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2.やさしいひと
006
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そして翌日となったのだが……。
夕べは佐野先生のことを考えて朝まで眠れなかった。
教えてほしいと言う勇気がなくて、佐野先生の連絡先は相変わらずわからない。知っているのは現在の勤務先の小学校の名前だけ。次に会える保証もなく、これっきりなのかと考えるとどんどん落ち込んでいった。
だけど悩んでばかりいられない。今日のバイトのシフトはいつもの時間帯ではなく、午後九時から日付をまたいで午前五時まで。午前〇時以降はいつも由紀乃が入っているのだが、午前中から用事があるとかで、わたしが入ることになった。
午後十時。
レジのそばを通ったら、会計を終えて一組の客を見送った由紀乃が尋ねてきた。
「誰か待ってるの? さっきからチラチラ自動ドア見てるけど」
「お客様に決まってるでしょう。仕事中だもん。あたり前だよ」
と言い訳をしてみたが、本当はずっと気になっている。今日も来てくれないかなあって。期待しちゃいけないけれど、わたしの心のなかは佐野先生でいっぱいだった。
だけど夕べ来店したばかり。二日連続で来るわけがない。そう自分に言い聞かせる。
だが、この日、わたしの願いが通じた。
「あの人、先生じゃない?」
「嘘!?」
本当だ。由紀乃の言う通り、佐野先生が通りを歩いてくるのが窓から見える。
でも様子が変だ。急に立ち止まり、かと思ったらくるりと振り返って、もと来た道を戻ろうとしている。
わたしはいてもたってもいられず、気がついたら店を飛び出していた。仕事中にこんなことをしてはいけないことはわかっている。だけど、衝動を抑えきれなかった。
「佐野先生!」
外に出て、外灯のなかに佐野先生のうしろ姿を見つけ、叫んだ。
「輝……」
振り返った佐野先生が戸惑っていた。そこへわたしのほうが駆け寄っていった。
「どうした?」
「それはこっちのセリフです。お店に来てくれたんですよね?」
「うん、まあそうなんだけど。食欲ないから帰ろうかと思って」
やだ、帰らないで! そんな思いが爆発する。
「じゃあ、デザートを食べていってください! わたし、チョコパフェを作るのが上手なんですよ」
必死に訴えたら、佐野先生は頭をボリボリかいてすごく困ったような顔をする。だけど「わかったよ」と言って、店のほうへ歩き出した。
カウンター席に座った佐野先生は昨日と同様、なにをするわけでもなく、まるで目を開けたまま寝ているんじゃないかと思うほど静かだった。
気配を感じたのか、佐野先生がゆっくりとわたしのほうに顔を向けた。
「お待たせいたしました。有機野菜入りビーフカレーです」
「なんでカレー? チョコパフェじゃなかったのか?」
「それはデザートに。これもわたしのおごりです。おいしいのでひと口だけでも食べてみてください」
佐野先生はますます困惑していたけれど。
「頂くよ」
ちょっとだけ口角をあげてくれて、スプーンを手に取る。ひと口食べると、「うまい」とつぶやいた。
「このカレー、常連さんの間で人気なんです。落ち込んだときはおいしいものを食べると元気が出ますよ」
自分になにができるんだろう。そう考えたら、カレーライスが浮かんだ。食べやすくて、おいしい。とにかくお腹になにかを入れれば身体のなかから力がみなぎってくると思った。
「佐野先生、早く元気になってください」
心配で胸が張りさけそうなんです。なにがあったんですか? ごはんも食べられないくらいに、なにを悩んでいるんですか? そんな顔をさせるのは誰ですか?
佐野先生はスプーンを持った手を止めると、ぎこちなく笑った。
「ありがとな。実はちょっとへこんでた。教師なのに情けないな」
「教師だって人間です。落ち込むこともありますよ」
「なんでなんだろうな。昨日も輝に会って元気になれたもんだから、今日も元気をもらえるかなって思ったんだ」
「じゃあ、来て正解ですね。これを食べ終わる頃には元気いっぱいになっているはずです。チョコパフェはいつお持ちしますか?」
「食後に頼むよ」
「かしこまりました」
ただいまの時刻は午後十時十五分。この時間になると、ディナータイムの混雑も終わり、だいぶ客が減ってくる。まだ賑わいは残っているけれど、幾分落ち着いて食事ができると思う。
でもほどよく騒がしいほうがいいのかもしれない。誰もいないひとりぼっちの部屋にいたくないときもある。誰かと時間と場所を共有していると、どこか安心できる。佐野先生もそんな心境なのかもしれない。
午後十時五十五分。
佐野先生は店をあとにした。
カレーライスを残さず平らげ、チョコパフェも黙々と食べると、満足そうな顔をしていた。そして、おごりだと言っているのに、テーブルにお金を無理やり置いていった。
でも元気になったようなのでよかった。去り際に、「来週も待ってます」と言ってみたんだけれど聞こえただろうか。
多くは望まない。ここで会えればそれでいい。わたしは改めてそう自分に言い聞かせた。
夕べは佐野先生のことを考えて朝まで眠れなかった。
教えてほしいと言う勇気がなくて、佐野先生の連絡先は相変わらずわからない。知っているのは現在の勤務先の小学校の名前だけ。次に会える保証もなく、これっきりなのかと考えるとどんどん落ち込んでいった。
だけど悩んでばかりいられない。今日のバイトのシフトはいつもの時間帯ではなく、午後九時から日付をまたいで午前五時まで。午前〇時以降はいつも由紀乃が入っているのだが、午前中から用事があるとかで、わたしが入ることになった。
午後十時。
レジのそばを通ったら、会計を終えて一組の客を見送った由紀乃が尋ねてきた。
「誰か待ってるの? さっきからチラチラ自動ドア見てるけど」
「お客様に決まってるでしょう。仕事中だもん。あたり前だよ」
と言い訳をしてみたが、本当はずっと気になっている。今日も来てくれないかなあって。期待しちゃいけないけれど、わたしの心のなかは佐野先生でいっぱいだった。
だけど夕べ来店したばかり。二日連続で来るわけがない。そう自分に言い聞かせる。
だが、この日、わたしの願いが通じた。
「あの人、先生じゃない?」
「嘘!?」
本当だ。由紀乃の言う通り、佐野先生が通りを歩いてくるのが窓から見える。
でも様子が変だ。急に立ち止まり、かと思ったらくるりと振り返って、もと来た道を戻ろうとしている。
わたしはいてもたってもいられず、気がついたら店を飛び出していた。仕事中にこんなことをしてはいけないことはわかっている。だけど、衝動を抑えきれなかった。
「佐野先生!」
外に出て、外灯のなかに佐野先生のうしろ姿を見つけ、叫んだ。
「輝……」
振り返った佐野先生が戸惑っていた。そこへわたしのほうが駆け寄っていった。
「どうした?」
「それはこっちのセリフです。お店に来てくれたんですよね?」
「うん、まあそうなんだけど。食欲ないから帰ろうかと思って」
やだ、帰らないで! そんな思いが爆発する。
「じゃあ、デザートを食べていってください! わたし、チョコパフェを作るのが上手なんですよ」
必死に訴えたら、佐野先生は頭をボリボリかいてすごく困ったような顔をする。だけど「わかったよ」と言って、店のほうへ歩き出した。
カウンター席に座った佐野先生は昨日と同様、なにをするわけでもなく、まるで目を開けたまま寝ているんじゃないかと思うほど静かだった。
気配を感じたのか、佐野先生がゆっくりとわたしのほうに顔を向けた。
「お待たせいたしました。有機野菜入りビーフカレーです」
「なんでカレー? チョコパフェじゃなかったのか?」
「それはデザートに。これもわたしのおごりです。おいしいのでひと口だけでも食べてみてください」
佐野先生はますます困惑していたけれど。
「頂くよ」
ちょっとだけ口角をあげてくれて、スプーンを手に取る。ひと口食べると、「うまい」とつぶやいた。
「このカレー、常連さんの間で人気なんです。落ち込んだときはおいしいものを食べると元気が出ますよ」
自分になにができるんだろう。そう考えたら、カレーライスが浮かんだ。食べやすくて、おいしい。とにかくお腹になにかを入れれば身体のなかから力がみなぎってくると思った。
「佐野先生、早く元気になってください」
心配で胸が張りさけそうなんです。なにがあったんですか? ごはんも食べられないくらいに、なにを悩んでいるんですか? そんな顔をさせるのは誰ですか?
佐野先生はスプーンを持った手を止めると、ぎこちなく笑った。
「ありがとな。実はちょっとへこんでた。教師なのに情けないな」
「教師だって人間です。落ち込むこともありますよ」
「なんでなんだろうな。昨日も輝に会って元気になれたもんだから、今日も元気をもらえるかなって思ったんだ」
「じゃあ、来て正解ですね。これを食べ終わる頃には元気いっぱいになっているはずです。チョコパフェはいつお持ちしますか?」
「食後に頼むよ」
「かしこまりました」
ただいまの時刻は午後十時十五分。この時間になると、ディナータイムの混雑も終わり、だいぶ客が減ってくる。まだ賑わいは残っているけれど、幾分落ち着いて食事ができると思う。
でもほどよく騒がしいほうがいいのかもしれない。誰もいないひとりぼっちの部屋にいたくないときもある。誰かと時間と場所を共有していると、どこか安心できる。佐野先生もそんな心境なのかもしれない。
午後十時五十五分。
佐野先生は店をあとにした。
カレーライスを残さず平らげ、チョコパフェも黙々と食べると、満足そうな顔をしていた。そして、おごりだと言っているのに、テーブルにお金を無理やり置いていった。
でも元気になったようなのでよかった。去り際に、「来週も待ってます」と言ってみたんだけれど聞こえただろうか。
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