12 / 53
3.不謹慎なデート
011
しおりを挟む
今日は金曜日。いつもより長く感じた五日間だった。
理由はもちろん佐野先生。わたしから会いにいく術がなくて、悶々とした日々だった。
わたしは今日に賭けていた。なぜならサイジさんにもらった美術館の無料招待券の期限があさっての日曜日までだったからだ。どうしても佐野先生と一緒に行きたかった。
誘うなんてとんでもないと最初は思っていた。そんな考えを持っている自分を何度も叱咤《しった》した。だけど、どうしても無理だった。自分の欲のほうが勝ってしまい、“最初で最後だから”とか、“気持ちを押しつけることはしないから”と自分に言い訳をして今日に至っている。
午後六時四十五分。
ファミレスの店内はディナータイムに突入し、大変な混雑ぶり。制服に着替え終わり、更衣室を出ると、気持ちがそわそわしてくる。
今週、佐野先生は来てくれるのだろうか。先週、帰り際にかけた言葉が聞こえていたのかわからない。聞こえていたとしても……。
「……来るとは限らないんだよね」
「なに、ぶつくさ言ってんだよ?」
「ギャッ──」
鬼……じゃなかった、渋谷店長が現れた。背後から声をかけられ、驚いて叫び声をあげそうになるが、なんとか途中まででこらえた。
「急に現れないでください」
「俺の店に俺がいてなにが悪いんだよ?」
「そういうことじゃなくてですね、気配を消さないでほしいんです」
「ボーッとしてるのが悪いんだろう。今日はしっかり仕事しろよ」
「わかってます」
考えごとをしているのがバレている。渋谷店長は相変わらず厳しかった。
でも人を指導するためには、自分がお手本にならなくてはならない。渋谷店長は長年ずっとそんな立場だ。激務なのに絶対に疲れを見せない。いつも涼しい顔して完璧な接客をする。気配りもさすがだと思う。だから多少厳しくても嫌いになれない。厳しさも含めて尊敬できる。
「日曜日はごちそうさまでした」
車で自宅まで送ってくれた帰り際にもお礼を言ったが、改めてもう一度言うと、渋谷店長も「どういたしまして」と律儀に返してきた。
「みんなには内緒にしておきますね」
「ほかのやつに言ったって、誰もなんとも思わないよ」
「どうしてですか?」
「俺、ぜんぜんモテないから。まあ、別にモテたくもないけど。本命以外には」
なぜか怖い顔になる。
最近、失恋でもしたんだろうか。だけど、聞くと怒られそうなのでやめておいた。
渋谷店長は、「今日も頼むぞ」と言って、キッチンに入っていった。
ささ、仕事仕事!
わたしも自分に気合を入れ、佐野先生のことも含めて雑念を払いのける。だけどそこへ由紀乃がやって来て、嫌な予感を覚えたら、案の定さぐりを入れてきた。
「渋谷店長になに言われてたの?」
「由紀乃には言ってなかったけど。先週、あのあと渋谷店長に怒られたの。そのことでちょっとね」
「佐野先生だっけ? あれ、見られてたんだ」
「そうなの。怖かったあ」
「そのわりには仲睦まじい感じだったけど」
「どこが!? あの顔、見たでしょう? 今日だって鬼の形相でわたしを睨んでたんだよ」
仲よくしたつもりは一切ない。渋谷店長だってそう。いつも通りの接し方だったと思う。
「まあ、そういうことにしておいてあげる。でも渋谷店長ってよく見るとイケメンだし、仕事できるし、格好いいよね」
「仕事できるのは認めるけど、言うほど格好いいかな?」
「輝は佐野先生一筋だからそう思うだけで、わたしはけっこうタイプだな。大部分の女の子は怖がってるけど、みんな見る目ないなあって思ってる。あっ、でも昼間のシフトに入ってる主婦層には人気があるんだよ。やっぱりわたしとか、経験豊富な人には魅力的に見えるんだよ」
「そ、そうなんだ……」
渋谷店長って、そんなに人気あるのか。昼間に働いている既婚者のパートさんたちとはほとんど交流がないから知らなかった。なんだ、ぜんぜんモテないって言ってたけど、そんなことないじゃん。
それから間もなくのことだった。
「佐野先生、今日は早いんですね」
やったあ! と、飛びあがりそうになる気持ちを隠すのが大変だった。
佐野先生は仕事帰りのまま直接来店したのか、ワイシャツにネクタイ姿だった。
「外部での研修だったんだ」
わたしの表情を読み取ったらしい。佐野先生がネクタイの結び目をきゅっとゆるめた。
「ちょっと苦しくてな」
「普段、ネクタイなんて締めませんもんね」
教室では、夏はたいていTシャツかポロシャツ、冬はジャージだったような気がする。スーツを着るのは授業参観のときぐらいだ。
「格好いいです」
「大人をからかうんじゃない」
本音だったのに、冗談だと思われてしまった。
今のセリフ、けっこう勇気がいったのに。
「今日もカウンター席にしますか? 喫煙席もいまのところは空いてますけど」
いまの時間はディナータイムのピークで家族連れも多く、すでに禁煙席は満席。喫煙席もすぐに埋まってしまうだろう。
「カウンター席でいいよ」
佐野先生がにっこりと答えた。
さっそく席に案内し、テーブルにメニューを置く。カウンター席には先客がひとりいて、二十代くらいの若い男性がスマホを眺めながら、黙々とパスタを食べていた。
「お決まりになりましたら、こちらのボタンを押してください」
「今日は輝のおすすめを頼むよ」
「おすすめ?」
「この間のカレーがおいしかったから、ほかの“おすすめ”を食べてみたいんだ」
うわぁ……。
あまりにもかわいいことを言うので、わたしの心は一瞬で打ち抜かれた。
このファミレスでバイトをしてよかった。渋谷店長は怖いけれど、ここは佐野先生と罪悪感なく会える場所。ニヤニヤが止まらない。わたしはそのセリフだけで、こんなにも胸がいっぱいになって幸せに浸れる。
理由はもちろん佐野先生。わたしから会いにいく術がなくて、悶々とした日々だった。
わたしは今日に賭けていた。なぜならサイジさんにもらった美術館の無料招待券の期限があさっての日曜日までだったからだ。どうしても佐野先生と一緒に行きたかった。
誘うなんてとんでもないと最初は思っていた。そんな考えを持っている自分を何度も叱咤《しった》した。だけど、どうしても無理だった。自分の欲のほうが勝ってしまい、“最初で最後だから”とか、“気持ちを押しつけることはしないから”と自分に言い訳をして今日に至っている。
午後六時四十五分。
ファミレスの店内はディナータイムに突入し、大変な混雑ぶり。制服に着替え終わり、更衣室を出ると、気持ちがそわそわしてくる。
今週、佐野先生は来てくれるのだろうか。先週、帰り際にかけた言葉が聞こえていたのかわからない。聞こえていたとしても……。
「……来るとは限らないんだよね」
「なに、ぶつくさ言ってんだよ?」
「ギャッ──」
鬼……じゃなかった、渋谷店長が現れた。背後から声をかけられ、驚いて叫び声をあげそうになるが、なんとか途中まででこらえた。
「急に現れないでください」
「俺の店に俺がいてなにが悪いんだよ?」
「そういうことじゃなくてですね、気配を消さないでほしいんです」
「ボーッとしてるのが悪いんだろう。今日はしっかり仕事しろよ」
「わかってます」
考えごとをしているのがバレている。渋谷店長は相変わらず厳しかった。
でも人を指導するためには、自分がお手本にならなくてはならない。渋谷店長は長年ずっとそんな立場だ。激務なのに絶対に疲れを見せない。いつも涼しい顔して完璧な接客をする。気配りもさすがだと思う。だから多少厳しくても嫌いになれない。厳しさも含めて尊敬できる。
「日曜日はごちそうさまでした」
車で自宅まで送ってくれた帰り際にもお礼を言ったが、改めてもう一度言うと、渋谷店長も「どういたしまして」と律儀に返してきた。
「みんなには内緒にしておきますね」
「ほかのやつに言ったって、誰もなんとも思わないよ」
「どうしてですか?」
「俺、ぜんぜんモテないから。まあ、別にモテたくもないけど。本命以外には」
なぜか怖い顔になる。
最近、失恋でもしたんだろうか。だけど、聞くと怒られそうなのでやめておいた。
渋谷店長は、「今日も頼むぞ」と言って、キッチンに入っていった。
ささ、仕事仕事!
わたしも自分に気合を入れ、佐野先生のことも含めて雑念を払いのける。だけどそこへ由紀乃がやって来て、嫌な予感を覚えたら、案の定さぐりを入れてきた。
「渋谷店長になに言われてたの?」
「由紀乃には言ってなかったけど。先週、あのあと渋谷店長に怒られたの。そのことでちょっとね」
「佐野先生だっけ? あれ、見られてたんだ」
「そうなの。怖かったあ」
「そのわりには仲睦まじい感じだったけど」
「どこが!? あの顔、見たでしょう? 今日だって鬼の形相でわたしを睨んでたんだよ」
仲よくしたつもりは一切ない。渋谷店長だってそう。いつも通りの接し方だったと思う。
「まあ、そういうことにしておいてあげる。でも渋谷店長ってよく見るとイケメンだし、仕事できるし、格好いいよね」
「仕事できるのは認めるけど、言うほど格好いいかな?」
「輝は佐野先生一筋だからそう思うだけで、わたしはけっこうタイプだな。大部分の女の子は怖がってるけど、みんな見る目ないなあって思ってる。あっ、でも昼間のシフトに入ってる主婦層には人気があるんだよ。やっぱりわたしとか、経験豊富な人には魅力的に見えるんだよ」
「そ、そうなんだ……」
渋谷店長って、そんなに人気あるのか。昼間に働いている既婚者のパートさんたちとはほとんど交流がないから知らなかった。なんだ、ぜんぜんモテないって言ってたけど、そんなことないじゃん。
それから間もなくのことだった。
「佐野先生、今日は早いんですね」
やったあ! と、飛びあがりそうになる気持ちを隠すのが大変だった。
佐野先生は仕事帰りのまま直接来店したのか、ワイシャツにネクタイ姿だった。
「外部での研修だったんだ」
わたしの表情を読み取ったらしい。佐野先生がネクタイの結び目をきゅっとゆるめた。
「ちょっと苦しくてな」
「普段、ネクタイなんて締めませんもんね」
教室では、夏はたいていTシャツかポロシャツ、冬はジャージだったような気がする。スーツを着るのは授業参観のときぐらいだ。
「格好いいです」
「大人をからかうんじゃない」
本音だったのに、冗談だと思われてしまった。
今のセリフ、けっこう勇気がいったのに。
「今日もカウンター席にしますか? 喫煙席もいまのところは空いてますけど」
いまの時間はディナータイムのピークで家族連れも多く、すでに禁煙席は満席。喫煙席もすぐに埋まってしまうだろう。
「カウンター席でいいよ」
佐野先生がにっこりと答えた。
さっそく席に案内し、テーブルにメニューを置く。カウンター席には先客がひとりいて、二十代くらいの若い男性がスマホを眺めながら、黙々とパスタを食べていた。
「お決まりになりましたら、こちらのボタンを押してください」
「今日は輝のおすすめを頼むよ」
「おすすめ?」
「この間のカレーがおいしかったから、ほかの“おすすめ”を食べてみたいんだ」
うわぁ……。
あまりにもかわいいことを言うので、わたしの心は一瞬で打ち抜かれた。
このファミレスでバイトをしてよかった。渋谷店長は怖いけれど、ここは佐野先生と罪悪感なく会える場所。ニヤニヤが止まらない。わたしはそのセリフだけで、こんなにも胸がいっぱいになって幸せに浸れる。
0
お気に入りに追加
65
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
I Still Love You
美希みなみ
恋愛
※2020/09/09 登場した日葵の弟の誠真のお話アップしました。
「副社長には内緒」の莉乃と香織の子供たちのお話です。長谷川日葵と清水壮一は生まれたときから一緒。当たり前のように大切な存在として大きくなるが、お互いが高校生になったころから、二人の関係は複雑に。決められたから一緒にいるのか?そんな疑問を持ち始めた壮一は、日葵にはなにも告げずにアメリカへと留学をする。何も言わずにいなくなった壮一に、日葵は傷つく。そして7年後。大人になった2人は同じ会社で再会するが……。
ずっと一緒だったからこそ、迷い、悩み、自分の気持ちを見失っていく二人。
「副社長には内緒」を読んで頂かなくても、まったく問題はありませんが読んで頂いた後の方が、より楽しんで頂けるかもしれません。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

先生と私。
狭山雪菜
恋愛
茂木結菜(もぎ ゆいな)は、高校3年生。1年の時から化学の教師林田信太郎(はやしだ しんたろう)に恋をしている。なんとか彼に自分を見てもらおうと、学級委員になったり、苦手な化学の授業を選択していた。
3年生になった時に、彼が担任の先生になった事で嬉しくて、勢い余って告白したのだが…
全編甘々を予定しております。
この作品は、「小説家になろう」にも掲載しております。

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる