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序の段 納屋御寮人の遭難 暴虐(二)
しおりを挟むあやめは、初めて見たときから、いかにも上方の女らしかった。
当人が初めてお目見えに現れたときにはすでに話を聞いていて、驚いていた。天下の貿易都市・堺の豪商、今井宗久の末娘だという。妾腹らしいが、「納屋」の屋号を担いでこの蝦夷島にやってきた。
(堺の会合衆というのは、家の女(家族)ですら、このような者か。)
都会の娘のいかにも利発なたたずまいに、松前を支配する一族の継嗣は、目を見張った。
自分は少年時代、対岸の津軽の文化的中枢でもあった浪岡城で暮らした。
その後は主家のある出羽なども知り、世の見聞に不足はないように思ったが、奥州にこんな女はいないように思った、
今井宗久。前右大臣つまり織田信長から、直轄地・堺の事実上の支配者の一角として認められた天下に響く政商にして、当代きっての茶人。
その子であり、女だてらに船で荷を動かす商人だという。本人が唐や南蛮に渡ったことなどはないようだったが、富貴の家の娘らしからぬ快活な挙止動作に、どこか異国の女の風が感じられるようだった。
(泉州堺とは、このような女が住む町か。)
この松前とて、中世以来の一種の国際貿易港である。
蝦夷地の交易は、蝦夷船をくりだすアイノによって、古来、蝦夷島の西蝦夷地・唐子(我々の知るところでいえば、日本海側)から山丹とよばれる沿海州におよび、そこより韓半島、中原にも通じていた。
それを束ねてきたのが、鎌倉の頃から虜囚の長をもってむしろ家門の誇りとする、安藤氏であった。
戦国の世に入り、蝦夷地対岸の最大の貿易都市であった十三湊を抑えてきた津軽の安藤家が倒れたが、いまは出羽国秋田の「檜山屋形」こと安東さまがその流れを自認する。安東家はすでにかつての本拠・津軽からは追われ、十三湊もほぼ忽然とこの世から消えて久しいが、なお奥州北端の支配をめぐって南部氏やその支流あがりの津軽家としのぎを削ってきた。
蝦夷地の蠣崎家はその安東氏―別名、檜山屋形の配下にある。
当代の代官・蠣崎季広の時代のはじめ、いまから三十年前になるが、和人とアイノの協約がなり、それまでの血みどろの抗争がようやくやんだ。
これにより蝦夷地貿易は安定し、和人の船と蝦夷船が和人の舘(小城)のある海岸に混ざるさまは、この蠣崎家の本拠地、大舘のある松前でこそ最も盛んであるといえる。
とはいえ、あの、泉州堺である。
京、奈良と並び、当時の三都に数えられる。上方の要地にあって内外の商業の富を積み上げる一方、環濠をめぐらして自衛を固め、商人たちが自立したことから、海の彼方の泰西にも「ヴェネチアのごとき自由都市」として鳴り響いていたのは、後世も知るところだ。台頭する織田信長の麾下にやむをえず入ってからも、濠は健在であり、その繁華は変わらず天下に比類がないときく。
(この女が、その証のようなものだ。堺以外では生まれぬ女かもしれぬ。)
とはいえ、
(商家の者ではないか。)
蠣崎家は、若狭武田氏の流れを汲むと伝わる。若くして蝦夷島に渡来し、蝦夷の叛乱を鎮めた英雄、武田信広公の血を引くというのだ。その自分たち蝦夷代官の家の者からすれば、会合衆だ豪商だ富貴人だといっても、商人などはしょせん卑しい身分で……とは思ったが、この北辺の地ではついぞ見たことのない種類の女から、新三郎はいつも目が離せなかった。
女ながらも父・宗久の名代たる店の主としてこの地で大きな商いをおこない、京や奈良、堺といった大都市とのつながりがいや増した。そこでしばしば旧来のやり方を平然と無視して大胆な手を打ち、しかしそれが何故かあたっているようだ。
蝦夷船にせよ和人の船にせよ、商いには誤魔化しや嘘があったが、なぜかそれが綺麗にやみつつある。納屋・今井が覇者として抑えこんでいるというより、無数の商人たちが互いに互いを牽制して不当なことをせぬ仕組みを、この女―納屋の御寮人がひとりで拵えつつあるときいた。
交易は順調に増え、その結果、商人が収める運上金は増えた。蠣崎家にも、これまで味わったことのない、大きな儲けの果実をもたらしてくれている。安東家に大半を渡さねばならなかった運上金の余りは、いまや手からこぼれ落ちんばかりである。
「どうも納屋の御寮人は、南蛮渡りの不思議な金勘定をなさっているようで。」
と、近しい仲間内ともいえる渡党(安藤家について渡海した一団におそらく蝦夷島の元来の住人も加わった商業者の総称で、蝦夷地南部で中世以来活動してきた。)の名残の者や、かれらの交易に寄りかかるしかできなかった津軽の商人たちから聞いたことがある。
新興の近江渡りで耳のはやい「両岸商人」たちも首をひねるばかりの、不思議な帳簿をつけているらしいのだ。
商売の詳しいやり方などに新三郎はあまり興味はないが、松前納屋の存在が利益をもたらしてくれることには満足していた。
しかし一方で、警戒もとけない。納屋今井がこの成功のなかでもくろんでいるのは、蝦夷地貿易を堺商人なくしては成り立たないものにしようとすることではないか。蠣崎家にとっては、油断のならぬ相手でもあろう。。
蠣崎新三郎慶広の考えは、いずれ蠣崎家が蝦夷地貿易を独占し、きびしく管理することにある。
商人からとりたてた莫大な運上金の相当部分を、主家たる秋田安東家に上納するのは、そろそろ御免こうむりたい。
できれば、安東さまの代官という名目上の立場から脱したいのだ。独立の野望であった。
新三郎にとって、遠隔地の主家に尽くしつづけるのも、耐え難くなりつつあった。昨年、檜山侍従様こと安東愛季の率いた鹿角合戦に参陣した弟、助五郎中広を、むざむざ戦死させている。
一人ひとりの和人の商人にも、蝦夷との勝手な取引はさせてはならないと新三郎は考えている。かれらがこの蝦夷島に立ち入ることすら、蠣崎家の許しがなければできないようにしてしまいたい。
そこには新三郎なりの別の考えもあったが、まずは米のとれぬこの地で大名にでもなろうというのであれば、そのような商業の独占しかない。扶持米の代わりに、個々の家来に貿易のうまみを切りわけてやるのである。
だから、上方の豪商などに蝦夷島貿易にあまりにも立ち入りすぎて貰うのは困る。松前納屋・今井あやめの存在は、いまのところ痛しかゆしとしかいいようがない。
ところがこの娘は、「楽市楽座」などという言葉を素直に信じ切っているのか。安土や岐阜や京などと同じく、蠣崎家やその前身である渡党が担ってきた蝦夷島南部の商いにも、そんなものが通ると思い込んでいるらしい。
蝦夷地の商いの規模が天下に広がるのはよいことだが、この地に根を張ってきた我ら蠣崎家が、諸国から群がり集まってくる有象無象の商人のもたらず銭の海に溺れて。いつのまにか、ないがしろにされてしまうわけにもいかぬ。
しかし、そこが納屋・今井宗久家である。この一見おとなしげにも見える小娘は、織田信長という「天下人」、中央勢力の威光を自然に背負って、松前大舘におけるその名代ともひとに思わせる存在であった。
「納屋の御寮人」あやめは一人前の商人だから、普段は船着き場で人夫頭にきびきびと指図し、堺から持ち込んだ南蛮机で細い筆を動かす姿、そうでなければ父親仕込みの茶室に落ち着いている姿しか、あまり他人に見せたことがないそうだ。
南蛮渡りの金勘定とは何かなど新三郎にも想像がつかないし、それでいいのだが、あやめの不思議さには興味を捨てられなかった。
まだ娘子に過ぎぬくせに、受け答えの確かさ、涼やかさには、ときに目を見張らされる。富商の家の女らしくもなく決して華美な装いでもなく、穏やかで優しげな顔つきなのに、黒い目が美しく光って、凛としていた。ともすれば、松前大舘の支配者すら迂闊に話しかけるのを躊躇させるような、近寄りがたい気配すら感じさせることがある。
(上方の女とはこうしたものか)
「いや、やはりあのひとはやはり変わり者ですよ。上方だろうと、堺だろうと」
と、弟の十四郎などは笑っていた。
「知った風をいう。おぬしは堺に行ったことなどあるまい。」
「店の者どもの様子をみていれば、わかります。」
あの十四郎くらいが、「納屋の御寮人」あやめに平気で近づける、わが蠣崎家ただ一人の者であったが、……。
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