えぞのあやめ

とりみ ししょう

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一の段 あやめも知らぬ   決心(一)

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 コハルはうまくやったのではないだろうか。あやめはそう思わざるを得ない。

 十四郎は与三郎切腹の直後に大舘で兄たちから吟味をうけた。謀反の意図を明白に否定し、与三郎にもその意思は毛頭なかったはずだと主張したという。コハルが蟄居閉門のなかにある若者にそうせよと何らかの手で吹き込んでくれたのか、それともみずから腹をくくったのか、あやめは詮索しない。
 与三郎には密告者がいたが、十四郎の嫌疑にはなんの証拠もないので、人びとはたしかに十四郎の身は潔白かもしれないと思ったようである。
「証拠はある。十四郎めは、上ノ国を巡察中、アイノの地で鉄砲を受けとり、それを松前まで持ち込んだという噂である。」
との主張をした者がいて、十四郎にそれを問いただすと、あっさりと認めた。
「一丁か。」
「しかも、壊れておりました。」
 吟味の席にいる兄や重臣たちのなかから、失笑が漏れたという。
「なぜ鉄砲などを購ったか。」
「拙者とて侍。まずは己の武技のためでござる。上方の戦では鉄砲が奥州よりもはるかに多く使われると聞き及び候ゆえ、ご奉公にお役に立つかと存じた。また、アイノが鉄砲を持つは本来、好ましからずとされる。ところがそうしたものがアイノの村に、誰ぞにより売られたものとしてあると知った以上、巡察役としては、どの程度の性能か、確かめてみたかった。……ところが、壊れておった。それどころか、最初から贋物。鉄砲らしき形をしているだけのものだったとのこと。」
「残念であったの。」兄のひとり―正広がからかった。
 異相の弟も懐いていた与三郎は、家中でまったく孤立していたわけではない。官職を高々と名乗る(あくまで受領名であり、突き詰めていえばただの私称だが)のも拝辞し、ひとりの与三郎として蝦夷の慰撫に専心する態度は、蝦夷島の武家らしい姿として家中に評価されていた。六男長広などは、あやつは疑いをかけられたこと自体を恥じて腹を切ってしまったと、弟の涼やかな人格を悼んで吼え泣いたという。
「その鉄砲はどこにあるか。」
「あまり腹が立ったので、捨ててくれと納屋の店に置いて参った。もう捨ててしまったやもしれませぬ。」
「納屋だと。今井か。」
 吟味の席の最上座にいた、新三郎がそれまでの沈黙を破って、唸った。
「納屋でなら、あるいは修繕できるかと思い、……」
「よい。沙汰を待て。」
 新三郎が吟味を打ち切り、十四郎はしばらく蟄居ということになった。
 それもすぐに解けた。謀反騒動は、これで蠣崎家の外にはほぼ漏れぬように幕を閉じたといえる。
 しかし、現に与三郎を切腹に追い込んだ以上、何事もなかったでは済まぬ。蝦夷代官名代・新三郎慶広や、それに近い弟たち、つまり蠣崎家首脳の方が、家中や主家の秋田・檜山屋形に対して、それでは困るのである。
 そこで、与三郎に馬を貰ったと証言したひとりのアイノを呼び出し、讒言の罪で斬った。与三郎の名誉は回復されたということになるのか。 
 
「むごいな。」
 あやめは思わず仏に手を合わせたが、しかし同時に安堵する思いがある。
(これで十四郎様は救われたのか……?)
「御寮人さま、そうは参りません。」
「なぜか。ご謀反のお疑いは晴れたのではなかったか?」
「ご名代様のお心のなかでは晴れてはおりますまい。」
「なんのためのご吟味ぞ?」
「御寮人さま。ご幼少のみぎりよりお仕えしているコハルが、このさい申します。御寮人さまの賢さは、浄土には通じましょうが、この世は穢土と存じまするぞ。」
「コハル。そのようなことは知っておる。だからこそわたくしは、」あやめはこの土地で自分が試して成功してきた 新しい商いの仕組みが、一種の人間の愚かさや欲心への洞察に基づいているものだと力説しかかったが、「……そんなことはどうでもよろしい。ここにいては、十四郎さまは殺されるのか。」
「御意。」
 コハルはいい切った。証拠はないが、確信はある。
「ご名代は、必ずそうされましょう。」
「謀反の疑いを解くわけにはいかぬか。」
「いきませぬ。お疑いよりも先に、十四郎さまへのご警戒と、おそらくはお憎しみがご名代さまにはある。与三郎さまも実は同じことでござったろう。」
「警戒? 憎しみ?」
 あやめは叫んだ。
「ゆえないことではないかっ。あのような、まっすぐな御気性の、よいお方を。」
(さてさて、ご名代の新三郎様こそは実は最も聡いのかもしれぬな。御曹司さまはよいお方。それは間違いもなかろうが、かの人の中に潜むなにものかに、あのご名代だけが気づいているのではないか。)
とは、コハルは、いまは口には出さず、
「とにかく、ご名代は御曹司さまをいずれ誅さずにはいられますまい。有体にもうしあげて、十四郎さまの家中でのお力など無きに等しい。取るにも足りないが、蝦夷や蝦夷地をめぐる御政道について、ご名代さまとのお考えの違いは明白。」
「お考えの違いだけで、罪なき弟君を誅されるというのか。そんな道理の通らぬ真似ができるのか。」
(御寮人さまは、これだから困る。)
 コハルは内心で溜息をついたが、
「ひとは道理あってひとを憎むにあらず、憎しみが先にあって道理がそれを追うのでございましょうな。」
「憎しみ? 血を分けた兄弟ではないか。」
「ご兄弟こそがいざとなれば家督争いじゃ御謀反じゃと、殺しあいじゃ。このたびも左様ではござらぬか。」
「お武家とは、それほどまでにおそろしい人たちなのか。」
「御寮人さまらしくもない。よろしいか、お武家だけではござりますまい。今井のお家とて、もし御相続が怪しうなれば、あなた様の兄上さま方が食い合いを始められるのじゃ。いや姉上さま方とても、夫君を立ててあい争われましょう。」
「馬鹿な。なにをいいだすのじゃ?」
「御寮人さま、あなた様こそ、若旦那さま(今井宗薫)に如何様に見られているやら知れたものではない。娘の身で、北の涯の地とはいえお店と船一隻を任せられた。ご野心を疑われぬようご用心召されるがいいのです。」
「コハル!? 埒もつかぬことを申すでない。兄上がわたくしなどを警戒される謂れがなかろう。譬えにしても畏れ多いわ!」
「……ご無礼申し上げました。」コハルは巨躯を小さく折って詫びた。「ただ、御寮人さまのきれいなお目には、きれいな風にしかこの穢土が見えぬのではござらぬかと、コハルは案じております。」
 あやめは怒ってはいないようだ。小さいときから親代わりともいえたコハルの言葉だから、素直に聞ける。そして、あらためて震える思いに打たれて、呟いた。
「……穢土か。この北の地ですら。」
「左様で。」
「で、どうする。」
 あやめは衝撃からすぐに立ち直ったようだ。さすがは御寮人さまだ、とコハルは感心する。これはこれで、やはり何か得体のしれぬものがあるお人だ。
「そこでコハルが考えますに、おやかたさまを動かしては、と。」
「おやかたさまを動かす、か。」

 蝦夷代官は名目上、なお、あの老人である。あの老人の家父長としての気持ちを動かし、十四郎を松前から逃がしてやるしかないのではないか、というのがコハルの考えであった。ただし、追放刑の形をとらせない。復帰の目を残しておくべきである。かつての巡察役の延長であるかのような役職をあてがうのである。
 謀反の騒ぎが沈静化したばかりであるから、蠣崎家中にも、新たな罪人を出したくないという者は多い。吟味が済み、閉門が解かれた者にあらためて罪を問うのもどうか、という至極真っ当な意見も出たという。だが、決定を下したのは、やはりご名代だったという。

 
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