草履とヒール

九条 いち

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六章  帰還



「沙理おばちゃーんあそぼ―」
「おねーちゃんだろうがぁー!」
「キャー」
 子どもたちが楽しそうに家の中を逃げ回っている様子を見ると、自然と笑みがこぼれる。

 戦が終わった知らせが城に回ると、各々の家に戻る準備をする人達が忙しく移動し始めた。彼らの波に呑まれて焦っていると、めぐさんの母親が近くに来て提案してくれた。
『通政様のご両親が存命していた時の邸宅があります。そこで通政様の帰りを待たれてはいかがでしょう?』
 彼女の一言がなければ人の少なくなった城でポツンと残されていたところだったので、感謝してもしきれない。
 通政さんのご両親の邸宅に入ると質のいい木材と畳の香りがした。襖の上の欄間には丁寧に施された菊と鶴の彫刻。光の漏れる襖を開けると絵画のような庭が広がっていた。濡れ縁に出ると、すぐに庭池と繋がっていて、私の立っている場所の一歩先には色とりどりの鯉が悠々と泳いでいる。純白の体に真紅の模様が入った鯉や黒と白と赤の三色が美しく混ざり合った鯉、金色がかった鯉。いつまでも見ていられた。大きな軒下に囲まれているため、雨の日も濡れ縁に出て雨の香りと雨音、葉や池に雫が落ちる様子を楽しめる。

 四人分の座布団を輪を作るように並べる。それぞれの前に一つずつ小皿を置き、紅葉の形をした練り切りを置いて行く。
「出来ましたよー」
 遠くの部屋にも聞こえるように大きな声を出しながら桜さんが部屋に入ってきた。抹茶を乗せたお盆を持っている。その後ろからめぐさんも入ってくる。桜さんの声が聞こえたのだろう。沙理も少し経ってから入ってきた。
「子供達はお手玉してるってさ」
「ありがとうございます」
 桜さんが沙理にお礼を言う。
「調子はどうですか?」
 私は桜さんに問いかける。彼女はめぐさんが急いでお城に戻って医者に診てもらったおかげで命に別状はなかった。しかし、彼女の額の隅に残ってしまった傷を見ると心が痛む。
「もう特に痛みもありませんよ。子供達が家事を手伝ってくれるようになったので逆によかったかもしれません」
 穏やかな笑みを返す桜さん。きっと不調もあるだろうに、言おうとしない桜さんの強さに感嘆させられる。これ以上聞いても場をしらけさせるだけかもしれない。
「さあ食べましょ! お抹茶が冷えちゃう」
 めぐさんが手際よく和菓子が乗った小皿の横に抹茶を置いて行く。私の横には沙理が座り、向かいにはめぐさんが座った。お盆を後ろに下げた桜さんがめぐさんの隣に座る。
 雨音だけが響く中、タイミングを合わせるわけでもなく、四人は抹茶の入った器に口をつけた。
「綺麗な庭ね」
 めぐさんが顔を横を向け、外を眺めながら言う。
「ええ、ほんと」
「飽きないよね」
 同調する桜さんに、もう練り切りを半分食べてしまった沙理が付け加える。私はいつもと違う味のした抹茶にもう一度口をつける。
「やっぱり……美味しい」
 あまりの美味しさに自然と言葉が出た。それを見て桜さんが控えめに笑った。
「今回はめぐ様が淹れたんですよ。恥ずかしいから言わないでくれと言われたんですが」
「ちょっと桜!」
「いいじゃありませんか。美味しいんですから」
「うん、美味いよ。すごいね、めぐっち」
 沙理が抹茶を片手で飲みながら付け加える。
「っなら、いいわよ……」
 めぐさんはみんなに見られないように顔を背けているが、耳が真っ赤になっている。本当に可愛らしい女性だ。
 誰かが玄関の戸を叩く音がした。
「私、行ってくるよ」
 沙理が部屋を出た。 私も立ち上がろうとしたがやめた。
 ここ一週間ずっと同じことをしている。彼だと思って迎えに行き、違うとわかって勝手に落ち込む。その様子を見ていた沙理が代わりに出てくれるようになっていた。彼かもしれないと言う期待と、違う人だったときの落胆で心が乱されるのはもう辞めないと。
「落ち着いて……落ち着いて……」
「椿!」
 玄関門から沙理の声が聞こえた。今までと違う、少し上がった声色。期待に胸が広がる。急に軽くなった身体を上げて玄関に向かう。
 愛しい彼を出迎えるために。
「通政さんっ」
「ただいま帰った」
「おかえりなさいっ!」
 彼の広げた腕に飛び込む。身体を抱きしめてくれる感覚がひどく懐かしく感じた。
 通政さんだ。彼が今目の前にいる。それだけで幸せだった。彼の存在を確かめるように彼の背中に手を回す。ギュッと力を込めると彼も力を込めて抱きしめ返してくれる。
「通政さんだ……」
「ああ、俺だ」
 優しく頭を撫でてくれる彼の大きな手のひら。私は彼の胸に頭を擦り付けた。
「おかえりなさいっ」
「ただいま」
 彼を見上げると、彼は微笑みながら私の耳を優しく撫でた。

「っ……!」
 私と通政さんの横を誰かが横切って玄関から出て行った。
「めぐ様っ!」
 桜さんの声で出て行ったのはめぐさんだと気づいた。
 一気に血の気が引いていく。めぐさんも通政さんのことが好きなのに、通政さんが帰ってきてくれた事が嬉しくてすっかり忘れていた。彼女の目の前でなんて酷いことをしてしまったんだろう。
「私、行ってきます!」
「椿っ」
 止める通政さんから離れて、私はめぐさんの後ろ姿を必死に追いかけた。


 ゼェーッ、ハァーーッ、ゼーゼーッ

「ったく、っどこまで追いかけてっ、来んのよっ」
「めぐさんがっ、止まってくれないからっ」
 人気のない神社で二人とも息を切らして膝に両手をついていた。
 追いかけている途中に小雨が降ったが、今は止んでいる。だが今にも振り出しそうな空には灰色の雲が厚く覆っていた。
 肩を上下させながら、なんとか呼吸を整えようとする。神社に入るまでの石畳の階段五十段を一気に駆け上ったせいだろう。こんなに息を切らしたのはいつぶりだろうか。喋るのも一苦労だった。
 めぐさんは近くの木製の腰掛けに座った。私も引き摺られるように彼女の隣に行き、座った。
 三十秒程の沈黙が続く。先に話し始めたのは息切れが先に治まっためぐさんだった。
「私の方が先に通政さんのことを好きになっていたのよ。いつからかわかる? 五歳よ五歳。あれから十二年。通政様に近づく女どもを裏から手を回して退け続けてたのは私なんだから」
 5歳から恋をして十二年って長いなあ……。
 って、えっ⁉︎ めぐさんってまだ十七歳⁉︎ 大人っぽいからてっきり同い年ぐらいだと思ってた……。
 彼女に確認しようとしたが、私はまだ息が切れていてそれができない。日頃の運動不足を恨むことしかできなかった。
「みんな元貴族だったり血筋の良い武士のとこの娘だったからちょっと脅せば案外すぐ引いてくれたのよ。あなたのことも脅そうと思ったけど、家柄やお金なんて一切持ってないんだもの。どうしようもないわよ。 慣れない嫌がらせもやってみたけど、もう二度とやりたくないわ」
 めぐさんは灰色の空を見ながら苦虫を噛み潰したような顔をした。
(あーそれで……)
 めぐさんの嫌がらせはこう言っては何だが、可愛らしかった。会社で受けていた嫌がらせに比べれば、なんてことはない。
 キツく言ってくるが、言い返されたらすぐに引いていためぐさんの言動も腑に落ちた。
「通政様に興味を引いてもらえるよういろいろ頑張ったわ。でも彼はここの民を守るために剣術に学問ばかりしてた。私の事は少しも見てくれなかったわ」
 頭の中で通政さんのこちらでの生活を想像する。通政さんが一心不乱に稽古に励む姿は容易に浮かんだ。
「それが信じられないけど、転移なんてものをしてあなたと出会った。私がもし彼の転移した先にいた人……。あなただったら……私があなたのように彼に愛されていたかもしれないのに」
 めぐさんが小さな拳を握りしめているのが見えた。
「確かに……」
 私がもし、めぐさんの立場だったら、彼の興味を引いただろうか。彼女の方が私なんかよりよっぽど魅力的だし、通政さんとの共通点も多い。彼と合うところだって他にもいっぱいあるだろう。
 そう考えると、私が通政さんとこの関係になれたのはただ運が良かっただけとしか思えなかった。
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