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2.やさしいひと
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店内を見まわすと、こぢんまりとしているけれど、清潔感があって、高級寿司店並みの内装だった。席はほとんど埋まっており、人気があるのも頷けた。
「おお、海里《かいり》!」
店のなかに進むと、カウンターの向こうから板前さんが声をかけてきた。
海里?
ああ、渋谷店長の名前か。そういえばそんな名前だったな。
「最近、ずっと来ていなかったみたいだけど、忙しかったのか?」
「はい、まあ。ここいいですか?」
渋谷店長はカウンター席を見ながら言う。
「ああ、どうぞ」
渋谷店長よりも年上っぽいが、どうやら親しい関係らしい。愛想のいい板前さんで、体格がよく、色黒のいかにも海の男という感じの人だった。
カウンターの端の席に座らせてもらうと、板前さんが渋谷店長に尋ねた。
「ファミレスの仕事は順調か?」
「おかげさまで」
「で、そっちの女の子は?」
「職場の子です」
「店の女の子には手を出さないって言ってたのに、とうとう出したのかよ?」
「出してないですよ、まだ」
「え?」
ふたりがポンポン会話を交わすのを聞いていたら、どさくさ紛れに渋谷店長が変な返しをするものだから、驚いて隣を見た。
「冗談だよ。出さないよ。俺、ガキには興味ないから」
「ガキですいませんね。わたしも、もっと落ち着いたやさしい大人の男性が好みなんで、渋谷店長は論外です」
「おまえ、やっぱりあの先生が好きなんだな。やさしそうだもんな、あの先生」
「やさしそうじゃなくて、やさしいんです。渋谷店長みたいに怒りませんから」
「怒らない人間がやさしいのかよ? 怒らないけど、人を裏切る人間なんて山ほどいるぞ」
「おい、海里。若い女の子相手にムキになるなって」
見かねた板前さんが仲裁に入った。
「ごめんな。こいつ、いつまでたっても大人げなくて」
「いいえ。わたしのほうこそ、子どもっぽくて……」
初対面の人を前になにをやっているのだろう。恥ずかしくなってうつむく。
板前さんがそんなわたしをなぐさめるかのように、「海里よりよっぽど大人だよ」と言った。
「注文、なんにする?」
板前さんの言葉に、そうだったと顔をあげると、渋谷店長が「なんでもいいか?」とわたしに聞いてくる。好き嫌いはとくにないので、「はい」と頷くと、渋谷店長は「海鮮丼ふたつ」と頼んだ。
「この店の一番人気なんだよ」
「こういう専門のお店で食べるのは初めてなので楽しみです」
「期待していいぞ。ここの海鮮丼は間違いなくうまいから」
さっきまで言い争いをしていたのが嘘のよう。たぶん、渋谷店長もわたしと同様に興味が海鮮丼に移ったからだろう。
おひとり様であちこち食べ歩くほど、食べることは大好きだ。渋谷店長についてきてよかったかもしれない。この辺りの漁港はあまり大きくはないけれど、それでも新鮮な魚は豊富なので、食べごたえがありそうだ。
そして、いよいよ海鮮丼ができあがる。
「すごーい!」
マグロ、アジ、ハマチ、甘エビ、いくら、ウニ、イカがてんこもり。トロもひと切れだけのっていて、豪華な海鮮丼だった。
さっそく「いただきます」と口に入れると、トロが口のなかでとろけた。それからも夢中になって頬張っていると、板前さんが「いい食べっぷりだねえ」とご機嫌な様子だった。
「うまいか?」
箸を止め、渋谷店長が尋ねてくる。
「はい! 眠気も吹き飛ぶおいしさです!」
「なんだよ、それ。もっとほかに言いようがあるだろう。でもよかったよ。気に入ってくれて」
渋谷店長が目を細めて微笑む。
「うっ……」
ばかにするような言い方のあとに、あまりにもやさしい顔をするものだから、返答に困ってしまった。
この人、感情を隠さない人なんだなあ。自分に正直に生きている感じがする。
わたしは戸惑いを隠すように、海鮮丼をかき込んだ。
食事をしながら、渋谷店長が板前さんのことを話してくれた。
彼、保科《ほしな》さんは渋谷店長の三つ上。家が近所で、ふたりは幼なじみなのだそうだ。
サッカー、野球、虫取り、ゲーム等々。子どもの頃、保科さんに教わったことが山ほどあり、渋谷店長が飲食業界に進んだのも、保科さんの影響が少なからずあるらしい。
「お兄さんみたいな感じですか?」
「子どもの頃は三歳差ってけっこう大きかったけど、この歳になるとぜんぜん感じないな」
「そういうものなんですね」
渋谷店長には仕事の指示を受けることは多いけれど、世間話はほとんどしたことがない。そのためプライベートに関しても、なにも知らなかった。だからこの状況が信じられない。鬼だと思っていたのに、いまはごくごく普通の年上の男の人。いつも感じていた威圧感みたいなものは一切なかった。気も紛れて、楽しい時間を過ごせている。
「なんか元気でました。来てよかったです」
「気分が落ちたときは、うまいものを食うに限る」
あっ、わたしと同じだ。
「ほんとにわたしを心配して誘ってくれたんですね」
「あたり前だろう。で、もういいのか? 話したいことがあるなら聞いてやるぞ」
「いまのところは大丈夫です。どうしようもなくなったら相談するかもしれませんけど。それより渋谷店長も悩んだり落ち込んだりすることってあるんですね」
「あのなあ、俺は輝より十倍、いや百倍苦労してきてんだよ。ファミレスの店長がどれだけ孤独でしんどいか……」
そう言って、うなだれる渋谷店長には哀愁がただよっている。
「すみません、そんなに苦労されているとは知らなくて。わたし、もっともっとバイトがんばりますから、元気出してください」
「頼んだぞ。お願いだから輝はバイトを辞めると言わないでくれ」
「え?」
「平日の昼間に入ってもらっているパートさんが二人同時に辞めちまうんだよ。ひとりは旦那の転勤で、もうひとりは親の介護なんだってさ。アルバイトの募集はかけてるんだけど、応募がなかったら、俺はどうすればいいんだよ……」
知りません、という言葉を飲み込む。
いつの間にか、すっかり立場が逆転。なぜかわたしが渋谷店長をなぐさめていて、保科さんが大笑いしていた。
「おお、海里《かいり》!」
店のなかに進むと、カウンターの向こうから板前さんが声をかけてきた。
海里?
ああ、渋谷店長の名前か。そういえばそんな名前だったな。
「最近、ずっと来ていなかったみたいだけど、忙しかったのか?」
「はい、まあ。ここいいですか?」
渋谷店長はカウンター席を見ながら言う。
「ああ、どうぞ」
渋谷店長よりも年上っぽいが、どうやら親しい関係らしい。愛想のいい板前さんで、体格がよく、色黒のいかにも海の男という感じの人だった。
カウンターの端の席に座らせてもらうと、板前さんが渋谷店長に尋ねた。
「ファミレスの仕事は順調か?」
「おかげさまで」
「で、そっちの女の子は?」
「職場の子です」
「店の女の子には手を出さないって言ってたのに、とうとう出したのかよ?」
「出してないですよ、まだ」
「え?」
ふたりがポンポン会話を交わすのを聞いていたら、どさくさ紛れに渋谷店長が変な返しをするものだから、驚いて隣を見た。
「冗談だよ。出さないよ。俺、ガキには興味ないから」
「ガキですいませんね。わたしも、もっと落ち着いたやさしい大人の男性が好みなんで、渋谷店長は論外です」
「おまえ、やっぱりあの先生が好きなんだな。やさしそうだもんな、あの先生」
「やさしそうじゃなくて、やさしいんです。渋谷店長みたいに怒りませんから」
「怒らない人間がやさしいのかよ? 怒らないけど、人を裏切る人間なんて山ほどいるぞ」
「おい、海里。若い女の子相手にムキになるなって」
見かねた板前さんが仲裁に入った。
「ごめんな。こいつ、いつまでたっても大人げなくて」
「いいえ。わたしのほうこそ、子どもっぽくて……」
初対面の人を前になにをやっているのだろう。恥ずかしくなってうつむく。
