恋い焦がれて

さとう涼

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9.TEAR DROP

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 二日後。今日は佐野先生が退院する日だ。
 秋を思わせるような涼しい風が吹く午後、わたしは佐野先生が入院している病院の前に来ている。
 遠くからふたりの姿を眺めていた。
 ふたりというのは佐野先生と実紅さん。
 佐野先生は実紅さんをエスコートするようにタクシーに乗せ、あとから自分も乗り込んだ。ドアが閉まると、タクシーがスムーズに走り出す。わたしはタクシーが見えなくなるまで見送った。

 わたしはおととい、用事があるから病院にはもう来ることはできないと佐野先生に嘘をついた。
 だけど今日、こうして退院していく佐野先生をこの目で見届けていた。
 その理由は昨日にさかのぼる──。

 ◇

 わたしは実紅さんの勤める会社に電話をして昼休みに会う約束をした。
 佐野先生と一緒に行った美術館の運営会社が実紅さんの勤め先だということを聞いていたので、連絡先はすぐに調べられた。
 この間のこともあり、すごく緊張していた。実紅さんもわたしを警戒しているのが伝わってくる。

「お昼休みなのにすみません。なるべく早くお会いしたかったんです」
「奏大のことですか? だったらわたしはもう無関係です。輝さんが心配するようなことはなにもありませんから」
「安心してください。わたしはそんな話をするために実紅さんを呼び出したんじゃありませんから」

 実紅さんは不思議な顔でわたしを見た。わたしは張りつめた気持ちのまま続けた。

「明日、佐野先生が退院するので、迎えにいってあげてほしいんです」

 実紅さんは信じられないというような面持ちだった。それもそのはず。前の日にぞんざいな態度で彼女アピールをしていたんだもん。帰れと追い返すまでした。
 だけど、そのことがきっかけで佐野先生と実紅さんの気持ちを知ってしまった。
 わたしが佐野先生とつき合っていると聞いて、確実に実紅さんはショックを受けていた。佐野先生もあのとき、わたしじゃなくて実紅さんを気にしていた。悲しげにうつむいていた実紅さんをとても歯がゆそうに見つめていた。
 そもそも実紅さんが病室に入ってきたときから彼女を見る目が違っていた。愛おしそうに目で追っていたことを、たぶん本人は気づいていない。気づいていたら罪悪感を抱いてしまって、あのときわたしに微笑むことなんてできなかったはず。

「どうしてわたしにそんなことを言うんですか? 輝さんは彼とつき合っているんでしょう?」
「あれは嘘なんです。実際はわたしの片想い。ずっと一方通行のままでした。わたしなりにがんばったんですけど、どうしても無理でした」

 振り向かせることができなかった。結局、佐野先生は実紅さんを心のなかから完全に追い出すことはできないんだ。昨日のことで嫌というほど思い知った。

「一応、これだけは確認させてください。実紅さんはいまも佐野先生のことを好きなんですよね?」
「わたしは……」
「正直に言ってください。これはわたしにとってもすごく大切なことなんです」

 わたしの勘は間違っていないはず。わたしは実紅さんの覚悟を知りたいと思った。今度こそ、佐野先生を裏切らないと誓ってほしかった。

「でも、わたしはいま……」
「実紅さんはやさしいから、サイジさんを放っておけなかったんですよね?」
「輝さん……」
「いつまでもアルバイトで食いつないで夢を追いかけているサイジさんが心配だったんでしょう? たまたまデビューが決まったけど、それだってこの先どうなるのかわからない。売れる保証はどこにもないんですから」

 サイジさんはかなり強引に実紅さんに迫っていたと、前にナリが言っていた。実紅さんの性格からして、サイジさんを突き放せないとも。
 元彼の存在はどこか憎みきれないところがあって、情もわくのかもしれない。わたしも智樹にそういう感情を抱いているから、なんとなく気持ちはわかる。

「でもわたしは奏大に最低なことをしました」
「同情でサイジさんとつき合うのだって、最後にはサイジさんを傷つけることになります。実紅さんが必死に隠しても、きっとサイジさんは気づいてしまうはず。ううん、もう気づいているかもしれない。実紅さんの心が誰に向いているのかを」
「輝さんはそれでいいんですか?」

「ええ、もちろん」

 ふたりはきっとうまくいく。結婚して、幸せなあたたかい家庭を築いていける。悔しいけれど、ふたりを見ているとそう思ってしまう。
 わたしは佐野先生に命をかけて守ってもらった。今度はわたしの番だ。佐野先生が幸せになれるように、わたしは全力を尽くさないといけない。

「自分勝手だとわかっています。だけどもう一度、奏大に会いたいです。たとえ許してもらえなくても……。ずっとそばにいたいです」
「わかりました」

 これでいい。実紅さんの言葉を聞き、わたしはなぜか肩の荷がおりたような気がした。

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