お題に挑戦した短編・掌編集

黒蜜きな粉

文字の大きさ
上 下
15 / 63

お題:世界新記録

しおりを挟む
『昨日の自分より』


 ある日、からだに激痛が走って目覚めた。
 びっくりしてからだを起こそうとしたが、痛みでそれどころではなかった。
 普通に考えればこのときに救急車を呼べばよかったのだが、混乱していた私にはそんなことすら思い浮かばなかった。

 とりあえず病院に行くので遅れると会社に電話。
 だけど、病院に行くにしたって足が痺れていて動けない。
 しかたなくタクシーを呼んでから、這うようにして玄関に向かった。
 もちろん、パジャマのまま。着替えなきゃいけないなんて考えられなかった。

 やってきたタクシーの運転手さんが驚いていたのを覚えている。
 謝れるなら謝りたいし、心からの感謝を伝えたい。
 本当にごめんなさい、そしてありがとうございます。


 病院に到着した私、即入院。
 飲み薬、注射、点滴の生活がしばらく続いた。
 ベッドで寝ているだけの毎日だったが、痛みがなくなるとリハビリがはじまった。
 
 2週間ほど寝ていただけで、びっくりするほど足の筋肉がなくなっていた。
 足が細くなりたいとは常日頃思っていたが、こんな痩せ方は嫌だ。
 さっさと退院したかった。元気に動き回りたかった。
 リハビリの時間外、本当は車いすで移動しなきゃいけないのに、病院の廊下の手すりに捕まりながら歩いていたら転んでしまった。
 看護師さんにとんでもなく怒られた。情けなくて涙が出てきた。


 翌日のリハビリ時間直前。
 有給休暇をとった恋人がお見舞いにきた。

「いまからリハビリだから、しばらく病室には帰ってこないよ」
「マジか。せっかく来たのに待ちぼうけは嫌だな」

 彼はちょうど私を迎えにやってきた療法士さんに、リハビリの立ち会いをお願いしだした。
 びっくりしたが、療法士さんは笑顔で承諾。
 私は恋人に車いすを押されてリハビリ部屋まで連れていかれることになった。

「はい、よくできました」

 入念なストレッチから、歩行練習。
 昨日よりは確実に歩けるようになっている。
 でも、気持ちはもっともっと長距離を歩きたいと思っていた。
 自由に動けないことがこんなに辛いだなんて初めて知った。
 あまりに情けない自分に、暗い気持ちになる。

「これでよくできたんですか?」
「はい。昨日はここまででしたから、今日はすごいですよ」

 恋人が療法士さんと話している。
 どうやら彼は退院したあとのことを気にして、いろいろとアドバイスをしてもらっているようだ。
 ときおりメモを取りながら、彼は真剣な顔で療法士さんと話している。
 そんな彼が、いきなり私を振り返った。
 それも、満面の笑みで。

「昨日はここまでってことは、今日は世界新記録だな!」
「「世界新記録?」」

 私と療法士さんの声がはもった。
 きれいに声が被ったので、おもわず顔を見合わせてしまった。
 
「リハビリ世界新記録だよ。だって、昨日はここまでだったってことは、昨日の自分に勝ったってことじゃん」

 私と療法士さんのとまどいを気にすることなく、彼は笑顔のまま話し続ける。

「昨日の自分より今日の自分のほうが勝っているって、実感できるのすごくない? 頑張っている証拠だね」

 ニコニコと朗らかに、彼はずっと笑っている。
 つられて療法士さんが笑いだす。

「その通りです! 昨日より今日。今日より明日の自分です。さあ、もういちど歩いてみましょうか」
「ですね! さあ、もうちょっと歩いてみよっか」

 二人の笑顔の圧がすごい。
 それを見ていたら、ふさぎ込んでいる自分が馬鹿らしくなってきた。

「……だね。もうちょっと頑張ろうかな」

 二人に向かって、私はガッツポーズをしてから立ち上がる。

「私はいま、明日の自分を作っているんだ。今日の自分に勝つために!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

処理中です...