恋い焦がれて

さとう涼

文字の大きさ
上 下
22 / 53
4.交錯する恋のベクトル

021

しおりを挟む
 四日後の土曜日。わたしはバイトに来ていた。
 昨日とおとといもバイトだった。渋谷店長に会った翌日の水曜日の夜に電話がきて、平日のシフトは火・水・木の週三回、午前十時から午後三時までと決まった。それに加えて金・土の夜もある。だいぶ忙しくなったけれど、それくらいがちょうどいい。家にいてもやることがないし、出かけるにもお金がいる。どうせ夏休みの間だけなので余裕でこなせるだろう。

 だけど、解決できない大問題があった。
 もう店には来てくれないかと思っていたのに、どういうつもりなのか、佐野先生がふらっとファミレスにやって来たのだ。いつものカウンター席に座り、普段通りに料理を注文し完食すると、今日は珍しく追加でアイスカフェラテを頼んできた。
 佐野先生とカザネさんが鉢合わせしたらどうしよう。わたしの頭のなかはそのことでいっぱい。ナリたちは毎週店に来るわけでないし、カザネさんも毎回一緒というわけでもない。でも不安はつきまとう。とりあえず、わたしにいまできることは、できるだけ早急に佐野先生に帰ってもらうことだ。

「でもどうやって追い出そう?」
「誰を追い出すって?」

 アイスカフェラテを運ぼうとトレンチに載せたところだった。渋谷店長は毎回のように気配を消して、どこからともなく現れるので非常に困る。

「いいえ、なんでもないです。こっちのことですのでお気になさらず」
「ならよかった。お客様を追い出すとか、あり得ないからな」
「ええ、ですよね」

 わたしはこれ以上怪しまれないよう、なるべく平然と答えるとホールに向かった。
 ただいまの時刻は午後十一時十分。幸いナリたちはまだ来ていない。やっぱり今日は来ないのかもしれない。

「お待たせしました。アイスカフェラテです」
「ありがとう」

 グラスをテーブルに置くと、佐野先生が律儀にお礼を言いながらグラスを手に取って口をつけた。おいしそうに飲んでくれて、なんだかほっとした。

「大丈夫か?」
「えっ?」
「あっ、いや。もとはといえば俺のせいなんだけど。心配してくれたんだよな?」

 この間のことか。

「ええ、まあ。でも泣いちゃってすみませんでした。あのときのわたし、情緒不安定で……」
「なにはともあれ、元気そうで安心した。……なんて人のいいフリをしてるけど。俺のために泣いてくれる子がいるんだって思ったら、うれしかった。こんなふうに思うのはやっぱり不謹慎かな」

 わたしは胸がいっぱいになって言葉にならない。
 不謹慎なんかじゃないよ。なにをどうすればいいのかわからなくて歯がゆかった。だから佐野先生の役に立てたのなら、むしろ光栄だよ。佐野先生には元気でいてもらいたい。悲しい思いをしてほしくない。

 少しすると、アイスカフェラテを飲み終えた佐野先生が伝票を持って席を立った。レジにはちょうど由紀乃がいて二組のお客が並んでいた。佐野先生は最後尾に並ぶと、わたしに向かってにっこりと笑いかけてくれた。
 そうだ、今度から土曜日に入っているシフトを別の日や時間帯に変えてもらおう。佐野先生にもそのことを伝えれば、この時間に佐野先生が食事に来ることはなくなるかもしれない。メジャーデビューを控えているナリたちも、そのうちこのファミレスに顔を出すこともなくなるだろうし、ますますカザネさんと鉢合わせする確率は低くなるはずだ。
 だけど世の中、そうそううまくはいかないもので……。

「嘘……」

 店のドアが開くと、店内が一気に活気づいた。いつものようにナリたちがやって来たのだ。
 なんてタイミングが悪いんだろう。さらに間が悪いことに、ナリの隣にカザネさんもいた。
 彼らは店内にいる人たちの注目を浴びながら、わたしのことを見つけると、「ここ、いい?」といつもの席を指さした。わたしは「どうぞ」という意味で頷くので精いっぱい。だって佐野先生の視線がナリたちに向けられていたから。

 とうとう佐野先生が知ることとなってしまった。ナリとカザネさんは今日も仲睦まじい。まるで恋人同士だ。
 わたしはただぼう然と佐野先生を見ていることしかできなかった。
 そんなわたしに声をかけて正気を取り戻させてくれたのは渋谷店長だった。

「輝」

 周囲に配慮して抑えめのトーン。だけどとても身が引きしまる声だった。

「すみません」

 わたしは急いでナリたちのテーブルにお冷を出しにいく。

「今日は最後のライブだったんだよ」

 シグレさんはそう言うと、よほど喉が渇いていたらしく、お冷を一気にグラスの半分ほどを飲んだ。
 最後のライブと聞いて、本来なら感慨深くなるところ。だけど、いまのわたしはこの最悪なタイミングを恨みさえしている。あと数分だけ時間がずれていたらどんなによかっただろう。

