恋い焦がれて

さとう涼

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5.ふたりの距離感

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「心配したよ」

 その言葉を聞いたと思ったら、わたしの視界が遮られた。目の前には佐野先生のTシャツがあって、すごくあったかい。
 抱きしめられている? そう認識できたのは後頭部にあてられた佐野先生の手のひらに力が入っていたから。
 信じられない。胸に押しつけられたまま、それまでの不安な思いが涙になってこぼれ落ちた。涙がTシャツについちゃう。そう思っても引き寄せられている力は弱まる気配がない。うれしいけど、どうしたらいいの?

「急にいなくなるから焦ったよ。でも見つかってよかった。輝になにかあったらどうしようかと思った」
「ごめんなさい。わたし、歩くのが遅くて」
「そうだよな。気づかなくてごめんな。浴衣に下駄なら歩きにくいよな。足は大丈夫か?」

 佐野先生はしきりに反省し、わたしの足もとに視線を移す。

「少し痛いです」
「大丈夫か? どれ見せてみろ」

 いきなり佐野先生がしゃがんでわたしの足を覗き込もうとするので、とっさに離れた。すると佐野先生の手がわたしの足首をぎゅっとつかんでくる。

「きゃあっ! ちょっと佐野先生!」

 思わず大きな声が出た。だけど佐野先生はそんなのはおかまいなしにわたしの足の指をまじまじと見る。

「だめだ、暗くてよく見えない」
「やっぱり大丈夫です。絆創膏を持ってきているので、それを貼れば普通に歩けますから」
「なら出して」
「え?」
「絆創膏、貼るから」
「そんな、いいです! 自分で貼りますから!」

 足をバタバタさせて必死に抵抗するも、佐野先生は容赦ない。力ずくで足を押さえつけ、汗だくのわたしは観念するしかなかった。
 絆創膏を渡すと佐野先生はニンマリとする。

「最初からおとなしくしてればいいものを」
「だってわたしの足、くさいかもしれないですし。せめてウェットティッシュで拭かせてください」

 絆創膏だけでなくウェットティッシュも念のため持ってきておいた。佐野先生の肩を貸してもらい、なんとか両足を拭いた。それから佐野先生に絆創膏を貼ってもらう。くすぐったくて、それをがまんするのが大変だったけれど、絆創膏を貼ってもらったらだいぶ歩くのが楽になった。

 その後、スマホを落としたことを話したら、なんと佐野先生が持っていた。親切な人が拾ってくれて、佐野先生に渡してくれたそうだ。

「輝のスマホに電話したら男が出たからびっくりしたよ。でも、いい人で助かったな」
「奇跡だあ。新しく買うしかないって覚悟してたので」

 革の手帳ケースには傷がついていたけれど、スマホ本体は無傷で壊れてもいなかった。

「佐野先生の言う通りにしていて正解でしたね」
「いや、どうなんだろうな。自分で言っておいてなんだけど、こんな場所に輝をひとりで待たせて、かえって危険だったのかもしれない」

 危険だなんて、そんなことを考える余裕はなかった。本当に怖かったのは、佐野先生に会えないんじゃないかということだったから。

「ほんとにごめんな。隣にいるはずの輝がいなくなったとき、ハッとしたんだ。俺は自分のことしか考えていなかったんだって。たぶん今日に限らず、いつもそうだったと思う」
「そんなことないですよ。佐野先生はやさしいです。今日だってわたしの誘いを断らずにつき合ってくれました。それってわたしのことを考えてくれたからですよね? わたしを傷つけないように」

 美術館、そして今日の花火大会。二度も誘っているわたしの気持ちに薄々気づいているはず。慣れない浴衣を着て、好意のない男性とふたりきりで花火大会になんて普通はあまり行かない。

「それは違うよ。行きたいと思ったからOKしたんだよ。行きたくなかったら、いくらでも理由を作って断ってるよ」

 期待しちゃいけない。それは恋愛感情とは違う。だけどうれしいと思ってしまう。少なくとも元教え子という枠からは抜け出せることができたんだ。そうなんだよね?
 駅までの道のりも帰りの電車のなかでも、佐野先生はわたしのそばにぴったりと寄り添ってくれた。だけどつかず離れずの距離感に少し切なさを覚える。ほんのちょっとの隙間を埋められるまで、あとどれくらいの時間がかかるんだろう。それとも永遠に隙間は空いたままなのかな。

 地元の駅前にあるカフェスタイルのどんぶり屋さんで遅めの夕食を食べたあと、佐野先生に自宅まで送ってもらった。「またな」とやさしい眼差しで言われ、深く考えないようにして「はい」と頷く。
 ゆっくりいこう。これ以上、欲ばりにならないようにしよう。バイトのシフトを夏休みの間だけ昼間に変更したことを話したら、「行けたら行くよ」と言ってくれた。いまはそれで十分だ。
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