恋い焦がれて

さとう涼

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9.TEAR DROP

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 ◇

 佐野先生が退院した翌々日の土曜日の夜。
 わたしは初めてナリたちのバンドのライブを見にきている。
 ナリが先週ファミレスに来てくれて、ゲスト・パスを由紀乃に預けてくれた。ライブハウスのオーナーが急きょお祝いのイベントを企画してくれたそうだ。ナリたちのバンド以外にも何組か出演するそうで、ナリたちは大トリなんだとか。というわけで今夜はメジャーデビュー前の貴重なライブ。
 メンバーに初めて会ったときは、まさかこんなことになるとは夢にも思っていなかった。大学一年、ファミレスでバイトをはじめたばかりの新人時代。どんくさい接客にもかかわらず、メンバーはみんなやさしかった。それからひとことふたことの会話をするようになり、冗談を言い合えるまでになって、こうしてライブに招待してもらっている。
 メジャーデビューはわたしもとてもうれしい。とくに親しい間柄というわけではないけれど、みんなのことは大好きだ。
 だけど、いまはサイジさんに会うのが怖い。実紅さんに去られ、彼は今日どんな気持ちでいるのだろう。

 ライブハウスには女の子だけでなく、たくさんの男の子もいた。もちろんこの人たち全員がナリたちのバンドのファンとは限らないけれど、盛りあがりと熱気は想像以上だった。
 ライブ前。わたしはナリに教えてもらった通り、ゲスト・パスを使って控室を訪ねた。
 勇気がいった。でも覚悟を決めてここに来た。

「来たな、輝」

 ナリが真っ先にわたしに気がついてくれてほっとする。控室にはほかのバンドの人もいて少し異様な雰囲気だ。

「招待してくれてありがとうございます」

 ナリにお礼を言った。

「ひとり?」
「はい。ごめんなさい、せっかくパスを二枚もらったのに」
「いいよ、気にするなって」

 由紀乃はどうしてもバイトを休めなかった。真美ちゃんも同じ理由。
 ナリと会話をしながら、チラチラとサイジさんを目で追っていた。その視線の先にナリも気づく。

「サイジと話したい?」
「はい。ライブ前ですけど平気ですか?」
「別にかまわないよ。あいつ、ひどく落ち込んでるから気合入れてやってよ。今日のリハも散々でさ、このままじゃ本番も心配だよ。おい、サイジ。ちょっといいか?」

 サイジさんはこちらに顔を向けると、なんの躊躇もなくすんなりと立ちあがった。

「久しぶりだね」

 サイジさんは穏やかな雰囲気をまとっている。ナリは落ち込んでいると言っていたけれど、わたしの前だから隠しているのかな。すごいな。これが大人の余裕というものなんだろうか。

「別の場所で話せますか? 大事な話があるんです」
「どうしたの? 深刻な顔しちゃって。らしくないな」

 わたしたちは控室から少し離れた通路に移動した。ときどき人は通るけれど、これぐらいのほうがかえって話し声を聞かれにくい。

「突然で驚くかと思うんですが、実紅さんのことなんです」
「どうして輝ちゃんが実紅のことを知ってるの?」

 混乱しているサイジさんにすべての事情を説明した。佐野先生が怪我をして入院したことも。その原因も。
 そして……。

「わたしが実紅さんに頼んだんです。佐野先生に会いにいってほしいって」
「なんで? 輝ちゃんはそれでよかったの?」
「あのふたりは惹かれ合っていました。お互いに。わたしじゃだめだったんです」
「それで輝ちゃんが身を引いて、実紅を説得したのか……」
「サイジさんには申し訳ないことをしたと思っています。わたしのわがままでサイジさんをつらい目に遭わせてしまいました。だけど実紅さんのやさしさにこれ以上甘えちゃだめだと思うんです。本気で好きなら、実紅さんの幸せを一番に考えてあげてほしいんです」

 今日はサイジさんの新たな出発のためのひとつの区切りの日。そんな日にこんなことを伝えるのは酷だと思う。
 でもどうか乗り越えてほしい。わたしなんかにこんなふうに言われるのは心外かもしれないけれど、サイジさんにはちゃんと現実を受け止めてもらって前に進んでほしいから。
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