「輝ちゃん?」
「あっ、すみません!」

 いけない。シグレさんはなにも悪くないのに、いまのわたしはたぶん怖い顔をしていたと思う。反省すると同時に瞬時に笑顔を作って、仕事に集中した。

「メジャーデビューはおめでたいことですが、いざ最後のライブとなるとさみしいですね」
「そうなんだよ。なんかしんみりしちゃってさ。だから気分をあげるために、今日はメニューを変えるよ。まずは生ビールを七人分。料理は……」

 シグレさんがメンバーに料理のリクエストを聞くと、メンバーからは「適当でいいよ」とか「まかせるよ」という返事。シグレさんはパラパラとメニューをめくると、テキパキと注文していった。

「ピザとシーザーサラダ。それから枝豆とから揚げと春巻き。全部三人前ずつね。あとで追加するかもだけど、とりあえずそれで」

 わたしはハンディに注文されたものを打ち込んだあと復唱する。だけど生ビールが七人分なのに、実際の人数はふたり足りない。メンバー四人とカザネさんの計五名しかいないのだ。
 七人分で合っているのかな? 念のため確認してみる。

「サイジさんはいらっしゃらないんですか?」
「すぐ来るはず。サイジのほかにもうひとりいるんだけど、その子と一緒に来るんだ」

 シグレさんが意味深に笑った。
 一方、わたしはナリとカザネさんに激しい嫌悪感を覚えていた。カザネさんは佐野先生の存在に気づいていない。幸せそうな顔であたり前のようにナリの隣にいるけれど、わたしは祝福なんてできない。
 レジのほうを見ると、会計を終えた佐野先生がわたしを見ていた。なにか言いたげな目をしていたのでそばに行くと、佐野先生は目を細めた。
 嘘? なんでそんなやさしい顔をするの?

「今日はありがとな。ごちそうさま」
「……い、いいえ。こちらこそ……いつもありがとうございます」

 わたしがこんなに混乱しているのに、いつもと変わらない佐野先生が不思議でたまらない。おかしいな。あんなに凝視していたのだからカザネさんに気づかないはずはないのに。

「それにしても向こうのテーブルはずいぶんと賑やかだな」
「は?」

 やっぱりおかしい。どうしてそんなに普通なの? まさかがんばって強がっているの? それとも実はひどい近眼で見えていないの? わたしの頭のなかはハテナマークのオンパレード。
 でもここまで無反応ということは、もしかするとわたしの勘違いなのかもしれない。カザネさんは佐野先生の彼女ではないのかも。それなら納得がいく。

「どうした?」
「いいえ、なんでもないです。あちらのお客様は常連さんなんです」
「楽器を持っているからバンドマンかな。そういえばこの近くにライブハウスがあるんだよな」
「……はい」

 カザネさんのことは勘違いだったようだけど、嫌なことを思い出させてしまった。佐野先生のテンションが明らかにさがっている。

「それじゃあ、もう行くよ」
「はい、お気をつけて」

 佐野先生が出入口に向かっていく。大きな背中になのに頼りなさげで、思わず手を伸ばしそうになった。
 そのとき、佐野先生の足がなぜか止まった。

「実紅《みく》!」
「奏大……」

 実紅さんと呼ばれた女性は佐野先生の下の名前を呼び捨てにしていた。
 ふんわりミディアムボブの実紅さんはおしとやかで控えめな印象。小柄で身体の線も細くて、守ってあげたくなるような女性だった。
 言葉なく見つめ合うふたり。わたしの心臓は激しい鼓動を打ちつける。わたしにはふたりはただならぬ関係に思えた。
 実紅さんのそばにはベースを担いだサイジさんがいた。サイジさんの表情は強張っている。だけど佐野先生を見据える瞳の奥には強い意志があらわれていた。

「あっ……」

 このとき、とんでもない思い違いをしていたと気づいた。ナリはボーカル。佐野先生が見かけたバンドマンは楽器を担いでいたのに、なんでナリと決めつけてしまったのだろう。きっとサイジさんだったんだ。そして実紅さんこそ佐野先生の彼女なんだ。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

I Still Love You

美希みなみ
恋愛
※2020/09/09 登場した日葵の弟の誠真のお話アップしました。 「副社長には内緒」の莉乃と香織の子供たちのお話です。長谷川日葵と清水壮一は生まれたときから一緒。当たり前のように大切な存在として大きくなるが、お互いが高校生になったころから、二人の関係は複雑に。決められたから一緒にいるのか?そんな疑問を持ち始めた壮一は、日葵にはなにも告げずにアメリカへと留学をする。何も言わずにいなくなった壮一に、日葵は傷つく。そして7年後。大人になった2人は同じ会社で再会するが……。 ずっと一緒だったからこそ、迷い、悩み、自分の気持ちを見失っていく二人。 「副社長には内緒」を読んで頂かなくても、まったく問題はありませんが読んで頂いた後の方が、より楽しんで頂けるかもしれません。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

先生と私。

狭山雪菜
恋愛
茂木結菜(もぎ ゆいな)は、高校3年生。1年の時から化学の教師林田信太郎(はやしだ しんたろう)に恋をしている。なんとか彼に自分を見てもらおうと、学級委員になったり、苦手な化学の授業を選択していた。 3年生になった時に、彼が担任の先生になった事で嬉しくて、勢い余って告白したのだが… 全編甘々を予定しております。 この作品は、「小説家になろう」にも掲載しております。

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

処理中です...