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お題:マスカラでつくる、今日の私。
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『なりたい自分になるため』
「私のこと、抱いてくれませんか?」
通っている塾が入っている駅前のビルの裏。
道路とは呼べない、ビルとビルの間の狭いすき間に私はいる。
「……そういう冗談はよくないな」
「冗談じゃないよ。ふざけてこんなこと言うわけないじゃん」
塾の入っているビルと隣接するビルに入っている、とある会社の男性社員。
その男の人に、私は話しかけている。
容姿はそれなり。
だけど、物腰はやわらかいし、清潔感がある。なにより、彼と話していると心地よい。
ビル内は禁煙のため、タバコを吸うために外へ出てくる男の人。
私はその姿を、いつも上から眺めていた。
「冗談じゃないのなら、それは余計によくないな」
「いいとか悪いとか関係ないから。で、どうなの?」
塾の講義は退屈だ。
勉強になんて、なにひとつ興味は持てないから。
同じ教室内にいる人たちの顔すら、ろくに覚えられない。
通っているのは、意識の高い人ばかり。
将来は上場企業に勤めたいとか、国家公務員になりたいとか、いわゆる上級国民を目指しているような人たちだ。
みんなが互いをライバルだと意識していて、仲良しこよしなんて雰囲気には絶対にならない。
いつもぴりぴり張り詰めた空気が漂っていて、休憩時間になるたびに気が滅入る。
「おじさんはね、制服の女子高生に手を出すほど悪い男じゃないんだ」
「なんで? 制服を着ているほうがいいんじゃないの」
ビルの非常階段の手すりに寄りかかる男の隣に、私はぴったりとくっついた。
私はここにいるぞと、アピールするようにからだを寄せる。
いつからだっただろう。
私は男を見下ろすことはやめていた。
彼と同じ場所に立って、時折こうして言葉を交わしている。
最初はものすごく警戒されていた。
だけど、最近は少し当たりが柔らかくなったと思っていた。
だというのに、私のひと言で一気に空気が張り詰めてしまう。
時間をかけて距離を縮めたのに、台無しになってしまった。
「その偏見はよくないぞ。悪いものに影響されすぎ」
「じゃあ、どうしたら抱いてくれるの?」
私は頬を膨らませて尋ねた。
男はそんな私を横目でチラリと見て苦笑する。
「若すぎるんだよ。せめて制服を着なくてもいい歳になったらかな」
「若さだけじゃダメなの? 私ってかわいいと思うんだけど」
私がそう言ったら、男はゲホゲホとむせだした。
「……っ、最近の若い子はすごいな。自分でかわいいとか言っちゃうんだ」
「だってかわいいもん。清楚系の美人でしょ?」
「たしかにね。間違ってはいないけどさ」
「ならいいじゃん。合意の上での行為なら問題ないでしょ」
「問題ありすぎ。普通の成人男性は制服の女子高生と同衾しません」
男は手すりから離れると、すぐに私からも距離をとった。
携帯灰皿を取り出して、タバコを押し込む。
男がそそくさとビルの中に入ろうとするので、私は慌てて扉の前に立った。
行く手を塞ぐ私を前にして、男は目を丸くした。苦笑いを浮かべながら、頭を掻いている。
「あー、いちおう聞くけどさ。どうしてそんなことがしたいわけ?」
「大人になったら、なにか変わるかもしれないから」
私は真面目な高校生だ。
それも、とびっきり優秀。
進学校と呼ばれる高校に通っているし、そこでテストの順位は常に一桁。
塾で行われる模試だって、志望校はいつもA判定。
だからきっと、私が塾の講義を抜け出して男を口説こうとしているなんて、誰も信じない。
「どうして大人になりたいのかな?」
「クラスメイトがね、委員長っていつも真面目でつまらなそうって言うの」
「なるほどね。委員長を任せられるくらいの優等生なわけだ」
「しかもその子ね、大学生の彼氏がいて、いつもデートの最後はホテルに行くって自慢してくるの」
「あー、それはそれは。悪い彼氏がいるわけだ」
男はため息をつくと、頭から手を下ろした。
彼はそのまま腕を組むと、じっと私の目をみつめてくる。
見たことのない、真剣な顔をしている。
なぜだろう。
そのひとつひとつの仕草に、胸が高鳴っている。
私は自分の中にある感情をごまかすように、話を続けた。
「……っその子、私より頭悪いし、かわいくだってないのにさ。彼氏がいるってだけでマウントとろうとしてくるの。なんか、悔しいじゃん」
「マウントになっているのかそれ。ただの若さ故の過ちじゃないかな」
「その気になれば私だって、彼氏のひとりくらいすぐにできるもん」
だからね、私はそう力強く言って男に近づく。
彼はそんな私をサッとかわして、ビルの扉に手をかけた。
「まずはその子供すぎる考えを捨てること。そうしたら、交渉の余地があるかもしれないね」
男はそう言いながら、ガチャリとビルの扉を開けた。
「もちろん、制服を着なくなってからだぞ。それと、もう少し異性を魅了できる色気も身につけたらな」
そんな言葉を残して、男はいなくなった。
それから、男はタバコ休憩にビルの外に出てこなくなってしまった。
あの日から一年以上経った。
私は無事に高校を卒業し、志望大学に合格した。
都心の有名私立大学、いまは一人暮らしを満喫中の女子大生だ。
今日は長期休みに入ったため、ひさしぶりに地元へ帰ってきた。
「わお、びっくりした。見違えたね」
「当然でしょ。もう制服を着るようなお子ちゃまじゃないから」
どうだ、私はそう言って男の前に立った。
堂々と胸を張って、いまの自分の姿を見せつける。
「一年かそこらでそんなに成長はしないだろ」
「残念。私くらいの年齢の一年って、信じられないくらい伸びるの。自分だってそういう時代があったでしょ?」
「そうだったかな。僕はのんびりした学生生活を送っていたから覚えてないな」
男は顔をほころばせながら、タバコを取り出した。
タバコを口にくわえるとライターで火をつけて、ゆっくりと息を吐く。
「……しばらく見かけなかったから、他にちょうどいい男がいたのかと思ってたんだけど?」
「失礼な人。言われた通りに、制服を着なくてもいい年齢になってから来たんだけど?」
私は着ている服の裾を掴むと、その場でくるりと一回転してみせた。
今日の服装は母校の制服じゃない。
ファッション雑誌やインフルエンサーのSNSを見て研究した、綺麗な私に似合う最高にかわいい服。
「高校を卒業したんだね。それはおめでとう」
「ありがとう。ちなみに、大学にだって入学したんだから」
「それは重ねておめでとうございます。そっか、キャンパスライフを楽しんでいるんだね」
「いまの私は女子大生だよ。どうかな?」
私は一歩だけ前に出て男に近づいてから、顔を覗き込んだ。
「うん、あいかわらず綺麗な子だね」
「でしょ? 手を出す気になった?」
私は非常階段の手すりに寄りかかっている男の隣に移動して、いつかのようにぴったりとくっついた。
きっと以前ならすぐに逃げられた。でも、いまの彼は動かない。
ちらりと横目で様子をうかがうと、至近距離で目が合う。
そのまま沈黙の時間が流れはじめた。
私は気恥ずかしくなって、目を逸らしたくなってしまう。
けれど、こんなことで恥じらっているようじゃ大人の女じゃない。
私は唇をかみしめて、男の目をじっと見続けた。
彼も私の目をみつめたまま、火をつけたばかりのタバコを携帯灰皿の中に押しこんだ。
「……ふふ、あいかわらずおもしろい子だな」
「お、おもしろいってなに?」
男は私から視線を逸らすと、口元に手を当てて笑う。
最初は小さく笑っていた。だが、次第に我慢ならないとでもいうように、腹を抱えて笑いだした。
「あはははは!」
「ひどい! そんなに笑うことないのに。せっかくならかわいいって言ってほしかった」
ほんの少しだけ、泣きたい気持ちになる。
今日のために、私は頑張った。
研究したのは服装だけじゃない。
メイクだって気合いを入れた。
だって、色気を身につけろって言われたから。
「ごめんごめん。馬鹿にしているから笑ったとか、そういうことじゃないから」
「じゃあなに? ちゃんと説明してくれなきゃわからない」
この一年の間、私の目標は志望大学に受かることでも、素敵なキャンパスライフを送ることでもなかった。
色気のある大人になる、彼を魅了できるような存在になる、これだけだった。
それにはまず、メイクをしなきゃ駄目だって思った。
「かわいいよ。もとから綺麗な女の子なのに、僕のためにもっと美しくなろうとお化粧を頑張ってくれたんだって考えると嬉しいよね」
「べ、べつに。メイクなんて大人なら当たり前のことだし!」
メイクの勉強するのは大変だった。
学校や塾では、メイクの授業はない。
いくら成績優秀な私でも、メイクは本を読んだだけでは理解できなかった。
だから、恥を忍んでコスメセレクトショップに行った。
ビューティアドバイザーさんに、たくさん話を聞いた。
はじめてのタッチアップは緊張した。
顔のタイプ、肌のタイプ、基本のメイクからちょっぴり気分を変えたいときの応用メイクまで。
しっかり学んで、今日という日まで研鑽を積んできた。
「本当にかわいいね。そうやって気持ちは素直に言えないのに、態度に全部でているのがいいと思う」
「はあ、なによそれ。ごまかさないできっちり説明して!」
私が語気を強めて言うと、男にじっと目元を見つめられた。
彼は片目を閉じて、ぱちぱちとウインクをしてくる。
以前に会っていたころは真面目な高校生だった私。
校則で化粧を禁止されていたから、アイメイクなんてしていなかった。
「人は目元で印象が変わると言うけど、本当だね。ちょっときつめの印象だったのに、やわらかい雰囲気になってる。すごくかわいい」
「──っ当然でしょ。ちゃんと自己分析をしてメイクしたんだから」
大丈夫、今日の私は完璧にかわいい。
至近距離で見られたって、なにも問題はない。
私は切れ長の目をしている。
きつく見られがちなので、なるべく目がくりっと丸く見えるようなメイクを学んだ。
そのほうが、かわいらしい印象を与えられると思ったから。
アイシャドウはブラウン系でナチュラルに。
黒目の上部分だけほんの少し太めに塗ると、黒目部分が強調されて目の形が丸く見える。
アイラインも同じ。
目のキワ全体にラインを引いたら、黒目の上部分だけ太めに描くと丸目に見えやすい。
そして、最後はマスカラ。
これも黒目の上のまつ毛が長いと目の縦幅が大きく見える効果がある。
そこは重点的にマスカラを塗布している。
だけど、適当なマスカラを塗ればいいってわけじゃない。
私がたどり着いた答え。
それが『C〇NMAKE TOKYOから発売されているメ〇ルックマスカラ』。
まだまだメイク初心者の私でもメタルコームだから塗りやすいし、自分好みの束感がつくれるマスカラだ。
ぱっちりとしたかわいらしい目元をつくるため。
まずはビューラーでまつ毛をしっかりとカールさせる。
もちろん、マスカラ下地も忘れずに。
そこへ、メタルックマスカラを全体に一度塗り。
これだけでもピュアルックで良いけれど、私の場合は黒目の上部分を二度塗りしてキュートルック。
なんと、これだけで流行りのかわいらしい束感まつげのできあがり。
今日の私の目元はマスカラで作ったといってもいいかもしれない。
完璧なぱっちりかわいい丸目メイク。
私は自分のメイクの手順を頭の中で必死に振り返っていた。
大丈夫、絶対に大丈夫と、何度も自分に言い聞かせていた。
そんなとき、いきなり視界がまっくらになった。
驚いて肩が跳ね上がったが、すぐに男に抱きしめられているのだと気がついた。
心臓がうるさいくらいにバクバクと激しく鼓動している。
彼はそのまま私の頭をぽんぽんと軽く叩いてから、すぐにからだを離した。
「抱いてほしいって言ってたから」
ぽかんと立ち尽くす私に、男は口のはしを上げてニヤリと笑った。
「……たしかに、そう言ったけど……」
「抱きしめたんだから、これで望みは叶ったよな。これからはもう変なことは言わないように」
男はパンと手を叩いた。
それで私のからだが動き出す。
「違うの! こういうことじゃなくて」
「もし君が素直に僕を好きだと言ってくれたら、そりゃ誠実に対応するけどさ」
「──っな!」
男に言われた言葉で、私はまた立ち尽くしてしまう。
頬が熱くなっていくのがわかる。
きっと、今の私の顔は真っ赤だ。
「抱いてくれだとか、手を出す気になったかだとか。そんなことしか言われないのは悲しいなあ」
ニヤニヤと笑ったまま、こちらをみつめてくる男。
私は自分の手でパタパタと顔を扇ぐ。
自然な肌の色に合わせたメイクだというのに、これじゃ意味がない。
「せ、せっかくかわいい顔に仕上げてきたのに、あなたのせいで台無し!」
「そんなことない。真っ赤な顔になってもかわいいよ」
「あーあーあーあー、聞こえないー!」
私は両手をひろげて赤い顔を隠そうとする。
「そんなことをしたら、もったいないぞ。せっかく努力して理想の自分になったんだろ?」
男が呆れたように笑いながら、スマホを取り出した。
彼が私に見せてきたのは、トークアプリのQRコードが表示された画面。やっと連絡先を交換してくれる気になったらしい。
私は飛び上がって喜びたかったが、ぐっとこらえてゆっくりとスマホを取り出した。
「そうだよ! 私はどんな時でもなりたい自分になれるんだから」
私の頭の中は、これからのことでいっぱいだった。
彼とどこへ行こうか、彼となにをして過ごそうか。
もちろん、そのときはメイクが欠かせない。
好きな人の前ではかわいい自分でいたいから。
いつでもどこでも、私はマスカラを使ってなりたい自分になってみせる。
「私のこと、抱いてくれませんか?」
通っている塾が入っている駅前のビルの裏。
道路とは呼べない、ビルとビルの間の狭いすき間に私はいる。
「……そういう冗談はよくないな」
「冗談じゃないよ。ふざけてこんなこと言うわけないじゃん」
塾の入っているビルと隣接するビルに入っている、とある会社の男性社員。
その男の人に、私は話しかけている。
容姿はそれなり。
だけど、物腰はやわらかいし、清潔感がある。なにより、彼と話していると心地よい。
ビル内は禁煙のため、タバコを吸うために外へ出てくる男の人。
私はその姿を、いつも上から眺めていた。
「冗談じゃないのなら、それは余計によくないな」
「いいとか悪いとか関係ないから。で、どうなの?」
塾の講義は退屈だ。
勉強になんて、なにひとつ興味は持てないから。
同じ教室内にいる人たちの顔すら、ろくに覚えられない。
通っているのは、意識の高い人ばかり。
将来は上場企業に勤めたいとか、国家公務員になりたいとか、いわゆる上級国民を目指しているような人たちだ。
みんなが互いをライバルだと意識していて、仲良しこよしなんて雰囲気には絶対にならない。
いつもぴりぴり張り詰めた空気が漂っていて、休憩時間になるたびに気が滅入る。
「おじさんはね、制服の女子高生に手を出すほど悪い男じゃないんだ」
「なんで? 制服を着ているほうがいいんじゃないの」
ビルの非常階段の手すりに寄りかかる男の隣に、私はぴったりとくっついた。
私はここにいるぞと、アピールするようにからだを寄せる。
いつからだっただろう。
私は男を見下ろすことはやめていた。
彼と同じ場所に立って、時折こうして言葉を交わしている。
最初はものすごく警戒されていた。
だけど、最近は少し当たりが柔らかくなったと思っていた。
だというのに、私のひと言で一気に空気が張り詰めてしまう。
時間をかけて距離を縮めたのに、台無しになってしまった。
「その偏見はよくないぞ。悪いものに影響されすぎ」
「じゃあ、どうしたら抱いてくれるの?」
私は頬を膨らませて尋ねた。
男はそんな私を横目でチラリと見て苦笑する。
「若すぎるんだよ。せめて制服を着なくてもいい歳になったらかな」
「若さだけじゃダメなの? 私ってかわいいと思うんだけど」
私がそう言ったら、男はゲホゲホとむせだした。
「……っ、最近の若い子はすごいな。自分でかわいいとか言っちゃうんだ」
「だってかわいいもん。清楚系の美人でしょ?」
「たしかにね。間違ってはいないけどさ」
「ならいいじゃん。合意の上での行為なら問題ないでしょ」
「問題ありすぎ。普通の成人男性は制服の女子高生と同衾しません」
男は手すりから離れると、すぐに私からも距離をとった。
携帯灰皿を取り出して、タバコを押し込む。
男がそそくさとビルの中に入ろうとするので、私は慌てて扉の前に立った。
行く手を塞ぐ私を前にして、男は目を丸くした。苦笑いを浮かべながら、頭を掻いている。
「あー、いちおう聞くけどさ。どうしてそんなことがしたいわけ?」
「大人になったら、なにか変わるかもしれないから」
私は真面目な高校生だ。
それも、とびっきり優秀。
進学校と呼ばれる高校に通っているし、そこでテストの順位は常に一桁。
塾で行われる模試だって、志望校はいつもA判定。
だからきっと、私が塾の講義を抜け出して男を口説こうとしているなんて、誰も信じない。
「どうして大人になりたいのかな?」
「クラスメイトがね、委員長っていつも真面目でつまらなそうって言うの」
「なるほどね。委員長を任せられるくらいの優等生なわけだ」
「しかもその子ね、大学生の彼氏がいて、いつもデートの最後はホテルに行くって自慢してくるの」
「あー、それはそれは。悪い彼氏がいるわけだ」
男はため息をつくと、頭から手を下ろした。
彼はそのまま腕を組むと、じっと私の目をみつめてくる。
見たことのない、真剣な顔をしている。
なぜだろう。
そのひとつひとつの仕草に、胸が高鳴っている。
私は自分の中にある感情をごまかすように、話を続けた。
「……っその子、私より頭悪いし、かわいくだってないのにさ。彼氏がいるってだけでマウントとろうとしてくるの。なんか、悔しいじゃん」
「マウントになっているのかそれ。ただの若さ故の過ちじゃないかな」
「その気になれば私だって、彼氏のひとりくらいすぐにできるもん」
だからね、私はそう力強く言って男に近づく。
彼はそんな私をサッとかわして、ビルの扉に手をかけた。
「まずはその子供すぎる考えを捨てること。そうしたら、交渉の余地があるかもしれないね」
男はそう言いながら、ガチャリとビルの扉を開けた。
「もちろん、制服を着なくなってからだぞ。それと、もう少し異性を魅了できる色気も身につけたらな」
そんな言葉を残して、男はいなくなった。
それから、男はタバコ休憩にビルの外に出てこなくなってしまった。
あの日から一年以上経った。
私は無事に高校を卒業し、志望大学に合格した。
都心の有名私立大学、いまは一人暮らしを満喫中の女子大生だ。
今日は長期休みに入ったため、ひさしぶりに地元へ帰ってきた。
「わお、びっくりした。見違えたね」
「当然でしょ。もう制服を着るようなお子ちゃまじゃないから」
どうだ、私はそう言って男の前に立った。
堂々と胸を張って、いまの自分の姿を見せつける。
「一年かそこらでそんなに成長はしないだろ」
「残念。私くらいの年齢の一年って、信じられないくらい伸びるの。自分だってそういう時代があったでしょ?」
「そうだったかな。僕はのんびりした学生生活を送っていたから覚えてないな」
男は顔をほころばせながら、タバコを取り出した。
タバコを口にくわえるとライターで火をつけて、ゆっくりと息を吐く。
「……しばらく見かけなかったから、他にちょうどいい男がいたのかと思ってたんだけど?」
「失礼な人。言われた通りに、制服を着なくてもいい年齢になってから来たんだけど?」
私は着ている服の裾を掴むと、その場でくるりと一回転してみせた。
今日の服装は母校の制服じゃない。
ファッション雑誌やインフルエンサーのSNSを見て研究した、綺麗な私に似合う最高にかわいい服。
「高校を卒業したんだね。それはおめでとう」
「ありがとう。ちなみに、大学にだって入学したんだから」
「それは重ねておめでとうございます。そっか、キャンパスライフを楽しんでいるんだね」
「いまの私は女子大生だよ。どうかな?」
私は一歩だけ前に出て男に近づいてから、顔を覗き込んだ。
「うん、あいかわらず綺麗な子だね」
「でしょ? 手を出す気になった?」
私は非常階段の手すりに寄りかかっている男の隣に移動して、いつかのようにぴったりとくっついた。
きっと以前ならすぐに逃げられた。でも、いまの彼は動かない。
ちらりと横目で様子をうかがうと、至近距離で目が合う。
そのまま沈黙の時間が流れはじめた。
私は気恥ずかしくなって、目を逸らしたくなってしまう。
けれど、こんなことで恥じらっているようじゃ大人の女じゃない。
私は唇をかみしめて、男の目をじっと見続けた。
彼も私の目をみつめたまま、火をつけたばかりのタバコを携帯灰皿の中に押しこんだ。
「……ふふ、あいかわらずおもしろい子だな」
「お、おもしろいってなに?」
男は私から視線を逸らすと、口元に手を当てて笑う。
最初は小さく笑っていた。だが、次第に我慢ならないとでもいうように、腹を抱えて笑いだした。
「あはははは!」
「ひどい! そんなに笑うことないのに。せっかくならかわいいって言ってほしかった」
ほんの少しだけ、泣きたい気持ちになる。
今日のために、私は頑張った。
研究したのは服装だけじゃない。
メイクだって気合いを入れた。
だって、色気を身につけろって言われたから。
「ごめんごめん。馬鹿にしているから笑ったとか、そういうことじゃないから」
「じゃあなに? ちゃんと説明してくれなきゃわからない」
この一年の間、私の目標は志望大学に受かることでも、素敵なキャンパスライフを送ることでもなかった。
色気のある大人になる、彼を魅了できるような存在になる、これだけだった。
それにはまず、メイクをしなきゃ駄目だって思った。
「かわいいよ。もとから綺麗な女の子なのに、僕のためにもっと美しくなろうとお化粧を頑張ってくれたんだって考えると嬉しいよね」
「べ、べつに。メイクなんて大人なら当たり前のことだし!」
メイクの勉強するのは大変だった。
学校や塾では、メイクの授業はない。
いくら成績優秀な私でも、メイクは本を読んだだけでは理解できなかった。
だから、恥を忍んでコスメセレクトショップに行った。
ビューティアドバイザーさんに、たくさん話を聞いた。
はじめてのタッチアップは緊張した。
顔のタイプ、肌のタイプ、基本のメイクからちょっぴり気分を変えたいときの応用メイクまで。
しっかり学んで、今日という日まで研鑽を積んできた。
「本当にかわいいね。そうやって気持ちは素直に言えないのに、態度に全部でているのがいいと思う」
「はあ、なによそれ。ごまかさないできっちり説明して!」
私が語気を強めて言うと、男にじっと目元を見つめられた。
彼は片目を閉じて、ぱちぱちとウインクをしてくる。
以前に会っていたころは真面目な高校生だった私。
校則で化粧を禁止されていたから、アイメイクなんてしていなかった。
「人は目元で印象が変わると言うけど、本当だね。ちょっときつめの印象だったのに、やわらかい雰囲気になってる。すごくかわいい」
「──っ当然でしょ。ちゃんと自己分析をしてメイクしたんだから」
大丈夫、今日の私は完璧にかわいい。
至近距離で見られたって、なにも問題はない。
私は切れ長の目をしている。
きつく見られがちなので、なるべく目がくりっと丸く見えるようなメイクを学んだ。
そのほうが、かわいらしい印象を与えられると思ったから。
アイシャドウはブラウン系でナチュラルに。
黒目の上部分だけほんの少し太めに塗ると、黒目部分が強調されて目の形が丸く見える。
アイラインも同じ。
目のキワ全体にラインを引いたら、黒目の上部分だけ太めに描くと丸目に見えやすい。
そして、最後はマスカラ。
これも黒目の上のまつ毛が長いと目の縦幅が大きく見える効果がある。
そこは重点的にマスカラを塗布している。
だけど、適当なマスカラを塗ればいいってわけじゃない。
私がたどり着いた答え。
それが『C〇NMAKE TOKYOから発売されているメ〇ルックマスカラ』。
まだまだメイク初心者の私でもメタルコームだから塗りやすいし、自分好みの束感がつくれるマスカラだ。
ぱっちりとしたかわいらしい目元をつくるため。
まずはビューラーでまつ毛をしっかりとカールさせる。
もちろん、マスカラ下地も忘れずに。
そこへ、メタルックマスカラを全体に一度塗り。
これだけでもピュアルックで良いけれど、私の場合は黒目の上部分を二度塗りしてキュートルック。
なんと、これだけで流行りのかわいらしい束感まつげのできあがり。
今日の私の目元はマスカラで作ったといってもいいかもしれない。
完璧なぱっちりかわいい丸目メイク。
私は自分のメイクの手順を頭の中で必死に振り返っていた。
大丈夫、絶対に大丈夫と、何度も自分に言い聞かせていた。
そんなとき、いきなり視界がまっくらになった。
驚いて肩が跳ね上がったが、すぐに男に抱きしめられているのだと気がついた。
心臓がうるさいくらいにバクバクと激しく鼓動している。
彼はそのまま私の頭をぽんぽんと軽く叩いてから、すぐにからだを離した。
「抱いてほしいって言ってたから」
ぽかんと立ち尽くす私に、男は口のはしを上げてニヤリと笑った。
「……たしかに、そう言ったけど……」
「抱きしめたんだから、これで望みは叶ったよな。これからはもう変なことは言わないように」
男はパンと手を叩いた。
それで私のからだが動き出す。
「違うの! こういうことじゃなくて」
「もし君が素直に僕を好きだと言ってくれたら、そりゃ誠実に対応するけどさ」
「──っな!」
男に言われた言葉で、私はまた立ち尽くしてしまう。
頬が熱くなっていくのがわかる。
きっと、今の私の顔は真っ赤だ。
「抱いてくれだとか、手を出す気になったかだとか。そんなことしか言われないのは悲しいなあ」
ニヤニヤと笑ったまま、こちらをみつめてくる男。
私は自分の手でパタパタと顔を扇ぐ。
自然な肌の色に合わせたメイクだというのに、これじゃ意味がない。
「せ、せっかくかわいい顔に仕上げてきたのに、あなたのせいで台無し!」
「そんなことない。真っ赤な顔になってもかわいいよ」
「あーあーあーあー、聞こえないー!」
私は両手をひろげて赤い顔を隠そうとする。
「そんなことをしたら、もったいないぞ。せっかく努力して理想の自分になったんだろ?」
男が呆れたように笑いながら、スマホを取り出した。
彼が私に見せてきたのは、トークアプリのQRコードが表示された画面。やっと連絡先を交換してくれる気になったらしい。
私は飛び上がって喜びたかったが、ぐっとこらえてゆっくりとスマホを取り出した。
「そうだよ! 私はどんな時でもなりたい自分になれるんだから」
私の頭の中は、これからのことでいっぱいだった。
彼とどこへ行こうか、彼となにをして過ごそうか。
もちろん、そのときはメイクが欠かせない。
好きな人の前ではかわいい自分でいたいから。
いつでもどこでも、私はマスカラを使ってなりたい自分になってみせる。
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