60 / 62
10.身分違いの恋だとしても
060
しおりを挟む
それからエレベーターホールまで来て、恒松社長を見送った。なりゆきで、わたしは冴島さんの後方に立っている。
「急に来て悪かったな」
冴島さんに話しかける恒松社長はすっかり社長モードだった。さっきまでのドロドロとしたやり取りがなかったことになっている。
「いいえ。本来ならこちらから伺わなくてはいけないところをわざわざお越しくださり、ありがとうございました」
冴島さんも何事もなかったかのような態度だった。
ふたりの関係はよくわからないが、仕事に影響が出ていないようなので、たぶん問題ないのだろう。
「ライブ配信、好評だったから、また機会があれば頼むよ」
「ええ、ぜひ。こちらこそよろしくお願いします」
恒松社長がエレベーターのボタンを押した。すぐに扉が開く。
「春名さんもまたね。そうだ! 生け込みの件、近いうちに詳細をメールするから、提案書を送ってくれるかな?」
「承知しました」
わたしたちが見送るなか、恒松社長はエレベーターに乗り込んだ。
エレベーターの扉が閉まらないよう、ボタンを押していた小山田さんが恒松社長におじぎをした。
「小山田さんはふたりのこと知ってた?」
扉が閉まる直前、くだけた口調で恒松社長が言う。けれど小山田さんは上品な笑みを浮かべ、受け流していた。
「なんだ、知ってたんだ。参ったな」
扉が閉まると、冴島さんが小山田さんにあっけらかんと言う。
「隠すおつもりもなかったようでしたが。春名さんが初めて来社された日も下心丸出しだったこと、覚えていらっしゃらないんですか?」
「ああ、そんな会話があったね。でもあのとき以外はいつも通りに振る舞っていたつもりだったんだけど」
「会食以外で女性と昼食をとられるのも社長らしくないというか、わたしが秘書についてからは初めてでしたので大変驚きました」
「それだけ?」
「社長が日曜日のスケジュールを別の日に振り替えてほしいとおっしゃるのも珍しいなと思いました。しかも月に二度も。とくに先々週の予定は三ヶ月も前から入れていたものでしたのに」
「スケジュールを入れた時期まで覚えてるの? さすが小山田さん」
先々週……。その日はベイエリアまでドライブをした。あの日のデートは、日曜日が定休日のわたしのためにわざわざスケジュール調整をしてくれていたの?
もう一方の日曜日は、マンションに観葉植物を届けた日だ。あの日もそうなの?
そうだよね。冴島さんはわたしよりも断然忙しいだろうし、大きな責任も背負っている。それなのにわたしは、日曜日に会えたのを普通のことのように思っていた。
そんなこと、深く考えなくてもわかるはずだったのに。負担になっていなかっただろうか。
「申し訳ありません、春名さん。スケジュールの話は失言でした。責めるつもりはまったくなくて……」
小山田さんはわたしを傷つけてしまったと思っている。
小山田さんのせいではないのに……。
「責められているなんて思ってませんから。なので気になさらないでください」
「お気遣いありがとうございます。でも、むしろ進んで休暇を取るようになられてよかったと思っているんです」
「えっ……」
「社長は放っておくと仕事に没頭してしまうので、こちらで適度にお休みを入れるようにしていたのですが、勝手にそこに予定を入れてしまうほどでしたので」
「そういうことだから。咲都は気にしないでよ」
また考えていることが顔に出ていたのだろう。小山田さんに続き、冴島さんもフォローしてくれた。
「それでは春名さん、さっそく作業をお願いしますね」
小山田さんがきりりと促し、わたしは気を引きしめた。
「咲都、僕の部屋から頼むよ」
冴島さんのあたたかい笑顔に、わたしは「はい」と頷いた。
わたしは人に恵まれている。だからこんなにも充実した気持ちで仕事ができる。
花屋は大変だと嘆いていた自分が恥ずかしい。花屋を継いでよかった。今は心からそう思っている。
社長室で作業をはじめようと準備をしていると、冴島さんがダークブラウンの木目調のロッカーを開け、ネクタイを締めはじめた。
どうやら外出するみたいだ。顔つきがまるで違う。
いつものやさしげなものではなく、気合の入った精悍《せいかん》な表情。ちょっと近寄りがたいような気迫も感じた。
これが仕事をしているときの冴島さんだ。
そのときドアがノックされた。
「社長、そろそろお時間です」
開いたドアから小山田さんが声をかけると、冴島さんは「わかった」と背広を羽織った。
その一連の動作が格好いい。
だけど、ふいに目が合って、見とれていたのがバレてしまった。
「すみません、つい……」
「なにが?」
あれ? もしかして気づかれていなかったの?
「な、な、なんでもないです! お、お気になさらずに……」
慌てて否定したけれど、これではあまりにも挙動不審だ。
冴島さんは釈然としていない様子。とっさに状況を把握したらしい小山田さんがこらえきれないとばかりに笑い出した。
やだ、こんな状況……。なんとなく立つ瀬がない。
「社長、正面玄関に車を待たせてありますので、準備が整いましたらお願いします」
小山田さんはそう言うと、さっさとドアを閉めてしまった。
「なんだよ、あれ? 咲都、どこかおかしいとこある?」
冴島さんは自分が笑われたと思っているみたいで、わたしのほうに向き直り、身なりを気にし出す。
「あっ、ちょっとそのままで……」
わたしは手が汚れていないのを確認すると、少し曲がっていたネクタイを直した。
「ありがと」
「いいえ、どういたしまして」
「なんかいいね、こういうの。実は憧れてたんだ」
甘い声と一緒に冴島さんからふわりといい香りがしてきて幸せな気分になった。
「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
社長室で冴島さんを見送るなんて変な感じだ。
軽快に出かけていく姿からは、しがらみや理不尽な圧力なんてものは感じない。上手に隠して、彼は今日もさわやかな笑みを浮かべていた。
「急に来て悪かったな」
冴島さんに話しかける恒松社長はすっかり社長モードだった。さっきまでのドロドロとしたやり取りがなかったことになっている。
「いいえ。本来ならこちらから伺わなくてはいけないところをわざわざお越しくださり、ありがとうございました」
冴島さんも何事もなかったかのような態度だった。
ふたりの関係はよくわからないが、仕事に影響が出ていないようなので、たぶん問題ないのだろう。
「ライブ配信、好評だったから、また機会があれば頼むよ」
「ええ、ぜひ。こちらこそよろしくお願いします」
恒松社長がエレベーターのボタンを押した。すぐに扉が開く。
「春名さんもまたね。そうだ! 生け込みの件、近いうちに詳細をメールするから、提案書を送ってくれるかな?」
「承知しました」
わたしたちが見送るなか、恒松社長はエレベーターに乗り込んだ。
エレベーターの扉が閉まらないよう、ボタンを押していた小山田さんが恒松社長におじぎをした。
「小山田さんはふたりのこと知ってた?」
扉が閉まる直前、くだけた口調で恒松社長が言う。けれど小山田さんは上品な笑みを浮かべ、受け流していた。
「なんだ、知ってたんだ。参ったな」
扉が閉まると、冴島さんが小山田さんにあっけらかんと言う。
「隠すおつもりもなかったようでしたが。春名さんが初めて来社された日も下心丸出しだったこと、覚えていらっしゃらないんですか?」
「ああ、そんな会話があったね。でもあのとき以外はいつも通りに振る舞っていたつもりだったんだけど」
「会食以外で女性と昼食をとられるのも社長らしくないというか、わたしが秘書についてからは初めてでしたので大変驚きました」
「それだけ?」
「社長が日曜日のスケジュールを別の日に振り替えてほしいとおっしゃるのも珍しいなと思いました。しかも月に二度も。とくに先々週の予定は三ヶ月も前から入れていたものでしたのに」
「スケジュールを入れた時期まで覚えてるの? さすが小山田さん」
先々週……。その日はベイエリアまでドライブをした。あの日のデートは、日曜日が定休日のわたしのためにわざわざスケジュール調整をしてくれていたの?
もう一方の日曜日は、マンションに観葉植物を届けた日だ。あの日もそうなの?
そうだよね。冴島さんはわたしよりも断然忙しいだろうし、大きな責任も背負っている。それなのにわたしは、日曜日に会えたのを普通のことのように思っていた。
そんなこと、深く考えなくてもわかるはずだったのに。負担になっていなかっただろうか。
「申し訳ありません、春名さん。スケジュールの話は失言でした。責めるつもりはまったくなくて……」
小山田さんはわたしを傷つけてしまったと思っている。
小山田さんのせいではないのに……。
「責められているなんて思ってませんから。なので気になさらないでください」
「お気遣いありがとうございます。でも、むしろ進んで休暇を取るようになられてよかったと思っているんです」
「えっ……」
「社長は放っておくと仕事に没頭してしまうので、こちらで適度にお休みを入れるようにしていたのですが、勝手にそこに予定を入れてしまうほどでしたので」
「そういうことだから。咲都は気にしないでよ」
また考えていることが顔に出ていたのだろう。小山田さんに続き、冴島さんもフォローしてくれた。
「それでは春名さん、さっそく作業をお願いしますね」
小山田さんがきりりと促し、わたしは気を引きしめた。
「咲都、僕の部屋から頼むよ」
冴島さんのあたたかい笑顔に、わたしは「はい」と頷いた。
わたしは人に恵まれている。だからこんなにも充実した気持ちで仕事ができる。
花屋は大変だと嘆いていた自分が恥ずかしい。花屋を継いでよかった。今は心からそう思っている。
社長室で作業をはじめようと準備をしていると、冴島さんがダークブラウンの木目調のロッカーを開け、ネクタイを締めはじめた。
どうやら外出するみたいだ。顔つきがまるで違う。
いつものやさしげなものではなく、気合の入った精悍《せいかん》な表情。ちょっと近寄りがたいような気迫も感じた。
これが仕事をしているときの冴島さんだ。
そのときドアがノックされた。
「社長、そろそろお時間です」
開いたドアから小山田さんが声をかけると、冴島さんは「わかった」と背広を羽織った。
その一連の動作が格好いい。
だけど、ふいに目が合って、見とれていたのがバレてしまった。
「すみません、つい……」
「なにが?」
あれ? もしかして気づかれていなかったの?
「な、な、なんでもないです! お、お気になさらずに……」
慌てて否定したけれど、これではあまりにも挙動不審だ。
冴島さんは釈然としていない様子。とっさに状況を把握したらしい小山田さんがこらえきれないとばかりに笑い出した。
やだ、こんな状況……。なんとなく立つ瀬がない。
「社長、正面玄関に車を待たせてありますので、準備が整いましたらお願いします」
小山田さんはそう言うと、さっさとドアを閉めてしまった。
「なんだよ、あれ? 咲都、どこかおかしいとこある?」
冴島さんは自分が笑われたと思っているみたいで、わたしのほうに向き直り、身なりを気にし出す。
「あっ、ちょっとそのままで……」
わたしは手が汚れていないのを確認すると、少し曲がっていたネクタイを直した。
「ありがと」
「いいえ、どういたしまして」
「なんかいいね、こういうの。実は憧れてたんだ」
甘い声と一緒に冴島さんからふわりといい香りがしてきて幸せな気分になった。
「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
社長室で冴島さんを見送るなんて変な感じだ。
軽快に出かけていく姿からは、しがらみや理不尽な圧力なんてものは感じない。上手に隠して、彼は今日もさわやかな笑みを浮かべていた。
0
お気に入りに追加
378
あなたにおすすめの小説
【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜
雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。
【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】
☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆
※ベリーズカフェでも掲載中
※推敲、校正前のものです。ご注意下さい
想い出は珈琲の薫りとともに
玻璃美月
恋愛
第7回ほっこり・じんわり大賞 奨励賞をいただきました。応援くださり、ありがとうございました。
――珈琲が織りなす、家族の物語
バリスタとして働く桝田亜夜[ますだあや・25歳]は、短期留学していたローマのバルで、途方に暮れている二人の日本人男性に出会った。
ほんの少し手助けするつもりが、彼らから思いがけない頼み事をされる。それは、上司の婚約者になること。
亜夜は断りきれず、その上司だという穂積薫[ほづみかおる・33歳]に引き合わされると、数日間だけ薫の婚約者のふりをすることになった。それが終わりを迎えたとき、二人の間には情熱の火が灯っていた。
旅先の思い出として終わるはずだった関係は、二人を思いも寄らぬ運命の渦に巻き込んでいた。
永遠の隣で ~皇帝と妃の物語~
ゆる
恋愛
「15歳差の婚約者、魔女と揶揄される妃、そして帝国を支える皇帝の物語」
アルセリオス皇帝とその婚約者レフィリア――彼らの出会いは、運命のいたずらだった。
生まれたばかりの皇太子アルと婚約を強いられた公爵令嬢レフィリア。幼い彼の乳母として、時には母として、彼女は彼を支え続ける。しかし、魔法の力で若さを保つレフィリアは、宮廷内外で「魔女」と噂され、婚約破棄の陰謀に巻き込まれる。
それでもアルは成長し、15歳の若き皇帝として即位。彼は堂々と宣言する。
「魔女だろうと何だろうと、彼女は俺の妃だ!」
皇帝として、夫として、アルはレフィリアを守り抜き、共に帝国の未来を築いていく。
子どもたちの誕生、新たな改革、そして帝国の安定と繁栄――二人が歩む道のりは困難に満ちているが、その先には揺るぎない絆と希望があった。
恋愛・政治・陰謀が交錯する、壮大な愛と絆の物語!
運命に翻弄されながらも未来を切り開く二人の姿に、きっと胸を打たれるはずです。
---
花喰みアソラ
那月
ファンタジー
「このバラ、肉厚で美味しい」
花屋を1人で経営するミサキの前に突然現れた男、アソラ。
空腹のあまり行き倒れた彼は普通の食事を拒み、商品の切り花に手を伸ばすと口に運ぶ。
花を主食として生きるアソラは商品を食べてしまった、助けてもらったお礼にとミサキの店を手伝うと申し出る。
植物にまつわる問題を抱えた人と花を主食とする主人公のお話。
来客の心に反応して商品の花が花妖になって襲いかかる。
花妖になってしまった花を救うのが自分の役目だとアソラは言う。
彼は一体何者なのか?
決して自分のことは語ろうとしないアソラと、そんな彼をなんとなく放ってはおけないでいるミサキ。
問題の発生源であるアソラに、巻き込まれっぱなしのミサキは手を伸ばした。
憧れのあなたとの再会は私の運命を変えました~ハッピーウェディングは御曹司との偽装恋愛から始まる~
けいこ
恋愛
15歳のまだ子どもだった私を励まし続けてくれた家庭教師の「千隼先生」。
私は密かに先生に「憧れ」ていた。
でもこれは、恋心じゃなくただの「憧れ」。
そう思って生きてきたのに、10年の月日が過ぎ去って25歳になった私は、再び「千隼先生」に出会ってしまった。
久しぶりに会った先生は、男性なのにとんでもなく美しい顔立ちで、ありえない程の大人の魅力と色気をまとってた。
まるで人気モデルのような文句のつけようもないスタイルで、その姿は周りを魅了して止まない。
しかも、高級ホテルなどを世界展開する日本有数の大企業「晴月グループ」の御曹司だったなんて…
ウエディングプランナーとして働く私と、一緒に仕事をしている仲間達との関係、そして、家族の絆…
様々な人間関係の中で進んでいく新しい展開は、毎日何が起こってるのかわからないくらい目まぐるしくて。
『僕達の再会は…本当の奇跡だ。里桜ちゃんとの出会いを僕は大切にしたいと思ってる』
「憧れ」のままの存在だったはずの先生との再会。
気づけば「千隼先生」に偽装恋愛の相手を頼まれて…
ねえ、この出会いに何か意味はあるの?
本当に…「奇跡」なの?
それとも…
晴月グループ
LUNA BLUホテル東京ベイ 経営企画部長
晴月 千隼(はづき ちはや) 30歳
×
LUNA BLUホテル東京ベイ
ウエディングプランナー
優木 里桜(ゆうき りお) 25歳
うららかな春の到来と共に、今、2人の止まった時間がキラキラと鮮やかに動き出す。
俺様系和服社長の家庭教師になりました。
蝶野ともえ
恋愛
一葉 翠(いつは すい)は、とある高級ブランドの店員。
ある日、常連である和服のイケメン社長に接客を指名されてしまう。
冷泉 色 (れいぜん しき) 高級和食店や呉服屋を国内に展開する大手企業の社長。普段は人当たりが良いが、オフや自分の会社に戻ると一気に俺様になる。
「君に一目惚れした。バックではなく、おまえ自身と取引をさせろ。」
それから気づくと色の家庭教師になることに!?
期間限定の生徒と先生の関係から、お互いに気持ちが変わっていって、、、
俺様社長に翻弄される日々がスタートした。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる