上ノ国まで戻ってきたのは、五月も末になっている。松前には入りにくく、その気もないらしい。  コハルが駆けつけて、話を聞いた。
 戦塵が落ちぬ様子の森川は、顔つきが以前とは変わっているようだった。
「儂は、蝦夷地に戻る。もう松前は捨てる。」
 お前さまのことはどうでもいいのだが、と思いながら、コハルは物陰から森川の話をきいてやる。イシカリという場所に、御曹司たちと生き残りのもう一人、萩原は養生のさいちゅうらしい。そこに戻るというのである。
「御曹司も、もう帰るまい。五年たとうと、十年たとうとな。」
「なにゆえにございますか。」
「武家も捨てるのだろう。」
「なにゆえ、とお尋ね申し上げました。」
「それは、おぬし……あのような戦いをしてしまって、まだ武家でいたい奴がおるか。」
「それほどの。」
「ポモールの村は、そこだけがまるで異国のようで、へんに美しかったが、全て焼けた。村人もほとんど殺されたな。」
(いまの世の習いではないか。蝦夷侍は腰抜けばかりか。)
 織田信長による一向門徒の大量虐殺なども見たことのあるコハルは思ったが、十四郎までが怖気づいてしまったのは意外だった。
「いや、あのお方は、最初からあきらめていらしたのだよ。」
「最初から?」
「まあ、戦って勝つことは万に一つもないとは誰にもわかっていた。だから戦いを避けるための手を打つが、それが外れて戦いになれば、ポモールの村を救うことはできない。ならば。せめて、ポモールの血とやつらの信心を残すために、村人をまとめてどこかに逃がしてやる。それが、このたびの戦じゃ、と道中でわれらに打ち明けられた。」
 
 敵との交渉は失敗し、戦いは避けられなかった。脱出のために盾となって死ぬのが自分の役目らしい、と十四郎は決意し、敵の包囲をかいくぐるように村に入ると、初めて会う同族の長老たちを説き伏せたというのだ。
 女、子どもをまず逃がす。そのために戦う。村は捨てる。むしろみずから火をかけて、その南蛮寺なども崩れるに任せよう。火でテシオの“惣大将”の軍(といっていい規模だったという)の進路をふさぎ、追ってくる敵のみを相手として男どもが防ぐ。それでポモールの血とご信仰が蝦夷島に残ればいいのではないか、と。
「長老どもは坊主らしい。ご神体を持って坊主が逃げられればそれでいい、といったそうだ。」
 十四郎は未明に敵軍にうちかかり、奇襲で“惣大将”の本営に打撃を与えた。その間に、脱出する一団には包囲の輪をかいくぐらせた。
「うまくはいっていたのだ。もっとも、そうなると、御曹司の命は助からんかっただろうが。御曹司の一撃で、”惣大将“は死なぬまでも傷ついた。今頃はもう死んでいるかもしれぬ。儂らは追ってくるアイノどもを途中からわざと村に引き入れて、家を陰にして戦った。暗くなるまで弓矢を交え、鉄砲を撃ち、斬りこんでは引いた。そこで村に火を放ち、奴らを火に巻いてやった。その間に反対側からソヒィアと阿部三郎がおなごどもと、坊主たちを守って遁走する手立てだった。大きな南蛮寺には、いささか火薬を仕込んでおいたから、うまく道を塞いで崩れてくれるはずだった。そこまではうまくいった。」
「逃げおおせなかったのでございますか。」
「ソヒィアめが、おなごどもを連れて戻ってきおった! あの女には、寺院を焼くとは伝えていなかったのだ。寺に火が上がったのを闇夜にみて、慌てて皆を連れて戻ってきおった。あやつが守って連れ出したはずの長老の坊主が、流れ矢だか流れ弾だかで死におったらしい。とすると、村の寺院が焼けてしまえば、拝む当てが消える。われわれに生きている甲斐がない。教えに殉じて皆で戦う、といったそうだ。」
「一向宗の者どものようだ。いや、切支丹とはそれほどか。」
「愚かな奴。最後のさいごに、あやつ、御曹司の言葉を裏切りおった。……三郎は、あの若いのは、それを留めようとして、こともあろうにソヒィアに斬られたようだ!」
 女に斬られるとは情けなし、とコハルは思わなかった。たしかに戦で一番恐ろしいのは、味方から急に刃を向けられることだ。そしてソフィアの体格は、女ながら、あの阿部三郎などを凌いでいた。ソヒィアは異教徒を、人とも味方とも思わずに簡単に斬ったのであろう。
「……教えに殉ずる、を頑是ない子どもにも強いたのでございますか。」
「御曹司は、ソヒィアを叱り飛ばし、この儂に、再びおなごどもを束ねて逃げよ、と命じられた。だが、全てを連れて再出立することすらできなかった。大半が残るといいだしたらしい。そのうちに四方からアイノどもが押し寄せ、むしろ儂らの逃げ道こそが火に邪魔されたのよ。血路を開けたのはなぜかおぼえておらぬ。しかし、連れ出せた子どもは二人に過ぎぬ。あとはあの場に残るか、途中で火に巻かれて死んだ。御曹司は儂ら一行を守ってともに脱出しようとご奮戦だったが、子どもを担いで駈け出したところを、後ろから鉄砲で肩を撃たれて、倒れられた。」
「それで、お命ご無事は間違いございませんな?」
 それを早くいえ、と思いながらコハルは息せき切って尋ねる。
「幸い、弾は……反れたも同然。それより、アイノの矢で胸を射られた方が、後々に毒が回って大変だった。それもまあ、熱は去ったから、今頃は癒えられているだろう。」
「なによりでございました。森川さまが傷を負った御曹司さまをお救いくださったのですな。ようございました。」
「よくはない。……あのとき、御曹司を撃ったのはソヒィアよ。御曹司も起き直って振り向かれて、ありありとそれをご覧になった。」
「なぜ、なぜ、やつが撃った?」
「一族で切支丹の教えに殉ずるの邪魔をしたからであろう? なにか叫びおったが、儂にはアイノの言葉はわからぬ。御曹司さまは聞かれたであろう。」
「……御曹司さまは、ご同族に撃たれたのか。」
「撃たれたのは子どもよ。御曹司が、肩に担いだ子どもが撃たれておるのよ! それも教えに殉じたというのだろうか。たしかに落城では一族郎党が自害の介錯をしあうは、源平以来のならいであるが……。」
「子どもは死んだのでございますね。」
「御曹司さまは、遺骸を確かめると、駆け寄って、燃えている寺院に入ろうとするソヒィアを、一刀のもとに斬った。」
「……」
「あれほど恐ろしいお顔をみたことはない。」
コハルは瞠目した。同族に裏切られ、その非道に怒ってこれを斬った。十四郎の胸中は想像もつかない。
「そのくせ、ソヒィアのほうは何だか嬉しそうにこときれおった。狂っておる。……やつら切支丹は、自害できないからだろうかの。」

 それだけもあるまい、とコハルは思った。
(ソヒィアと十四郎さまとの間には、男女のことがあったのかもしれぬ。だが、もうどうでもよいことだ。)
「ポモールとやらの村は、全滅でございますか。」
「ではないか。御曹司が腑抜けたようになられて、もう村のことはほとんど口にも出されないのだ。儂らにはわからぬ。」
「イシカリというのは。」
「御曹司が旧知のアイノの一党がおる。われらは、そこまで逃げた。そこで傷を癒しておられる。……御曹司はそこで一生暮らせばいいのだ。儂もそうしようかと思う。今井がよい話を今、ここでくれれば、考えるが。」
「イシカリとやらにお戻りください。そこでお考えになられながら、ときどきこうして、御曹司さまのご様子をお伝えくださるのが、当座のお願い。すべてはそれからあとでございますな。」
「おい、それでは、一生仕事になるではないか。あのお方は、和人になれず、ポモールとやらにもなれなかった。もう、アイノになるしかないだろうて。……儂も、アイノになれるかの?」
「存じぬ。ただ、もし森川さまがアイノになられたいなら、ご勝手になさるがよい。そのかわり、ならば、もうあなた様はまことに儂の雇い人じゃ、おぬし、と呼んで進ぜよう。そして、今以上に無理無体を命じようぞ。それでも、およろしいか?」

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