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一の段 あやめも知らぬ 北へ(一)
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出立の日は、なお雪が残り、風が冷たい。それでも天が明るいのが、これから長い旅に出る者にとって、気持ちの救いではあった。
十四郎に従うのは、三人の侍だった。ひとりが十四郎の馬の口をとろうとしたが、十四郎は断った。かえって、三人の荷を少しずつ分けて担ってやった。だから馬の背には、不格好なまでに荷が多い。
いずれも蠣崎侍の三男坊、四男坊であった。大舘から、旅の支度の金を与えられてありがたいと思わざるを得ないほどの身の上である。
蠣崎の武家は、二百戸程度であったろう。うち大半を占める下級武士の暮らしは、季節によっては漁師とかわらない。扶持米の代わりに、みずから網を引いて得た魚を貰う形すらあった。三人はそれよりはましな家の生まれだが、継嗣ではないから、似たようなものである。
十四郎の不思議さは、これらの者に危険を感じていない様子であることだった。
疑いをもたないはずがあろうか。あきらかに、大舘の密命はありそうなものである。そうでなければ、命が下ったとはいえ、好んで死地に赴く筈がない。十四郎を往路のどこかで殺し、その首を持って帰れば、松前で恩賞や禄に預かれるのではないか。いま十四郎が与えられている馬くらい貰えるかもしれない、
それがわからない十四郎とは思えないのだが、無防備このうえもないようにみえた。
つき従う当人たちに、迷いが既に生じていた。それこそが、最も不思議であるといえた。
二人は、あきらかにいま、徒歩で迷いの中にいる。年の近い、狭い松前で知らぬ仲でもない十四郎を斬りたくはなくなってきている。萩原五兵衛、安倍三郎といった若侍である。
もう一人は、コハルがすでに手を回していたが、迷いだすのが一番早かった、やや年かさの侍であった。
十四郎ととくに親しかったわけではないが、中級武士の末の子で、この齢まで無役にすごした。鬱屈が深い。松前に希望も未練もない。そして、すでに死に体といっていい十四郎の首をいまさらとって、しかもそれを三人で分けても、大舘がひそかに出してくれるだろう恩賞など、たかが知れていると見切っていた。納屋今井から与えられるものは金額以上に大きかろうし、そもそもこの森川八郎とて、主筋の十四郎を謀殺するよりも、かれが犬死せぬように見張れ、できるかぎり命を救ってやれ、といわれるほうが、受け入れやすい。
十四郎もまた、なにも考えていないわけではなかった。打ち合わせと称して(実際必要があったので)この三人とは何度も膝を交えた。そして、笑談のように本当のことをいった。
「ポモールの村までは、おれを行かせてくれよ。それだけを頼む。」
「……」
「ポモールとやらの村の戦いで、おれはおそらく死ぬ。それを見届けて、首だけはおぬしらが取って、松前まで持って帰ってやってくれ。」
十四郎は、自分の頸をぽんぽんと叩いた。死んでしまっては首も自分ではないと思っているらしく、そんないい方をする。
「なにを申されるか。」
「おぬしらは、それだけでよい。ポモールの村なんかで死ぬのは、おれだけで十分。ただ、どこかに潜んで見ておいてくれ。」
「……」
「村までは行きたい。できるだけ和を探るが、戦うべきときがくれば、そうしてやりたい。首をとるのは、それまで待ってほしいのだ。あるいは、どなたかの命があったかもしれぬ。それならばお役目で悪いが、おれがアイノの“惣大将”とやらどもに倒されて死ぬさいに、介錯がわりにとどめでも刺すことにしてくれぬか。なれば、主命に背いたことにはならぬだろう?」
「見損なわれるな、御曹司。」若い安部が、憤慨したように叫ぶ。「われらとて蠣崎の侍。戦わずして引き揚げることなどありえぬ。」
「左様、もとより死地に赴く覚悟。」
「御曹司の首をとれなどという命は、もとより、どこからもうけてござらぬ。」
森川がぬけぬけというと、残りの二人が複雑な表情になった。
「御曹司を最後までお守り申し上げるが、我らが役目ぞ。」
「有り難し。……されど、道中で考えることだな。道のりは長い。」
十四郎は笑って、萩原、と呼びかけた。
「アイノの短弓は我らのそれより強力。ならば、我らは弓をどう引けばよい。どうするのであったか。」
萩原が弓に才能を持っていることを調べているが、昔からその名は上手として鳴り響いていたかのように、尋ねてみる。
十四郎は、すでに来る戦いにおける図を描いていた。ソヒィアなどにもいっていない。絶望の中で描いた図で、ソヒィアのように村を守って戦いぬきたい者を、満足させはしないはずだからだ。
それをおいおい、この三人に説いていくつもりであった。それには最初から胸襟を開き、生死を共にして貰うべき相手に嘘をつかないことだと考えている。
(道中で斬ろうとしても、たれか一人でもおれのいうことを聞いてくれていれば、それで二対二だ。ならばいざとなっても斬りぬけて、村には辿りつけるだろう。こちらが三になれば、争いも起きぬ。)
そうした計算はある。
(松前もこれが最後だろうか。)
さすがに馬をさらにゆっくりと進めてしまう。つい、湊の方に目がいく。
(あやめ……。)
「お見送りはいたしませぬよ。」と、あの日の朝、手を握りながらこちらの目を見あげて、あやめはいった。「お別れはせずともよい。また、お会いするのでございますから。」
「道理。」
「ただ、店の者がご挨拶をいたしましょうから、西の口の橋の手前でしばしお馬をお止めになって。」
「朝が早い。」
「納屋は早起きの働き者ぞろいにございますれば。」
なるほど、待っていてくれた。さすがに店の者すべてではないが、遊んでやった丁稚や小女のほんの子どもたちは揃っているし、番頭や手代の何人かまでいる。あやめはいない。
(強情なひとだ。一度いったとおりに、必ずするのだ。)
十四郎はすでに懐かしく、ふっと笑う。
「主人はあいにくの他出にございますれば、くれぐれもご武運をとのことでございます。」
弥兵衛は簡単な弁当のような包を、全員に持たせてくれた。握り飯らしい。
「あれらの者にもお気遣いをくださり、恐悦でござる。納屋の皆に、ゆっくりとこれまでの礼ができなんだのが心残り。ここで、弥兵衛殿にお礼申し上げる。」
「もったいない。お頭をおあげください。」番頭は声を潜め、「……森に川のお方が、まずお力になられるとのことです。お伝え申し上げました。」
「かたじけない。されど、聞こえなかったことにしよう。……ご心配召されるな、と御寮人さまにお伝えあれ。」
あっ、と、離れた場所に控えていたその森川が慌て、弁当の包みを投げ出した。侍たちは片膝をつき、納屋の者たちは下がって平伏する。
十四郎に従うのは、三人の侍だった。ひとりが十四郎の馬の口をとろうとしたが、十四郎は断った。かえって、三人の荷を少しずつ分けて担ってやった。だから馬の背には、不格好なまでに荷が多い。
いずれも蠣崎侍の三男坊、四男坊であった。大舘から、旅の支度の金を与えられてありがたいと思わざるを得ないほどの身の上である。
蠣崎の武家は、二百戸程度であったろう。うち大半を占める下級武士の暮らしは、季節によっては漁師とかわらない。扶持米の代わりに、みずから網を引いて得た魚を貰う形すらあった。三人はそれよりはましな家の生まれだが、継嗣ではないから、似たようなものである。
十四郎の不思議さは、これらの者に危険を感じていない様子であることだった。
疑いをもたないはずがあろうか。あきらかに、大舘の密命はありそうなものである。そうでなければ、命が下ったとはいえ、好んで死地に赴く筈がない。十四郎を往路のどこかで殺し、その首を持って帰れば、松前で恩賞や禄に預かれるのではないか。いま十四郎が与えられている馬くらい貰えるかもしれない、
それがわからない十四郎とは思えないのだが、無防備このうえもないようにみえた。
つき従う当人たちに、迷いが既に生じていた。それこそが、最も不思議であるといえた。
二人は、あきらかにいま、徒歩で迷いの中にいる。年の近い、狭い松前で知らぬ仲でもない十四郎を斬りたくはなくなってきている。萩原五兵衛、安倍三郎といった若侍である。
もう一人は、コハルがすでに手を回していたが、迷いだすのが一番早かった、やや年かさの侍であった。
十四郎ととくに親しかったわけではないが、中級武士の末の子で、この齢まで無役にすごした。鬱屈が深い。松前に希望も未練もない。そして、すでに死に体といっていい十四郎の首をいまさらとって、しかもそれを三人で分けても、大舘がひそかに出してくれるだろう恩賞など、たかが知れていると見切っていた。納屋今井から与えられるものは金額以上に大きかろうし、そもそもこの森川八郎とて、主筋の十四郎を謀殺するよりも、かれが犬死せぬように見張れ、できるかぎり命を救ってやれ、といわれるほうが、受け入れやすい。
十四郎もまた、なにも考えていないわけではなかった。打ち合わせと称して(実際必要があったので)この三人とは何度も膝を交えた。そして、笑談のように本当のことをいった。
「ポモールの村までは、おれを行かせてくれよ。それだけを頼む。」
「……」
「ポモールとやらの村の戦いで、おれはおそらく死ぬ。それを見届けて、首だけはおぬしらが取って、松前まで持って帰ってやってくれ。」
十四郎は、自分の頸をぽんぽんと叩いた。死んでしまっては首も自分ではないと思っているらしく、そんないい方をする。
「なにを申されるか。」
「おぬしらは、それだけでよい。ポモールの村なんかで死ぬのは、おれだけで十分。ただ、どこかに潜んで見ておいてくれ。」
「……」
「村までは行きたい。できるだけ和を探るが、戦うべきときがくれば、そうしてやりたい。首をとるのは、それまで待ってほしいのだ。あるいは、どなたかの命があったかもしれぬ。それならばお役目で悪いが、おれがアイノの“惣大将”とやらどもに倒されて死ぬさいに、介錯がわりにとどめでも刺すことにしてくれぬか。なれば、主命に背いたことにはならぬだろう?」
「見損なわれるな、御曹司。」若い安部が、憤慨したように叫ぶ。「われらとて蠣崎の侍。戦わずして引き揚げることなどありえぬ。」
「左様、もとより死地に赴く覚悟。」
「御曹司の首をとれなどという命は、もとより、どこからもうけてござらぬ。」
森川がぬけぬけというと、残りの二人が複雑な表情になった。
「御曹司を最後までお守り申し上げるが、我らが役目ぞ。」
「有り難し。……されど、道中で考えることだな。道のりは長い。」
十四郎は笑って、萩原、と呼びかけた。
「アイノの短弓は我らのそれより強力。ならば、我らは弓をどう引けばよい。どうするのであったか。」
萩原が弓に才能を持っていることを調べているが、昔からその名は上手として鳴り響いていたかのように、尋ねてみる。
十四郎は、すでに来る戦いにおける図を描いていた。ソヒィアなどにもいっていない。絶望の中で描いた図で、ソヒィアのように村を守って戦いぬきたい者を、満足させはしないはずだからだ。
それをおいおい、この三人に説いていくつもりであった。それには最初から胸襟を開き、生死を共にして貰うべき相手に嘘をつかないことだと考えている。
(道中で斬ろうとしても、たれか一人でもおれのいうことを聞いてくれていれば、それで二対二だ。ならばいざとなっても斬りぬけて、村には辿りつけるだろう。こちらが三になれば、争いも起きぬ。)
そうした計算はある。
(松前もこれが最後だろうか。)
さすがに馬をさらにゆっくりと進めてしまう。つい、湊の方に目がいく。
(あやめ……。)
「お見送りはいたしませぬよ。」と、あの日の朝、手を握りながらこちらの目を見あげて、あやめはいった。「お別れはせずともよい。また、お会いするのでございますから。」
「道理。」
「ただ、店の者がご挨拶をいたしましょうから、西の口の橋の手前でしばしお馬をお止めになって。」
「朝が早い。」
「納屋は早起きの働き者ぞろいにございますれば。」
なるほど、待っていてくれた。さすがに店の者すべてではないが、遊んでやった丁稚や小女のほんの子どもたちは揃っているし、番頭や手代の何人かまでいる。あやめはいない。
(強情なひとだ。一度いったとおりに、必ずするのだ。)
十四郎はすでに懐かしく、ふっと笑う。
「主人はあいにくの他出にございますれば、くれぐれもご武運をとのことでございます。」
弥兵衛は簡単な弁当のような包を、全員に持たせてくれた。握り飯らしい。
「あれらの者にもお気遣いをくださり、恐悦でござる。納屋の皆に、ゆっくりとこれまでの礼ができなんだのが心残り。ここで、弥兵衛殿にお礼申し上げる。」
「もったいない。お頭をおあげください。」番頭は声を潜め、「……森に川のお方が、まずお力になられるとのことです。お伝え申し上げました。」
「かたじけない。されど、聞こえなかったことにしよう。……ご心配召されるな、と御寮人さまにお伝えあれ。」
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