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4.思いもよらない告白に
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「からかわないでください」
「そんなことするほど暇じゃないよ。わざわざ、ここにも来ない」
「なんでわたしなんか……」
「随分と失礼なことを言うね。そのセリフ、自分を下げてるんだろうけど、僕の気持ちをばかにされてる感じがする」
「そんなつもりで言ったんじゃありません。冴島社長ほどの方がどうしてわたしに興味を持ったんだろうと思っただけです」
「気になってしょうがない子がいて、もっと知りたいと思った。でも安易な気持ちでこんなことを言ってるんじゃない。僕なりに悩んだよ。そんな僕の覚悟を考えてくれないの?」
張りつめた空気に思わず後ずさりしたら、逃がさないとばかりに手を取られた。
冴島社長の手が熱い。
でもこの大きな手で包み込まれていると、なんだか恥ずかしくなってくる。
年中荒れているわたしの手は、毎日ハンドクリームで手入れをしてもひび割れてガサガサ。午前中についた植物の樹脂が手のひらに茶色く残っている。
冴島社長の身近にいる女性は、おそらくみんな華やかで、頭のてっぺんからつま先まで完璧に磨きあげられた人たちばかりのはず。だからどうしても一歩踏み出すことができない。
ゆっくりと手を引こうとすると、さっきよりも強く握られた。
「離してください」
「逃げようとするからだよ」
「でも、わたしの手、汚れてますし。それにガサガサなので恥ずかしいです」
「花屋で働いているんだから、あたり前だろう。きれいだよ、この手はたくさんの人に喜びや癒やしを与えてきたんだ。むしろ誇りを持つべきだよ」
冴島社長は一瞬たりとも目を逸らさず、怖いくらいに真剣な口ぶりだった。
逃げるなと、その目が訴えてくる。
「今日はちゃんと返事をもらいたいんだ。今度の土曜日、僕の誕生日なんだよ。だから──」
「えっ、お誕生日なんですか!? おめでとうございます!」
そういえば今月が誕生日だと前に言っていた。
「ありがとう……って、誕生日はまだなんだけどな」
「あっ、そっか。そうですよね」
「おめでとうって言葉、できれば当日に聞きたい」
握られた手はそのままで、冴島社長はさらに続けた。
「それで、僕のマンションに大学時代の友達が集まることになってるんだ。夜の七時からなんだけど、よかったら春名さんもどうかな?」
ふたりきりじゃないんだ。
ほっとしたような気もするけれど、なにかがちょっと引っかかる。もしかして、わたしの本音は冴島社長とふたりきりで過ごしたいということなのだろうか。
「この歳で誕生日パーティーなんて恥ずかしいんだけどさ、それはあいつらの口実で、単にみんなで集まって飲み食いしようってことなんだよ」
「大学のときのお友達と今でも交流があるんですね」
「不思議とね。いろんなやつがいておもしろいよ。一流企業に勤めてるやつもいれば、つい最近まで海外でバックパッカーしてて無職のやつもいる。共通しているのは、みんな経験豊かってことかな」
「この間、デリバリーを頼んだ洋食屋さんもそうですよね」
「そいつも来るはずだよ。この間、会えなかったから紹介するよ」
だからおいでよと、小首を傾げてくるものだから、つられて「はい」と言いそうになった。
「でも土曜日は店の営業日で……」
閉店は夜の七時だけれど、そのあと掃除などのもろもろの作業がある。下手をすれば、伺うのは夜の九時を過ぎてしまうかもしれない。
「遅れてもかまわない。お店が終わってからでもいいよ」
熱心に誘ってくれるので断りきれない。どうしようかと迷っていると店の奥から物音がした。見ると、榎本くんがこちらに猛突進してくる。
「榎本くん、どうしたの?」
というか、今の今までどこに行っていたのという疑問のほうが先なんだけれど。とりあえずそれは置いておく。
「咲都さん! 土曜日の店番は俺にまかせてください! 咲都さんは早めにあがって、ぜひ誕生日パーティーに出席しましょう!」
さては奥で話を全部聞いていたな。
まったく。わたしのプライベートが榎本くんに筒抜けだなんて立場上どうなのだろう。なんだかこの先やりにくい……。
「なに言ってるの? 土曜日は居酒屋のバイトがあるから残業できないでしょう?」
「その日はシフトをずらしてもらいます。大丈夫です、多少の時間変更は了承してもらえるはずなんで」
たしかに榎本くんにはレジ締めもまかせられるし、要領もいいから、ひとりで閉店作業もできると思う。
だけど慶弔や商店街の集まりなどのやむを得ない用事ならまだしも、わたしの個人的な理由で仕事をまかせてしまうのは気が引ける。アルバイトの榎本くんにそこまで負担をかけたくない。
「気持ちはありがたいけど、そこまでしてもらわなくても大丈夫」
「遠慮しないでください。俺、咲都さんにもっと人生を楽しんでほしいんです」
「十分楽しんでるよ」
「もちろん、花屋の仕事に情熱をそそいでいるのは素晴らしいと思います。でもそれはそれ。これからは恋愛とかオシャレとか、女の子らしいことにも目を向けてほしいんです」
「別にそういうのに興味がないわけじゃないんだよ。今はそれよりも店のほうが大事なの」
「それがだめなんです。仕事は仕事、プライベートはプライベート。あんなイケメンに誘われているのに、それを断るなんてもったいないですって」
榎本くんは普段からわたしに男っ気がないことをからかっていた。いつもはそれを笑って受け流していたけれど、本気でわたしのことを心配してくれていたんだ。
誕生日か……。思いきって行ってみようかな。特別な日だし、やっぱりお祝いしたい。
「どうです? 行く気になりました?」
わたしの表情を読み取ったのか、榎本くんが期待を込めて聞いてくる。
「うん。ありがとう、榎本くん。お言葉に甘えさせてもらうね」
わたしは素直に返した。
「でも万が一忙しいと困るから、わたしと入れ替えで塔子さんにも入ってもらうようにするね」
「塔子さんも一緒なら安心です。だから咲都さんは店のことは気にせず楽しんできてください!」
榎本くんは満面の笑みで元気よく答えた。
思い返すと、わたしは自分の時間を過ごすということをもう随分としていない。最後にオシャレをして出かけた日はいつだったかも思い出せないくらいだ。
榎本くんに言われるまで、自分の今の立場ではそういうことをしちゃいけないと思っていたのかもしれない。でもいいんだよね。わたしだって、普通に楽しんでいいんだよね。
「そんなことするほど暇じゃないよ。わざわざ、ここにも来ない」
「なんでわたしなんか……」
「随分と失礼なことを言うね。そのセリフ、自分を下げてるんだろうけど、僕の気持ちをばかにされてる感じがする」
「そんなつもりで言ったんじゃありません。冴島社長ほどの方がどうしてわたしに興味を持ったんだろうと思っただけです」
「気になってしょうがない子がいて、もっと知りたいと思った。でも安易な気持ちでこんなことを言ってるんじゃない。僕なりに悩んだよ。そんな僕の覚悟を考えてくれないの?」
張りつめた空気に思わず後ずさりしたら、逃がさないとばかりに手を取られた。
冴島社長の手が熱い。
でもこの大きな手で包み込まれていると、なんだか恥ずかしくなってくる。
年中荒れているわたしの手は、毎日ハンドクリームで手入れをしてもひび割れてガサガサ。午前中についた植物の樹脂が手のひらに茶色く残っている。
冴島社長の身近にいる女性は、おそらくみんな華やかで、頭のてっぺんからつま先まで完璧に磨きあげられた人たちばかりのはず。だからどうしても一歩踏み出すことができない。
ゆっくりと手を引こうとすると、さっきよりも強く握られた。
「離してください」
「逃げようとするからだよ」
「でも、わたしの手、汚れてますし。それにガサガサなので恥ずかしいです」
「花屋で働いているんだから、あたり前だろう。きれいだよ、この手はたくさんの人に喜びや癒やしを与えてきたんだ。むしろ誇りを持つべきだよ」
冴島社長は一瞬たりとも目を逸らさず、怖いくらいに真剣な口ぶりだった。
逃げるなと、その目が訴えてくる。
「今日はちゃんと返事をもらいたいんだ。今度の土曜日、僕の誕生日なんだよ。だから──」
「えっ、お誕生日なんですか!? おめでとうございます!」
そういえば今月が誕生日だと前に言っていた。
「ありがとう……って、誕生日はまだなんだけどな」
「あっ、そっか。そうですよね」
「おめでとうって言葉、できれば当日に聞きたい」
握られた手はそのままで、冴島社長はさらに続けた。
「それで、僕のマンションに大学時代の友達が集まることになってるんだ。夜の七時からなんだけど、よかったら春名さんもどうかな?」
ふたりきりじゃないんだ。
ほっとしたような気もするけれど、なにかがちょっと引っかかる。もしかして、わたしの本音は冴島社長とふたりきりで過ごしたいということなのだろうか。
「この歳で誕生日パーティーなんて恥ずかしいんだけどさ、それはあいつらの口実で、単にみんなで集まって飲み食いしようってことなんだよ」
「大学のときのお友達と今でも交流があるんですね」
「不思議とね。いろんなやつがいておもしろいよ。一流企業に勤めてるやつもいれば、つい最近まで海外でバックパッカーしてて無職のやつもいる。共通しているのは、みんな経験豊かってことかな」
「この間、デリバリーを頼んだ洋食屋さんもそうですよね」
「そいつも来るはずだよ。この間、会えなかったから紹介するよ」
だからおいでよと、小首を傾げてくるものだから、つられて「はい」と言いそうになった。
「でも土曜日は店の営業日で……」
閉店は夜の七時だけれど、そのあと掃除などのもろもろの作業がある。下手をすれば、伺うのは夜の九時を過ぎてしまうかもしれない。
「遅れてもかまわない。お店が終わってからでもいいよ」
熱心に誘ってくれるので断りきれない。どうしようかと迷っていると店の奥から物音がした。見ると、榎本くんがこちらに猛突進してくる。
「榎本くん、どうしたの?」
というか、今の今までどこに行っていたのという疑問のほうが先なんだけれど。とりあえずそれは置いておく。
「咲都さん! 土曜日の店番は俺にまかせてください! 咲都さんは早めにあがって、ぜひ誕生日パーティーに出席しましょう!」
さては奥で話を全部聞いていたな。
まったく。わたしのプライベートが榎本くんに筒抜けだなんて立場上どうなのだろう。なんだかこの先やりにくい……。
「なに言ってるの? 土曜日は居酒屋のバイトがあるから残業できないでしょう?」
「その日はシフトをずらしてもらいます。大丈夫です、多少の時間変更は了承してもらえるはずなんで」
たしかに榎本くんにはレジ締めもまかせられるし、要領もいいから、ひとりで閉店作業もできると思う。
だけど慶弔や商店街の集まりなどのやむを得ない用事ならまだしも、わたしの個人的な理由で仕事をまかせてしまうのは気が引ける。アルバイトの榎本くんにそこまで負担をかけたくない。
「気持ちはありがたいけど、そこまでしてもらわなくても大丈夫」
「遠慮しないでください。俺、咲都さんにもっと人生を楽しんでほしいんです」
「十分楽しんでるよ」
「もちろん、花屋の仕事に情熱をそそいでいるのは素晴らしいと思います。でもそれはそれ。これからは恋愛とかオシャレとか、女の子らしいことにも目を向けてほしいんです」
「別にそういうのに興味がないわけじゃないんだよ。今はそれよりも店のほうが大事なの」
「それがだめなんです。仕事は仕事、プライベートはプライベート。あんなイケメンに誘われているのに、それを断るなんてもったいないですって」
榎本くんは普段からわたしに男っ気がないことをからかっていた。いつもはそれを笑って受け流していたけれど、本気でわたしのことを心配してくれていたんだ。
誕生日か……。思いきって行ってみようかな。特別な日だし、やっぱりお祝いしたい。
「どうです? 行く気になりました?」
わたしの表情を読み取ったのか、榎本くんが期待を込めて聞いてくる。
「うん。ありがとう、榎本くん。お言葉に甘えさせてもらうね」
わたしは素直に返した。
「でも万が一忙しいと困るから、わたしと入れ替えで塔子さんにも入ってもらうようにするね」
「塔子さんも一緒なら安心です。だから咲都さんは店のことは気にせず楽しんできてください!」
榎本くんは満面の笑みで元気よく答えた。
思い返すと、わたしは自分の時間を過ごすということをもう随分としていない。最後にオシャレをして出かけた日はいつだったかも思い出せないくらいだ。
榎本くんに言われるまで、自分の今の立場ではそういうことをしちゃいけないと思っていたのかもしれない。でもいいんだよね。わたしだって、普通に楽しんでいいんだよね。
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