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店員
八つ当たり
しおりを挟む「どうしました」
「どうしてくれるんですか……全然感じませんでした」
拓己さんの顔が険しくなる。
冷えた風が髪の間を掻き分けて私の首筋を冷やす。
とりあえず、と部屋の中に通される。
リビングには大きなダークブラウンの革のソファがあり、そこに腰掛けるよう勧められて座る。
彼は違う部屋に行ってしまった。でもすぐに戻ってきて、横に座る。
体をこちらに向けながら顔を覗き込まれる。
「エッチしたんですか」
「……しましたよ。すごく嬉しくて、なのに全然気持ちよくなくて。……おまけに拓己さんの顔がでてくるし……」
思い出しただけで鼻の頭から目頭に熱が集まってくる。
彼は呆れた顔で私に濡れタオルを渡す。
もらったタオルを目元にあてると、腫れて赤くなっていた瞼が冷やされて気持ちがいい。
「まあ、そうでしょうね。そうするように仕向けましたから」
「へっ?」
タオルを外して拓己さんの方を見る。
彼は足を折りたたんでソファの上にのせ、クッションを胸の前で抱いていた。
「僕が『好きな人の恋が実るまでの間だけでいい』って本当に思うわけないじゃないですか。そんなにいい人じゃないですよ。相手、ろくな奴じゃなさそうだし」
急なこと過ぎて頭がついて行かない。
無言の私を弄りながら拓己さんは続ける。
「もう凪さんは僕じゃないと満足できないと思いますよ」
「そんなっ」
私の髪をくるくると巻いて遊んでいる拓己さんと目が合う。
見たことのない光のない鋭い目に見つめられてゾクっと背筋が凍る。
「大丈夫です。責任取りますよ、一生」
拓己さんは私を横から抱きしめる。
彼の体温が伝わってきて温かい。
ボディソープの香りがふわっと香る彼がさっきの表情をしていたとは思えなかった。
彼がバッと体を離し、私の両肩に手を置く。
「ってことで、僕の彼女になってくれますよね。離れられないんだし、いっそ結婚します?」
「結婚!? 変な冗談はやめてください」
拓己さんはキョトンとした小動物のような顔をする。
なんでダメなのかわからないといった顔で見つめられて、思わず目を逸らす。
彼はおおげさに溜息を吐く。
「はぁ~あ。わかりました。結婚はもう少し待ちますよ」
「ありがとうございます」
……ん? ありがとうございます?
今の返答はおかしいよね。待ってもらうって、もう結婚する前提みたいに――
「それで、その男とどこまでしたんですか」
「途中までです」
「具体的に」
「……指を、その、私の中にいれて、動かすといいますか……」
彼は目を閉じて、また大きなため息をつく。
目をゆっくり開くと、私の肩をそっと押し、ソファの背もたれにもたれかけさせる。
「……わかってはいたんですけどね。すいません。今日はちょっと優しくできないかもしれないです」
彼が私に馬乗りになり、キスをする。
下唇を何度か食まれて持っていかれる。
開いたくちびるに熱い舌が入ってきて私の口内を余すところなく舐めとる。
「上書きしないと」
「え?」
「心配しないで、気持ちよくさせるから、ね」
私の頭をポンポンと撫でて、拓己さんはまた別室に行ってしまった。
少し経って帰ってきたときに手に持っていたのは真っ赤な縄だった。
「それ、使うんですか」
「ええ。もちろん」
私は急いで立ち上がり、ソファの後ろに避難する。
「無理無理無理! 無理です!」
「大丈夫です、初心者用のあんまり痛くないやつなんで」
「あんまりって痛いんじゃないですか」
拓己さんが段々ソファに近づいてくる。
「個人差ありますから」
近くになると彼が持っている縄が結構太めなことに気づく。
彼は私を捕まえようとソファの後ろに回り込もうとする。
「無理です!」
「大丈夫ですから」
私はソファを挟んで彼との対角線上を保つ。
どちらかが動いたらそれに合わせて動く。
お互い譲らずにフェイントの掛け合いが始まる。
「あきらめてください!」
「凪さんこそあきらめてください。これはお仕置きですから」
「拓己さんの趣味が入ってるじゃないですか!」
「そうですよ! 縄が映えてきれいですよ!」
「うれしくないです!」
段々笑えてくる。
さっきまで涙を流していたのに、今はこうして子供みたいな追いかけっこを楽しんでいる。
私はもう、心も拓己さんじゃないとダメなのかもしれない。
……でも、しばらくは言わないことにする。
もう少しだけ、彼に私のことを追いかけていてほしいと思ったから。
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