八月の流星群

さとう涼

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第五章 奇跡の夜にメテオの祝福

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 八月十二日。今日はめぐると伊央の誕生日。
 虫の声しか聞こえないこの丘にはかつて小さな産院があった。めぐると伊央が初めて出会った特別な場所でもある。
 街灯の灯る丘には涼やかな風が吹いていた。夜空には雲ひとつなく、南東に月が見えた。丘の下では警笛が鳴り響き、北側にある踏切付近を二両編成の電車が通り過ぎた。

 めぐるは手に持っていたLEDのランタンを顔の横に掲げ、やって来た人物を笑顔で迎えた。

「あんなメッセージを残すなんて卑怯だよ。来ないわけにいかないじゃないか」

 ジーンズに白の襟つきシャツというシンプルな服装の伊央の左手は今日も長袖に隠れている。

「伊央こそ居留守を使うなんて卑怯だよ」
「コンシェルジュもよりけりだな。ところで渡したいものってなに?」
「これなんだけど」

 めぐるは茶封筒を差し出した。しかし薄暗くて、伊央はそれがなんなのかわからず首を傾げる。

「先月の課外授業の最終日に、如月先輩がわたしのところに来たの。御影理事長から預かったんだって。中身はICレコーダーだって言ってた」
「なにが録音されてるの?」
「わたしは知らない。だから伊央が自分で聞いて」
「僕は……」
「怖い?」

 めぐるには伊央の恐怖が手に取るようにわかった。

「きっと大丈夫だよ」
「なんでわかるんだよ?」
「御影理事長が伊央を傷つけるとは思えないから。それに伊央は実の両親にも愛されていたんだもん。恐れるものなんてなにもないよ」

 めぐるは鞄から一枚の写真を出した。

「暗くてよく見えないかと思うけど、これはこの間一緒に見た伊央のエコー写真だよ。あのとき伊央がひとりで理事長室を出ていっちゃったから代わりに預かっていたの。最初から伊央に渡そうと思っていたみたい」
「そんなもの、別にいらない」
「そんなこと言わないで。これは伊央の実のお父さんが大切にしていたものなんだよ。それでね、エコー写真には撮影日や妊娠週数が記入してあるんだけど、これを見てネットで計算してみたの。そしたら伊央の出産予定日は八月じゃなくて、九月頃なんだよね」
「少し早く生まれたからって、そんなことどうでもよくない?」

 めぐるは大きく首を縦に振った。

「伊央がお母さんのお腹のなかで聞いた『産むわけにいかない』っていう言葉は、まだ産まれてくるのは早いんだよっていう意味だったんじゃないかな」
「えっ……」
「ふたりで検診に行って、エコー写真も撮影していたんだもん。そう考えたほうが自然だと思わない?」

 伊央はしばらく考え込んでいたが、否定する理由がないことに気づき、おずおずと茶封筒を受け取る。それから意を決したように勢いよく封を開けた。
 街灯の明かりだけでは心もとない。めぐるはランタンで茶封筒を照らした。なかに入っていたのはICレコーダーだけではなかった。

「手紙みたいだね」

 B5サイズの便箋が二つ折りされており、開くと万年筆で書かれた文面が見えた。達筆の手紙は御影理事長自身がしたためたものである。



 ***

雫石伊央 殿

 このICレコーダーに入っているメッセージは、尚央の携帯電話に残っていた留守電を録音したもののようです。おそらく尚央が自分でその音源をICレコーダーに移したのでしょう。尚央が亡くなったあとにエコー写真とともに彼の部屋から見つかりました。
 尚央が亡くなる少し前、あなたが実は生きているとわたしから聞かされてから、尚央はアメリカにいるあなたに会いたい一心で病気と闘っていました。ですが、そのことを知りながら、わたしはあなたに真実を告げることができませんでした。それは尚央の強い希望でもあったからです。おそらく弱っている自分の姿を見せたくなかったのでしょう。
 しかしながら、尚央は最期の瞬間まで、あなたを大切に思っていました。それだけはどうかわかってやってください。
 すべての根源はわたしが犯した罪にあります。謝っても謝りきれないほど重い罪であります。それでも謝らせてください。申し訳ありませんでした。

                                 御影徳之助

 ***


「聞かないの?」

 伊央はICレコーダーを固く握ったままだった。

「やっぱり怖いよ」
「どうして?」
「僕が生まれたことでたくさんの人の運命が変わってしまったんだ。実の両親は死んで、御影理事長は後悔の念にさいなまれ、僕を育ててくれた父さんは僕を養育する義務を負った。みんな不幸になったんだよ」
「それは違う。みんな伊央を幸せにしたいと心から願ってがんばっていたんだよ。だから伊央は今ここにいるんだと思う。西城ヶ丘学園に入学したのだって、御影理事長の身勝手な考えとも言いきれないと思うよ」
「どういう意味?」
「えっと……たとえばなんだけど。御影理事長は障がいのある伊央を自分の目の届くところに置いて、いつでも伊央のサポートをしたかったのかも。伊央のお父さんは、伊央に日本の生活や文化に馴染んでもらって、アメリカだけでなく日本でもなに不自由なく暮らせるようにしようと思ったんじゃないかな」

 確信はないがそう思えた。ふたりが伊央を大切に思っているのはなんとなく伝わってくる。自分たちの損得で伊央を振りまわすわけがない。
 伊央は悩んでいるようだったが、やがてICレコーダーを見よう見真似で操作し出した。

「わたしは聞くのを遠慮するね」
「一緒に聞いてよ」
「でも……」
「お願いだよ。僕が逃げ出さないように、そばにいて」

 伊央の不安そうな顔にめぐるはその場にとどまることにした。伊央が「いい?」とたずねてきたので、めぐるに一瞬緊張が走ったが、覚悟を決め、頷いた。
 伊央が再生ボタンを押すと、ふたりだけの丘に音声が流れた。


【尚央、どうしよう……。お腹の赤ちゃんが苦しがってるみたい。今、産院の近くにいるからこのまま行ってみる。でも、もしかすると陣痛かもしれない。予定日は来月なのに……。お願いだから、まだ産まれてこないで。まだ産むわけにいかないの。ねえ尚央、この留守電を聞いたら──】


 なぜか数秒で唐突に途切れた。おそらく携帯電話の電池切れだと思われる。通話が切れる直前に「ピー」という通知音も聞き取れた。
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