恋い焦がれて

さとう涼

文字の大きさ
上 下
27 / 53
5.ふたりの距離感

026

しおりを挟む
 週末が過ぎると、警戒心は少しだけ薄れていた。火曜日のランチタイムのシフトのために出勤すると、由紀乃もシフト変更があって、更衣室で顔を合わせた。

「昼間に会うのってなんか変だね」
「輝、週末のシフトなくなっちゃったもんね」

 店の裏口に出没した不審者のことは従業員みんなに周知され、全員が気をつけるようにと渋谷店長から注意喚起があった。事情を知ったほかの人たちに心配され、わたしの急なシフトの変更についても理解してもらえた。

「だけど連絡先を教えろって、明らかに輝狙いなんだから、昼間も気をつけなよ」
「うん。渋谷店長にも同じこと言われた」

 これまでバイト中に男性に誘われたことは一度もない。なかにはそういう子もいるみたいだけど、わたしはぜんぜんモテない。元彼はひとりだけいるけれど、それだけだ。

「あっ! 今週の土曜日、輝はバイトがないから行けるじゃん!」
「ああ、それね。行けたらいいなあとは思っていたけど、たぶん無理だよ」

 由紀乃が言っているのは東京湾で毎年行われている花火大会。来場者数も十万人以上で規模も大きい。前々からその花火大会のことは由紀乃と話題にしていた。

「どうして? せっかくだし、佐野先生を浴衣で魅了しちゃいなよ」
「浴衣、持ってないもん」
「買えばいいでしょう!」
「誘って断られたら、しばらく浮上できないと思うから、怖くて誘えない。浴衣も無駄になっちゃう」
「そのときは渋谷店長でも誘ったら? なんだかんだ言っても、ふたりの親密度は伝わってくるよ。佐野先生がだめなら渋谷店長でよくない?」
「もう、やめてよ……」

 だけど花火大会には行きたいなあ。佐野先生を誘ったら迷惑に思われないかな。

「佐野先生、OKしてくれるかなあ?」
「おお! その気になったな」
「まだ誘うって決めてないからね」
「誘うなら明日にでも誘わないと。佐野先生の予定だってあるだろうし」
「わかってるって」

 由紀乃に言われるまでは花火大会に行くことはぜんぜん考えていなかったのに、いまはかなりその気になっている。佐野先生の様子も知りたいし、今夜にでも電話しようと思った。元気そうなら軽い感じで誘ってみよう。そうだよ、気軽な感じで明るく言えば、佐野先生の負担も小さいよね。



 週末となり、わたしはいま、持っている巾着《きんちゃく》のひもを意味もなく指に巻きつけながら佐野先生を待っている。今日のために藤色がベースの生地に紫と薄いピンクの藤の花の描かれた浴衣を買った。
 思いきって電話で花火大会に誘ったら、意外にもあっさりとOKしてくれた。電話の声もいたって普通で、かえってあの話題に触れるのはやめたほうがいいのかなと思った。
 元教え子のわたしに心配されるのだって、あまり気分はよくないだろう。花火大会に行くことが気晴らしになってくれることを願うだけだ。

 花火大会は電車で行くため地元の駅で待ち合わせをした。慣れない下駄が心配で早めに家を出て正解。駅に着いたときは約束の五分前だった。

「遅くなって悪い」

 約束の二分前。佐野先生が現れた。ぜんぜん遅くないんだけど、佐野先生はものすごく申し訳なさそうに謝った。

「まだ約束の時間になっていませんよ。わたしが早めに来ていたんです」
「なんだ、そうだったのか。少し焦ったよ」
「普段、女の子を待たせないんですね」
「あっ、いや、まあそうだな。待たせるより待つほうが気が楽だしな。それに女の子ひとりで待たせるのは危ないし……」

 照れながら言う姿に胸が高鳴る。待ち合わせでそんなふうに気遣いされるのは初めてだ。世の中にはこんな男の人もいるんだと感動……。

「それより見違えたよ。そういう格好すると、すごく大人っぽくなるんだな」
「……そ、そうですか?」

 顔がカアッと熱くなる。佐野先生にまじまじと見つめられて恥ずかしい。巾着からハンカチを取り出して額の汗を拭う。
 浴衣を着てきてよかった。歩くのが大変だから本当は直前まで迷っていたんだ。

「佐野先生も浴衣を着てくればよかったのに」
「浴衣なんて持ってないよ」
「甚平《じんべい》も?」
「ない!」

 なーんだ、残念。浴衣も甚平も似合いそうなのに。憧れるなあ。好きな人と浴衣を着て歩くの。いつかそうなればいいなあ。

 電車に乗って花火大会のある駅に着いた。想像以上の人だかりに少しげんなり。だけどその憂鬱さは簡単に相殺《そうさい》される。なぜなら佐野先生が一緒だから。

「うわぁ、さすがすごい人だな」
「はぐれちゃいそうですね」
「もし、はぐれたら、その場所から動くなよ。俺が迎えにいくから」

 このセリフ。佐野先生の彼女として聞いていたら最高にときめくんだけど、実際は迷子になった児童をさがす先生としてのセリフなんだろうな。

「聞いてるか?」
「はい、聞いてます。はぐれた場所で佐野先生を待っていればいいんですよね」
「そうだ。あと道端では知らない人間に頼るなよ。大人を簡単に信用しちゃだめだ。頼っていいのは警察官のみだぞ」
「極端すぎです」

 ほらね、まるで子ども扱い。大人として見てくれていると感じるときもあれば、今日みたいなときもある。
 恋愛対象にはほど遠いんだろうなあ。焦っているわけではないけれど、せめてひとりの女性として見てもらいたいんだけどな。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】貴方の後悔など、聞きたくありません。

なか
恋愛
学園に特待生として入学したリディアであったが、平民である彼女は貴族家の者には目障りだった。 追い出すようなイジメを受けていた彼女を救ってくれたのはグレアルフという伯爵家の青年。 優しく、明るいグレアルフは屈託のない笑顔でリディアと接する。 誰にも明かさずに会う内に恋仲となった二人であったが、 リディアは知ってしまう、グレアルフの本性を……。 全てを知り、死を考えた彼女であったが、 とある出会いにより自分の価値を知った時、再び立ち上がる事を選択する。 後悔の言葉など全て無視する決意と共に、生きていく。

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

【完結】この胸が痛むのは

Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」 彼がそう言ったので。 私は縁組をお受けすることにしました。 そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。 亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。 殿下と出会ったのは私が先でしたのに。 幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです…… 姉が亡くなって7年。 政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが 『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。 亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……  ***** サイドストーリー 『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。 こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。 読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです * 他サイトで公開しています。 どうぞよろしくお願い致します。

幼馴染の婚約者ともう1人の幼馴染

仏白目
恋愛
3人の子供達がいた、男の子リアムと2人の女の子アメリアとミア 家も近く家格も同じいつも一緒に遊び、仲良しだった、リアムとアメリアの両親は仲の良い友達どうし、自分達の子供を結婚させたいね、と意気投合し赤ちゃんの時に婚約者になった、それを知ったミア なんだかずるい!私だけ仲間外れだわと思っていた、私だって彼と婚約したかったと、親にごねてもそれは無理な話だよと言い聞かされた それじゃあ、結婚するまでは、リアムはミアのものね?そう、勝手に思い込んだミアは段々アメリアを邪魔者扱いをするようになって・・・ *作者ご都合主義の世界観のフィクションです

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

それぞれのその後

京佳
恋愛
婚約者の裏切りから始まるそれぞれのその後のお話し。 ざまぁ ゆるゆる設定

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

処理中です...