26 / 53
5.ふたりの距離感
025
しおりを挟む
その後、休憩に入ったわたしはまかないを食べ、外の空気を吸うために裏口のドアを開けた。でもそこで心臓が止まる思いをした。
誰!?
外灯の薄明かりのなかに人影がぼんやりと見えた。目を凝らすがよく見えない。来店客かなと思ったが、どうも様子がおかしい。その人物がだんだんとこちらに近づいてくるのが見えた。
なにか用があるんだろうか。クレームかなにか? だけどどうしよう。勝手に身体が震えてきて動けない。
「あの……」
男性の声が聞こえたと思ったら、声の主が姿を現した。
細い小さな目でじっとわたしを見つめるが、その声色は意外に弱々しく、遠慮がちだった。
「な、なんでしょうか?」
なんとか声をふり絞った。
「すみません。驚かせちゃって。実はずっと待っていたんです」
「わたしを?」
見覚えのない男性だ。二十代前半ぐらいだろうか。カジュアルな服装はどちらかというと地味。暗い色の無地の半袖シャツにジーンズ姿。ショルダーバッグを斜めがけし、身体からは煙草と体臭がまざったようなにおいがした。
「僕のこと、覚えてないですか? ついさっきまで店にいたんですけど」
「すみません。ちょっと記憶になくて……」
一歩だけ近づかれて、背筋に寒気が走る。
「そうですか。でも無理もないですね。今日は友達も大勢一緒だったので」
「もしかして大学生くらいの団体のお客様ですか?」
「ええ、そうです。でも今日以外にも何度か数人の友達とは来ていたんですが……。やっぱり覚えていないか」
「ごめんなさい。お客様の顔はなるべく覚えるようにはしているんですが、そういうの苦手で……」
「いいえ、いいんです。僕のほうこそ、図々しいことを言ってすみません」
男性は礼儀正しく言うと、ぎこちなく笑みを浮かべた。なんだか不気味だ。その上、夜遅くにこんなひと気のない場所で急に話しかけてくるので、おのずと警戒心が働く。さて、この状況をどうやってやりすごそう。頭になかはそのことだった。
「ごめんなさい。仕事に戻らないといけないので失礼します」
「待ってください! 怖がらないでください。連絡先を教えてもらえればすぐに帰りますから」
男性はジーンズのポケットから財布を出した。そして「怪しい者ではないんです」とカードサイズのものを差し出してくるので、よく見るとそれは学生証。都内の有名私立大学のものだった。
一見、どこにでもいる普通の青年。だけどやっていることはかなりやばい。わたしは本能的に危険を察知していた。
「連絡先は教えられません。規則で教えてはいけないことになっているんです」
つけ入られないよう、怯まず、きっぱりと言った。
「……そうですか。困らせてすみません」
男性は申し訳なさそうに眉尻をさげる。怯えた小動物みたいに縮こまっていた。
「悪く思わないでください。別にあなたがどうこうということではありませんから」
「わかってます」
「気持ちはありがたいんですけど」
わたしはうまく振る舞えているのだろうか。すぐにでも立ち去りたい気持ちを必死に隠し、作り笑いをする。すると男性はあきらめがついたのか、とぼとぼと帰っていく。
わたしはこの場にいたくなくて、すぐさまドアを閉めた。
怖かったあ。なんなの、あの人?
待ち伏せなんて初めてだったから、いまも心臓がバクバクしている。ドアの内側で痛いほどの鼓動をなんとか落ち着かせようと息を整えていた。
数分後、やっとドアの前から離れられたとき、向こうの通路から渋谷店長がこっちに来るのが見えた。
「こんなところでなにやってんだ?」
「なにも」
「おまえ、変だぞ」
「……そ、そうですか? 別に普通ですけど」
だけど「言えよ」と無言のプレッシャーがのしかかってくる。穴があくほど見つめられ、事情を話さなきゃならない雰囲気になってしまった。
仕方なくさっきのことを話した。
「ストーカーか?」
そう言ったきり渋谷店長が考え込んだ。かと思ったら裏口のドアを開けた。わたしもドアの隙間から覗いてみる。
本当はこの目で確認するのは嫌だったけれど、さっきの男性がまだそこにいるほうが怖い。
「まだいますか?」
「ここからだと暗くて見えないな。でもいなさそうだな」
「よかったあ」
心から安堵し、思わず声に出た。だけどドアを閉めた渋谷店長は苦い顔のままだった。
「今日は勤務が終わったら俺が車で送る。だけど明日からしばらく週末のディナータイムのシフトからはずれろ」
「それって平日のランチタイムだけってことですか?」
いきなり言われて混乱する。週末のシフトからはずれてしまうと支障があるんじゃないだろうか。
「大丈夫ですよ。家まで近いですし、これまで通りのシフトでかまいません」
「俺がだめだと言ったらだめなんだ」
「でもそれだと人手が足りなくなってしまいます」
「それは俺がなんとかする。俺だって毎回家まで送ってやれるとは限らないから、逆にそのほうがいいんだ。だけど昼間も注意するんだぞ。ひと気のない場所には絶対に行くな」
さすがに少しおおげさじゃないだろうか。しばらくとはいつまでだろう。今月だけならいいんだけど。夏休みが終わったら、ランチタイムのシフトで働くのは無理だもんなあ。
だけど、ここまで強く言われると従わないわけにいかない。結局、週末のシフトは休むことにした。
その後、仕事に戻ったが、この日はなにごともなく過ぎていった。バイトを終えると渋谷店長が車で自宅に送ってくれて、無事に帰宅することもできた。
誰!?
外灯の薄明かりのなかに人影がぼんやりと見えた。目を凝らすがよく見えない。来店客かなと思ったが、どうも様子がおかしい。その人物がだんだんとこちらに近づいてくるのが見えた。
なにか用があるんだろうか。クレームかなにか? だけどどうしよう。勝手に身体が震えてきて動けない。
「あの……」
男性の声が聞こえたと思ったら、声の主が姿を現した。
細い小さな目でじっとわたしを見つめるが、その声色は意外に弱々しく、遠慮がちだった。
「な、なんでしょうか?」
なんとか声をふり絞った。
「すみません。驚かせちゃって。実はずっと待っていたんです」
「わたしを?」
見覚えのない男性だ。二十代前半ぐらいだろうか。カジュアルな服装はどちらかというと地味。暗い色の無地の半袖シャツにジーンズ姿。ショルダーバッグを斜めがけし、身体からは煙草と体臭がまざったようなにおいがした。
「僕のこと、覚えてないですか? ついさっきまで店にいたんですけど」
「すみません。ちょっと記憶になくて……」
一歩だけ近づかれて、背筋に寒気が走る。
「そうですか。でも無理もないですね。今日は友達も大勢一緒だったので」
「もしかして大学生くらいの団体のお客様ですか?」
「ええ、そうです。でも今日以外にも何度か数人の友達とは来ていたんですが……。やっぱり覚えていないか」
「ごめんなさい。お客様の顔はなるべく覚えるようにはしているんですが、そういうの苦手で……」
「いいえ、いいんです。僕のほうこそ、図々しいことを言ってすみません」
男性は礼儀正しく言うと、ぎこちなく笑みを浮かべた。なんだか不気味だ。その上、夜遅くにこんなひと気のない場所で急に話しかけてくるので、おのずと警戒心が働く。さて、この状況をどうやってやりすごそう。頭になかはそのことだった。
「ごめんなさい。仕事に戻らないといけないので失礼します」
「待ってください! 怖がらないでください。連絡先を教えてもらえればすぐに帰りますから」
男性はジーンズのポケットから財布を出した。そして「怪しい者ではないんです」とカードサイズのものを差し出してくるので、よく見るとそれは学生証。都内の有名私立大学のものだった。
一見、どこにでもいる普通の青年。だけどやっていることはかなりやばい。わたしは本能的に危険を察知していた。
「連絡先は教えられません。規則で教えてはいけないことになっているんです」
つけ入られないよう、怯まず、きっぱりと言った。
「……そうですか。困らせてすみません」
男性は申し訳なさそうに眉尻をさげる。怯えた小動物みたいに縮こまっていた。
「悪く思わないでください。別にあなたがどうこうということではありませんから」
「わかってます」
「気持ちはありがたいんですけど」
わたしはうまく振る舞えているのだろうか。すぐにでも立ち去りたい気持ちを必死に隠し、作り笑いをする。すると男性はあきらめがついたのか、とぼとぼと帰っていく。
わたしはこの場にいたくなくて、すぐさまドアを閉めた。
怖かったあ。なんなの、あの人?
待ち伏せなんて初めてだったから、いまも心臓がバクバクしている。ドアの内側で痛いほどの鼓動をなんとか落ち着かせようと息を整えていた。
数分後、やっとドアの前から離れられたとき、向こうの通路から渋谷店長がこっちに来るのが見えた。
「こんなところでなにやってんだ?」
「なにも」
「おまえ、変だぞ」
「……そ、そうですか? 別に普通ですけど」
だけど「言えよ」と無言のプレッシャーがのしかかってくる。穴があくほど見つめられ、事情を話さなきゃならない雰囲気になってしまった。
仕方なくさっきのことを話した。
「ストーカーか?」
そう言ったきり渋谷店長が考え込んだ。かと思ったら裏口のドアを開けた。わたしもドアの隙間から覗いてみる。
本当はこの目で確認するのは嫌だったけれど、さっきの男性がまだそこにいるほうが怖い。
「まだいますか?」
「ここからだと暗くて見えないな。でもいなさそうだな」
「よかったあ」
心から安堵し、思わず声に出た。だけどドアを閉めた渋谷店長は苦い顔のままだった。
「今日は勤務が終わったら俺が車で送る。だけど明日からしばらく週末のディナータイムのシフトからはずれろ」
「それって平日のランチタイムだけってことですか?」
いきなり言われて混乱する。週末のシフトからはずれてしまうと支障があるんじゃないだろうか。
「大丈夫ですよ。家まで近いですし、これまで通りのシフトでかまいません」
「俺がだめだと言ったらだめなんだ」
「でもそれだと人手が足りなくなってしまいます」
「それは俺がなんとかする。俺だって毎回家まで送ってやれるとは限らないから、逆にそのほうがいいんだ。だけど昼間も注意するんだぞ。ひと気のない場所には絶対に行くな」
さすがに少しおおげさじゃないだろうか。しばらくとはいつまでだろう。今月だけならいいんだけど。夏休みが終わったら、ランチタイムのシフトで働くのは無理だもんなあ。
だけど、ここまで強く言われると従わないわけにいかない。結局、週末のシフトは休むことにした。
その後、仕事に戻ったが、この日はなにごともなく過ぎていった。バイトを終えると渋谷店長が車で自宅に送ってくれて、無事に帰宅することもできた。
0
お気に入りに追加
65
あなたにおすすめの小説


白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
【完結】この胸が痛むのは
Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」
彼がそう言ったので。
私は縁組をお受けすることにしました。
そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。
亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。
殿下と出会ったのは私が先でしたのに。
幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです……
姉が亡くなって7年。
政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが
『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。
亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……
*****
サイドストーリー
『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。
こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。
読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです
* 他サイトで公開しています。
どうぞよろしくお願い致します。

五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【完結】お姉様の婚約者
七瀬菜々
恋愛
姉が失踪した。それは結婚式当日の朝のことだった。
残された私は家族のため、ひいては祖国のため、姉の婚約者と結婚した。
サイズの合わない純白のドレスを身に纏い、すまないと啜り泣く父に手を引かれ、困惑と同情と侮蔑の視線が交差するバージンロードを歩き、彼の手を取る。
誰が見ても哀れで、惨めで、不幸な結婚。
けれど私の心は晴れやかだった。
だって、ずっと片思いを続けていた人の隣に立てるのだから。
ーーーーーそう、だから私は、誰がなんと言おうと、シアワセだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる