16 / 53
3.不謹慎なデート
015
しおりを挟む
突然、大粒の雨が落ちてきた。だけど空は明るい。天気雨のようだった。
「すぐに止むとは思うけど、けっこうひどい雨だな」
佐野先生も空を見あげていた。
天気雨なんて久しぶりだ。子どもの頃に何度か遭遇した覚えがあるけれど、最近は空なんて見る機会もなかったから余計に珍しいと思ったのかもしれない。
そんなことを考えていたら、佐野先生がわたしの背中を軽く押した。
「うわぁっ!」
思わず前のめりになる。
「車まで走るぞ」
でも手にはアイスがあり、走ろうにも走りづらい。結局、よたよたとしか走ることができず、車に着く頃には服も髪もびしょ濡れになっていた。
「まさか雨に濡れるとは」
車に乗り込んで、もう一度空を恨めしく見あげた。
車のフロントガラスや天井に、雨が音を立て打ちつけている。天気雨なのに、怖いくらいの激しさだった。
「山の上だから天気が変わりやすいのかもな。寒くないか?」
「少し」
七月ではあるが、ここは街中より標高が高い分、気温が低い。そこに雨が降り、おまけにアイスも食べていたのですっかり身体が冷えてしまった。
すると佐野先生が自分の食べかけのアイスをわたしに持たせると、自分は運転席のシートを倒し、後部座席に手を伸ばした。
「たしか、積んでいたはずなんだけど……」
「なにをさがしているんですか?」
後部座席をあさっている佐野先生に尋ねるが、わたしの質問はスルーされ、代わりに「あった!」とうれしそうな声があがった。かと思ったら、わたしの頭にふわりとなにかが被さる。
「風邪ひくと大変だから」
これ、バスタオルだ。
大きな手でわたしの頭をごしごしと拭いてくれる。
「そんなに拭かなくても大丈夫ですよ。すぐ乾きますから」
「だめだ。ほら、服も拭かないと」
そう言いながら今度は肩のあたりを拭いてくれた。冷えた身体がその部分からじわじわと熱を持っていく。やがてその熱は人の温もりのように、やさしくわたしを包み込んでくれた。
「先生も濡れてる」
佐野先生の髪から数滴の水が滴り落ちた。
「俺はいいんだよ」
目の前から香る佐野先生の匂いがどうしようもなくわたしを誘う。だけど甘くない男の人の匂いは、わたしじゃない別の人がいつも嗅いでいる匂い。そう思ったら、手の届かないもどかしさがわたしを苛立たせ、どうしようもなく泣きたい気分だった。
これ以上は無理だ。体温を感じるくらいの近い距離はいまのわたしには拷問みたいなものだ。
「これ、とけちゃいますよ」
わたしは佐野先生の分のアイスを差し出した。車内の温度ですでにとけたクリームが指のほうまで垂れていた。
「悪い、汚れちゃったな」
「大丈夫です。ウエットティッシュ、持ってますから」
だけどわたしは指についた抹茶味のアイスを舐めあげた。小さくチュッとリップ音が鳴る。
「苦い」
「え?」
「やっぱり苦いです、抹茶味」
「輝?」
佐野先生はわたしがぼそぼそとひとりごとのように言うものだから戸惑っている。
いまのわたしはどうかしているのかもしれない。佐野先生の存在を近くに感じれば感じるほどもっとほしくなってしまう。彼女がうらやましくて、悔しくて、理性を失いそうだった。
「プロポーズはしたんですか?」
「急に話題を変えるなよ」
「彼女とうまくいってます?」
わたしったらなにを言っているんだろう。こんなことを聞いてどうするの?
でも知りたい。佐野先生を悲しませているのがなんなのかを。
佐野先生は答えをさがしているみたいに、じっと窓の外を眺めていた。そして、怖いくらいに冷静に言った。
「輝には関係ないだろう」
佐野先生は一瞬にして、固い殻で身体を覆い、わたしを拒絶した。踏み込めないこの関係にさみしさを覚える。
だけど、あきらめたくない。わたしには心を開放してほしい。
「佐野先生がずっと元気がなかったのは、彼女とのことが理由なんでしょう?」
佐野先生が落ち込んでいた理由はなんとなくわかっていた。わたしの誘いを断らなかったのも、ふたりの関係に不満があって、その腹いせもあるのかもしれないと思った。本人は無意識なんだろうけど。
でも無意識だからたちが悪い。彼女と一緒に食べたアイスをわたしにすすめてきてしまうのだから。
「輝ってけっこう鋭いんだな」
「よかったら相談にのりましょうか?」
本当はこんなことを言いたくなかった。でもどうしようもなかった。佐野先生が本当に彼女のことを好きだと知っているからほかに言葉が思いつかなかった。
「すぐに止むとは思うけど、けっこうひどい雨だな」
佐野先生も空を見あげていた。
天気雨なんて久しぶりだ。子どもの頃に何度か遭遇した覚えがあるけれど、最近は空なんて見る機会もなかったから余計に珍しいと思ったのかもしれない。
そんなことを考えていたら、佐野先生がわたしの背中を軽く押した。
「うわぁっ!」
思わず前のめりになる。
「車まで走るぞ」
でも手にはアイスがあり、走ろうにも走りづらい。結局、よたよたとしか走ることができず、車に着く頃には服も髪もびしょ濡れになっていた。
「まさか雨に濡れるとは」
車に乗り込んで、もう一度空を恨めしく見あげた。
車のフロントガラスや天井に、雨が音を立て打ちつけている。天気雨なのに、怖いくらいの激しさだった。
「山の上だから天気が変わりやすいのかもな。寒くないか?」
「少し」
七月ではあるが、ここは街中より標高が高い分、気温が低い。そこに雨が降り、おまけにアイスも食べていたのですっかり身体が冷えてしまった。
すると佐野先生が自分の食べかけのアイスをわたしに持たせると、自分は運転席のシートを倒し、後部座席に手を伸ばした。
「たしか、積んでいたはずなんだけど……」
「なにをさがしているんですか?」
後部座席をあさっている佐野先生に尋ねるが、わたしの質問はスルーされ、代わりに「あった!」とうれしそうな声があがった。かと思ったら、わたしの頭にふわりとなにかが被さる。
「風邪ひくと大変だから」
これ、バスタオルだ。
大きな手でわたしの頭をごしごしと拭いてくれる。
「そんなに拭かなくても大丈夫ですよ。すぐ乾きますから」
「だめだ。ほら、服も拭かないと」
そう言いながら今度は肩のあたりを拭いてくれた。冷えた身体がその部分からじわじわと熱を持っていく。やがてその熱は人の温もりのように、やさしくわたしを包み込んでくれた。
「先生も濡れてる」
佐野先生の髪から数滴の水が滴り落ちた。
「俺はいいんだよ」
目の前から香る佐野先生の匂いがどうしようもなくわたしを誘う。だけど甘くない男の人の匂いは、わたしじゃない別の人がいつも嗅いでいる匂い。そう思ったら、手の届かないもどかしさがわたしを苛立たせ、どうしようもなく泣きたい気分だった。
これ以上は無理だ。体温を感じるくらいの近い距離はいまのわたしには拷問みたいなものだ。
「これ、とけちゃいますよ」
わたしは佐野先生の分のアイスを差し出した。車内の温度ですでにとけたクリームが指のほうまで垂れていた。
「悪い、汚れちゃったな」
「大丈夫です。ウエットティッシュ、持ってますから」
だけどわたしは指についた抹茶味のアイスを舐めあげた。小さくチュッとリップ音が鳴る。
「苦い」
「え?」
「やっぱり苦いです、抹茶味」
「輝?」
佐野先生はわたしがぼそぼそとひとりごとのように言うものだから戸惑っている。
いまのわたしはどうかしているのかもしれない。佐野先生の存在を近くに感じれば感じるほどもっとほしくなってしまう。彼女がうらやましくて、悔しくて、理性を失いそうだった。
「プロポーズはしたんですか?」
「急に話題を変えるなよ」
「彼女とうまくいってます?」
わたしったらなにを言っているんだろう。こんなことを聞いてどうするの?
でも知りたい。佐野先生を悲しませているのがなんなのかを。
佐野先生は答えをさがしているみたいに、じっと窓の外を眺めていた。そして、怖いくらいに冷静に言った。
「輝には関係ないだろう」
佐野先生は一瞬にして、固い殻で身体を覆い、わたしを拒絶した。踏み込めないこの関係にさみしさを覚える。
だけど、あきらめたくない。わたしには心を開放してほしい。
「佐野先生がずっと元気がなかったのは、彼女とのことが理由なんでしょう?」
佐野先生が落ち込んでいた理由はなんとなくわかっていた。わたしの誘いを断らなかったのも、ふたりの関係に不満があって、その腹いせもあるのかもしれないと思った。本人は無意識なんだろうけど。
でも無意識だからたちが悪い。彼女と一緒に食べたアイスをわたしにすすめてきてしまうのだから。
「輝ってけっこう鋭いんだな」
「よかったら相談にのりましょうか?」
本当はこんなことを言いたくなかった。でもどうしようもなかった。佐野先生が本当に彼女のことを好きだと知っているからほかに言葉が思いつかなかった。
0
お気に入りに追加
65
あなたにおすすめの小説

とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
I Still Love You
美希みなみ
恋愛
※2020/09/09 登場した日葵の弟の誠真のお話アップしました。
「副社長には内緒」の莉乃と香織の子供たちのお話です。長谷川日葵と清水壮一は生まれたときから一緒。当たり前のように大切な存在として大きくなるが、お互いが高校生になったころから、二人の関係は複雑に。決められたから一緒にいるのか?そんな疑問を持ち始めた壮一は、日葵にはなにも告げずにアメリカへと留学をする。何も言わずにいなくなった壮一に、日葵は傷つく。そして7年後。大人になった2人は同じ会社で再会するが……。
ずっと一緒だったからこそ、迷い、悩み、自分の気持ちを見失っていく二人。
「副社長には内緒」を読んで頂かなくても、まったく問題はありませんが読んで頂いた後の方が、より楽しんで頂けるかもしれません。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

先生と私。
狭山雪菜
恋愛
茂木結菜(もぎ ゆいな)は、高校3年生。1年の時から化学の教師林田信太郎(はやしだ しんたろう)に恋をしている。なんとか彼に自分を見てもらおうと、学級委員になったり、苦手な化学の授業を選択していた。
3年生になった時に、彼が担任の先生になった事で嬉しくて、勢い余って告白したのだが…
全編甘々を予定しております。
この作品は、「小説家になろう」にも掲載しております。

白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる