49 / 62
9.心の奥で触れ合って
049
しおりを挟む
「さっきは恥ずかしいところを見せちゃってごめんね」
「いいえ。びっくりしましたけど、だいぶ落ち着きました」
あのあと無事に役員会議室の生け込みを終え、久々に冴島さんとお昼ごはんを食べている。
場所は前にふたりで訪れた、商店街にある馴染みの定食屋。日替わりメニューの鯖味噌定食をふたつ注文した。
午前中、冴島さんを含め、三人であの役員会議室で打ち合わせをしていたそうだ。しかし冴島さんだけがほかの予定が入っていて途中退席し、最終的にあんなことに……。
「瑠璃さんっておきれいな方ですね。ハーフなんですか?」
「クウォーターだよ。母親が日本人とドイツ人のハーフで、有名なモデルだったらしいよ。子どもの頃はフランスとイタリアに住んでたって言ってたな」
「国際的な方なんですね」
「でも性格があんな感じだろう。最初は僕も驚いたよ。だけどあれで仕事はかなりできるんだ。色気を売りにしてるけど、そんじょそこらの男より男らしくて、柔道は黒帯で合気道も習ってたらしいよ」
柔道に合気道か。それなら野上さんが押し倒されていたのも、なんとか頷ける。
「性格は少々難ありだとしても手もとに置いておきたい逸材なんだ」
「冴島さんが認めるほどすごい方なんですね」
「けっこうヘッドハンティングもあるらしいんだ。実は恒松社長も瑠璃を狙っていてね」
「恒松社長も?」
「彼、頭が切れるだけじゃなく、提示する契約金も半端じゃないから、ほんと困るんだよ」
冴島さんは鯖味噌を口に運び、軽い口調で言う。
「参るよなあ。苦労してやっと口説き落としたのに」
つまり冴島さんが自らヘッドハンティングしたということか。
そこまで聞かされるとさすがに妬けてくる。彼女は冴島さんに認められた人。おまけにきれい。そんな人はきっとほんの一握りだ。
「レセプションの日、冴島さんと瑠璃さんをお見かけしました。あと恒松社長も。あれはそういうことだったんですね」
「そうなんだよ。レセプションに瑠璃が出席していることを小山田さんが知らせてくれたんだ」
それで慌てて駆けつけたということだった。
小山田さんの情報網は社内一らしく、どこから入手してきたのか、その情報を出先の冴島さんにいち早く伝えてきたそうだ。
「春名さんも近くにいたなら声をかけてくれればよかったのに」
「あまりにもおふたりがお似合いだったので」
「ふたりって、僕と瑠璃?」
「はい、それで勘違いしてしまいました。冴島さんが、恒松社長から強引に瑠璃さんを引き離すのを見て、てっきりおふたりが深い関係だと思ってしまったんです。瑠璃さんが冴島さんの本命なのかもしれないと……」
「そうだったんだ……」
冴島さんはそう言ったきり、黙り込んでしまった。
どうしたのだろう。今の話が冴島さんの気に障ってしまったのだろうか。
「失礼なことを言ってしまったのなら謝ります。ごめんなさい。でもそんなふうに思っていた自分が間違っていることに、あとから気づいたんです」
わたしは野上さんとコタさんに相談して励まされたことを話した。それでも冴島さんの表情が沈んでいく。
「僕も気をつけるよ。誤解とはいえ、嫌な思いをさせちゃってごめん」
「謝らないでください。わたしがすぐに冴島さんに確認すればよかったんです」
冴島さんを責めるつもりはまったくなかった。そうじゃなくて、わたしが言いたいのは……。
「今回のことを反省して、今度からは必要なときは自分の気持ちを正直に口にしたいと思います。……会いたいとか、声を聞きたいとか、我儘もあるかもしれないんですけど」
うわぁ、この場の勢いで、言う予定のなかったことまで言ってしまった。冴島さんに引かれたらどうしよう。
すると冴島さんが安心したように頬をゆるめた。
「めちゃめちゃうれしいよ。僕も正直に言うよ。実はここのところ自信をなくしていたんだ」
「冴島さんがですか?」
「うん。本当は、自分で思っているほど春名さんに好かれていないのかも、春名さんのやさしさを好意だと勝手に勘違いしていたんじゃないかって」
冴島さんがどうして? わたしの態度がそんなふうに思わせてしまったの?
「でも気持ちを聞けてほっとした」
なんだか信じられなくて冴島さんの顔を見つめることしかできない。
やだ、どうしよう。冴島さんには申し訳ないけれど、これってすごくうれしいかも。そう思ったら、次第に興奮してきて顔がどんどん熱くなってくる。おまけに汗もふき出してきた。
冴島さんがおもむろに箸を置く。よく見ると、すでに定食を食べ終わっていた。わたしときたら半分以上残っている。
「す、すみません。急いで食べますね」
完全にキャパオーバー。わたしはとっさに話題を変えてしまった。
「ゆっくりでいいよ」
冴島さんは気にする様子もなく微笑んでくれた。
箸を持つ手が震えそうだ。彼の視線から逃れるように冷めたお味噌汁をすすった。
「今夜、会える?」
えっ、急にそんなこと……。うれしいけれど、できればお味噌汁をすすっているときに言わないでほしかった。
お味噌汁を飲み込んで、「はい」と返事をする。
今日は残業の予定だったけれど、残った仕事は明日の開店前にやればいい。ようやく会えるんだ。このチャンスを逃したくない。
わたしは視線を合わせる。
「うれしいです、会えるの」
「僕も」
甘い声で即答されて、その余裕にやっぱり負けたと思いながら目を伏せた。
「いいえ。びっくりしましたけど、だいぶ落ち着きました」
あのあと無事に役員会議室の生け込みを終え、久々に冴島さんとお昼ごはんを食べている。
場所は前にふたりで訪れた、商店街にある馴染みの定食屋。日替わりメニューの鯖味噌定食をふたつ注文した。
午前中、冴島さんを含め、三人であの役員会議室で打ち合わせをしていたそうだ。しかし冴島さんだけがほかの予定が入っていて途中退席し、最終的にあんなことに……。
「瑠璃さんっておきれいな方ですね。ハーフなんですか?」
「クウォーターだよ。母親が日本人とドイツ人のハーフで、有名なモデルだったらしいよ。子どもの頃はフランスとイタリアに住んでたって言ってたな」
「国際的な方なんですね」
「でも性格があんな感じだろう。最初は僕も驚いたよ。だけどあれで仕事はかなりできるんだ。色気を売りにしてるけど、そんじょそこらの男より男らしくて、柔道は黒帯で合気道も習ってたらしいよ」
柔道に合気道か。それなら野上さんが押し倒されていたのも、なんとか頷ける。
「性格は少々難ありだとしても手もとに置いておきたい逸材なんだ」
「冴島さんが認めるほどすごい方なんですね」
「けっこうヘッドハンティングもあるらしいんだ。実は恒松社長も瑠璃を狙っていてね」
「恒松社長も?」
「彼、頭が切れるだけじゃなく、提示する契約金も半端じゃないから、ほんと困るんだよ」
冴島さんは鯖味噌を口に運び、軽い口調で言う。
「参るよなあ。苦労してやっと口説き落としたのに」
つまり冴島さんが自らヘッドハンティングしたということか。
そこまで聞かされるとさすがに妬けてくる。彼女は冴島さんに認められた人。おまけにきれい。そんな人はきっとほんの一握りだ。
「レセプションの日、冴島さんと瑠璃さんをお見かけしました。あと恒松社長も。あれはそういうことだったんですね」
「そうなんだよ。レセプションに瑠璃が出席していることを小山田さんが知らせてくれたんだ」
それで慌てて駆けつけたということだった。
小山田さんの情報網は社内一らしく、どこから入手してきたのか、その情報を出先の冴島さんにいち早く伝えてきたそうだ。
「春名さんも近くにいたなら声をかけてくれればよかったのに」
「あまりにもおふたりがお似合いだったので」
「ふたりって、僕と瑠璃?」
「はい、それで勘違いしてしまいました。冴島さんが、恒松社長から強引に瑠璃さんを引き離すのを見て、てっきりおふたりが深い関係だと思ってしまったんです。瑠璃さんが冴島さんの本命なのかもしれないと……」
「そうだったんだ……」
冴島さんはそう言ったきり、黙り込んでしまった。
どうしたのだろう。今の話が冴島さんの気に障ってしまったのだろうか。
「失礼なことを言ってしまったのなら謝ります。ごめんなさい。でもそんなふうに思っていた自分が間違っていることに、あとから気づいたんです」
わたしは野上さんとコタさんに相談して励まされたことを話した。それでも冴島さんの表情が沈んでいく。
「僕も気をつけるよ。誤解とはいえ、嫌な思いをさせちゃってごめん」
「謝らないでください。わたしがすぐに冴島さんに確認すればよかったんです」
冴島さんを責めるつもりはまったくなかった。そうじゃなくて、わたしが言いたいのは……。
「今回のことを反省して、今度からは必要なときは自分の気持ちを正直に口にしたいと思います。……会いたいとか、声を聞きたいとか、我儘もあるかもしれないんですけど」
うわぁ、この場の勢いで、言う予定のなかったことまで言ってしまった。冴島さんに引かれたらどうしよう。
すると冴島さんが安心したように頬をゆるめた。
「めちゃめちゃうれしいよ。僕も正直に言うよ。実はここのところ自信をなくしていたんだ」
「冴島さんがですか?」
「うん。本当は、自分で思っているほど春名さんに好かれていないのかも、春名さんのやさしさを好意だと勝手に勘違いしていたんじゃないかって」
冴島さんがどうして? わたしの態度がそんなふうに思わせてしまったの?
「でも気持ちを聞けてほっとした」
なんだか信じられなくて冴島さんの顔を見つめることしかできない。
やだ、どうしよう。冴島さんには申し訳ないけれど、これってすごくうれしいかも。そう思ったら、次第に興奮してきて顔がどんどん熱くなってくる。おまけに汗もふき出してきた。
冴島さんがおもむろに箸を置く。よく見ると、すでに定食を食べ終わっていた。わたしときたら半分以上残っている。
「す、すみません。急いで食べますね」
完全にキャパオーバー。わたしはとっさに話題を変えてしまった。
「ゆっくりでいいよ」
冴島さんは気にする様子もなく微笑んでくれた。
箸を持つ手が震えそうだ。彼の視線から逃れるように冷めたお味噌汁をすすった。
「今夜、会える?」
えっ、急にそんなこと……。うれしいけれど、できればお味噌汁をすすっているときに言わないでほしかった。
お味噌汁を飲み込んで、「はい」と返事をする。
今日は残業の予定だったけれど、残った仕事は明日の開店前にやればいい。ようやく会えるんだ。このチャンスを逃したくない。
わたしは視線を合わせる。
「うれしいです、会えるの」
「僕も」
甘い声で即答されて、その余裕にやっぱり負けたと思いながら目を伏せた。
0
お気に入りに追加
378
あなたにおすすめの小説

皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

【完結】あわよくば好きになって欲しい(短編集)
野村にれ
恋愛
番(つがい)の物語。
※短編集となります。時代背景や国が違うこともあります。
※定期的に番(つがい)の話を書きたくなるのですが、
どうしても溺愛ハッピーエンドにはならないことが多いです。

忙しい男
菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。
「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」
「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」
すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。
※ハッピーエンドです
かなりやきもきさせてしまうと思います。
どうか温かい目でみてやってくださいね。
※本編完結しました(2019/07/15)
スピンオフ &番外編
【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19)
改稿 (2020/01/01)
本編のみカクヨムさんでも公開しました。
ある日、憧れブランドの社長が溺愛求婚してきました
蓮恭
恋愛
恋人に裏切られ、傷心のヒロイン杏子は勤め先の美容室を去り、人気の老舗美容室に転職する。
そこで真面目に培ってきた技術を買われ、憧れのヘアケアブランドの社長である統一郎の自宅を訪問して施術をする事に……。
しかも統一郎からどうしてもと頼まれたのは、その後の杏子の人生を大きく変えてしまうような事で……⁉︎
杏子は過去の臆病な自分と決別し、統一郎との新しい一歩を踏み出せるのか?
【サクサク読める現代物溺愛系恋愛ストーリーです】

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
愛すべきマリア
志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。
学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。
家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。
早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。
頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。
その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。
体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。
しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。
他サイトでも掲載しています。
表紙は写真ACより転載しました。

FLORAL《番外編》『敏腕社長の結婚宣言』
さとう涼
恋愛
『FLORAL-敏腕社長が可愛がるのは路地裏の花屋の店主』の番外編です。
本編の続きとなり、いくつかのエピソードで構成されています。
咲都、冴島などのキャラそれぞれの視点で時系列に話が進んでいきます。
甘め&溺愛系のエピソードもご用意しました。糖度はあくまでも当社比です…。
☆『FLORAL-敏腕社長が可愛がるのは路地裏の花屋の店主』
第14回恋愛小説大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる