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5.ふたりの距離感
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週末が過ぎると、警戒心は少しだけ薄れていた。火曜日のランチタイムのシフトのために出勤すると、由紀乃もシフト変更があって、更衣室で顔を合わせた。
「昼間に会うのってなんか変だね」
「輝、週末のシフトなくなっちゃったもんね」
店の裏口に出没した不審者のことは従業員みんなに周知され、全員が気をつけるようにと渋谷店長から注意喚起があった。事情を知ったほかの人たちに心配され、わたしの急なシフトの変更についても理解してもらえた。
「だけど連絡先を教えろって、明らかに輝狙いなんだから、昼間も気をつけなよ」
「うん。渋谷店長にも同じこと言われた」
これまでバイト中に男性に誘われたことは一度もない。なかにはそういう子もいるみたいだけど、わたしはぜんぜんモテない。元彼はひとりだけいるけれど、それだけだ。
「あっ! 今週の土曜日、輝はバイトがないから行けるじゃん!」
「ああ、それね。行けたらいいなあとは思っていたけど、たぶん無理だよ」
由紀乃が言っているのは東京湾で毎年行われている花火大会。来場者数も十万人以上で規模も大きい。前々からその花火大会のことは由紀乃と話題にしていた。
「どうして? せっかくだし、佐野先生を浴衣で魅了しちゃいなよ」
「浴衣、持ってないもん」
「買えばいいでしょう!」
「誘って断られたら、しばらく浮上できないと思うから、怖くて誘えない。浴衣も無駄になっちゃう」
「そのときは渋谷店長でも誘ったら? なんだかんだ言っても、ふたりの親密度は伝わってくるよ。佐野先生がだめなら渋谷店長でよくない?」
「もう、やめてよ……」
だけど花火大会には行きたいなあ。佐野先生を誘ったら迷惑に思われないかな。
「佐野先生、OKしてくれるかなあ?」
「おお! その気になったな」
「まだ誘うって決めてないからね」
「誘うなら明日にでも誘わないと。佐野先生の予定だってあるだろうし」
「わかってるって」
由紀乃に言われるまでは花火大会に行くことはぜんぜん考えていなかったのに、いまはかなりその気になっている。佐野先生の様子も知りたいし、今夜にでも電話しようと思った。元気そうなら軽い感じで誘ってみよう。そうだよ、気軽な感じで明るく言えば、佐野先生の負担も小さいよね。
週末となり、わたしはいま、持っている巾着《きんちゃく》のひもを意味もなく指に巻きつけながら佐野先生を待っている。今日のために藤色がベースの生地に紫と薄いピンクの藤の花の描かれた浴衣を買った。
思いきって電話で花火大会に誘ったら、意外にもあっさりとOKしてくれた。電話の声もいたって普通で、かえってあの話題に触れるのはやめたほうがいいのかなと思った。
元教え子のわたしに心配されるのだって、あまり気分はよくないだろう。花火大会に行くことが気晴らしになってくれることを願うだけだ。
花火大会は電車で行くため地元の駅で待ち合わせをした。慣れない下駄が心配で早めに家を出て正解。駅に着いたときは約束の五分前だった。
「遅くなって悪い」
約束の二分前。佐野先生が現れた。ぜんぜん遅くないんだけど、佐野先生はものすごく申し訳なさそうに謝った。
「まだ約束の時間になっていませんよ。わたしが早めに来ていたんです」
「なんだ、そうだったのか。少し焦ったよ」
「普段、女の子を待たせないんですね」
「あっ、いや、まあそうだな。待たせるより待つほうが気が楽だしな。それに女の子ひとりで待たせるのは危ないし……」
照れながら言う姿に胸が高鳴る。待ち合わせでそんなふうに気遣いされるのは初めてだ。世の中にはこんな男の人もいるんだと感動……。
「それより見違えたよ。そういう格好すると、すごく大人っぽくなるんだな」
「……そ、そうですか?」
顔がカアッと熱くなる。佐野先生にまじまじと見つめられて恥ずかしい。巾着からハンカチを取り出して額の汗を拭う。
浴衣を着てきてよかった。歩くのが大変だから本当は直前まで迷っていたんだ。
「佐野先生も浴衣を着てくればよかったのに」
「浴衣なんて持ってないよ」
「甚平《じんべい》も?」
「ない!」
なーんだ、残念。浴衣も甚平も似合いそうなのに。憧れるなあ。好きな人と浴衣を着て歩くの。いつかそうなればいいなあ。
電車に乗って花火大会のある駅に着いた。想像以上の人だかりに少しげんなり。だけどその憂鬱さは簡単に相殺《そうさい》される。なぜなら佐野先生が一緒だから。
「うわぁ、さすがすごい人だな」
「はぐれちゃいそうですね」
「もし、はぐれたら、その場所から動くなよ。俺が迎えにいくから」
このセリフ。佐野先生の彼女として聞いていたら最高にときめくんだけど、実際は迷子になった児童をさがす先生としてのセリフなんだろうな。
「聞いてるか?」
「はい、聞いてます。はぐれた場所で佐野先生を待っていればいいんですよね」
「そうだ。あと道端では知らない人間に頼るなよ。大人を簡単に信用しちゃだめだ。頼っていいのは警察官のみだぞ」
「極端すぎです」
ほらね、まるで子ども扱い。大人として見てくれていると感じるときもあれば、今日みたいなときもある。
恋愛対象にはほど遠いんだろうなあ。焦っているわけではないけれど、せめてひとりの女性として見てもらいたいんだけどな。
「昼間に会うのってなんか変だね」
「輝、週末のシフトなくなっちゃったもんね」
店の裏口に出没した不審者のことは従業員みんなに周知され、全員が気をつけるようにと渋谷店長から注意喚起があった。事情を知ったほかの人たちに心配され、わたしの急なシフトの変更についても理解してもらえた。
「だけど連絡先を教えろって、明らかに輝狙いなんだから、昼間も気をつけなよ」
「うん。渋谷店長にも同じこと言われた」
これまでバイト中に男性に誘われたことは一度もない。なかにはそういう子もいるみたいだけど、わたしはぜんぜんモテない。元彼はひとりだけいるけれど、それだけだ。
「あっ! 今週の土曜日、輝はバイトがないから行けるじゃん!」
「ああ、それね。行けたらいいなあとは思っていたけど、たぶん無理だよ」
由紀乃が言っているのは東京湾で毎年行われている花火大会。来場者数も十万人以上で規模も大きい。前々からその花火大会のことは由紀乃と話題にしていた。
「どうして? せっかくだし、佐野先生を浴衣で魅了しちゃいなよ」
「浴衣、持ってないもん」
「買えばいいでしょう!」
「誘って断られたら、しばらく浮上できないと思うから、怖くて誘えない。浴衣も無駄になっちゃう」
「そのときは渋谷店長でも誘ったら? なんだかんだ言っても、ふたりの親密度は伝わってくるよ。佐野先生がだめなら渋谷店長でよくない?」
「もう、やめてよ……」
だけど花火大会には行きたいなあ。佐野先生を誘ったら迷惑に思われないかな。
「佐野先生、OKしてくれるかなあ?」
「おお! その気になったな」
「まだ誘うって決めてないからね」
「誘うなら明日にでも誘わないと。佐野先生の予定だってあるだろうし」
「わかってるって」
由紀乃に言われるまでは花火大会に行くことはぜんぜん考えていなかったのに、いまはかなりその気になっている。佐野先生の様子も知りたいし、今夜にでも電話しようと思った。元気そうなら軽い感じで誘ってみよう。そうだよ、気軽な感じで明るく言えば、佐野先生の負担も小さいよね。
週末となり、わたしはいま、持っている巾着《きんちゃく》のひもを意味もなく指に巻きつけながら佐野先生を待っている。今日のために藤色がベースの生地に紫と薄いピンクの藤の花の描かれた浴衣を買った。
思いきって電話で花火大会に誘ったら、意外にもあっさりとOKしてくれた。電話の声もいたって普通で、かえってあの話題に触れるのはやめたほうがいいのかなと思った。
元教え子のわたしに心配されるのだって、あまり気分はよくないだろう。花火大会に行くことが気晴らしになってくれることを願うだけだ。
花火大会は電車で行くため地元の駅で待ち合わせをした。慣れない下駄が心配で早めに家を出て正解。駅に着いたときは約束の五分前だった。
「遅くなって悪い」
約束の二分前。佐野先生が現れた。ぜんぜん遅くないんだけど、佐野先生はものすごく申し訳なさそうに謝った。
「まだ約束の時間になっていませんよ。わたしが早めに来ていたんです」
「なんだ、そうだったのか。少し焦ったよ」
「普段、女の子を待たせないんですね」
「あっ、いや、まあそうだな。待たせるより待つほうが気が楽だしな。それに女の子ひとりで待たせるのは危ないし……」
照れながら言う姿に胸が高鳴る。待ち合わせでそんなふうに気遣いされるのは初めてだ。世の中にはこんな男の人もいるんだと感動……。
「それより見違えたよ。そういう格好すると、すごく大人っぽくなるんだな」
「……そ、そうですか?」
顔がカアッと熱くなる。佐野先生にまじまじと見つめられて恥ずかしい。巾着からハンカチを取り出して額の汗を拭う。
浴衣を着てきてよかった。歩くのが大変だから本当は直前まで迷っていたんだ。
「佐野先生も浴衣を着てくればよかったのに」
「浴衣なんて持ってないよ」
「甚平《じんべい》も?」
「ない!」
なーんだ、残念。浴衣も甚平も似合いそうなのに。憧れるなあ。好きな人と浴衣を着て歩くの。いつかそうなればいいなあ。
電車に乗って花火大会のある駅に着いた。想像以上の人だかりに少しげんなり。だけどその憂鬱さは簡単に相殺《そうさい》される。なぜなら佐野先生が一緒だから。
「うわぁ、さすがすごい人だな」
「はぐれちゃいそうですね」
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このセリフ。佐野先生の彼女として聞いていたら最高にときめくんだけど、実際は迷子になった児童をさがす先生としてのセリフなんだろうな。
「聞いてるか?」
「はい、聞いてます。はぐれた場所で佐野先生を待っていればいいんですよね」
「そうだ。あと道端では知らない人間に頼るなよ。大人を簡単に信用しちゃだめだ。頼っていいのは警察官のみだぞ」
「極端すぎです」
ほらね、まるで子ども扱い。大人として見てくれていると感じるときもあれば、今日みたいなときもある。
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