8 / 45
3.もうひとりのヒーロー
008
しおりを挟む
それまではナギのことを「津久井くん」と呼んでいた。
ナギもそう。わたしのことを「安瀬《あんぜ》」と呼び捨てにしていた。
お互いを、下の名前で呼び合うようになったのは去年の十二月。初めてナギと結ばれた日だった。
***
週明けの月曜日は憂鬱度が一段と増す。
クラス替えをして二週間になろうとしているけれど、どうもこの席は落ち着かない。
最前列。一学期は出席番号の席順となっていて、「あ行」である「安瀬」の宿命だ。
「それにしても、みんな朝からフェアリー、フェアリーって、ほんとうっとうしい」
すずちゃんがやれやれといった感じで廊下に出てきた。わたしも教室の雰囲気に不快感を覚えて逃げ出してきたところだった。
ふたりで教室側の壁に寄りかかると、窓の外を眺めた。
すずちゃんは、ナギとの関係を打ち明けた唯一の人。少し毒舌だけど、いつも一緒にいてくれるやさしくて気の合う友達。
一年のときも同じクラスだったすずちゃんと二年でも一緒のクラスになれたのは、本当にラッキーだった。
わたしは昔から友達が少ない。人づき合いが得意ではなくて、クラスの中でも浮いていることが多かった。
高校に入学した直後もそうだった。なかなか友達ができなくて、お昼休みもいつもひとりぼっち。
そんなある日、声をかけてくれたのがすずちゃんで、おどおどしているわたしを和ませるように笑いかけてくれた。
その明るさが、なんとなくお姉ちゃんに似ているなあと思いながら話しているうちに仲よくなり、それ以来一緒に行動するようになった。それまで自分のことをあまり話せなかったせいで、友達との距離を縮められなかったわたしに、初めてできたなんでも話せる友達だった。
「みんながフェアリーの話題をするのはしょうがないよ。先週、新曲が発売されたばかりだからね。今朝のテレビでも取り上げられていたから余計にそうなんじゃないの」
わたしもその番組を見たひとり。
「てか、すずちゃんってフェアリーが嫌いなの?」
「フェアリーって子は別にいいんだよ。可愛いなって思うし。そういうことじゃなくて、みんなあることないこと、よく言うなと思って」
「ああ、そういうことか」
すずちゃんの言い分はよくわかる。
好きなアーティストの話をするのはいいんだけど、話がどんどんエスカレートしてきて変な想像をする人もいた。
たとえば音楽プロデューサーとつき合っているとか、スポンサーの幹部クラスの人とデキているとか。
華やかなデビュー、恵まれた楽曲、大がかりなメディアのバックアップ。とにかくお金をかけたプロデュースには特別な理由があるに違いないと。
けれど、その噂話に根拠なんてものはまったくない。みんな勝手に知ったかぶりしているだけ。
「そういえばさっき男子が言ってたよ」
すずちゃんがニヤニヤしながら言う。
「なにを?」
なんだか嫌な笑いだな。そう思いながら尋ねる。
「千沙希がフェアリーに似てるって」
「はあ!?」
「眼鏡をとったところを偶然に見たやつがいたらしくて、それで気づいたみたい。でも言われてみるとそうかも。目が似てるかな。あと口もとも」
「冗談やめてよ」
「いいじゃん、話題の歌姫だよ。ミステリアスな美少女って評判じゃん」
すずちゃんは完全にからかいモード。その顔は絶対にわたしのことを美少女だと思っていない。
「笑いすぎだって」
わたしは小さくため息をついた。
「顔がはっきり映っていないのに。なんで似てるってなるのかな?」
「パーツとか雰囲気とかじゃない?」
「似てないから、ぜんぜん」
「千沙希こそ、嫌いなの?」
「嫌いっていうか、なんか苦手」
「苦手ってどういう意味? 曲もいいと思うけどな。まあ、男子が騒ぎすぎて、そこはウザいけど」
すずちゃんは呑気に話すが、わたしはもうため息すら出ない。
この状況はあと何日続くのだろう。心も体もズシリと重い。考えるだけでうんざりだ。
窓の向こうには花の散った葉桜が揺れていて、曇り空に新緑が沈んでいく。わたしの心境を映し出したかのように、濁り、くすんでいた。
灰色に塗りつぶされた景色が瞼の裏に貼りついて、しばらく離れてくれなかった。
「あんたが安瀬?」
そろそろ教室に戻ろうかとすずちゃんと話していたら、いきなり名前を呼ばれた。
しかも呼び捨て。この人、超有名人だから顔と名前は知っているけれど、友達じゃないし、しゃべったこともない。
向こうはわたしのことをよく知らない様子。かろうじて名前だけは知っているみたいだけれど、わたしが安瀬という名前であることは、きっと廊下にいる誰かに聞いたんだろう。
「そうだけど、なにか用?」
「なんだ、意外に地味な女なんだな。てっきり……。あ、いやなんでもない」
「今のなに? 悪口? そんなことを言うために呼び止めたの?」
「まさか。話があるんだよ」
「話?」
「言っとくけど告るわけじゃねえからな」
「わかってるよ。最初から喧嘩腰だし。なんか嫌われてるっぽいね、わたし」
彼は同学年の降矢嵐《ふるやあらし》くん。そして水泳部だ。降矢くんはうちの高校のスーパーヒーローで、高校競泳界の期待の新星。
降矢くんは去年、インターハイに出場し、上位ではなかったものの見事入賞を果たした。それくらいここ一年の躍進ぶりには目を見張るものがあり、注目されている。県内ではもはや敵なしと言われるほどのトップクラスの選手だ。
ナギが失速してしまった今、とくに校長先生が彼に大きな期待を寄せ、その活躍に大喜びだった。
一時はナギのライバルと呼ぶ人もいた。けれどナギが競泳界から姿を消してから約十ヶ月。もはやライバル同士と思っている人はほとんどいない。
ナギもそう。わたしのことを「安瀬《あんぜ》」と呼び捨てにしていた。
お互いを、下の名前で呼び合うようになったのは去年の十二月。初めてナギと結ばれた日だった。
***
週明けの月曜日は憂鬱度が一段と増す。
クラス替えをして二週間になろうとしているけれど、どうもこの席は落ち着かない。
最前列。一学期は出席番号の席順となっていて、「あ行」である「安瀬」の宿命だ。
「それにしても、みんな朝からフェアリー、フェアリーって、ほんとうっとうしい」
すずちゃんがやれやれといった感じで廊下に出てきた。わたしも教室の雰囲気に不快感を覚えて逃げ出してきたところだった。
ふたりで教室側の壁に寄りかかると、窓の外を眺めた。
すずちゃんは、ナギとの関係を打ち明けた唯一の人。少し毒舌だけど、いつも一緒にいてくれるやさしくて気の合う友達。
一年のときも同じクラスだったすずちゃんと二年でも一緒のクラスになれたのは、本当にラッキーだった。
わたしは昔から友達が少ない。人づき合いが得意ではなくて、クラスの中でも浮いていることが多かった。
高校に入学した直後もそうだった。なかなか友達ができなくて、お昼休みもいつもひとりぼっち。
そんなある日、声をかけてくれたのがすずちゃんで、おどおどしているわたしを和ませるように笑いかけてくれた。
その明るさが、なんとなくお姉ちゃんに似ているなあと思いながら話しているうちに仲よくなり、それ以来一緒に行動するようになった。それまで自分のことをあまり話せなかったせいで、友達との距離を縮められなかったわたしに、初めてできたなんでも話せる友達だった。
「みんながフェアリーの話題をするのはしょうがないよ。先週、新曲が発売されたばかりだからね。今朝のテレビでも取り上げられていたから余計にそうなんじゃないの」
わたしもその番組を見たひとり。
「てか、すずちゃんってフェアリーが嫌いなの?」
「フェアリーって子は別にいいんだよ。可愛いなって思うし。そういうことじゃなくて、みんなあることないこと、よく言うなと思って」
「ああ、そういうことか」
すずちゃんの言い分はよくわかる。
好きなアーティストの話をするのはいいんだけど、話がどんどんエスカレートしてきて変な想像をする人もいた。
たとえば音楽プロデューサーとつき合っているとか、スポンサーの幹部クラスの人とデキているとか。
華やかなデビュー、恵まれた楽曲、大がかりなメディアのバックアップ。とにかくお金をかけたプロデュースには特別な理由があるに違いないと。
けれど、その噂話に根拠なんてものはまったくない。みんな勝手に知ったかぶりしているだけ。
「そういえばさっき男子が言ってたよ」
すずちゃんがニヤニヤしながら言う。
「なにを?」
なんだか嫌な笑いだな。そう思いながら尋ねる。
「千沙希がフェアリーに似てるって」
「はあ!?」
「眼鏡をとったところを偶然に見たやつがいたらしくて、それで気づいたみたい。でも言われてみるとそうかも。目が似てるかな。あと口もとも」
「冗談やめてよ」
「いいじゃん、話題の歌姫だよ。ミステリアスな美少女って評判じゃん」
すずちゃんは完全にからかいモード。その顔は絶対にわたしのことを美少女だと思っていない。
「笑いすぎだって」
わたしは小さくため息をついた。
「顔がはっきり映っていないのに。なんで似てるってなるのかな?」
「パーツとか雰囲気とかじゃない?」
「似てないから、ぜんぜん」
「千沙希こそ、嫌いなの?」
「嫌いっていうか、なんか苦手」
「苦手ってどういう意味? 曲もいいと思うけどな。まあ、男子が騒ぎすぎて、そこはウザいけど」
すずちゃんは呑気に話すが、わたしはもうため息すら出ない。
この状況はあと何日続くのだろう。心も体もズシリと重い。考えるだけでうんざりだ。
窓の向こうには花の散った葉桜が揺れていて、曇り空に新緑が沈んでいく。わたしの心境を映し出したかのように、濁り、くすんでいた。
灰色に塗りつぶされた景色が瞼の裏に貼りついて、しばらく離れてくれなかった。
「あんたが安瀬?」
そろそろ教室に戻ろうかとすずちゃんと話していたら、いきなり名前を呼ばれた。
しかも呼び捨て。この人、超有名人だから顔と名前は知っているけれど、友達じゃないし、しゃべったこともない。
向こうはわたしのことをよく知らない様子。かろうじて名前だけは知っているみたいだけれど、わたしが安瀬という名前であることは、きっと廊下にいる誰かに聞いたんだろう。
「そうだけど、なにか用?」
「なんだ、意外に地味な女なんだな。てっきり……。あ、いやなんでもない」
「今のなに? 悪口? そんなことを言うために呼び止めたの?」
「まさか。話があるんだよ」
「話?」
「言っとくけど告るわけじゃねえからな」
「わかってるよ。最初から喧嘩腰だし。なんか嫌われてるっぽいね、わたし」
彼は同学年の降矢嵐《ふるやあらし》くん。そして水泳部だ。降矢くんはうちの高校のスーパーヒーローで、高校競泳界の期待の新星。
降矢くんは去年、インターハイに出場し、上位ではなかったものの見事入賞を果たした。それくらいここ一年の躍進ぶりには目を見張るものがあり、注目されている。県内ではもはや敵なしと言われるほどのトップクラスの選手だ。
ナギが失速してしまった今、とくに校長先生が彼に大きな期待を寄せ、その活躍に大喜びだった。
一時はナギのライバルと呼ぶ人もいた。けれどナギが競泳界から姿を消してから約十ヶ月。もはやライバル同士と思っている人はほとんどいない。
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
イケメン御曹司、地味子へのストーカー始めました 〜マイナス余命1日〜
和泉杏咲
恋愛
表紙イラストは「帳カオル」様に描いていただきました……!眼福です(´ω`)
https://twitter.com/tobari_kaoru
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は間も無く死ぬ。だから、彼に別れを告げたいのだ。それなのに……
なぜ、私だけがこんな目に遭うのか。
なぜ、私だけにこんなに執着するのか。
私は間も無く死んでしまう。
どうか、私のことは忘れて……。
だから私は、あえて言うの。
バイバイって。
死を覚悟した少女と、彼女を一途(?)に追いかけた少年の追いかけっこの終わりの始まりのお話。
<登場人物>
矢部雪穂:ガリ勉してエリート中学校に入学した努力少女。小説家志望
悠木 清:雪穂のクラスメイト。金持ち&ギフテッドと呼ばれるほどの天才奇人イケメン御曹司
山田:清に仕えるスーパー執事
古屋さんバイト辞めるって
四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。
読んでくださりありがとうございました。
「古屋さんバイト辞めるって」
おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。
学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。
バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……
こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか?
表紙の画像はフリー素材サイトの
https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
【完結】亡くなった人を愛する貴方を、愛し続ける事はできませんでした
凛蓮月
恋愛
【おかげさまで完全完結致しました。閲覧頂きありがとうございます】
いつか見た、貴方と婚約者の仲睦まじい姿。
婚約者を失い悲しみにくれている貴方と新たに婚約をした私。
貴方は私を愛する事は無いと言ったけれど、私は貴方をお慕いしておりました。
例え貴方が今でも、亡くなった婚約者の女性を愛していても。
私は貴方が生きてさえいれば
それで良いと思っていたのです──。
【早速のホトラン入りありがとうございます!】
※作者の脳内異世界のお話です。
※小説家になろうにも同時掲載しています。
※諸事情により感想欄は閉じています。詳しくは近況ボードをご覧下さい。(追記12/31〜1/2迄受付る事に致しました)
恋い焦がれて
さとう涼
恋愛
小学校時代の担任教諭・佐野に七年ぶりに再会し、話の流れで佐野の恋人へのエンゲージリングを選ぶために一緒にジュエリーショップに行くことになってしまった二十歳の女子大学生・輝。
最初はそんなつもりはなかったのに、次第に佐野を意識してしまうようになり、自分でも困惑してしまう。
必死に自分の想いを打ち消そうとする輝。
だけど佐野も恋人との関係に悩んでいるようで、複雑な想いを抱え続けることになる。
そんな輝を見守る(ちょっかいをかける?)バイト先の店長。
さらに佐野の恋人は意外な人物で、輝は大混乱。
※ドロドロではなく純愛系を目指していますが、ビターテイストなお話です
※理想的で格好いいヒーローではありません(…すみません)
※調べながら執筆をしているのですが、無知なところも多々あるので、間違っているところがありましたら教えてください。ツイッターでも受け付けています。
https://twitter.com/SATORYO_HOME
【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね
江崎美彩
恋愛
王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。
幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。
「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」
ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう……
〜登場人物〜
ミンディ・ハーミング
元気が取り柄の伯爵令嬢。
幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。
ブライアン・ケイリー
ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。
天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。
ベリンダ・ケイリー
ブライアンの年子の妹。
ミンディとブライアンの良き理解者。
王太子殿下
婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。
『小説家になろう』にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる