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6.身代わりでもいいから
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錯覚なのだろうか。そうなのかもしれない。実際、なにかを見たわけでもない。実害があったわけでもない。そう思ってやり過ごそうとする。
それなのに誰かがわたしの肩に手を置いた。
「ひゃああっ!!」
持っていたいちごオレの紙パックを握りつぶしてしまった。ストローから勢いよくいちごオレが飛び出す。
「うわぁっ!」
「智樹!?」
智樹の顔面にいちごオレが直撃してしまった。
「力入れすぎだって。ベトベトでサイアクなんだけど」
そっちが急に肩を叩いてくるのが悪いんだ。そう思いながらも、急いでバッグからハンカチを取り出した。
「ちょっと待ってて。ハンカチを濡らしてくる」
食堂の端のほうに手洗い場がある。そこでハンカチを濡らすと、急いで席に戻った。
「ごめん、びっくりしちゃって」
頬についたいちごオレを拭きとりながら謝ると、智樹は照れくさそうに視線を逸らした。
「いいよ。あとは自分でやるから」
わたしの手からハンカチを乱暴に奪い取った智樹は自分の顔をゴシゴシ拭いた。ひと通り顔を拭くと、「ありがと」とぶっきらぼうに言ってハンカチを返してくる。それから、わたしの向かい側に腰をおろした。
そして、しばしの沈黙。なんだか調子が狂う。わたしもどうしていいのかわからず、とりあえず智樹の出方を待った。
「……ひ、久しぶりだね」
「うん、そうだね。中途半端な時間に休講にされると困るね。時間、持て余しちゃう」
偶然、智樹も同じ授業をとっている。講義室で見かけてもお互いにいつも無視していたから、急に話しかけられて、内心かなりびっくりしている。
「でも休講になって、かえってよかったって思ってる。こうして話せてうれしいよ」
「調子いいなあ」
「本当だって。じゃなきゃ、わざわざ声をかけないよ」
人あたりのいい話し方。ようやくいつもの智樹に戻ったようだ。
「ところで、なにか用?」
「別に。用がなきゃ話しかけちゃだめなの?」
「そういうわけじゃないけど」
「ちょっと気になっったんだよ」
「なにが?」
「少し見ない間にきれいになったなと思って。もしかして夏休み中に彼氏でもできた?」
「……できてないけど」
急になにを言い出すんだろうとあきれる。わたしをこっぴどく振ったくせに。そんな言葉に騙されないんだから。
「いないんだ! よかった。それならさ、俺たちヨリを戻さない?」
「はあ?」
「俺と別れてから、ずっと彼氏がいないんだろう?」
「そうだけど。それとヨリを戻すこととどう関係あるの?」
「それってさ、俺のことを忘れられないからじゃないの?」
「はあ!? ばっかじゃないの! そんなことあるわけないじゃない!」
わたしったら、こんな自意識過剰の男を好きだったのか。まだ子どもだったとはいえ、自分が情けない。
わたしはバッグと文庫本を手にすると席を立った。
「どこ行くんだよ?」
「智樹のいないところ」
「怒んないでよ。いまのは冗談だって」
冗談?
その言葉にピクリと眉が動く。
「そうやって人の心を軽くもてあそぶようなマネ、やめてくれる?」
「悪かったよ。『冗談』って言ったのも冗談ていうか……。ヨリを戻す話、けっこう本気なんだけど」
「智樹にはつき合っている彼女がいるでしょう。わたしにも好きな人がいるの。それを抜きにしてもヨリを戻すことはあり得ないけどね。天と地がひっくり返っても絶対にないから。ほんとなに考えてんだか。あきれてものも言えないわ」
「はいはい、わかったよ。輝が俺を嫌いなことはよーくわかったから、それ以上言うなよ」
智樹は思いきりへこんで情けない顔をした。わたしは腰をおろし、智樹に視線を合わせた。
「智樹は変わらないよね。高校のときもわたしが一緒にいるのにいつもふわふわと上の空で、気が多かった。わたしとつき合ってたときも何人かの女の子と浮気してたことも知ってたよ」
「嘘? マジで?」
「うん。それでも最後はわたしのところに戻ってきてくれたから、わたしのことは本気なのかなって思ってたんだけど、そうじゃなかった。智樹は人を本気で好きになったことってないの?」
「俺はいつも本気だよ。輝のことも大好きだったし」
「でもほかの女の子も大好きだったんだよね。それじゃあ、だめなんだよ。智樹はよくても相手にとってはそうじゃない。傷つくんだよ。苦しくて息もできなくなるの。好きな人が別の人を見ていたら、どんどん自分に自信がなくなって、嫉妬に狂って、自分のことが嫌いになるの。いまの彼女にはそんな思いをさせないで」
久しぶりにこみあげてくる感情はあの頃のものよりも少しだけ鋭さはやわらいでいるけれど、それでも胸に突き刺さってくる痛みでうまく呼吸ができない。トラウマとまではいかないまでも、裏切れたショックはなくなるものではない。
だけど当の智樹には、わたしを労わるやさしさなんてものはない様子。「ふーん」と言いながら、どこか他人事だった。
「まあ言いたいことはわかったよ。要するに輝も俺のことを大好きだったってことだよね。それならそうと言ってくれればよかったのに。輝って俺がほかの女の子と遊んでてもなにも言わないから、俺のことをあんまり好きじゃないのかなって思ってた」
「そんなわけないでしょう! 好きじゃなかったら、つき合ってなかったよ」
あー、もうイライラする。
「なんだ、そうだったのか。なら誤解も解けたことだし、やっぱりヨリを戻してみようよ」
「だからその気はないって言ったでしょう。だいたい彼女がいるのに、おかしいよ」
「それなんだけど、俺いまフリーだよ。彼女って学生課の葵《あおい》さんのことかな? 彼女とは先月別れてるよ。だから問題ないよ」
「いやいや、そういう問題じゃないんだけど」
智樹の身勝手さとノー天気さは昔からだったけれど、こうして改めて話してみると普通じゃないとよくわかる。あの頃のわたしはよくこんな人とつき合っていられたなと自分で自分をほめてあげたい。
でもこのばかみたいなポジティブさも好きだったんだよね。怖いもの知らずで、なぜか自分に自信があって、そんなところがうらやましくもあった。
わたしも智樹みたいになりたい。傷つくことを恐れず、佐野先生にはっきりと「好き」と伝えらえたらどんなにいいか。
それなのに誰かがわたしの肩に手を置いた。
「ひゃああっ!!」
持っていたいちごオレの紙パックを握りつぶしてしまった。ストローから勢いよくいちごオレが飛び出す。
「うわぁっ!」
「智樹!?」
智樹の顔面にいちごオレが直撃してしまった。
「力入れすぎだって。ベトベトでサイアクなんだけど」
そっちが急に肩を叩いてくるのが悪いんだ。そう思いながらも、急いでバッグからハンカチを取り出した。
「ちょっと待ってて。ハンカチを濡らしてくる」
食堂の端のほうに手洗い場がある。そこでハンカチを濡らすと、急いで席に戻った。
「ごめん、びっくりしちゃって」
頬についたいちごオレを拭きとりながら謝ると、智樹は照れくさそうに視線を逸らした。
「いいよ。あとは自分でやるから」
わたしの手からハンカチを乱暴に奪い取った智樹は自分の顔をゴシゴシ拭いた。ひと通り顔を拭くと、「ありがと」とぶっきらぼうに言ってハンカチを返してくる。それから、わたしの向かい側に腰をおろした。
そして、しばしの沈黙。なんだか調子が狂う。わたしもどうしていいのかわからず、とりあえず智樹の出方を待った。
「……ひ、久しぶりだね」
「うん、そうだね。中途半端な時間に休講にされると困るね。時間、持て余しちゃう」
偶然、智樹も同じ授業をとっている。講義室で見かけてもお互いにいつも無視していたから、急に話しかけられて、内心かなりびっくりしている。
「でも休講になって、かえってよかったって思ってる。こうして話せてうれしいよ」
「調子いいなあ」
「本当だって。じゃなきゃ、わざわざ声をかけないよ」
人あたりのいい話し方。ようやくいつもの智樹に戻ったようだ。
「ところで、なにか用?」
「別に。用がなきゃ話しかけちゃだめなの?」
「そういうわけじゃないけど」
「ちょっと気になっったんだよ」
「なにが?」
「少し見ない間にきれいになったなと思って。もしかして夏休み中に彼氏でもできた?」
「……できてないけど」
急になにを言い出すんだろうとあきれる。わたしをこっぴどく振ったくせに。そんな言葉に騙されないんだから。
「いないんだ! よかった。それならさ、俺たちヨリを戻さない?」
「はあ?」
「俺と別れてから、ずっと彼氏がいないんだろう?」
「そうだけど。それとヨリを戻すこととどう関係あるの?」
「それってさ、俺のことを忘れられないからじゃないの?」
「はあ!? ばっかじゃないの! そんなことあるわけないじゃない!」
わたしったら、こんな自意識過剰の男を好きだったのか。まだ子どもだったとはいえ、自分が情けない。
わたしはバッグと文庫本を手にすると席を立った。
「どこ行くんだよ?」
「智樹のいないところ」
「怒んないでよ。いまのは冗談だって」
冗談?
その言葉にピクリと眉が動く。
「そうやって人の心を軽くもてあそぶようなマネ、やめてくれる?」
「悪かったよ。『冗談』って言ったのも冗談ていうか……。ヨリを戻す話、けっこう本気なんだけど」
「智樹にはつき合っている彼女がいるでしょう。わたしにも好きな人がいるの。それを抜きにしてもヨリを戻すことはあり得ないけどね。天と地がひっくり返っても絶対にないから。ほんとなに考えてんだか。あきれてものも言えないわ」
「はいはい、わかったよ。輝が俺を嫌いなことはよーくわかったから、それ以上言うなよ」
智樹は思いきりへこんで情けない顔をした。わたしは腰をおろし、智樹に視線を合わせた。
「智樹は変わらないよね。高校のときもわたしが一緒にいるのにいつもふわふわと上の空で、気が多かった。わたしとつき合ってたときも何人かの女の子と浮気してたことも知ってたよ」
「嘘? マジで?」
「うん。それでも最後はわたしのところに戻ってきてくれたから、わたしのことは本気なのかなって思ってたんだけど、そうじゃなかった。智樹は人を本気で好きになったことってないの?」
「俺はいつも本気だよ。輝のことも大好きだったし」
「でもほかの女の子も大好きだったんだよね。それじゃあ、だめなんだよ。智樹はよくても相手にとってはそうじゃない。傷つくんだよ。苦しくて息もできなくなるの。好きな人が別の人を見ていたら、どんどん自分に自信がなくなって、嫉妬に狂って、自分のことが嫌いになるの。いまの彼女にはそんな思いをさせないで」
久しぶりにこみあげてくる感情はあの頃のものよりも少しだけ鋭さはやわらいでいるけれど、それでも胸に突き刺さってくる痛みでうまく呼吸ができない。トラウマとまではいかないまでも、裏切れたショックはなくなるものではない。
だけど当の智樹には、わたしを労わるやさしさなんてものはない様子。「ふーん」と言いながら、どこか他人事だった。
「まあ言いたいことはわかったよ。要するに輝も俺のことを大好きだったってことだよね。それならそうと言ってくれればよかったのに。輝って俺がほかの女の子と遊んでてもなにも言わないから、俺のことをあんまり好きじゃないのかなって思ってた」
「そんなわけないでしょう! 好きじゃなかったら、つき合ってなかったよ」
あー、もうイライラする。
「なんだ、そうだったのか。なら誤解も解けたことだし、やっぱりヨリを戻してみようよ」
「だからその気はないって言ったでしょう。だいたい彼女がいるのに、おかしいよ」
「それなんだけど、俺いまフリーだよ。彼女って学生課の葵《あおい》さんのことかな? 彼女とは先月別れてるよ。だから問題ないよ」
「いやいや、そういう問題じゃないんだけど」
智樹の身勝手さとノー天気さは昔からだったけれど、こうして改めて話してみると普通じゃないとよくわかる。あの頃のわたしはよくこんな人とつき合っていられたなと自分で自分をほめてあげたい。
でもこのばかみたいなポジティブさも好きだったんだよね。怖いもの知らずで、なぜか自分に自信があって、そんなところがうらやましくもあった。
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