色欲の陰陽師

兎屋亀吉

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16.隔離病棟

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 病院中の怨嗟を煮詰めたような面をして僕に纏わりついていた悪鬼たちはまるで死んだおじいちゃんみたいなやり遂げた顔をして消えていってしまった。
 僕の首を絞めていた血まみれの男は感謝の念を僕に伝え、足に纏わりついていた水子たちは負の感情が抜け落ちて無垢なる魂に戻り輪廻の流れへと戻っていく。
 背中にしがみついていた石みたいな重さのおじいさんはお礼に僕の肩を揉み解してから消えていった。
 これは、浄霊というやつか。
 本来は神様などの力を借りて彷徨える痛ましい魂たちを浄化し、輪廻の旅路に導く御業だ。
 当然僕にそんなことはできない。
 祈祷系の術には適正がないからね。
 いわばこれは疑似浄霊だ。
 精神を鎮静化する術によって荒ぶる悪鬼たちの精神を鎮め、多幸感を与えることによって彼ら彼女らは自ら天に登ることを選んだのだろう。
 ようは気分がよくなったから成仏したのだ。
 なるほどこうして怨霊の怒りや憎しみを鎮め、幸せな気分を疑似体験させることによって浄霊と同じようなことができるのか。
 これなら僕にも魑魅魍魎関係の依頼が解決できるかもしれない。
 今度色々と試してみるとしよう。

「どうしたの橘君。急に顔色がよくなったみたい」

「うん。ちょっと気分がよくなった」

「そっか。でも気分がよくなかったのなら今度からはちゃんと言ってね」

「わかった。心配かけてごめん」

 まあ怨霊が首を絞めてきて気分が悪いとは言い出せないよね。
 神崎さんなら霊感があるって打ち明けても受け入れてくれそうではあるんだけど、万が一気持ち悪がられたらきっと僕は立ち直れないだろう。
 言わなくてもいいことは言わない。
 それが僕がこの19年間で身に付けた拙い処世術だ。
 僕たちはそれからしばし無言のまま病院内を歩いた。
 大きい病院だから結構歩く距離は長い。
 段々と人気がなくなってくる。

「ここから隔離病棟に入るから。ちょっとショックを受けるかも」

 隔離病棟か。
 なんか社会の闇って感じだね。
 精神科の隔離病棟には様々な陰謀論や都市伝説のようなものがある。
 そしてそれは全く根拠のない話でもないところが怖いところだ。
 心して臨まなければ。

「どうも、302号室の田辺柚木さんの面会に来ました」

「田辺柚木さんですね。少々お待ちください」

 どうやら田辺さんというのが神崎さんの元同級生の名前らしい。
 看護師さんは面会予約のリストにチェックを入れると、僕たちを彼女のいる病室へと案内する。
 僕は精神感応系の陰陽術を身に付けてから、人の感情というものには結構敏感だ。
 普段普通に過ごしていて人の感情を読んでしまうなどというエスパーじみた問題はさすがに起こっていないが、人が強い感情を抱いたときにはそれがなんとなく感じ取れる。
 その感覚を信じるならば、おそらく僕たちを案内してくれている看護師さんは今強い恐怖を感じている。
 いったいどういうことなんだろうか。
 病棟内を観察してみても、奇声を発している患者さんや目の焦点があっていない患者さんはたくさんいる。
 この看護師さんはベテランなのか、そういった患者さんを目にしても特に強い感情は浮かばない。
 だけれども、これから向かう病室には強い恐怖を抱いている。
 統合失調症は別にそれほど珍しい病気ではない。
 この病棟にはおそらく他にも同じ病名を宣告された患者さんがいるだろう。
 なぜ田辺さんだけを恐れるのか。
 その答えはすぐに判明した。
 なぜならば看護師さんに案内された病室には、おびただしい数のお札が貼られていたのだから。

「あの、神崎さん。田辺さんってさ、統合失調症なんだよね……」

「そうだよ。幻覚が見えるみたいで、たまに暴れるんだ。何かに、みたいに……」

 取り憑かれたみたいって、それさ。
 僕は病室の扉に貼られたお札を観察する。
 お札には崩し字でなにやらありがたい祝詞が書かれていた。
 なんて書かれているかはわからないけれど、おそらくこれは本物だ。
 本物の霊能力者によって貼られたものに違いない。
 強い霊力がこの扉を覆い、中のモノが出てこられないように閉ざしているのがその証拠だ。
 お札に込められた霊力も強いし、術の技量も高い。
 この扉をお札で封じた術者はかなりの人物だと推測できる。
 しかしそんなに優れた霊能力者でも封印しかできなかったとなると、これはかなり厄介なことになったかもしれない。
 先ほどひょんなことから魑魅魍魎に対抗することのできる手段を手に入れた僕だったけれど、本物の魑魅魍魎と相対した経験はほとんどない。
 さっきが初浄霊だったんだ。
 さすがにこのレベルの怨霊だか妖だかに挑む気にはなれない。

「あの、本当に中に入るんですか?本当は面会謝絶なんですよ。でも美和さんは院長の娘さんだから特別に……」

 神崎さん、院長の娘さんだったのか。
 めちゃくちゃいいとこのお嬢さんだった。
 天は普通に二物三物を与えるよねとか余計なことを考えてしまうけれど今はそれどころではない。
 この病室に入るのは非常に危険だ。

「神崎さん。ごめん、ちょっとこの部屋は……」

「そんなこと言わないでお願い、橘君。柚木はもう1週間も何も食べてないの。話しかけても私のことがわからなくて、このままじゃ死んじゃうよ!!」

「神崎さん……」

 僕は神崎さんの瞳から零れ落ちる涙を見て何も言えなくなってしまった。


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