33 / 53
6.身代わりでもいいから
032
しおりを挟む
「輝、無視するなよ」
「ねえ、輝ちゃん。あとついてくるよ。話があるんじゃない?」
「輝、今度さ、飯食いにいかない? 今日は俺、バイトだから明日なんてどう? もちろん真美ちゃんも一緒に」
四限目の授業を終え、真美ちゃんと一緒に駅まで歩いていたら智樹がうしろから話しかけてくる。駅まで歩いて十五分。智樹はずっとこの調子だ。
「ほら、なにか言ってるよ」
真美ちゃんがうんざりしながら、うしろを振り向く。
「真美ちゃん、見ちゃだめ! ストーカーなんて放っておきなよ。いい? 真美ちゃんも智樹と口聞いちゃだめだからね」
「う、うん。わかった」
四限目の授業中もひしひしと視線を感じていた。それはわたしの斜めうしろの席に座っていた智樹のものだった。四限目の授業で合流した真美ちゃんが勘違いして、「復活愛?」などと言って不思議がっていたけれど、事情を説明したら納得してくれた。
駅に着き、反対側のホームから手を振る智樹を徹底的に無視する。そこへ電車が到着し、智樹の気配がようやく消えた。
「どうして急にストーカーみたく追いまわしてくるんだろう。怖いんだけど」
最近、誰かに見られているような気がしていたのは智樹だったんだろうか。大学のキャンパスでも視線を感じていたということはその可能性も大きい。
「別れたあともずっと好きだったんじゃない?」
「それはないよ。だって振ったのは向こうだよ」
「でも智樹くんって誰とつき合っても長続きしなかったじゃない。学生課の杉浦さんと別れたのが先月なら、二ヶ月持たなかったんだね」
まさか智樹に限って、わたしに未練があるわけない。智樹は気が多くて、本気で人を好きにならない。誰よりも自分が一番大事だと思っている人間だ。
乗り換えのため真美ちゃんは途中の駅で電車を降りた。わたしはひとりになり、ドアの窓から外の景色を眺めていた。そうしていると花火大会の夜を思い出してしまう。
あの夜、隣には佐野先生がいた。
◇
混雑した車内。ほかの誰かのお酒の匂いがかすかにしていた。わたしは遠慮がちに佐野先生から距離を置いていた。なのに突然車内が揺れ、その拍子にほかの乗客に押されたわたしは佐野先生にぶつかってしまった。
「大丈夫か?」
「ご、ごめんなさい」
恥ずかしすぎて顔から火が出そうだった。
「危ないから俺につかまっとけ」
揺れる電車のなかはつかまる場所がなく、下駄を履いていたわたしは何度もふらついていた。だからそう言ってくれたんだと思う。
だけど、どこにつかまればいいんだろう。腰のあたり? それとも手をつなぐ?
迷ったあげく、Tシャツの裾をつかんだ。少し心もとないけれど、なにもないよりはマシだ。
それからは目の前のTシャツの生地ばかり見ていた。こんなにも近くにいる。たったそれだけのこと。だけど思い出さずにはいられないほど幸せな時間だった。
◇
車内アナウンスで現実に引き戻される。もうすぐ最寄り駅だ。
電車を降りて改札を出る。駅の近くに商店街があって、久しぶりに足を踏み入れると、夕方の買い物ピークが重なり、だいぶ活気づいていた。
八百屋に魚屋、お茶屋に和菓子屋。なんだか懐かしく感じる。ノスタルジックな光景だけど、わたしが知らないだけで、こんな日常はあたり前のように繰り返されている。
「タイムサービスだよ! いまだけ! いまだけ三割引き! 今日は特別、和牛霜降り肉も三割引きにしちゃうからね!」
タイムサービス中の肉屋にはたくさんの買い物客がいた。
三割引きかあ。佐野先生に借りたハンカチ、今日返しにいこうかな。
「お姉さん、ありがとね」
さっそく肉屋で和牛霜降り肉を買った。それから八百屋とスーパーにも寄った。
とりあえず形から、と妙な言い訳を作ってみる。こうでもしないと勇気がでない。電話する勇気が。その相手はもちろん佐野先生。夕飯の材料を買って、マンションに行ってみようと思った。
えいっと目をつむって通話ボタンをタップした。片目を開けると、画面には発信中の表示。
もう逃げられない。そう自分を追い詰めたつもりだったのに……。留守電だった。
どうしよう。佐野先生のマンションの場所がよくわからない。現在勤務している小学校の近くだと前に聞いていたけれど、見つけられたところで部屋番号を知らないので、アポなしで行っても無駄に終わる。
まだ仕事中だと信じて、まずは小学校に行ってみようかな。そのうち電話もつながるよね。
それから買い物袋を提げて、佐野先生の勤務する小学校まで来た。
現在、午後六時過ぎ。この時季、まだ外は明るい。でも雲行きはだいぶ怪しかった。
台風だ。少し強めに吹きはじめた風に今朝の天気予報を思い出した。
やがて雨が降り出す。折りたたみ傘は持っているので、雨はなんとかしのげるけれど、佐野先生からは連絡はなかった。
とうとう辺りも暗くなり、雨は強くなったり、弱くなったりを繰り返す。とても冷たい雨だった。不安が募っていく。会えたとして、「帰れ」と言われたらどうしようといまさら怖くなった。
それからどれくらい待っただろう。
『もしもし輝? どうした?』
雨のなかで受けた電話に言葉を忘れてしまう。ずっと待ち焦がれていた声に、いままでの不安と怖さが一気に安心に変わった。
『聞こえてる?』
「はい」
『電話をくれただろう? 出られなくて悪い。会議が長引いたもんだから」
「まだ仕事、かかりますか?」
『もうそろそろ帰るとこだけど』
「わたし、いま校門の前にいるんです」
『え!?』
「ねえ、輝ちゃん。あとついてくるよ。話があるんじゃない?」
「輝、今度さ、飯食いにいかない? 今日は俺、バイトだから明日なんてどう? もちろん真美ちゃんも一緒に」
四限目の授業を終え、真美ちゃんと一緒に駅まで歩いていたら智樹がうしろから話しかけてくる。駅まで歩いて十五分。智樹はずっとこの調子だ。
「ほら、なにか言ってるよ」
真美ちゃんがうんざりしながら、うしろを振り向く。
「真美ちゃん、見ちゃだめ! ストーカーなんて放っておきなよ。いい? 真美ちゃんも智樹と口聞いちゃだめだからね」
「う、うん。わかった」
四限目の授業中もひしひしと視線を感じていた。それはわたしの斜めうしろの席に座っていた智樹のものだった。四限目の授業で合流した真美ちゃんが勘違いして、「復活愛?」などと言って不思議がっていたけれど、事情を説明したら納得してくれた。
駅に着き、反対側のホームから手を振る智樹を徹底的に無視する。そこへ電車が到着し、智樹の気配がようやく消えた。
「どうして急にストーカーみたく追いまわしてくるんだろう。怖いんだけど」
最近、誰かに見られているような気がしていたのは智樹だったんだろうか。大学のキャンパスでも視線を感じていたということはその可能性も大きい。
「別れたあともずっと好きだったんじゃない?」
「それはないよ。だって振ったのは向こうだよ」
「でも智樹くんって誰とつき合っても長続きしなかったじゃない。学生課の杉浦さんと別れたのが先月なら、二ヶ月持たなかったんだね」
まさか智樹に限って、わたしに未練があるわけない。智樹は気が多くて、本気で人を好きにならない。誰よりも自分が一番大事だと思っている人間だ。
乗り換えのため真美ちゃんは途中の駅で電車を降りた。わたしはひとりになり、ドアの窓から外の景色を眺めていた。そうしていると花火大会の夜を思い出してしまう。
あの夜、隣には佐野先生がいた。
◇
混雑した車内。ほかの誰かのお酒の匂いがかすかにしていた。わたしは遠慮がちに佐野先生から距離を置いていた。なのに突然車内が揺れ、その拍子にほかの乗客に押されたわたしは佐野先生にぶつかってしまった。
「大丈夫か?」
「ご、ごめんなさい」
恥ずかしすぎて顔から火が出そうだった。
「危ないから俺につかまっとけ」
揺れる電車のなかはつかまる場所がなく、下駄を履いていたわたしは何度もふらついていた。だからそう言ってくれたんだと思う。
だけど、どこにつかまればいいんだろう。腰のあたり? それとも手をつなぐ?
迷ったあげく、Tシャツの裾をつかんだ。少し心もとないけれど、なにもないよりはマシだ。
それからは目の前のTシャツの生地ばかり見ていた。こんなにも近くにいる。たったそれだけのこと。だけど思い出さずにはいられないほど幸せな時間だった。
◇
車内アナウンスで現実に引き戻される。もうすぐ最寄り駅だ。
電車を降りて改札を出る。駅の近くに商店街があって、久しぶりに足を踏み入れると、夕方の買い物ピークが重なり、だいぶ活気づいていた。
八百屋に魚屋、お茶屋に和菓子屋。なんだか懐かしく感じる。ノスタルジックな光景だけど、わたしが知らないだけで、こんな日常はあたり前のように繰り返されている。
「タイムサービスだよ! いまだけ! いまだけ三割引き! 今日は特別、和牛霜降り肉も三割引きにしちゃうからね!」
タイムサービス中の肉屋にはたくさんの買い物客がいた。
三割引きかあ。佐野先生に借りたハンカチ、今日返しにいこうかな。
「お姉さん、ありがとね」
さっそく肉屋で和牛霜降り肉を買った。それから八百屋とスーパーにも寄った。
とりあえず形から、と妙な言い訳を作ってみる。こうでもしないと勇気がでない。電話する勇気が。その相手はもちろん佐野先生。夕飯の材料を買って、マンションに行ってみようと思った。
えいっと目をつむって通話ボタンをタップした。片目を開けると、画面には発信中の表示。
もう逃げられない。そう自分を追い詰めたつもりだったのに……。留守電だった。
どうしよう。佐野先生のマンションの場所がよくわからない。現在勤務している小学校の近くだと前に聞いていたけれど、見つけられたところで部屋番号を知らないので、アポなしで行っても無駄に終わる。
まだ仕事中だと信じて、まずは小学校に行ってみようかな。そのうち電話もつながるよね。
それから買い物袋を提げて、佐野先生の勤務する小学校まで来た。
現在、午後六時過ぎ。この時季、まだ外は明るい。でも雲行きはだいぶ怪しかった。
台風だ。少し強めに吹きはじめた風に今朝の天気予報を思い出した。
やがて雨が降り出す。折りたたみ傘は持っているので、雨はなんとかしのげるけれど、佐野先生からは連絡はなかった。
とうとう辺りも暗くなり、雨は強くなったり、弱くなったりを繰り返す。とても冷たい雨だった。不安が募っていく。会えたとして、「帰れ」と言われたらどうしようといまさら怖くなった。
それからどれくらい待っただろう。
『もしもし輝? どうした?』
雨のなかで受けた電話に言葉を忘れてしまう。ずっと待ち焦がれていた声に、いままでの不安と怖さが一気に安心に変わった。
『聞こえてる?』
「はい」
『電話をくれただろう? 出られなくて悪い。会議が長引いたもんだから」
「まだ仕事、かかりますか?」
『もうそろそろ帰るとこだけど』
「わたし、いま校門の前にいるんです」
『え!?』
0
お気に入りに追加
65
あなたにおすすめの小説

とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
I Still Love You
美希みなみ
恋愛
※2020/09/09 登場した日葵の弟の誠真のお話アップしました。
「副社長には内緒」の莉乃と香織の子供たちのお話です。長谷川日葵と清水壮一は生まれたときから一緒。当たり前のように大切な存在として大きくなるが、お互いが高校生になったころから、二人の関係は複雑に。決められたから一緒にいるのか?そんな疑問を持ち始めた壮一は、日葵にはなにも告げずにアメリカへと留学をする。何も言わずにいなくなった壮一に、日葵は傷つく。そして7年後。大人になった2人は同じ会社で再会するが……。
ずっと一緒だったからこそ、迷い、悩み、自分の気持ちを見失っていく二人。
「副社長には内緒」を読んで頂かなくても、まったく問題はありませんが読んで頂いた後の方が、より楽しんで頂けるかもしれません。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

先生と私。
狭山雪菜
恋愛
茂木結菜(もぎ ゆいな)は、高校3年生。1年の時から化学の教師林田信太郎(はやしだ しんたろう)に恋をしている。なんとか彼に自分を見てもらおうと、学級委員になったり、苦手な化学の授業を選択していた。
3年生になった時に、彼が担任の先生になった事で嬉しくて、勢い余って告白したのだが…
全編甘々を予定しております。
この作品は、「小説家になろう」にも掲載しております。

両親や妹に我慢を強いられ、心が疲弊しきっていましたが、前世で結ばれることが叶わなかった運命の人にやっと巡り会えたので幸せです
珠宮さくら
恋愛
ジスカールという国で、雑草の中の雑草と呼ばれる花が咲いていた。その国でしか咲くことがない花として有名だが、他国の者たちはその花を世界で一番美しい花と呼んでいた。それすらジスカールの多くの者は馬鹿にし続けていた。
その花にまつわる話がまことしやかに囁かれるようになったが、その真実を知っている者は殆どいなかった。
そんな花に囲まれながら、家族に冷遇されて育った女の子がいた。彼女の名前はリュシエンヌ・エヴル。伯爵家に生まれながらも、妹のわがままに振り回され、そんな妹ばかりを甘やかす両親。更には、婚約者や周りに誤解され、勘違いされ、味方になってくれる人が側にいなくなってしまったことで、散々な目にあい続けて心が壊れてしまう。
その頃には、花のことも、自分の好きな色も、何もかも思い出せなくなってしまっていたが、それに気づいた時には、リュシエンヌは養子先にいた。
そこからリュシエンヌの運命が大きく回り出すことになるとは、本人は思ってもみなかった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる