恋い焦がれて

さとう涼

文字の大きさ
上 下
9 / 53
2.やさしいひと

008

しおりを挟む
「なに、ため息ついてんだ?」
「うわぁ!!」
「驚きすぎ」
「……す、すみません」

 トイレ掃除を終え、ぼんやりとしているのを渋谷《しぶや》店長に見つかってしまった。
 危ない危ない、気をつけないと。
 渋谷店長は仕事に関してはとんでもなく厳しい。身だしなみや言葉遣いのチェックが細かく、わたしもバイトをはじめたばかりの頃はスパルタ教育された。おまけに目つきも悪くて、たまに鬼に見えるときがある。

「おまえ、なにか悩みでもあるのか?」
「はい?」

 突然なにを言い出すのだろう。そう思っていたら、渋谷店長の怒声が飛んできた。

「なんだよ、今日の接客は! 暗いんだよ、顔が!」

 鬼が怒った!
 怖すぎて、身体が硬直する。ここまでいくと、パワハラで訴えてもいいレベルだ。

「す、す、すみません! 以後、気をつけます!」

 自覚はなかったけれど、そんなに顔に出ていたのか。まずい。渋谷店長は、男だろうが女だろうが、社員だろうがバイトだろうが、容赦ない人なのだ。

「あとさ……」
「……は、はい」

 声が震えそうだ。次はなにを言われるのだろう。

「仕事中に個人的なことで行動するな。持ち場を離れて店の外に出るなんてことは言語道断だ」
「はい、申し訳ありません」

 佐野先生を追いかけたところを見られていたんだ。すぐに注意するわけでなく、この機会を狙っていたのかもしれない。
 もうすぐ午前〇時。これから休憩に入る予定だったのだが、説教タイムに入ってしまうのだろうか。
 けれど、話は意外な方向に進んだ。

「で、誰なんだ?」
「えっ?」
「あのお客様だよ。大学の友達って感じでもなさそうだけど」
「小学校のときの担任の先生です」
「先生か……。ずいぶんと入れあげてるみたいだな」

 鋭い!
 でも入れあげているんじゃない。自分の立場をわきまえて密かに想っているだけ。
 だけどそのことは渋谷店長には関係ないと思うんだけど。

「そんなんじゃありません。ついこの間、卒業式以来に偶然会ったんです。そのときにここでバイトをしていることを話したので、それで食事しに来てくれたんです」
「珍しい先生だな。普通、そこまでするか? 昨日も来てたよな?」

 よく覚えているなあ。

「面倒見がいいだけです。昨日は、わたしのシフトが深夜までなのを心配して、様子を見にきてくれたというか……。とにかく、やさしい先生なんです」

 渋谷店長は、「ふーん」と不機嫌そうにつぶやいた。
 この様子だと簡単には許してもらえそうにないな。佐野先生の接客を禁止されたらどうしよう。

「今日はほんとにすみませんでした。今後はそういうことがないようにします。あと、暗い顔もしません!」
「そのことはもういいよ。輝は無遅刻、無欠勤でまじめに働いているからな。今日のことは大目にみてやる」

 渋谷店長の顔がじゃっかんではあるがほころんだ。

「ありがとうございます!」
「ホールに輝がいると安心できるんだ。頼りにしてる。大変だろうけど、今日は五時までよろしくな」
「……は、はい。こちらこそよろしくお願いします」

 どうやら正式に許してもらえたようだ。予想より短時間で説教タイムは終了した。おまけに最後は労われているし。
 でもこれが渋谷店長のやり方だ。アメとムチを使いわける。

 渋谷店長は二十六歳にして店長になってすでに丸二年。将来的に本社勤務になることが約束されていて、真意は定かでないが幹部候補だとか。
 まあ幹部候補云々はさておき、若くして店長に昇格したゆえんは、仕事をする上でのセンスのよさや素質だけでなく、リーダーシップ力と人を育てる能力に長けていることがあるのかもしれない。
 従業員の接客レベルの向上はもちろん、ミスをしたときの指導やフォローも万全。厳しく叱ったあとでもがんばった従業員をしっかりとほめるし、労いの言葉を惜しまないのだ。そのため彼を慕う人間はけっこう多い。
 震えるほど怖いのがたまにきずなのだが、引きずらないので、すごく助かっている。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

【完結】この胸が痛むのは

Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」 彼がそう言ったので。 私は縁組をお受けすることにしました。 そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。 亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。 殿下と出会ったのは私が先でしたのに。 幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです…… 姉が亡くなって7年。 政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが 『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。 亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……  ***** サイドストーリー 『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。 こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。 読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです * 他サイトで公開しています。 どうぞよろしくお願い致します。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

それぞれのその後

京佳
恋愛
婚約者の裏切りから始まるそれぞれのその後のお話し。 ざまぁ ゆるゆる設定

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【完結】お姉様の婚約者

七瀬菜々
恋愛
 姉が失踪した。それは結婚式当日の朝のことだった。  残された私は家族のため、ひいては祖国のため、姉の婚約者と結婚した。    サイズの合わない純白のドレスを身に纏い、すまないと啜り泣く父に手を引かれ、困惑と同情と侮蔑の視線が交差するバージンロードを歩き、彼の手を取る。  誰が見ても哀れで、惨めで、不幸な結婚。  けれど私の心は晴れやかだった。  だって、ずっと片思いを続けていた人の隣に立てるのだから。  ーーーーーそう、だから私は、誰がなんと言おうと、シアワセだ。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

処理中です...