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3.不謹慎なデート
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「いやいや、元教え子に相談とか、ほんとありえないって」
「どうしてですか? 教師だって人間です。元教え子だからとか、そんなの関係ないです」
「教師だって人間……。そのフレーズ、どっかで聞いたな」
「あたり前です。前にも言いましたから。わたしに相談することに抵抗を感じる気持ちもわかります。でもほっとけないんです。悩んでいる佐野先生を見ているのがつらいんです」
どんなに望んでもわたしじゃだめだから。だけどせめて力になりたい。そのあと、ちゃんとあきらめる。だからもう少しだけ、そばにいさせて。
「そんなふうに思わせてるってことは、輝には格好悪いところばかり見せていたんだな。自覚がなかったわけじゃなかったけど、さすがにここまでだとごまかしようがないな。でもなんでだろう。輝の前だと本音が言えるんだ」
すっかりあきらめたように言う。もうほとんど開き直っているようだった。
ようやく観念した佐野先生がぽつりぽつりと話しはじめた。
「実は……彼女にちょっと怪しいところがあって……。ほかの男と何度も会っているみたいなんだ」
「浮気ですか?」
思っていたよりも深刻な言葉に強烈な怒りがわき起こる。許せないと思った。裏切りを犯す彼女も、そんな彼女に傷ついている佐野先生も。
「最近、仕事が忙しいとか体調が悪いと言って、俺を避けているようにも思える。電話をしてもよそよそしい感じがするんだ」
「サイテー。そんな人、やめちゃえばいいのに」
「勘違いかもしれないだろう」
「でも男の人と会ってるですよね? 一緒のところを見たんですか?」
「一度だけな。だからって、そう簡単に結論を出せないものなんだよ。実際、俺だって輝と一緒にいるだろう。でも俺たちはそんな関係じゃない」
「それはそうですけど……」
そんなはっきりわたしを否定することを言わなくてもいいじゃない。
「佐野先生がそうやって見過ごそうとしているから、彼女もつけあがるんじゃないんですか? だからなにかと理由をつけて避けているんですよ。佐野先生、騙されちゃだめです! 彼女、間違いなく浮気してます!」
こんなのってない! わたしは会いたくてたまらないのに、彼女は佐野先生を避けてほかの男の人と会っているなんて許せないよ!
「輝になにがわかるんだよ!? 彼女のことをよく知らないくせに!」
佐野先生の表情が険しくなる。彼女を好きだからこそ、わたしに怒りをぶつけてくる。
これはどういうことなんだろう。わたしは味方のつもりで言ったのだけれど、佐野先生にとってわたしは敵なのだろうか。たぶん、敵なんだろうな。
でも自業自得だ。勝手に好きになって、美術館に誘って、それ以上は望まないと誓っていたのに。
期待していないなんて真っ赤な嘘。本当は欲望の塊。わたしは佐野先生の隙を狙っていて、無理やり彼女を悪者に仕立てあげようとしている。佐野先生はわたしのそんな強引な考えにあきれているんだ。
そりゃそうだ。わたしは佐野先生の彼女のことをなにも知らないんだから。
「ごめんなさい。佐野先生の言う通りです。なにも知らないわたしが言うことじゃないですよね」
「いや、こっちこそごめん。でも誤解しないでほしい。いまのは輝に怒ったんじゃなくて、なにもできない自分自身に苛立っていたんだ」
そう言って、佐野先生は自嘲した。
でも違うよね、佐野先生。好きな人をけなされたから怒ったんだよね?
あの怒りはわたしに対するものだった。わたしより、裏切っているかもしれない彼女のほうが大切なんだ。
「男友達がたくさんいる人なんですか?」
「どうなんだろうなあ。だけど彼女の男友達には会ったこともないし、話に出たこともないよ。唯一話題に出たのは前につき合っていた人なんだけど……。でももしかすると彼女が会っているのはそいつかもしれない」
「元彼!? でもなんでそう思うんですか?」
「バンドを組んでいると前に聞いたことがある。彼女と一緒にいた男は楽器を担いでいたから」
「そういえば、そもそもどこで見かけたんですか?」
「彼女がひとり暮らしをしているマンションだよ。仕事帰りにそのまま彼女の家に行ったら、エントランスから男と出かけるところだった。情けないことに、俺はとっさに隠れて、なにも言えずに家に逃げ帰った」
決定的な場面だ。しかも元彼。これが本当なら手強そう。
「バンドマンかあ。教師のほうが安定しているのに」
「でも一般的に格好いいだろう? それに比べて教師は堅苦しくてつまんないイメージなのかもな。俺自身もきっとそう映るのかもしれない」
投げやりな感じが悲しかった。わたしは、教師は素晴らしい職業だと思っている。人になにかを教え、育てることは、考えただけでも大変に思える。わたしには選べない職業だ。
でもさっきの言葉のなかに、佐野先生の内に秘めたコンプレックスを垣間見た気がした。
つまんなくないよ。わたしは佐野先生のまっすぐで情熱的なところが大好き。尊敬できる立派な先生だよ。
だけど、口に出すことができなかった。佐野先生はきっとわたしに否定してもらいたいとか、なぐさめてもらいたいわけじゃなくて、彼女に認められたいだけなんだ。
「ほかの男の人と一緒にいたことはすぐにでも本人に確認すべきです。確かめることは勇気がいりますけど、佐野先生が思うように誤解かもしれないですし、蓋を開ければ案外くだらないことなのかもしれませんよ。好きだからこそ、悪いほうへ考えがちになることもありますから」
わたしは慎重に言葉を選んだ。
「たしかにそうだな。ひとりで考え込んでいると変なことばかり想像して身体に悪いな。輝に話してみてよかった。だいぶ前向きになれた。近いうちに事情を聞いてみるよ」
佐野先生は穏やかに言った。少しは力になれたのだろうか。わたしの言葉でも佐野先生の役に立てたのなら、今日一緒に過ごした意義があるような気がする。
それから、どろどろにとけたアイスをふたりで慌てて食べた。それがおかしくてふたりで笑った。
「俺たち、なにやってんだろうな?」
「せっかくのアイスなのにもったいないですね」
車内は甘ったるいバニラの香りに包まれていた。
彼女の浮気疑惑の真相はわからない。でもわたしは佐野先生に笑っていてほしいから、ネガティブなことは言わないようにしたい。ひとまず、そうすることにした。
「そろそろ行くか。次は昼飯食いにいくぞ」
「でもデザートが先になっちゃいましたね」
「もう一度食べればいいだろう。デザートも好きなだけ頼めよ」
「やった!」
ウェットティッシュで手を拭いて、シートベルトを締める。エンジンをかけると、佐野先生が「飯のあとはこの辺を少しドライブしよう」と提案してきたので賛成した。
車を走らせていると、雨がだんだんと小降りになってきた。おそらくもうすぐ雨は止むだろう。
山をくだる途中で遠くに見えた虹に、わたしは思いきりはしゃいだ。スマホのカメラで撮った虹の片隅にこっそり佐野先生も写し込んだことは、わたしだけの秘密だ。
「どうしてですか? 教師だって人間です。元教え子だからとか、そんなの関係ないです」
「教師だって人間……。そのフレーズ、どっかで聞いたな」
「あたり前です。前にも言いましたから。わたしに相談することに抵抗を感じる気持ちもわかります。でもほっとけないんです。悩んでいる佐野先生を見ているのがつらいんです」
どんなに望んでもわたしじゃだめだから。だけどせめて力になりたい。そのあと、ちゃんとあきらめる。だからもう少しだけ、そばにいさせて。
「そんなふうに思わせてるってことは、輝には格好悪いところばかり見せていたんだな。自覚がなかったわけじゃなかったけど、さすがにここまでだとごまかしようがないな。でもなんでだろう。輝の前だと本音が言えるんだ」
すっかりあきらめたように言う。もうほとんど開き直っているようだった。
ようやく観念した佐野先生がぽつりぽつりと話しはじめた。
「実は……彼女にちょっと怪しいところがあって……。ほかの男と何度も会っているみたいなんだ」
「浮気ですか?」
思っていたよりも深刻な言葉に強烈な怒りがわき起こる。許せないと思った。裏切りを犯す彼女も、そんな彼女に傷ついている佐野先生も。
「最近、仕事が忙しいとか体調が悪いと言って、俺を避けているようにも思える。電話をしてもよそよそしい感じがするんだ」
「サイテー。そんな人、やめちゃえばいいのに」
「勘違いかもしれないだろう」
「でも男の人と会ってるですよね? 一緒のところを見たんですか?」
「一度だけな。だからって、そう簡単に結論を出せないものなんだよ。実際、俺だって輝と一緒にいるだろう。でも俺たちはそんな関係じゃない」
「それはそうですけど……」
そんなはっきりわたしを否定することを言わなくてもいいじゃない。
「佐野先生がそうやって見過ごそうとしているから、彼女もつけあがるんじゃないんですか? だからなにかと理由をつけて避けているんですよ。佐野先生、騙されちゃだめです! 彼女、間違いなく浮気してます!」
こんなのってない! わたしは会いたくてたまらないのに、彼女は佐野先生を避けてほかの男の人と会っているなんて許せないよ!