板前さんがそんなわたしをなぐさめるかのように、「海里よりよっぽど大人だよ」と言った。
「注文、なんにする?」
板前さんの言葉に、そうだったと顔をあげると、渋谷店長が「なんでもいいか?」とわたしに聞いてくる。好き嫌いはとくにないので、「はい」と頷くと、渋谷店長は「海鮮丼ふたつ」と頼んだ。
「この店の一番人気なんだよ」
「こういう専門のお店で食べるのは初めてなので楽しみです」
「期待していいぞ。ここの海鮮丼は間違いなくうまいから」
さっきまで言い争いをしていたのが嘘のよう。たぶん、渋谷店長もわたしと同様に興味が海鮮丼に移ったからだろう。
おひとり様であちこち食べ歩くほど、食べることは大好きだ。渋谷店長についてきてよかったかもしれない。この辺りの漁港はあまり大きくはないけれど、それでも新鮮な魚は豊富なので、食べごたえがありそうだ。
そして、いよいよ海鮮丼ができあがる。
「すごーい!」
マグロ、アジ、ハマチ、甘エビ、いくら、ウニ、イカがてんこもり。トロもひと切れだけのっていて、豪華な海鮮丼だった。
さっそく「いただきます」と口に入れると、トロが口のなかでとろけた。それからも夢中になって頬張っていると、板前さんが「いい食べっぷりだねえ」とご機嫌な様子だった。
「うまいか?」
箸を止め、渋谷店長が尋ねてくる。
「はい! 眠気も吹き飛ぶおいしさです!」
「なんだよ、それ。もっとほかに言いようがあるだろう。でもよかったよ。気に入ってくれて」
渋谷店長が目を細めて微笑む。
「うっ……」
ばかにするような言い方のあとに、あまりにもやさしい顔をするものだから、返答に困ってしまった。
この人、感情を隠さない人なんだなあ。自分に正直に生きている感じがする。
わたしは戸惑いを隠すように、海鮮丼をかき込んだ。
食事をしながら、渋谷店長が板前さんのことを話してくれた。
彼、保科《ほしな》さんは渋谷店長の三つ上。家が近所で、ふたりは幼なじみなのだそうだ。
サッカー、野球、虫取り、ゲーム等々。子どもの頃、保科さんに教わったことが山ほどあり、渋谷店長が飲食業界に進んだのも、保科さんの影響が少なからずあるらしい。
「お兄さんみたいな感じですか?」
「子どもの頃は三歳差ってけっこう大きかったけど、この歳になるとぜんぜん感じないな」
「そういうものなんですね」
渋谷店長には仕事の指示を受けることは多いけれど、世間話はほとんどしたことがない。そのためプライベートに関しても、なにも知らなかった。だからこの状況が信じられない。鬼だと思っていたのに、いまはごくごく普通の年上の男の人。いつも感じていた威圧感みたいなものは一切なかった。気も紛れて、楽しい時間を過ごせている。
「なんか元気でました。来てよかったです」
「気分が落ちたときは、うまいものを食うに限る」
あっ、わたしと同じだ。
「ほんとにわたしを心配して誘ってくれたんですね」
「あたり前だろう。で、もういいのか? 話したいことがあるなら聞いてやるぞ」
「いまのところは大丈夫です。どうしようもなくなったら相談するかもしれませんけど。それより渋谷店長も悩んだり落ち込んだりすることってあるんですね」
「あのなあ、俺は輝より十倍、いや百倍苦労してきてんだよ。ファミレスの店長がどれだけ孤独でしんどいか……」
そう言って、うなだれる渋谷店長には哀愁がただよっている。
「すみません、そんなに苦労されているとは知らなくて。わたし、もっともっとバイトがんばりますから、元気出してください」
「頼んだぞ。お願いだから輝はバイトを辞めると言わないでくれ」
「え?」
「平日の昼間に入ってもらっているパートさんが二人同時に辞めちまうんだよ。ひとりは旦那の転勤で、もうひとりは親の介護なんだってさ。アルバイトの募集はかけてるんだけど、応募がなかったら、俺はどうすればいいんだよ……」
知りません、という言葉を飲み込む。
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