えぞのあやめ

とりみ ししょう

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一の段 あやめも知らぬ 破約(八)

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……
 あやめは眠れなかった。
 固く抱かれ、慣れ親しんだ愛撫に躰が溶け、さらにあちらこちらを敏感に尖らせて喘ぎながらも、頭のどこかは冷め、ときに噴き上がる悲しみは刺すようだ。だが、やがてふとした所作が合図であったように、タガがはずれたようになった。そのあとは、したたかに懊悩惑乱に追い込まれ、つきあげる快感を言葉にし、さらに求め、汗まみれのなかで涙を流して男の名を呼びながら、ついには、一切を放下するかのような場処に追い上げられた。
 男の躰が離れたあともつづいた喘ぎがようやく鎮まり、汗を冷たく感じるときには、身も心もくたくたになった自 分を感じた。睡気は当然、ある。
 だが、細い灯火に照らされて、十四郎の寝顔が、目の下にある。それを眺めているうちに、自然に笑みが浮かんできて、疲れを忘れさせた。
(きれいじゃな。かわいいな……)
 無防備に眠っている男の顔は、先ほどまであやめの躰を支配し、感覚を操るようでもあったときの、ふと怯えすらおこさせるようなものではない。
(子どものころなどは、きっと、むかし南蛮寺でみた、あちらの蛮神のお使いの子のようでいらしたろう。)
(かつて、わたくしが、尋ねられたのであったな。どのような子であったのか、と。店の大土間の片隅で、鼻を垂らしてぼうっとしておりました。それだけの子でございました、などと答えたのだったか。)
(十四郎さまは、どんなお子だったといわれたか。病弱で寝てばかりいた、とお答えだったか。)
 そのときにふたりが出会えていればな、とあやめは想像し、なんのことやら、およそ詮無い、と苦笑した。
 
 十四郎が目を覚ました。
「まだ、夜明けにもなっておりませぬ。お眠りください。」
「いや、……あやめ殿が眠るまで、お顔をみておこう。」
「わたくしは、ずっと起きておりますよ。……そうだ。」あやめは衣服をなおし、元の部屋から袱紗の包みを持ってくる。「忘れてしまうところでした。」
 よろしいのに、寝ていらして、とあやめが止めたが、十四郎も着衣を簡単にまとい、座り直した。
「お持ちくださいませ。」
やや武骨な鞘に収まった短刀を手渡した。
「国吉ではござらんか。」
「堺の家を出ますときに、父が守り刀のつもりか、持たせてくれたものにござります。女持ちの御寮刀に仕立て直すをつい忘れていたのが幸い。お武家様もお使いになられましょう。お持ちください。」
「ならば、なおさらに、いただくわけにはいかぬ。」
「わたくしの身代わりにお持ちください。蝦夷地には参れませぬ、わたくしの代わりに、どうか持っていってやってくださりませ。」
「そのようなことを。……あやめ殿、わたしなどに与えてはならぬ。」
「なぜ?」
「あやめ殿。そなたには、仕合せになって貰いたい。」
「十四郎さまとこうしているのが、あやめの仕合せでございますよ。」
「そんなことをいってはいけない。拙者のことは忘れて、どうか仕合せになって下され。こんな大事なお刀を拙者などにくれてはいかぬ。」
「……どこかで、犬が吠えておりますね。どうしたのか。松前には、犬は多い。大舘にもおりまして?」
「あやめ殿。」
「……」
 あやめは強情を張っている。せめて蝦夷地に身代わりをというのは本当であったし、十四郎に、自分を忘れさせたくないという思いが強い。自分を忘れて幸せになれ、とはなんという身勝手をいいおるかという新鮮な怒りもある。
「あやめ。あやめ、聞いてくれ。」
「……お聞きしております。」
 あやめは、わざとにこりともしない。
「どうも、この呼び方はいかぬ。わたしは、どうしてもあやめ殿としか呼べない。そのわけでも話そうか。」
「あら。」
「そなたは、わたしにとって、どこまでもやさしい、甘えられる、でも美しい憧れの姉のようである。とても呼び捨てにしてはいけないような、そんな方なのだ。」
「またっ。……また、にくい(ひどい)ことを申されます。であらばこそ、こうしてお別れになられようとするのでございますか。甘えられるから、好きなようになさる? なんと、むごい……」
あやめは怒るというよりは混乱して、頭を振った。
「ひとつふたつの齢のことなどいまさら、いやらしい。」
「そういうことではござらん。」
「なにをおっしゃられるのかと思ったら、わたくしは、姉、でございますか。あなた様には、たくさん実の姉君がおいでのようでしたが?」
「それだけ大事な方だといいたい。生涯、決して切れぬ縁なのだ。」
「……」
「顔も覚えてもいない母との縁が切れぬように……。だがな、このご縁はわたしひとりが、ひそかにおぼえていればよい。わたしは、そなたのことを、これから片時も忘れぬ。生涯、決して、忘れぬ。……だから、そなたには」
「なんでございますか?」
あやめは聞きながら、ぼろぼろと涙を流した。
「仕合せになってほしい。だから、そなたと添い遂げることのできぬ、……仕合せにしてさしあげられなかった、わたしのことは忘れて欲しい。大事なお刀などを渡した相手として、納屋の御寮人が蠣崎の痩せ侍などを、いつまでも覚えていてはいけない。」
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