29 / 131
29.13歳の苦悩
しおりを挟む
抜き身の刀を上段に構え、少年の頭目がけて振り下ろす。
「待ってください!」
刀の軌道は直前で変更され、少年の前髪を数本切り裂いて床に突き刺さった。
少年の股の間に刀が振り下ろされたことになる。
少年の歯がカタカタと鳴って、アンモニア臭が香ってくる。
大丈夫だ、徳川家康もあと2年くらいしたら敗走中に脱糞する予定だから。
失禁脱糞は戦国の習いだよ。
嘘か本当かは分からないけど。
強く生きろ。
「善次郎さん、私は大丈夫ですから。この子たちを許してあげてください」
「雪さんがそう言うなら俺は何の文句も無いよ」
俺を止めるために声をかけたのは雪さんだ。
雪さんならたぶん俺の考えを読んでそう言ってくれると思っていたけれど、結構ギリギリだったね。
意外と根に持っているのかもしれない。
「た、助かった……」
「雪さんに感謝するんだね、君たち。あと1秒遅かったら本当に斬ってたから」
「は、はひっ」
俺は刀を鞘に収める。
しかし結局、この状況はなんなのだろうか。
俺は板の間の胡坐をかいて座る。
土間の水がめの陰に隠れていたゆきまるが出てきて、俺に擦り寄ってくる。
「キャンキャンッ」
はいはい、ごめんな。
怖かったな。
でも君巨大化できるんだから、もうちょっと勇気を振り絞ってくれても良かったんだけど。
ゆきまるは潤んだ瞳でプルプル首を振る。
そうだね、ごめんね、俺が悪かったね。
ゆきまるは巨大化できる神獣とはいえ、まだ生まれて間もない幼犬だ。
無理を言っても仕方が無い。
それに本当に巨大化して戦ってくれたとしても、後々誤魔化すのが大変そうだ。
お前はしばらくそのままでいいよ。
俺はゆきまるを膝に乗せて頭を撫でた。
「それで、これはいったいどういう状況なのかな」
「それが……」
雪さんの話では、この2人の少年は織田信長の息子の奇妙丸君と森可成さんの息子の勝三君らしい。
ビビッて漏らしてしまった少年は後の織田信忠で、先程から少し離れた場所で固まってしまっている少年はさっき殿から戦死を知らされたばかりの武将の息子さんだったわけだ。
だからといって人の妻に刀を抜くのを正当化できるわけではないが。
「お父さんのことはご愁傷様だったね。うちに来たのはそのことも関係あるの?」
「は、はい……」
勝三君はぽつりぽつりと話し始める。
今年の春、俺が殿と出会った戦でお兄さんが亡くなり、先日お父さんも亡くなってしまった勝三君。
彼は若干13歳という若さで森家を背負っていかなくてはならなくなった。
しかし自分は武芸も勉学も、父や兄のようにはできない。
そんな愚痴を、遊び相手だった奇妙丸君に漏らしてしまったらしい。
将来主君となる人に愚痴を漏らすなんてみっともないが、父や兄を失った悲しみや焦燥がこみ上げてきてどうしようもなかったという。
それは俺なんかには想像もつかない感情だったに違いない。
未来であれば13歳なんてまだまだ子供だけど、この時代では大体の人が15歳くらいで元服という成人の儀式を迎える。
勝三君のように家を継ぐ者が戦死してしまったりすれば、もっと早くに大人の仲間入りを余儀なくされてしまうのだ。
そりゃあみんな老け顔になろうというものだ。
「それで、若様が善次郎殿に剣を習いに行こうと……」
「ん?なんでそんな話に?というかどこで俺の名前を?」
「お、お主、先日葛西家相手に大立ち回りを演じたじゃろう?城内はその話で持ちきりじゃ。木下藤吉郎の与力山内伊右衛門の配下にはとんでもなく腕の立つものがおるとな」
やっと失禁のショックから立ち直ってきたのか、奇妙丸君が続きを話す。
先日の一件がそんなに噂になってしまっているとはな。
大体部下が活躍したらこの時代の武士というのは、部下を立てつつも自分の手柄をアピールするものだ。
しかしご存知の通り殿はドがつくお人好しなので、俺の活躍をそのまま城代様に報告した。
結果、俺の活躍には尾ひれが付いてしまっているというわけだ。
「100人斬りの善次郎に剣を習えば、勝三にも少しは箔がつくかと思ってな」
その二つ名はちょっと嫌だな。
浮気者みたいで。
あと100人も斬ってない。
「でも、善次郎殿はいらっしゃらなくて……」
「そこの女がちゃんとした武芸指南役がおるなら帰れと抜かしたのじゃ」
普通に正論だと思うんだけど。
まあ正論で論破されると癇癪を起こしたくなる年頃なのだろう。
俺のような身分の低くて実績も無い武士に総大将の息子や重臣の息子が武芸を習うというのは、この時代的には常識外れな行動だ。
勝三君のほうは森家の家長となるのだし、余計に木っ端武士からの教えなど受けられる立場ではないと思うんだけどな。
俺のほうも困るからさっさと帰ってほしい。
「奥方様にこのようなことをしてしまって、今更どの面さげて頼むのかと申されるかもしれません。そのことについては深く謝罪申し上げます。ですが、どうか私に武芸を教えていただけないでしょうか。先程の身のこなしは実に素晴らしいものでありました。お願いします!!」
勝三君は床に頭をつけてお願いしてくる。
子供に土下座させるなんて外聞が悪いからやめてくれないかな。
奇妙丸君も驚いて口をぽかりと開けてしまっているじゃないか。
後の信忠とは思えないアホ面だな。
「勝三君、いえ、森様、頭をお上げください。俺なんて木っ端武士に武術を習うなんて、森家にとって良くないと思いますよ」
「ですが……」
「ですから、これからはこっそりおいでください。ここは狭いので、山内家の屋敷の庭先をお借りして見取り稽古くらいならばお相手いたしますよ」
まあ俺は教えるとかできないので、見取り稽古しかやりようがないんだけどね。
善住坊さんくらいの武芸の才能があれば、それでも強くなれるはずだ。
いや、善住坊さんに教えてもらえばすべて解決かもしれないな。
「ありがとうございます!!」
「勝三がそれで良いというのならば、此度のことは不問に処す。貴様らも良いな?」
「「「はっ……(ギリッ)」」」
奇妙丸君の許しも得られた。
許してもらえなかったら美濃から出て行かなければならなかったからね。
許してもらえるに越したことは無い。
しかし肩と股関節を外してしまった側近の大人たちからは、痛みに脂汗を流しながらギロリと睨まれてしまった。
やっぱり大人は面倒だな。
めでたしめでたしでいいじゃないのさ。
「待ってください!」
刀の軌道は直前で変更され、少年の前髪を数本切り裂いて床に突き刺さった。
少年の股の間に刀が振り下ろされたことになる。
少年の歯がカタカタと鳴って、アンモニア臭が香ってくる。
大丈夫だ、徳川家康もあと2年くらいしたら敗走中に脱糞する予定だから。
失禁脱糞は戦国の習いだよ。
嘘か本当かは分からないけど。
強く生きろ。
「善次郎さん、私は大丈夫ですから。この子たちを許してあげてください」
「雪さんがそう言うなら俺は何の文句も無いよ」
俺を止めるために声をかけたのは雪さんだ。
雪さんならたぶん俺の考えを読んでそう言ってくれると思っていたけれど、結構ギリギリだったね。
意外と根に持っているのかもしれない。
「た、助かった……」
「雪さんに感謝するんだね、君たち。あと1秒遅かったら本当に斬ってたから」
「は、はひっ」
俺は刀を鞘に収める。
しかし結局、この状況はなんなのだろうか。
俺は板の間の胡坐をかいて座る。
土間の水がめの陰に隠れていたゆきまるが出てきて、俺に擦り寄ってくる。
「キャンキャンッ」
はいはい、ごめんな。
怖かったな。
でも君巨大化できるんだから、もうちょっと勇気を振り絞ってくれても良かったんだけど。
ゆきまるは潤んだ瞳でプルプル首を振る。
そうだね、ごめんね、俺が悪かったね。
ゆきまるは巨大化できる神獣とはいえ、まだ生まれて間もない幼犬だ。
無理を言っても仕方が無い。
それに本当に巨大化して戦ってくれたとしても、後々誤魔化すのが大変そうだ。
お前はしばらくそのままでいいよ。
俺はゆきまるを膝に乗せて頭を撫でた。
「それで、これはいったいどういう状況なのかな」
「それが……」
雪さんの話では、この2人の少年は織田信長の息子の奇妙丸君と森可成さんの息子の勝三君らしい。
ビビッて漏らしてしまった少年は後の織田信忠で、先程から少し離れた場所で固まってしまっている少年はさっき殿から戦死を知らされたばかりの武将の息子さんだったわけだ。
だからといって人の妻に刀を抜くのを正当化できるわけではないが。
「お父さんのことはご愁傷様だったね。うちに来たのはそのことも関係あるの?」
「は、はい……」
勝三君はぽつりぽつりと話し始める。
今年の春、俺が殿と出会った戦でお兄さんが亡くなり、先日お父さんも亡くなってしまった勝三君。
彼は若干13歳という若さで森家を背負っていかなくてはならなくなった。
しかし自分は武芸も勉学も、父や兄のようにはできない。
そんな愚痴を、遊び相手だった奇妙丸君に漏らしてしまったらしい。
将来主君となる人に愚痴を漏らすなんてみっともないが、父や兄を失った悲しみや焦燥がこみ上げてきてどうしようもなかったという。
それは俺なんかには想像もつかない感情だったに違いない。
未来であれば13歳なんてまだまだ子供だけど、この時代では大体の人が15歳くらいで元服という成人の儀式を迎える。
勝三君のように家を継ぐ者が戦死してしまったりすれば、もっと早くに大人の仲間入りを余儀なくされてしまうのだ。
そりゃあみんな老け顔になろうというものだ。
「それで、若様が善次郎殿に剣を習いに行こうと……」
「ん?なんでそんな話に?というかどこで俺の名前を?」
「お、お主、先日葛西家相手に大立ち回りを演じたじゃろう?城内はその話で持ちきりじゃ。木下藤吉郎の与力山内伊右衛門の配下にはとんでもなく腕の立つものがおるとな」
やっと失禁のショックから立ち直ってきたのか、奇妙丸君が続きを話す。
先日の一件がそんなに噂になってしまっているとはな。
大体部下が活躍したらこの時代の武士というのは、部下を立てつつも自分の手柄をアピールするものだ。
しかしご存知の通り殿はドがつくお人好しなので、俺の活躍をそのまま城代様に報告した。
結果、俺の活躍には尾ひれが付いてしまっているというわけだ。
「100人斬りの善次郎に剣を習えば、勝三にも少しは箔がつくかと思ってな」
その二つ名はちょっと嫌だな。
浮気者みたいで。
あと100人も斬ってない。
「でも、善次郎殿はいらっしゃらなくて……」
「そこの女がちゃんとした武芸指南役がおるなら帰れと抜かしたのじゃ」
普通に正論だと思うんだけど。
まあ正論で論破されると癇癪を起こしたくなる年頃なのだろう。
俺のような身分の低くて実績も無い武士に総大将の息子や重臣の息子が武芸を習うというのは、この時代的には常識外れな行動だ。
勝三君のほうは森家の家長となるのだし、余計に木っ端武士からの教えなど受けられる立場ではないと思うんだけどな。
俺のほうも困るからさっさと帰ってほしい。
「奥方様にこのようなことをしてしまって、今更どの面さげて頼むのかと申されるかもしれません。そのことについては深く謝罪申し上げます。ですが、どうか私に武芸を教えていただけないでしょうか。先程の身のこなしは実に素晴らしいものでありました。お願いします!!」
勝三君は床に頭をつけてお願いしてくる。
子供に土下座させるなんて外聞が悪いからやめてくれないかな。
奇妙丸君も驚いて口をぽかりと開けてしまっているじゃないか。
後の信忠とは思えないアホ面だな。
「勝三君、いえ、森様、頭をお上げください。俺なんて木っ端武士に武術を習うなんて、森家にとって良くないと思いますよ」
「ですが……」
「ですから、これからはこっそりおいでください。ここは狭いので、山内家の屋敷の庭先をお借りして見取り稽古くらいならばお相手いたしますよ」
まあ俺は教えるとかできないので、見取り稽古しかやりようがないんだけどね。
善住坊さんくらいの武芸の才能があれば、それでも強くなれるはずだ。
いや、善住坊さんに教えてもらえばすべて解決かもしれないな。
「ありがとうございます!!」
「勝三がそれで良いというのならば、此度のことは不問に処す。貴様らも良いな?」
「「「はっ……(ギリッ)」」」
奇妙丸君の許しも得られた。
許してもらえなかったら美濃から出て行かなければならなかったからね。
許してもらえるに越したことは無い。
しかし肩と股関節を外してしまった側近の大人たちからは、痛みに脂汗を流しながらギロリと睨まれてしまった。
やっぱり大人は面倒だな。
めでたしめでたしでいいじゃないのさ。
4
お気に入りに追加
3,791
あなたにおすすめの小説

俺しか使えない『アイテムボックス』がバグってる
十本スイ
ファンタジー
俗にいう神様転生とやらを経験することになった主人公――札月沖長。ただしよくあるような最強でチートな能力をもらい、異世界ではしゃぐつもりなど到底なかった沖長は、丈夫な身体と便利なアイテムボックスだけを望んだ。しかしこの二つ、神がどういう解釈をしていたのか、特にアイテムボックスについてはバグっているのではと思うほどの能力を有していた。これはこれで便利に使えばいいかと思っていたが、どうも自分だけが転生者ではなく、一緒に同世界へ転生した者たちがいるようで……。しかもそいつらは自分が主人公で、沖長をイレギュラーだの踏み台だなどと言ってくる。これは異世界ではなく現代ファンタジーの世界に転生することになった男が、その世界の真実を知りながらもマイペースに生きる物語である。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。


家の庭にレアドロップダンジョンが生えた~神話級のアイテムを使って普通のダンジョンで無双します~
芦屋貴緒
ファンタジー
売れないイラストレーターである里見司(さとみつかさ)の家にダンジョンが生えた。
駆除業者も呼ぶことができない金欠ぶりに「ダンジョンで手に入れたものを売ればいいのでは?」と考え潜り始める。
だがそのダンジョンで手に入るアイテムは全て他人に譲渡できないものだったのだ。
彼が財宝を鑑定すると驚愕の事実が判明する。
経験値も金にもならないこのダンジョン。
しかし手に入るものは全て高ランクのダンジョンでも入手困難なレアアイテムばかり。
――じゃあ、アイテムの力で強くなって普通のダンジョンで稼げばよくない?

【本編完結済み/後日譚連載中】巻き込まれた事なかれ主義のパシリくんは争いを避けて生きていく ~生産系加護で今度こそ楽しく生きるのさ~
みやま たつむ
ファンタジー
【本編完結しました(812話)/後日譚を書くために連載中にしています。ご承知おきください】
事故死したところを別の世界に連れてかれた陽キャグループと、巻き込まれて事故死した事なかれ主義の静人。
神様から強力な加護をもらって魔物をちぎっては投げ~、ちぎっては投げ~―――なんて事をせずに、勢いで作ってしまったホムンクルスにお店を開かせて面倒な事を押し付けて自由に生きる事にした。
作った魔道具はどんな使われ方をしているのか知らないまま「のんびり気ままに好きなように生きるんだ」と魔物なんてほっといて好き勝手生きていきたい静人の物語。
「まあ、そんな平穏な生活は転移した時点で無理じゃけどな」と最高神は思うのだが―――。
※「小説家になろう」と「カクヨム」で同時掲載しております。

【完結】精霊に選ばれなかった私は…
まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。

異世界で快適な生活するのに自重なんかしてられないだろ?
お子様
ファンタジー
机の引き出しから過去未来ではなく異世界へ。
飛ばされた世界で日本のような快適な生活を過ごすにはどうしたらいい?
自重して目立たないようにする?
無理無理。快適な生活を送るにはお金が必要なんだよ!
お金を稼ぎ目立っても、問題無く暮らす方法は?
主人公の考えた手段は、ドン引きされるような内容だった。
(実践出来るかどうかは別だけど)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる