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6.慣れない恋人関係
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「そういえば、Glanz《グランツ》の件はどうなった?」
冴島さんが思い出したように言った。
そうだった。うっかり報告し忘れるところだった。今日会ったときにこの話をしようと思っていたのだと、急いで頭を切り替えた。
『Glanz』とは、冴島さんに紹介していただいたジュエリーショップ。三日前にデザイナーでもある恒松《つねまつ》社長と打ち合わせをして、コンセプトや予算、デザインなどを話し合った。
そのことを簡単に説明すると、「がんばって」と応援の言葉をかけてもらった。
「恒松社長はおしゃれで陽気で、あと、なんていうか……」
ジュエリーデザイナーだけあって美意識が高く、洗練されたファッションとアクセサリーを嫌みなく身にまとっていた。おまけに華やかな顔立ちと上品な身のこなし。さらに巧みな話術までそなわった人だった。
こんなふうに言葉を並べると紳士的でパーフェクトな男性に思えるだろう。けれど、そうでもなくて……。ひと言で表すと“チャラい”。それがしっくりくる。
「もしかして口説かれた?」
冴島さんにギロリと睨まれる。
「いいえ、それはないです。お仕事の話しかしていませんから」
「よかった。でもまあ、春名さんは口説かれても応じない人なのはわかってるけど」
「やっぱり、そういう方なんですか?」
紹介していただいた方をそんなふうに言うのも失礼だけれど、実際にお会いしてショックだったので。
「ちょっと自由すぎるところはあるかな。でも才能も実力もある人なのは間違いないよ」
「それはわかります」
頭の回転が速くて、飲み込みも早い。わたしの言いたいことをすぐに理解してくれて、生け込みのデザインのヒントをいくつもくれた。
おかげで打ち合わせは短時間ですみ、それなのに内容の濃いものだった。
「うちのビルで仕事をするときとは、また違う刺激がもらえるといいね」
「すでに刺激を頂きました。どんなふうに飾ろうか、デザインを考えるだけでわくわくします」
「成功を祈ってるよ」
「ありがとうございます。精いっぱいがんばります」
楽しい時間は本当にあっという間だった。船が港に着いて下船すると、そのまま車に乗り込んだ。
首都高に入り、わたしの自宅へと向かう。
「しばらく忙しくて、ゆっくり会えないかもしれないんだ」
ハンドルを握っている冴島さんがなんでもないことのようにさらりと言う。
変なタイミングで仕事モードになってしまうんだなあ。それだけ忙しいということなのかもしれないけれど、もう少し残念そうに言ってほしい。
さみしいと思っているのはわたしだけなのかな。
だけどその不満を悟られないよう一生懸命強がった。
「わたしのことは気にしないでください。お仕事大変でしょうから」
「春名さん、あのさ……」
冴島さんがなにかを言いかけてやめる。
「どうかしました?」
「いや、なんでもないよ」
にっこりと微笑まれると、納得いかなくてもそれ以上聞くことができない。
それから冴島さんは観葉植物の手入れのこと、プライベートの旅行の話などの話題をおりまぜながら、あたり障りのない話をした。
それはそれで楽しかったけれど、心に引っかかりを感じたまま。 けれどそうこうしているうちに自宅に着いてしまい、そのまま車を降りた。
「今日は楽しかったよ」
「わたしも楽しかったです。帰りも車の運転、気をつけてください」
「うん、ありがとう。じゃあ、おやすみ」
「あ、はい……。おやすみなさい」
冴島さんの車が静かに去っていく。
ひとりになったら急に寒気を覚えた。肩から羽織っていたストールを胸の前でしっかりと合わせる。
この間とは違い、今日の帰り際はけっこうあっさりだったなあ。それともいつもはこんな感じなのだろうか。気にしなくても大丈夫なのかな……などと考えてみるが、胸のなかには虚無感が渦巻いていて心細くなっていく。
望み通り。ううん、それ以上に素晴らしいデートだったし、「好き」という言葉ももらえたのに、なにかが足りない。
だけど、こんなふうに思うのは失礼だよね。これ以上、なにを望んでいるのだろう。贅沢すぎる。
わたしたちはつき合いはじめたばかり。きっとこれからなんだ。これから少しずつふたりの関係を築いていくんだ。
今日の楽しかったことを思い出しながら、わたしはそう思い直した。
冴島さんが思い出したように言った。
そうだった。うっかり報告し忘れるところだった。今日会ったときにこの話をしようと思っていたのだと、急いで頭を切り替えた。
『Glanz』とは、冴島さんに紹介していただいたジュエリーショップ。三日前にデザイナーでもある恒松《つねまつ》社長と打ち合わせをして、コンセプトや予算、デザインなどを話し合った。
そのことを簡単に説明すると、「がんばって」と応援の言葉をかけてもらった。
「恒松社長はおしゃれで陽気で、あと、なんていうか……」
ジュエリーデザイナーだけあって美意識が高く、洗練されたファッションとアクセサリーを嫌みなく身にまとっていた。おまけに華やかな顔立ちと上品な身のこなし。さらに巧みな話術までそなわった人だった。
こんなふうに言葉を並べると紳士的でパーフェクトな男性に思えるだろう。けれど、そうでもなくて……。ひと言で表すと“チャラい”。それがしっくりくる。
「もしかして口説かれた?」
冴島さんにギロリと睨まれる。
「いいえ、それはないです。お仕事の話しかしていませんから」
「よかった。でもまあ、春名さんは口説かれても応じない人なのはわかってるけど」
「やっぱり、そういう方なんですか?」
紹介していただいた方をそんなふうに言うのも失礼だけれど、実際にお会いしてショックだったので。
「ちょっと自由すぎるところはあるかな。でも才能も実力もある人なのは間違いないよ」
「それはわかります」
頭の回転が速くて、飲み込みも早い。わたしの言いたいことをすぐに理解してくれて、生け込みのデザインのヒントをいくつもくれた。
おかげで打ち合わせは短時間ですみ、それなのに内容の濃いものだった。
「うちのビルで仕事をするときとは、また違う刺激がもらえるといいね」
「すでに刺激を頂きました。どんなふうに飾ろうか、デザインを考えるだけでわくわくします」
「成功を祈ってるよ」
「ありがとうございます。精いっぱいがんばります」
楽しい時間は本当にあっという間だった。船が港に着いて下船すると、そのまま車に乗り込んだ。
首都高に入り、わたしの自宅へと向かう。
「しばらく忙しくて、ゆっくり会えないかもしれないんだ」
ハンドルを握っている冴島さんがなんでもないことのようにさらりと言う。
変なタイミングで仕事モードになってしまうんだなあ。それだけ忙しいということなのかもしれないけれど、もう少し残念そうに言ってほしい。
さみしいと思っているのはわたしだけなのかな。
だけどその不満を悟られないよう一生懸命強がった。
「わたしのことは気にしないでください。お仕事大変でしょうから」
「春名さん、あのさ……」
冴島さんがなにかを言いかけてやめる。
「どうかしました?」
「いや、なんでもないよ」
にっこりと微笑まれると、納得いかなくてもそれ以上聞くことができない。
それから冴島さんは観葉植物の手入れのこと、プライベートの旅行の話などの話題をおりまぜながら、あたり障りのない話をした。
それはそれで楽しかったけれど、心に引っかかりを感じたまま。 けれどそうこうしているうちに自宅に着いてしまい、そのまま車を降りた。
「今日は楽しかったよ」
「わたしも楽しかったです。帰りも車の運転、気をつけてください」
「うん、ありがとう。じゃあ、おやすみ」
「あ、はい……。おやすみなさい」
冴島さんの車が静かに去っていく。
ひとりになったら急に寒気を覚えた。肩から羽織っていたストールを胸の前でしっかりと合わせる。
この間とは違い、今日の帰り際はけっこうあっさりだったなあ。それともいつもはこんな感じなのだろうか。気にしなくても大丈夫なのかな……などと考えてみるが、胸のなかには虚無感が渦巻いていて心細くなっていく。
望み通り。ううん、それ以上に素晴らしいデートだったし、「好き」という言葉ももらえたのに、なにかが足りない。
だけど、こんなふうに思うのは失礼だよね。これ以上、なにを望んでいるのだろう。贅沢すぎる。
わたしたちはつき合いはじめたばかり。きっとこれからなんだ。これから少しずつふたりの関係を築いていくんだ。
今日の楽しかったことを思い出しながら、わたしはそう思い直した。
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