恋い焦がれて

さとう涼

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2.やさしいひと

009

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 いつしか夜が明け、辺りはすっかり明るくなっていた。
 客はまばら。大学生ぐらいのオタクっぽい男子四人グループ、作業服を着た痩せこけた中年男性、ゴシックファッションの若い女の子、ブロンドの外国人女性。意外にも高齢の方もちらほらといる。独特な雰囲気がただよい、ちょっとしたカオス状態だ。

「輝」
「はい?」

 バイトあがりの午前五時過ぎ、更衣室を出たところで渋谷店長に声をかけられた。
 渋谷店長の勤務時間も午前五時まで。白のボタンつきTシャツにカーキのカーゴパンツの渋谷店長はいつもと違って若い。というか年相応だ。
 ところでなんの用だろう。あのあとは常に明るい接客に勤めていたので、怒られるようなことはないはず。たぶんだけど。
 だけど身構えていると、思いのほか、穏やかな声が落ちてきた。

「朝飯、行くぞ」
「え?」

 なにを言われているのか理解できず、渋谷店長を凝視した。

「悩みがあるんだろう?」
「悩み? あ、夕べの話……」

 まさか気にしてくれていたとは思わなかった。

「それなら大丈夫です。たいしたことではありませんので」

 渋谷店長と朝ごはんだなんて。いったい、どんな顔して、なにをしゃべればいいのかわかんないよ。

「輝も腹減っただろう? 俺もなんだよ」
「いいえ、わたしは別に……」
「早く来いよ、置いてくぞ」
「わたしは行くとは……」

 言ってません、と言う前に、渋谷店長はすでに歩き出している。「待ってください」と言っても止まってくれない。結局、断りきれず……。

「失礼します」

 びくびくとしながら車の助手席に乗った。
 渋谷店長の車に乗るのは初めてだった。さりげなく車内をチェックする。

「怪しい物なんてなにもないぞ」
「そういうつもりじゃありません」

 いや、そういうつもりだった。女の子が使う膝かけとか、ピアスとか、長い髪の毛とか。そういうものをさがしていたのは事実だ。
 だって気になるんだもん。

「渋谷店長はよくバイトの女の子をこんなふうに車に乗せるんですか?」
「乗せたことなんてないよ」
「そうですか」

 じゃあなんでわたしは乗っているのだろう。
 まさかわたしに気があるの?
 ううん、まさかそんなわけない。だって、これまでそんな素振りなんてちっともなかった。口説かれたこともなければ、特別にやさしい声をかけてもらったこともない。
 きっと単なる気まぐれなのだろう。とりあえずそう思うことにした。



 日曜日の早朝のせいか、車はスムーズに進む。快適なドライブ。車の振動が心地よくて、眠ってしまいそう。

「寝てていいぞ。朝まで仕事してたから眠いだろう?」
「でも……」
「心配しなくてもホテルに連れ込まないから安心しろって」
「ホ、ホテルって……。そんなのあたり前です!」

 渋谷店長はさわやかな太陽の下には似合わないセリフをサラっと言ってわたしをきょどらせるも、自分は涼しい顔を崩さない。
 この人、怖い顔をしているくせに、そっちの経験値は高いに違いない。
 こういう人、苦手だな。実際につき合ったら、振りまわされそう。
 そんなことを思いながら窓の外を眺めていたら、いつの間にか眠ってしまったらしい。次に目を開けると、見慣れない景色が広がっていた。

「うわぁー! 海だあ!」

 わたしが住んでいる街はわりと海に近い。でも小学校四年生のときに引っ越してきたわたしにとって、海はまだまだ特別な場所だった。

「朝の海もなかなかいいだろう?」
「はい。気持ちいいです」

 窓を開けると、海風が強く吹いているのを肌で感じることができる。遠くに白波も見え、大海原の神々しさに感動した。
 しばらく海沿いを走らせ、和風の外観の小さな店に着くと、渋谷店長は駐車場に車を止めた。
 看板に『潮』と書いてある。その横に『海鮮食堂』とあった。

「うしお?」
「そう。なんでもうまいよ。腕のいい料理人がいるんだ」
「へえ、楽しみ」

 近くに漁港と市場があって、潮の香りも強い。ポツンと佇む店だけれど、駐車場にはすでに何台もの車が駐車している。東京以外のナンバープレートも見受けられ、遠方から足を運んでいる人もいるようだった。

「観光地ではないけど、毎日客はそれなりに入っているんだ」
「知る人ぞ知るって感じのお店ですね。さすが渋谷店長。食通なんですね」
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