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8.儚い時間
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誰!? いったいなにをするつもりなの!?
助けを呼ぼうにも声を発することができない。背後から強い力で口もとを押さえつけられていた。それがあまりにも突然で、なにがなんだかわからずに、そのまま引きずられた。
連れ込まれた場所は自宅マンション近くにあるビルの一階にある空き室。部屋には座椅子が一脚。室内がほのかに明るかったのはアウトドア用のランタンが床に置いてあったからだった。もともとダンススクールだったそこは仕切りのないだだっ広い部屋で、名残として東側の壁一面が鏡になっていた。
その鏡に映った自分ともうひとりの人物。薄明かりのなかでにんまりと気味の悪い笑い方をしている男の顔を見てぞっとした。
「さあ、ここに座って」
男は座椅子にわたしを座らせた。それから、そばにあったレジ袋のなかから粘着テープを取り出すと、わたしの口を覆うように巻きつけた。
「んっ! んんー! んーー!」
苦しい。おまけに痛い。
「知らなかったよ。昨日も今日もバイトが休みだったんだね」
ねっとりとまとわりつく気色の悪い声に絶望した。
「それにしてもムカつく店長だね。せっかく輝ちゃんが僕のためにかわいらしく着飾って接客してくれていたのに、じゃまするんだもん」
わたしのまわりをうろついていたストーカーがとうとう正体をあらわした。ギラギラしたキツネ目、脂ぎった肌、半開きの口もと。煙草のにおいのまじったきつい体臭。
この人、ファミレスで声をかけてきた男だ!
気持ち悪い。やめて、お願い。これ以上、近づかないで!!
「なんでそんな怖い顔をするのかな? 前に言ったよね。僕の好意がうれしいって。輝ちゃんと僕は両想いなんだよ」
ちょっと待って。誰がそんなこと言った? わたしはひとことも「好意がある」とは……とそこまで考えて、ある出来事が思い出された。店の裏口で待ち伏せされたときだ。あのとき、たしか「気持ちはありがたい」と言った。
でもあれは社交辞令みたいなもので。相手を傷つけないようにというか、逆上されないように言っただけだ。
あのひとことがいけなかったのだろうか。でもいまさら後悔しても遅い。目の前にいるこの男にわたしは拉致されてしまったのだから。
この部屋には窓はあるけれど目線の高さまでスモークフィルムが貼ってあり、外からなかはほとんど見えない。このストーカー男が、いつ、どうやってこの部屋に入る手立てを見つけたのか知らない。でも粘着テープで両手をうしろで縛られながら、この部屋への出入りは日常的なことだったのだと悟った。
部屋の隅に点在するレジ袋らしきもの。弁当容器やペットボトルのゴミが無造作に開かれた袋口から見えた。わたしが座らせられている座椅子もストーカー男が持ち込んだのだろう。
「大学ではチャラそうな男にしつこくつきまとわれて怖かったね。あとファミレスにまで輝ちゃんを追いまわしてくる男、あいつなんなの? マジで許せない。でももう大丈夫だよ。これからは僕が輝ちゃんを守ってあげるから安心して」
胸がぞわりとした。見ていたんだ。やっぱり、この男はずっとわたしをストーキングしていた。
「でも浴衣はかわいらしかったよ。あれは永久保存版だね。ほら、見てよ。自分でもかわいいと思うでしょう?」
ストーカー男がそう言って、スマホの画面を差し出してきた。画像は、浴衣を着ているわたしが自販機の横に立っているものだった。
花火大会の日? この日もこいつがあとをつけていたの? 浮かれていたからなのか、ぜんぜん気がつかなかった。
「ほかにもたくさんあるよ」
次々と切り替わる画面にはファミレスの制服姿のわたし、大学のキャンパスを歩いているわたし、カシュクールワンピースを着たわたしが渋谷店長の車に乗り込もうとしているシーンも写っていた。
信じられない。四六時中、この男はわたしにまとわりついていたんだ。
谷底に突き落とされた気分だった。全身の力が抜け、身体がガクガクと震え出した。
こんなことになるなんて。……誰か……誰か助けて……。佐野先生……。
「んんんっ!」
「ほらほらおとなしくしなきゃだめだよ」
ストーカー男は、今度はわたしの足をつかんで拘束しようとしていた。その拍子にわたしは仰向けにひっくり返り、それでも足をバタつかせ必死に抵抗した。手首に巻きつけられた粘着テープが暴れたせいで余計に肌をしめつける。
「おっと!」
偶然、右膝がストーカー男の顔をかすめ、一瞬だけストーカー男は怯んだ。だが、すぐに体勢を整え、足に粘着テープを巻きつける代わりにわたしの太ももの上にまたがった。
「今日はいったいどこに行ってたの? 心配でたまらなかったよ」
怖いよ。これはなにかの罰なの? 佐野先生を手に入れようとしたから?
でも、なんで? どうして? みんなもしていることじゃない。好きな人の心がほしいと思うのはあたり前のことでしょう?
「本当に無事でよかった。もうひとりにしないから。僕がずっと輝ちゃんのそばにいるよ」
ストーカー男の手が身動きできないわたしの髪を撫でた。あまりの恐怖で、全身に鳥肌が立った。これからどうなってしまうんだろう。声も出せないし、身体も拘束されて逃げることもできない。スマホの入ったバッグはどこにいってしまったのか、もはやわからなかった。
せめてもの抵抗として、ストーカー男の顔を見ないよう目を閉じた。それと同時に意識も固い殻に閉じ込めようと努力する。自分は単なる物体で、なにをされても感じない、なんの影響も受けないただの有機物……。暗示をかけるように、何度も何度も自分に言い聞かせた。
遠くでなにか物音がしたけれど、車が通っただけなのかなと、なんの希望も持たなかった。「輝!!」と、佐野先生の声も聞こえたけれど、どうせ幻聴だろうと思った。
それなのに……。
「輝! 大丈夫か!?」
すぐ近くで声がする。まさかと思って目を開けると、本当に部屋の出入口に佐野先生が立っていた。
嘘? 帰ったとばかり思っていたのに。どうして佐野先生がここにいるの?
助けを呼ぼうにも声を発することができない。背後から強い力で口もとを押さえつけられていた。それがあまりにも突然で、なにがなんだかわからずに、そのまま引きずられた。
連れ込まれた場所は自宅マンション近くにあるビルの一階にある空き室。部屋には座椅子が一脚。室内がほのかに明るかったのはアウトドア用のランタンが床に置いてあったからだった。もともとダンススクールだったそこは仕切りのないだだっ広い部屋で、名残として東側の壁一面が鏡になっていた。
その鏡に映った自分ともうひとりの人物。薄明かりのなかでにんまりと気味の悪い笑い方をしている男の顔を見てぞっとした。
「さあ、ここに座って」
男は座椅子にわたしを座らせた。それから、そばにあったレジ袋のなかから粘着テープを取り出すと、わたしの口を覆うように巻きつけた。
「んっ! んんー! んーー!」
苦しい。おまけに痛い。
「知らなかったよ。昨日も今日もバイトが休みだったんだね」
ねっとりとまとわりつく気色の悪い声に絶望した。
「それにしてもムカつく店長だね。せっかく輝ちゃんが僕のためにかわいらしく着飾って接客してくれていたのに、じゃまするんだもん」
わたしのまわりをうろついていたストーカーがとうとう正体をあらわした。ギラギラしたキツネ目、脂ぎった肌、半開きの口もと。煙草のにおいのまじったきつい体臭。
この人、ファミレスで声をかけてきた男だ!
気持ち悪い。やめて、お願い。これ以上、近づかないで!!
「なんでそんな怖い顔をするのかな? 前に言ったよね。僕の好意がうれしいって。輝ちゃんと僕は両想いなんだよ」
ちょっと待って。誰がそんなこと言った? わたしはひとことも「好意がある」とは……とそこまで考えて、ある出来事が思い出された。店の裏口で待ち伏せされたときだ。あのとき、たしか「気持ちはありがたい」と言った。
でもあれは社交辞令みたいなもので。相手を傷つけないようにというか、逆上されないように言っただけだ。
あのひとことがいけなかったのだろうか。でもいまさら後悔しても遅い。目の前にいるこの男にわたしは拉致されてしまったのだから。
この部屋には窓はあるけれど目線の高さまでスモークフィルムが貼ってあり、外からなかはほとんど見えない。このストーカー男が、いつ、どうやってこの部屋に入る手立てを見つけたのか知らない。でも粘着テープで両手をうしろで縛られながら、この部屋への出入りは日常的なことだったのだと悟った。
部屋の隅に点在するレジ袋らしきもの。弁当容器やペットボトルのゴミが無造作に開かれた袋口から見えた。わたしが座らせられている座椅子もストーカー男が持ち込んだのだろう。
「大学ではチャラそうな男にしつこくつきまとわれて怖かったね。あとファミレスにまで輝ちゃんを追いまわしてくる男、あいつなんなの? マジで許せない。でももう大丈夫だよ。これからは僕が輝ちゃんを守ってあげるから安心して」
胸がぞわりとした。見ていたんだ。やっぱり、この男はずっとわたしをストーキングしていた。
「でも浴衣はかわいらしかったよ。あれは永久保存版だね。ほら、見てよ。自分でもかわいいと思うでしょう?」
ストーカー男がそう言って、スマホの画面を差し出してきた。画像は、浴衣を着ているわたしが自販機の横に立っているものだった。
花火大会の日? この日もこいつがあとをつけていたの? 浮かれていたからなのか、ぜんぜん気がつかなかった。
「ほかにもたくさんあるよ」
次々と切り替わる画面にはファミレスの制服姿のわたし、大学のキャンパスを歩いているわたし、カシュクールワンピースを着たわたしが渋谷店長の車に乗り込もうとしているシーンも写っていた。
信じられない。四六時中、この男はわたしにまとわりついていたんだ。
谷底に突き落とされた気分だった。全身の力が抜け、身体がガクガクと震え出した。
こんなことになるなんて。……誰か……誰か助けて……。佐野先生……。
「んんんっ!」
「ほらほらおとなしくしなきゃだめだよ」
ストーカー男は、今度はわたしの足をつかんで拘束しようとしていた。その拍子にわたしは仰向けにひっくり返り、それでも足をバタつかせ必死に抵抗した。手首に巻きつけられた粘着テープが暴れたせいで余計に肌をしめつける。
「おっと!」
偶然、右膝がストーカー男の顔をかすめ、一瞬だけストーカー男は怯んだ。だが、すぐに体勢を整え、足に粘着テープを巻きつける代わりにわたしの太ももの上にまたがった。
「今日はいったいどこに行ってたの? 心配でたまらなかったよ」
怖いよ。これはなにかの罰なの? 佐野先生を手に入れようとしたから?
でも、なんで? どうして? みんなもしていることじゃない。好きな人の心がほしいと思うのはあたり前のことでしょう?
「本当に無事でよかった。もうひとりにしないから。僕がずっと輝ちゃんのそばにいるよ」
ストーカー男の手が身動きできないわたしの髪を撫でた。あまりの恐怖で、全身に鳥肌が立った。これからどうなってしまうんだろう。声も出せないし、身体も拘束されて逃げることもできない。スマホの入ったバッグはどこにいってしまったのか、もはやわからなかった。
せめてもの抵抗として、ストーカー男の顔を見ないよう目を閉じた。それと同時に意識も固い殻に閉じ込めようと努力する。自分は単なる物体で、なにをされても感じない、なんの影響も受けないただの有機物……。暗示をかけるように、何度も何度も自分に言い聞かせた。
遠くでなにか物音がしたけれど、車が通っただけなのかなと、なんの希望も持たなかった。「輝!!」と、佐野先生の声も聞こえたけれど、どうせ幻聴だろうと思った。
それなのに……。
「輝! 大丈夫か!?」
すぐ近くで声がする。まさかと思って目を開けると、本当に部屋の出入口に佐野先生が立っていた。
嘘? 帰ったとばかり思っていたのに。どうして佐野先生がここにいるの?
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