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8.儚い時間
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「あれ? どこかで見たことがあると思ったら。輝ちゃんにつきまとっているやつじゃないか。ちょうどよかった。輝ちゃんのことでおまえに忠告しておきたかったんだ。輝ちゃんが困っているんだ、彼女の視界から消えてくれないか?」
「その子から離れろ!」
「僕の話をちゃんと聞いてる? どうして僕が怒鳴られなきゃならないのかな? 最近、輝ちゃんのまわりを変な男たちがうろついているから、守ってあげているのに」
「訳がわからないことを言うな! おまえがしていることは犯罪だ!」
ストーカー男に果敢に挑む佐野先生は本当に王子様みたいで、わたしを助けるためにここにいるんだと思うと、さっき閉じ込めた愛情がどうしようもなくあふれてきてしまう。
わたしから退いたストーカー男が佐野先生と対峙した。
こうして見ると圧倒的に佐野先生のほうが体格がいい。喧嘩が強いのかまではわからないけれど、佐野先生なら目の前にいるこの異様なストーカー男からわたしを簡単に救い出してくれると信じて疑わなかったし、この場ですべてが解決する、そう思っていた。
だけどストーカー男がサバイバルナイフをちらつかせたのを見て、とんでもないことに巻き込んでしまったのだと気づいた。
やめて、お願い! 佐野先生だけは傷つけないで!
佐野先生を助けたい一心だった。わたしはなんとか立ちあがり、ストーカー男に体当たりしようとしたのだが……。
それはとんでもなく軽率な行動だった。
うめき声が聞こえたと同時に、わたしは佐野先生に守られるように抱きしめられていた。
「佐野先生……?」
だけど目の前に飛び込んできたのは眉間に深い皺を刻ませた苦しそうな横顔だった。両手が拘束されていたわたしは、佐野先生を支えることができず、ふたり一緒に床に崩れ落ちた。
そのとき、やっと事態を飲み込めた。佐野先生の肩にサバイバルナイフが突き刺さっていたのだ。
白いTシャツが真っ黒に滲んでいく。血のにおいが鼻をついた。荒い呼吸が繰り返され、わたしは恐怖におののいた。
「輝、大丈夫か?」
わたしはハッとした。こんなときなのに佐野先生はわたしの心配をしている。しっかりしなきゃいけないのはわたしのほうだ。
「待ってろ。いまテープをとってやるから」
佐野先生はわたしの手首に巻きついている粘着テープをなんとかはがしてくれた。それから自分で口もとの粘着テープをはがし、やっと口がきけるようになった。
「どうしよう、たくさん血が出てる」
ナイフはいまも突き刺さったままだ。
「心配するな。これくらい……どうってこと……ないから。それより早く逃げるんだ」
佐野先生は痛みに耐えながら言う。わたしは逃げるタイミングをうかがった。幸い、ストーカー男はこちらに向かってくる様子はなかった。
「お、俺のせいじゃないからな! おまえが歯向かってくるからいけないんだ。これは正当防衛だ!」
ストーカー男は首を激しく横に振ってあとずさりしていく。
「そ、そうだ……正当防衛なんだ……俺は悪くないんだ……」
やがてストーカー男は鏡に映る自分に向かって脅えた声で繰り返した。とうとう頭を抱え出し、顔をゆがませ、泣きわめく始末。
この人って……。わたしはなんだかやりきれない気持ちになった。恐怖と怒りと悲しみがごちゃまぜになって、こんな男に振りまわされている自分が情けなくなった。警察に届けていたら変わっていたのかなとか、きっぱり拒絶の意思を示していたらあきらめてくれていたのかなとか、考えても無意味だけど、自分の不甲斐なさが浮き彫りになった。
サバイバルナイフを持ち歩くこの男はナイフの扱い方も知らない単なる気の弱い身勝手な勘違い野郎で……。おそらく、本人の言う通り、佐野先生を刺すつもりはなかったんだろう。佐野先生が身を挺してわたしを守ろうとしたとき、自分に襲いかかってきたと勘違いして、脅すためにサバイバルナイフを突き出したんだ。
「すぐ救急車を呼びますから」
だけど薄暗くてスマホの入っているバッグが見つからない。仕方ない。外に出て助けを求めよう。
「佐野先生、立てますか?」
「ああ、なんとか」
わたしも手伝って、立ちあがらせた。
ストーカー男は相変わらず気が狂ったように、「俺は悪くない!」と繰り返している。でもそのおかげで部屋から逃げることができた。
ようやく安全を確保でき、ほっと胸を撫でおろすが、佐野先生の背中に突き刺さっているナイフが、再びわたしの身体を震えあがらせた。
わたしのせいだ。わたしが佐野先生をこんな目に遭わせてしまった。わたしがマンションまで会いにいかなかったら、こんなことにはならなかったんだ。
目を閉じても、鮮血が瞼の裏に焼きついて離れない。
だけど負けちゃいけない。今度はわたしが佐野先生を助けなきゃいけない。
「その子から離れろ!」
「僕の話をちゃんと聞いてる? どうして僕が怒鳴られなきゃならないのかな? 最近、輝ちゃんのまわりを変な男たちがうろついているから、守ってあげているのに」
「訳がわからないことを言うな! おまえがしていることは犯罪だ!」
ストーカー男に果敢に挑む佐野先生は本当に王子様みたいで、わたしを助けるためにここにいるんだと思うと、さっき閉じ込めた愛情がどうしようもなくあふれてきてしまう。
わたしから退いたストーカー男が佐野先生と対峙した。
こうして見ると圧倒的に佐野先生のほうが体格がいい。喧嘩が強いのかまではわからないけれど、佐野先生なら目の前にいるこの異様なストーカー男からわたしを簡単に救い出してくれると信じて疑わなかったし、この場ですべてが解決する、そう思っていた。
だけどストーカー男がサバイバルナイフをちらつかせたのを見て、とんでもないことに巻き込んでしまったのだと気づいた。
やめて、お願い! 佐野先生だけは傷つけないで!
佐野先生を助けたい一心だった。わたしはなんとか立ちあがり、ストーカー男に体当たりしようとしたのだが……。
それはとんでもなく軽率な行動だった。
うめき声が聞こえたと同時に、わたしは佐野先生に守られるように抱きしめられていた。
「佐野先生……?」
だけど目の前に飛び込んできたのは眉間に深い皺を刻ませた苦しそうな横顔だった。両手が拘束されていたわたしは、佐野先生を支えることができず、ふたり一緒に床に崩れ落ちた。
そのとき、やっと事態を飲み込めた。佐野先生の肩にサバイバルナイフが突き刺さっていたのだ。
白いTシャツが真っ黒に滲んでいく。血のにおいが鼻をついた。荒い呼吸が繰り返され、わたしは恐怖におののいた。
「輝、大丈夫か?」
わたしはハッとした。こんなときなのに佐野先生はわたしの心配をしている。しっかりしなきゃいけないのはわたしのほうだ。
「待ってろ。いまテープをとってやるから」
佐野先生はわたしの手首に巻きついている粘着テープをなんとかはがしてくれた。それから自分で口もとの粘着テープをはがし、やっと口がきけるようになった。
「どうしよう、たくさん血が出てる」
ナイフはいまも突き刺さったままだ。
「心配するな。これくらい……どうってこと……ないから。それより早く逃げるんだ」
佐野先生は痛みに耐えながら言う。わたしは逃げるタイミングをうかがった。幸い、ストーカー男はこちらに向かってくる様子はなかった。
「お、俺のせいじゃないからな! おまえが歯向かってくるからいけないんだ。これは正当防衛だ!」
ストーカー男は首を激しく横に振ってあとずさりしていく。
「そ、そうだ……正当防衛なんだ……俺は悪くないんだ……」
やがてストーカー男は鏡に映る自分に向かって脅えた声で繰り返した。とうとう頭を抱え出し、顔をゆがませ、泣きわめく始末。
この人って……。わたしはなんだかやりきれない気持ちになった。恐怖と怒りと悲しみがごちゃまぜになって、こんな男に振りまわされている自分が情けなくなった。警察に届けていたら変わっていたのかなとか、きっぱり拒絶の意思を示していたらあきらめてくれていたのかなとか、考えても無意味だけど、自分の不甲斐なさが浮き彫りになった。
サバイバルナイフを持ち歩くこの男はナイフの扱い方も知らない単なる気の弱い身勝手な勘違い野郎で……。おそらく、本人の言う通り、佐野先生を刺すつもりはなかったんだろう。佐野先生が身を挺してわたしを守ろうとしたとき、自分に襲いかかってきたと勘違いして、脅すためにサバイバルナイフを突き出したんだ。
「すぐ救急車を呼びますから」
だけど薄暗くてスマホの入っているバッグが見つからない。仕方ない。外に出て助けを求めよう。
「佐野先生、立てますか?」
「ああ、なんとか」
わたしも手伝って、立ちあがらせた。
ストーカー男は相変わらず気が狂ったように、「俺は悪くない!」と繰り返している。でもそのおかげで部屋から逃げることができた。
ようやく安全を確保でき、ほっと胸を撫でおろすが、佐野先生の背中に突き刺さっているナイフが、再びわたしの身体を震えあがらせた。
わたしのせいだ。わたしが佐野先生をこんな目に遭わせてしまった。わたしがマンションまで会いにいかなかったら、こんなことにはならなかったんだ。
目を閉じても、鮮血が瞼の裏に焼きついて離れない。
だけど負けちゃいけない。今度はわたしが佐野先生を助けなきゃいけない。
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