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6.慣れない恋人関係
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それからいったん店に戻り、昼休憩を終えた午後。わたしは再び冴島WESTビルに来ていた。
午後はエントランスの生け込み作業だ。
オレンジ色をした丸い花のピンポンマム、ブルニアレッドなど華やかな色合いの花々のなかにサンデリアーナのグリーンを添えていく。
全体のバランスをみながら作業も終盤にさしかかった頃、冴島さんのお母様である小百合社長が通りかかった。
「今回もきれいね」
「ありがとうございます、小百合社長」
「あら、このお花、菊に似ているわね」
「はい、キク科のお花なんです。いわゆる西洋菊で、ピンポンマムといいます。オランダで作られた品種なんですよ」
「へえ、そうなの。菊にもいろいろな種類があるのね」
小百合社長は花に顔を近づけてピンポンマムに興味を示した。
こうして見ると、冴島さんは小百合社長の息子さんなのだなと改めて実感する。花の香りを嗅ぐ横顔もそっくりだ。
「そういえば、うちの秋成なんだけど、心境の変化でもあったのかしら? 急に社長室に花を飾るようになっちゃって」
「ご覧になられたんですね」
「ええ、さっき寄ってきたところなの。春名さんにお願いしてるって聞いて、びっくりしたわ」
小百合社長はまだ知らない。わたしと冴島さんがおつき合いしていることを。
それを知ったら、今の反応の何倍、いや何十倍驚くのだろう。……その前に認めてもらえるのだろうか。
小百合社長はわたしのような業者の人間にもやさしい。お高くとまった感じはなく、いつも朗らかで親しみやすい。この人があの冴島物産の社長夫人とは、初めてお会いしたときはなかなか信じられなかった。
だけど息子の交際相手となると、やさしい笑顔のままというわけにはいかない……よね?
「春名さん、どうかした?」
「す、すみません。なんでもないです」
慌てて笑顔を作って取り繕う。
「ねえ、春名さんはどう思う? あの子の心境の変化は、やっぱりなにかあったのかしら?」
「さあ、どうなんでしょう」
「一番驚いたのは、結婚にも前向きになったところなのよね」
「結婚……」
いきなりのワードにそれ以上言葉が続かない。
冴島さんとはまだおつき合いがはじまったばかりで、結婚の話なんて当然したことがない。それどころか、まだまだ恋人同士にはほど遠い感じだ。
「冗談で、どなたかいい人でもできたのかしらって言ったら、まんざらでもない顔をするのよね」
「でもそれだけでは、結婚とはならないような……」
「秋成には常々、二十五を過ぎてからおつき合いする女性は結婚を前提にねって言ってるの。彼女ができたことを隠さないってことは、そういうことなのよ」
小百合社長は興奮気味に話す。
だけど、わたしにはわからない。冴島さんがそこまで考えてくれているのかなんて。
わたしだって、そんな先のことを考える余裕はないし、そんな未来は想像がつかない。
「どんなお嬢さんなのかしら? これまで一度もおつき合いしている女性を紹介してもらったことがないから気になるわ」
小百合社長はなおも続ける。わたしはやっぱり答えられなくて、曖昧に笑ってごまかすだけ。
「秋成って、昔らからちょっと気難しいところがあるのよ。簡単に人を信用しない。心を許す人間は、今でもごくわずかしかいないわ」
「意外です。たくさんお友達がいらっしゃって、顔も広いようだったので」
「愛想だけはいいのよ。それが秋成の特技と言ってもいいわ。だけどそれは表向きのものでしかないの」
わたしが見てきた冴島さんも社交的でやさしくて笑顔の多い人。
だけど言われてみれば、ほかの女性やお友達と話しているときは普段とは違う雰囲気だった。まったく隙がないのだ。完璧すぎて本音が見えない。
野上さんやコタさんと一緒にいるときはリラックスして楽しんでいるようだったし、気に入らないことがあると素直にそれを顔に出していたので、微妙なギャップは感じていた。
ふと誕生日パーティーのときの野上さんの言葉を思い出す。
冴島さんのまわりには常に大勢の敵がいると。冴島さんはそんなことを気にする様子もなく明るく振る舞っていたけれど、あれは表向きの冴島さんだったのだろうか。
もしそうだったのなら……。
人を簡単に信用できないのは野上さんが言っていたように、なにか策略があって近づいてくる人が多かったからだ。だから常に警戒していないといけない。そのため、そういう人を瞬時に嗅ぎ分ける能力が自然と身についたのかもしれない。そして、それと同時に自分の本音を隠すことも覚えてしまったのだと思う。
「冴島社長は小百合社長にとてもよく似ていらっしゃいます。品格があって、おやさしいです。表向きというより、誰も傷つけないように振舞っているのではないでしょうか」
「どうしてそう思うの?」
「冴島社長ほどの方になりますと、いろいろな人が寄ってきます。ですが、冴島社長が本気になったら、たいていの人は敵いません。だから無駄に事を荒立てないよう、穏便に振舞っていらっしゃるんだと思いました」
「あの子をそんなふうに言ってくださる人は初めてだわ。ありがとう」
小百合社長は目を細める。
それは母親の顔だった。息子を誇りに思い、心から愛していることが伝わってくる。
「秋成の彼女が春名さんだったらいいのに」
「えっ!?」
突然、小百合社長が爆弾発言をする。
わたしは瞬きを忘れてしまうほど動揺してしまった。
小百合社長はいたってまじめな面持ちで、からかっている感じではない。
「驚かせてごめんなさいね。だったらいいなっていう話よ。冴島家の嫁は、春名さんみたいにまじめで心《しん》のしっかりした女性じゃないとね」
「そんな、わたしなんて……」
直接、自分のことを言われているわけではないのに、顔に熱が集まってくる。
でも浮かれてはいけない。あくまでもたとえばの話。わたしが他人だから気軽にそう言えるのであって、決してわたしを歓迎してくれるとは限らないんだ。
わたしはゆるみそうになる顔を必死に引きしめ、そう自分に言い聞かせた。
午後はエントランスの生け込み作業だ。
オレンジ色をした丸い花のピンポンマム、ブルニアレッドなど華やかな色合いの花々のなかにサンデリアーナのグリーンを添えていく。
全体のバランスをみながら作業も終盤にさしかかった頃、冴島さんのお母様である小百合社長が通りかかった。
「今回もきれいね」
「ありがとうございます、小百合社長」
「あら、このお花、菊に似ているわね」
「はい、キク科のお花なんです。いわゆる西洋菊で、ピンポンマムといいます。オランダで作られた品種なんですよ」
「へえ、そうなの。菊にもいろいろな種類があるのね」
小百合社長は花に顔を近づけてピンポンマムに興味を示した。
こうして見ると、冴島さんは小百合社長の息子さんなのだなと改めて実感する。花の香りを嗅ぐ横顔もそっくりだ。
「そういえば、うちの秋成なんだけど、心境の変化でもあったのかしら? 急に社長室に花を飾るようになっちゃって」
「ご覧になられたんですね」
「ええ、さっき寄ってきたところなの。春名さんにお願いしてるって聞いて、びっくりしたわ」
小百合社長はまだ知らない。わたしと冴島さんがおつき合いしていることを。
それを知ったら、今の反応の何倍、いや何十倍驚くのだろう。……その前に認めてもらえるのだろうか。
小百合社長はわたしのような業者の人間にもやさしい。お高くとまった感じはなく、いつも朗らかで親しみやすい。この人があの冴島物産の社長夫人とは、初めてお会いしたときはなかなか信じられなかった。
だけど息子の交際相手となると、やさしい笑顔のままというわけにはいかない……よね?
「春名さん、どうかした?」
「す、すみません。なんでもないです」
慌てて笑顔を作って取り繕う。
「ねえ、春名さんはどう思う? あの子の心境の変化は、やっぱりなにかあったのかしら?」
「さあ、どうなんでしょう」
「一番驚いたのは、結婚にも前向きになったところなのよね」
「結婚……」
いきなりのワードにそれ以上言葉が続かない。
冴島さんとはまだおつき合いがはじまったばかりで、結婚の話なんて当然したことがない。それどころか、まだまだ恋人同士にはほど遠い感じだ。
「冗談で、どなたかいい人でもできたのかしらって言ったら、まんざらでもない顔をするのよね」
「でもそれだけでは、結婚とはならないような……」
「秋成には常々、二十五を過ぎてからおつき合いする女性は結婚を前提にねって言ってるの。彼女ができたことを隠さないってことは、そういうことなのよ」
小百合社長は興奮気味に話す。
だけど、わたしにはわからない。冴島さんがそこまで考えてくれているのかなんて。
わたしだって、そんな先のことを考える余裕はないし、そんな未来は想像がつかない。
「どんなお嬢さんなのかしら? これまで一度もおつき合いしている女性を紹介してもらったことがないから気になるわ」
小百合社長はなおも続ける。わたしはやっぱり答えられなくて、曖昧に笑ってごまかすだけ。
「秋成って、昔らからちょっと気難しいところがあるのよ。簡単に人を信用しない。心を許す人間は、今でもごくわずかしかいないわ」
「意外です。たくさんお友達がいらっしゃって、顔も広いようだったので」
「愛想だけはいいのよ。それが秋成の特技と言ってもいいわ。だけどそれは表向きのものでしかないの」
わたしが見てきた冴島さんも社交的でやさしくて笑顔の多い人。
だけど言われてみれば、ほかの女性やお友達と話しているときは普段とは違う雰囲気だった。まったく隙がないのだ。完璧すぎて本音が見えない。
野上さんやコタさんと一緒にいるときはリラックスして楽しんでいるようだったし、気に入らないことがあると素直にそれを顔に出していたので、微妙なギャップは感じていた。
ふと誕生日パーティーのときの野上さんの言葉を思い出す。
冴島さんのまわりには常に大勢の敵がいると。冴島さんはそんなことを気にする様子もなく明るく振る舞っていたけれど、あれは表向きの冴島さんだったのだろうか。
もしそうだったのなら……。
人を簡単に信用できないのは野上さんが言っていたように、なにか策略があって近づいてくる人が多かったからだ。だから常に警戒していないといけない。そのため、そういう人を瞬時に嗅ぎ分ける能力が自然と身についたのかもしれない。そして、それと同時に自分の本音を隠すことも覚えてしまったのだと思う。
「冴島社長は小百合社長にとてもよく似ていらっしゃいます。品格があって、おやさしいです。表向きというより、誰も傷つけないように振舞っているのではないでしょうか」
「どうしてそう思うの?」
「冴島社長ほどの方になりますと、いろいろな人が寄ってきます。ですが、冴島社長が本気になったら、たいていの人は敵いません。だから無駄に事を荒立てないよう、穏便に振舞っていらっしゃるんだと思いました」
「あの子をそんなふうに言ってくださる人は初めてだわ。ありがとう」
小百合社長は目を細める。
それは母親の顔だった。息子を誇りに思い、心から愛していることが伝わってくる。
「秋成の彼女が春名さんだったらいいのに」
「えっ!?」
突然、小百合社長が爆弾発言をする。
わたしは瞬きを忘れてしまうほど動揺してしまった。
小百合社長はいたってまじめな面持ちで、からかっている感じではない。
「驚かせてごめんなさいね。だったらいいなっていう話よ。冴島家の嫁は、春名さんみたいにまじめで心《しん》のしっかりした女性じゃないとね」
「そんな、わたしなんて……」
直接、自分のことを言われているわけではないのに、顔に熱が集まってくる。
でも浮かれてはいけない。あくまでもたとえばの話。わたしが他人だから気軽にそう言えるのであって、決してわたしを歓迎してくれるとは限らないんだ。
わたしはゆるみそうになる顔を必死に引きしめ、そう自分に言い聞かせた。
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