「輝になにがわかるんだよ!? 彼女のことをよく知らないくせに!」
佐野先生の表情が険しくなる。彼女を好きだからこそ、わたしに怒りをぶつけてくる。
これはどういうことなんだろう。わたしは味方のつもりで言ったのだけれど、佐野先生にとってわたしは敵なのだろうか。たぶん、敵なんだろうな。
でも自業自得だ。勝手に好きになって、美術館に誘って、それ以上は望まないと誓っていたのに。
期待していないなんて真っ赤な嘘。本当は欲望の塊。わたしは佐野先生の隙を狙っていて、無理やり彼女を悪者に仕立てあげようとしている。佐野先生はわたしのそんな強引な考えにあきれているんだ。
そりゃそうだ。わたしは佐野先生の彼女のことをなにも知らないんだから。
「ごめんなさい。佐野先生の言う通りです。なにも知らないわたしが言うことじゃないですよね」
「いや、こっちこそごめん。でも誤解しないでほしい。いまのは輝に怒ったんじゃなくて、なにもできない自分自身に苛立っていたんだ」
そう言って、佐野先生は自嘲した。
でも違うよね、佐野先生。好きな人をけなされたから怒ったんだよね?
あの怒りはわたしに対するものだった。わたしより、裏切っているかもしれない彼女のほうが大切なんだ。
「男友達がたくさんいる人なんですか?」
「どうなんだろうなあ。だけど彼女の男友達には会ったこともないし、話に出たこともないよ。唯一話題に出たのは前につき合っていた人なんだけど……。でももしかすると彼女が会っているのはそいつかもしれない」
「元彼!? でもなんでそう思うんですか?」
「バンドを組んでいると前に聞いたことがある。彼女と一緒にいた男は楽器を担いでいたから」
「そういえば、そもそもどこで見かけたんですか?」
「彼女がひとり暮らしをしているマンションだよ。仕事帰りにそのまま彼女の家に行ったら、エントランスから男と出かけるところだった。情けないことに、俺はとっさに隠れて、なにも言えずに家に逃げ帰った」
決定的な場面だ。しかも元彼。これが本当なら手強そう。
「バンドマンかあ。教師のほうが安定しているのに」
「でも一般的に格好いいだろう? それに比べて教師は堅苦しくてつまんないイメージなのかもな。俺自身もきっとそう映るのかもしれない」
投げやりな感じが悲しかった。わたしは、教師は素晴らしい職業だと思っている。人になにかを教え、育てることは、考えただけでも大変に思える。わたしには選べない職業だ。
でもさっきの言葉のなかに、佐野先生の内に秘めたコンプレックスを垣間見た気がした。
つまんなくないよ。わたしは佐野先生のまっすぐで情熱的なところが大好き。尊敬できる立派な先生だよ。
だけど、口に出すことができなかった。佐野先生はきっとわたしに否定してもらいたいとか、なぐさめてもらいたいわけじゃなくて、彼女に認められたいだけなんだ。
「ほかの男の人と一緒にいたことはすぐにでも本人に確認すべきです。確かめることは勇気がいりますけど、佐野先生が思うように誤解かもしれないですし、蓋を開ければ案外くだらないことなのかもしれませんよ。好きだからこそ、悪いほうへ考えがちになることもありますから」
わたしは慎重に言葉を選んだ。
「たしかにそうだな。ひとりで考え込んでいると変なことばかり想像して身体に悪いな。輝に話してみてよかった。だいぶ前向きになれた。近いうちに事情を聞いてみるよ」
佐野先生は穏やかに言った。少しは力になれたのだろうか。わたしの言葉でも佐野先生の役に立てたのなら、今日一緒に過ごした意義があるような気がする。
それから、どろどろにとけたアイスをふたりで慌てて食べた。それがおかしくてふたりで笑った。
「俺たち、なにやってんだろうな?」
「せっかくのアイスなのにもったいないですね」
車内は甘ったるいバニラの香りに包まれていた。
彼女の浮気疑惑の真相はわからない。でもわたしは佐野先生に笑っていてほしいから、ネガティブなことは言わないようにしたい。ひとまず、そうすることにした。
「そろそろ行くか。次は昼飯食いにいくぞ」
「でもデザートが先になっちゃいましたね」
「もう一度食べればいいだろう。デザートも好きなだけ頼めよ」
「やった!」
ウェットティッシュで手を拭いて、シートベルトを締める。エンジンをかけると、佐野先生が「飯のあとはこの辺を少しドライブしよう」と提案してきたので賛成した。
車を走らせていると、雨がだんだんと小降りになってきた。おそらくもうすぐ雨は止むだろう。
山をくだる途中で遠くに見えた虹に、わたしは思いきりはしゃいだ。スマホのカメラで撮った虹の片隅にこっそり佐野先生も写し込んだことは、わたしだけの秘密だ。
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