8 / 210
序の段 納屋御寮人の遭難 毒(三)
しおりを挟む
重なり合った男女は、ほぼ同時にすべての動きを止めた。
やがて、がくり、と女の尻が落ち、足が男の腰からほどけた。空気を求めて口があわあわと開く。涙に濡れた目は開いても、まだどこもみていなかった。
男が大きく息をついて、躰から離れたとき、女はまだ戻っていない。絶息寸前のようになり、ようやく荒い息をつけたが、まだときおり、苦し気に息を詰める。露わな胸を上下させながら、何もかも消し飛ばされて、手足を投げ出し、仰向きに横たわっている。
絞りつくされた汗と、男女の入り混じった体液の匂いが湯気の中にあがった。
女の息は静まらない。不規則に高低する呻きが漏れる。女陰から体液が流れ出るが、女はそれにも気づかず、湯殿の天井板にうつろな目をやっている。
(……こうなっては、すぐには元に戻るまいな。)
男の回復は、ただ体力の問題だ。新三郎は少しよろめいたが、軽々と両腕に女を抱き、湯気のたちこめる場所から、水風呂の室に運んだ。
横たえて、半身を立たせ、少し考えたが、なかば喪神状態のつづく女体に頭から水をかける。髪が顔に落ち、前にかしいだ。それだけで、無反応である。もう一度水をかけた。髪を顔から払ってやる。無表情だ。
まだ無反応であるが、新三郎は気にせず自分も水をかぶった。汗が流れ落ちた。カイゲに新しく汲んだ水を飲むと、うまかった。
(水がうまいではないか。いつもと変わりがないのだ。)
(相手が誰であろうと、どんな風にしようと、変わりがない。こんなことは……。)
空になったカイゲをぼんやり眺めていたが、ふと気づいてそこに水を汲んだ。
「あやめ?」
飲むか、とばかりに声をかけたが、返事はない。ただ、意識を失ったわけではない。たしかに、バラバラに砕かれたあやめのカケラは、女の心の中で懸命につなぎ合わされようとしていた。
ただ、いまは外界の全てがまだ遠いようだ。水に打たれたままの姿で、躰のどこも隠せず、茫然と女は座りつづけている。目も、まだあらぬ一点を見据えていた。
「あやめ、大事ないか?」
返事は期待していない。新三郎も口に出した瞬間に、大事がないわけはあるまいよ、と自分の間の抜けた問いに苦笑いする。おれが起こしたのだ、この女にとっての、つらい大事を……。
あやめは表情も動かず、まだ黙っている。
「また、来るがよい。」
いった瞬間に、
(このまま大舘に留め置いてやりたい。)
願望が膨れ上がったが、おさえた。さすがに、まだそれはできぬ。
返事はまだない。男の言葉にも、怒りや当惑の反応すらみせない。
よいわ、と新三郎は今日という日の仕上げにかかった。
「あやめ、……納屋の御寮人よ、薬じゃが、……あとは案じずともよい。」
女はうつろな目をあげず、黙っている。
「あれはたしかに毒だが、媚薬でもなんでもない。」
伏せた女の濡れた頭が、びくりと反応した。
「安堵せよ。それも、たいして効くほどには盛っておらん。痒み、腫れも、すぐに去るであろうよ。もう去ったか? どこも痛うはないか?」
「……」
「とすると、……おぬしは、自分から望んで、ああなったわけじゃ。ああいう風に、な。」
乱れた髪の下で、女はか細く息を呑んだ。
「おぬしの方から、この儂を欲しがったのであったな。」
女は背を丸めて、低く、長く呻いた。
わけもなく床をひとつ叩き、苦悶の声をあげて、低く沈む姿勢で固まった。また、床を叩き、自分の拳を痛めつけた。
(これでこそ、納屋の御寮人だ。)
新三郎は、なにかいい難い気持ちに襲われていた。誇りを傷つけられ打ちのめされたこんな姿すらも、なんとこの女は美しいのだろう、と思った。気高くすら見えた。
その女と、自分はたった今、睦みあったという自足がある。
一方的に襲い、強引に犯したのだが、快い奇妙な錯覚が男の中にあった。
折れ曲がる女の白く細い背に、男はなお淫心が兆すのを感じた。自分でも内心で小さく驚いたが、あたりは暗くなりつつある。
やがて、新三郎は無言で去った。
やがて、がくり、と女の尻が落ち、足が男の腰からほどけた。空気を求めて口があわあわと開く。涙に濡れた目は開いても、まだどこもみていなかった。
男が大きく息をついて、躰から離れたとき、女はまだ戻っていない。絶息寸前のようになり、ようやく荒い息をつけたが、まだときおり、苦し気に息を詰める。露わな胸を上下させながら、何もかも消し飛ばされて、手足を投げ出し、仰向きに横たわっている。
絞りつくされた汗と、男女の入り混じった体液の匂いが湯気の中にあがった。
女の息は静まらない。不規則に高低する呻きが漏れる。女陰から体液が流れ出るが、女はそれにも気づかず、湯殿の天井板にうつろな目をやっている。
(……こうなっては、すぐには元に戻るまいな。)
男の回復は、ただ体力の問題だ。新三郎は少しよろめいたが、軽々と両腕に女を抱き、湯気のたちこめる場所から、水風呂の室に運んだ。
横たえて、半身を立たせ、少し考えたが、なかば喪神状態のつづく女体に頭から水をかける。髪が顔に落ち、前にかしいだ。それだけで、無反応である。もう一度水をかけた。髪を顔から払ってやる。無表情だ。
まだ無反応であるが、新三郎は気にせず自分も水をかぶった。汗が流れ落ちた。カイゲに新しく汲んだ水を飲むと、うまかった。
(水がうまいではないか。いつもと変わりがないのだ。)
(相手が誰であろうと、どんな風にしようと、変わりがない。こんなことは……。)
空になったカイゲをぼんやり眺めていたが、ふと気づいてそこに水を汲んだ。
「あやめ?」
飲むか、とばかりに声をかけたが、返事はない。ただ、意識を失ったわけではない。たしかに、バラバラに砕かれたあやめのカケラは、女の心の中で懸命につなぎ合わされようとしていた。
ただ、いまは外界の全てがまだ遠いようだ。水に打たれたままの姿で、躰のどこも隠せず、茫然と女は座りつづけている。目も、まだあらぬ一点を見据えていた。
「あやめ、大事ないか?」
返事は期待していない。新三郎も口に出した瞬間に、大事がないわけはあるまいよ、と自分の間の抜けた問いに苦笑いする。おれが起こしたのだ、この女にとっての、つらい大事を……。
あやめは表情も動かず、まだ黙っている。
「また、来るがよい。」
いった瞬間に、
(このまま大舘に留め置いてやりたい。)
願望が膨れ上がったが、おさえた。さすがに、まだそれはできぬ。
返事はまだない。男の言葉にも、怒りや当惑の反応すらみせない。
よいわ、と新三郎は今日という日の仕上げにかかった。
「あやめ、……納屋の御寮人よ、薬じゃが、……あとは案じずともよい。」
女はうつろな目をあげず、黙っている。
「あれはたしかに毒だが、媚薬でもなんでもない。」
伏せた女の濡れた頭が、びくりと反応した。
「安堵せよ。それも、たいして効くほどには盛っておらん。痒み、腫れも、すぐに去るであろうよ。もう去ったか? どこも痛うはないか?」
「……」
「とすると、……おぬしは、自分から望んで、ああなったわけじゃ。ああいう風に、な。」
乱れた髪の下で、女はか細く息を呑んだ。
「おぬしの方から、この儂を欲しがったのであったな。」
女は背を丸めて、低く、長く呻いた。
わけもなく床をひとつ叩き、苦悶の声をあげて、低く沈む姿勢で固まった。また、床を叩き、自分の拳を痛めつけた。
(これでこそ、納屋の御寮人だ。)
新三郎は、なにかいい難い気持ちに襲われていた。誇りを傷つけられ打ちのめされたこんな姿すらも、なんとこの女は美しいのだろう、と思った。気高くすら見えた。
その女と、自分はたった今、睦みあったという自足がある。
一方的に襲い、強引に犯したのだが、快い奇妙な錯覚が男の中にあった。
折れ曲がる女の白く細い背に、男はなお淫心が兆すのを感じた。自分でも内心で小さく驚いたが、あたりは暗くなりつつある。
やがて、新三郎は無言で去った。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
証なるもの
笹目いく子
歴史・時代
あれは、我が父と弟だった。天保11年夏、高家旗本の千川家が火付盗賊改方の襲撃を受け、当主と嫡子が殺害された−−。千川家に無実の罪を着せ、取り潰したのは誰の陰謀か?実は千川家庶子であり、わけあって豪商大鳥屋の若き店主となっていた紀堂は、悲嘆の中探索と復讐を密かに決意する。
片腕である大番頭や、許嫁、親友との間に広がる溝に苦しみ、孤独な戦いを続けながら、やがて紀堂は巨大な陰謀の渦中で、己が本当は何者であるのかを知る。
絡み合う過去、愛と葛藤と後悔の果てに、紀堂は何を選択するのか?(性描写はありませんが暴力表現あり)
ステンカ・ラージン 【軍神マルスの娘と呼ばれた女 5】 ―コサックを殲滅せよ!―
kei
歴史・時代
帝国は北の野蛮人の一部族「シビル族」と同盟を結んだ。同時に国境を越えて前進基地を設け陸軍の一部隊を常駐。同じく並行して進められた北の地の探索行に一個中隊からなる探索隊を派遣することとなった。
だが、その100名からなる探索隊が、消息を絶った。
急遽陸軍は第二次探索隊を編成、第一次探索隊の捜索と救助に向かわせる。
「アイゼネス・クロイツの英雄」「軍神マルスの娘」ヤヨイもまた、第二次探索隊を率い北の野蛮人の地奥深くに赴く。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる