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7.幸せの裏側

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「聞いてます? 咲都さん?」
「ん? あっ、ごめん! なに?」

 店先でしゃがみながら鉢物の手入れをしていたら、榎本くんに呼びかけられ、自分がぼーっとしていることに気がついた。
 時刻は午後六時過ぎ。立ち上がると自分の影が長く伸びた。日がだいぶ傾いていた。

「マイルド商事さんから枕花《まくらばな》の注文がファックスで届きました」
「わかった」

 いけない。ちゃんと仕事に集中しなきゃ。反省しながらファックスを受け取る。
 それからマイルド商事さんに確認の電話を入れ、枕花の準備をした。
 枕花とは亡くなった方の枕もとに飾る花のこと。故人と親しい間柄の場合に贈るものだ。
 花を贈るのはお祝いのときだけではない。故人に花を供える風習は、はるか昔からの習わし。長い年月、人は花とかかわりを持ち続けていると考えると感慨深い。

 デイサービスセンターに花束を届けに行ったけれど、わたしの気分は晴れることはなかった。
 職員の方を通して花束を渡してもらったあとに謝罪した。だけどひとりのおばあちゃんが最後まで不機嫌なままだった。パンジーの花を希望された方だった。
 職員の方の話だと花がとても好きな方らしく、今日を楽しみにしてくださっていたらしい。
 半年ほど前に旦那様を亡くされ、その旦那様が生前、庭で育てていたのがパンジー。そのためパンジーに深い思い入れがあったそうだ。
 職員の方は、「次回から気をつけてくださいね」とやさしく言ってくださった。だけど、あのおばあちゃんにとっての次回は一年後で、そもそもやり直せばいいということでもない。

 そこまで考えて思った。わたしは自分が罪悪感から解放されたかっただけなのだと。笑顔で許してもらいたくて謝ったのだ。

「じゃあ、行ってきます」
「よろしく。気をつけてね」
「はーい」

 さっきの枕花は榎本くんが配達してくれることになった。フットワークが軽く、車の運転も上手なので安心してまかせられる。

「わたしもしっかりしなきゃ……」

 こんなふうに自分に言い聞かせるのは、今日だけで何度目だろう。

「ほんと、嫌になる」
「なにが嫌になるんですか?」
「うわっ!」
「すっ、すみません! 驚かせてしまって」

 榎本くんが配達に出かけてすぐのことだった。開いていた店のドアから樫村さんが顔を覗かせていた。

「樫村さんでしたか。いらっしゃいませ。こちらこそ大きな声を出してしまって申し訳ありません」
「なにかあったんですか? 元気もないみたいですが」
「いえっ、なんでもないです! あのう……今のなんですが、できれば聞かなかったことにしていただけると助かります」
「いいですよ。その気持ち、よくわかりますから」

 樫村さんに会うのはこの店で冴島さんともめたあの日以来。二週間以上経過している。
 今日はいつものビジネストートバッグではなく、黒いキャリーバッグを手にしていた。狭い店内のため、樫村さんはドア付近にそれを置いてから、なかへ入ってきた。

「もうお店には来てくれないと思っていました」
「すみません、どうしても勇気がでなくて。でもこの間は中途半端な謝罪になってしまったので、ちゃんと謝ろうと思って伺いました。騙して近づいて申し訳ありませんでした。謝ってすむとは思っていないんですが、嫌な思いをさせてしまい反省しています」
「そのことだったらもういいんです。怒ってませんから」
「ありがとう。あれから平栗さんに改めて取材を申し込んだんですが、やはり断られてしまいました」
「そうですか……」
「でもあきらめずに何度でもトライします。春名さんにも言われましたけど、誠意を持ってお願いすれば、いつか話だけでも聞いてもらえると信じてます」

 誠意……。そういえばわたしは樫村さんにそんなことを言っていた。
 誠意とはいったいなんなのだろう。

 でも樫村さんの誠意とわたしのそれは根本的に違うような気がする。
 樫村さんが平栗さんにこだわるのは、平栗さんの作る製品の素晴らしさを紙面に飾りたい、世の中の人に紹介したいという純粋な情熱によるものだ。そのなかには仕事のやりがいという自己満足も含まれているのだろうけれど、そこに悪意はない。
 けれどわたしの場合は、許してもらうという目的を果たす手段でしかなかった。

「がんばってください。平栗さんに樫村さんの想いが伝わるといいですね」

 どんなに熱い情熱を持っていても努力が実らないときもあるかもしれない。だけど、それでもいつかと信じてがんばり続けることは大切なことだと思う。
 わたしはあのおばあちゃんの楽しみにしていた気持ちを台無しにしてしまった。わたしに、その“いつか”は来るのだろうか。おばあちゃんの気持ちを癒やしてあげられる日が……。

「では、そろそろ行きます。これから沖縄なんです」

 樫村さんが腕時計を見ながら言う。
 だからいつもより大きい荷物だったのか。といってもキャリーバッグは機内持ち込みサイズのコンパクトなものだけれど。

「ご旅行……という感じではないですね」
「そうなんですよ、残念ながら取材です。遊ぶ時間なんてぜんぜんないくらい、きつきつのスケジュールですよ」

 と言いながらも、その声は弾んでいた。

「それは大変そうですね」
「いつものことです。あの、また寄らせてもらっていいですか?」
「はい、ぜひ!」

 避けることなく、これまで通り来店してくださるのはうれしい。樫村さんのことは人として素敵だと思っているし、仕事が好きなことが伝わってきて、もっといろいろな話を聞いてみたいなと興味がわく。

「よかった」

 樫村さんが口もとをほころばせた。

「なにがですか?」
「出禁になるかと思っていたから」
「しませんよ。いつでもいらしてください」
「ちなみに春名さんへの気持ちは本物ですから」
「……本物?」
「あの告白は本気です。でも脈なしだってわかっちゃったからあきらめます。こればかりはしょうがない。でも気が変わったら教えてくれるとうれしいな」

 樫村さんは言うだけ言うと、「それじゃ」とキャリーバッグを手に、さっさと店を出ていってしまった。
 わたしは店先に出て見送ることも忘れ、その場で唖然としてしまった。
 照れていたのだろうか。途中から一度も目が合わなかった。
 やさしい人なんだなあ。少しでもわたしに負担をかけないよう、終始明るく努めてくれたに違いない。
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