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9.心の奥で触れ合って

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 すると背後に気配を感じ、かと思ったら目の前のドアがすごい勢いで開かれた。
 ええっ!?
 意に反して目に飛び込んできた光景は、テーブルの上で一組の男女がまさに絡み合っているシーン。
 やだやだ見たくない! 覚悟を決めなきゃとか、一時期そんな立派なことを思っていたけれど、やっぱり無理! こんな事実ならやっぱり知らなくていい!
 わたしはとっさにぎゅっと目を閉じた。

「おまえら、いい加減にしろ! 人の会社でなにしてんだよ、野上!」

 野上さん?
 予想だにしなかった名前が出てきて、口があんぐりとなる。
 しかもこの声は……。

「ごめんね、春名さん。不快なものを見せちゃって」

 そう言いながら、わたしの隣で苦々しい顔をしているのは冴島さん。そしてテーブルに押し倒されているのが野上さんだった。

「春名さん、大丈夫?」
「ええ、なんとか」

 驚きと安心がごちゃまぜになり、少々パニックになって、足もとがふらつくのをなんとか耐えしのぐ。
 役員会議室にいたのは野上さんだったのか。だけど誠実そうな野上さんにこんな一面があったとは。まったく見抜けなかった。

「あ、あの……聞いてもよろしいでしょうか? あの女性は……」

 冴島さんに恐る恐る声をかける。でもなんて聞けばいいのだろう。
 彼女は間違いなく瑠璃さんだ。だけど、どうして彼女がここにいるのか、さっぱり理解できない。
 言葉に詰まっていると、冴島さんがわたしの知りたかった情報を答えてくれた。

「彼女はうちの社員なんだよ。企画販売部の部長で、野上の担当をしてる」

 わたしたちを見て起き上がったふたりだが、野上さんはひどく慌てた様子だった。一方、瑠璃さんは余裕の態度で笑みすら浮かべている。
 近くで見ると、瑠璃さんの瞳はヘーゼル色をしている。レセプションのときも思ったが、日本人離れした顔立ちだから、ハーフやクウォーターなのかもしれない。

「野上、まだ瑠璃と続いていたのかよ?」

 冴島さんはまったく動じず、軽い口ぶりだ。

「違うよ、これは事故なんだ」

 ゆるめたネクタイを締め直しながら野上さんが言う。
 でもあんな場面を見てしまったため、事故と言われてもなんの説得力もない。
 だって瑠璃さんのブラウスが大きくはだけていて、ブラが丸見えだ。第一、ふたりは唇を重ねていた。一瞬だったけれど、間違いなくあれはキスだ。

「瑠璃とどうにかなるのはかまわないけど、頼むからうちの会社のなかだけはやめてくれないかな」
「それは瑠璃に言ってくれよ。僕は無理やり彼女に押し倒されたんだよ」
「男なんだから嫌なら本気で抵抗しなよ。ほんと、野上って来る者拒まずだよな」
「誰でもいいような言い方するなよ」
「野上が言っても説得力ゼロだな。野上って昔から女癖が悪いもんな」

 やっぱりそうなのか。野上さんが実は女たらしだったなんて……。すごくショックだ。

「社長ったら、随分と失礼なことをおっしゃるのね。女なら誰でもいい? そんなわけないでしょう。このわたしだからよ」

 ドヤ顔の瑠璃さんが野上さんを押しのけるように前に出てくる。冴島さんはやれやれといった顔をした。

「君のその自信はいったいどこからくるのかな。いまだにわからないよ」
「自信もなにもそれが事実よ。男はみんなわたしの虜になるの。次々に口説いてくる男をさばくのが大変なくらい」
「なにを言ってるんだか」

 とうとう冴島さんがあきれ果てたようにため息をついた。

「社長だって、わたしが本気になったら秒殺されるわよ」
「されないね」

 即答だった。

「社長はわたしの価値をわからないの?」
「わかってるよ。だから君をこの会社に引っ張ってきたんだろう。高い能力があるのに、この世に自分になびかない男がいることを、なんでわからないかな?」
「これまでそんな男がいなかったからよ。この美貌に惹かれない男がいたら、それはクズ以下よ」

 瑠璃さんはこれ見よがしに赤い唇を舌なめずりする。
 すごい人がいるものだ。彼女はわたしが出会ったことのないタイプの女性だ。自信家で自分が誰よりも美しいと思っている。
 美人なのはその通りではあるのだけれど。普通は単なる傲慢な人間となるところ、彼女の場合は潔すぎて逆に惚れ惚れする。
 でもこんなふうに思えるのも、冴島さんが彼女にまったく興味がないからなのだろう。レセプション会場でわたしが見た光景もわたしの勘違いだったのだと確信できた。

「申し訳ありません、社長。役員会議室に人が残っているとは思わなくて」

 秘書室はガラス張りなので、この騒ぎに気がついたのだろう。小山田さんが血相を変えて駆けつけてきた。

「いや、悪いのは時間外に役員会議室を使っていた瑠璃だよ。小山田さんは戻っていいよ」
「ですが……」
「ここは僕が注意しておくから」
「かしこまりました」

 小山田さんは一礼すると、わたしにも頭を下げた。半ば放心状態だったわたしも慌てて目礼する。それから小山田さんは秘書室へ戻っていったのだが、わたしは冴島さんに再び声をかけられるまで、脱力したまま立ち尽くしていた。
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