楽園-ベッド・イン-

さとう涼

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楽園-ベッド・イン-(9)

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 だいたいリクはどうしてわたしをこんなに甘やかしてくれるのだろう。
 そして、わたしはリクになにを求めているのだろう。過去のつらい思い出に引きずられ、それを身体でなぐさめてもらって、それでよかったの?

「なに考えてる?」

 リクがわたしの冷たくなった肩を抱く。もう片方の手が持っていた空のシャンパングラスを抜き取った。

「この部屋にいると、仕事なんてしたくなくなるなあと思って」

 敏感なリクにどこまで嘘が通じるかわからないけれど、一応そう答えた。

「そんな場所を会社にした俺によく言えるな」
「ああ、そっか。でも、あの部屋は仕事がはかどりそうだよ。リク、いい趣味してるね」
「てか、本当にそれだけ?」
「それだけだよ」
「ふーん……」

 リクはそれ以上、追及することはなかった。相変わらず肩を抱いているだけ。
 だけど触れられている手のひらからは安心感が伝わってくる。あたたかくて、やさしい。

「仕事っていえば、最近毎日のように考えるんだ。わたしは何歳まで今の会社で働いているのかなって」
「今そんなことを考えたってしょうがないだろう」
「そうなんだけど。仕事って、わたしのなかのほとんどを占めるものなんだよね。なのにそれがうまくいっていなくて。この先の自分の人生にも自信が持てないの」
「会社で嫌なことでもあったのか? いびられてるとか?」
「ううん、そうじゃないの。わたしはいてもいなくてもいいような存在に思えて。誰でも務まるような仕事しかしていない。きっとこの先も同じだと思う」

 さほど重要じゃない雑用も多い。わたしには、むしろそういう仕事ばかりまわってくる。
 最初は総務だから仕方ないと思うようにしていた。だけどわたしだけ扱いが雑というか、持て余されているような気がするのだ。

 というのは……。
 同期の女の子はみんなそれなりにステップアップしていて、大きなプロジェクトに携わったり、重要な仕事を与えられたりしている。
 わたしはとくになにも変わり映えしない毎日だ。
 この差はいったいなんなのだろう。
 リク以外、誰もわたしを必要としてくれない。
 やっぱり、わたしじゃだめなのかな。

「同じ事務職でも、総務部じゃなくて、営業部とかバリバリ働いている男性社員がいるような部署で鍛えてもらいたかったな」
「総務部は会社の心臓部だぞ。むしろ社内で一番重要と言っていい」
「生産性のない部署なのに?」
「でもなくなったら会社は成り立たない」

 それはそうなのだろうけれど。
 ランクの低い大学出身のわたしは、それだけでもコンプレックス。自分の代わりなんていくらでもいることを自覚しているから、ときどき不安になる。わたしはそこにいていいのだろうかと。

「やっぱり営業や技術職の人たちはすごいなって思うよ。秘書課の人たちなんて、そりゃあ優雅そのものだもん。社長秘書っていう響きもいいよね。いいなあ、憧れる」

 キスをしようとしているリクに笑いかけると、リクがまっすぐに見つめてきた。

「葉月は社長秘書になりたいの?」
「そうだよね。地味なわたしじゃ似合わないよね」
「そうじゃなくて。会社の重役っていうと、頭が固くて気難しいオヤジとか、平気でセクハラしてくるイメージだから。葉月が秘書になったら心配になる」
「そんな心配いらないって。わたしが秘書になれるわけないから。もちろん、なりたくもないけどね。ていうか、いつの時代の話? いまどきそんな人、あんまりいないと思うよ」

 すると、「そりゃあ、よかった」と、リクが唇を重ねてきた。わたしは目をつぶり、深くなっていくのを従順に受け入れた。
 すっかり冷えた身体。さっきまでの汗だくの時間が懐かしい。

 秋が深まったこの季節、ここから望める夜景は少しだけクリアだった。
 もうすぐ冬がやって来る。それから春が来て夏が来て、また秋が来る。そのときもまだわたしはリクの隣にいるのだろうか。
 ゆっくりと身体が倒された。
 ほろ酔いのまま、これからのことを最後まで覚えている自信はあまりない。
 でもそれでもいい。
 目が覚めたとき、リクが隣にいてくれるのなら、それだけで安心できる。
 甘えるようにキスをせがむ。肌を寄せ合いながら、互いの体温の高まりを知る。それからは、昂るのみ。
 楽園を見つけたわたしたちは、欲情に身を焦がし、淫らに喘いで、本能を見せ合って……。そして不思議な絆で結ばれるのだ。



〈完〉

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