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知ってるわけが、ない

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 荒く削られた石畳がひんやりと脚の下にある。
 立ち上がる気力もないまま、私はあたりを見回す。
 駅前のアーケードのような高い天井を、石の柱が支えている。壁には等間隔に穴が開き、ゆらめく炎が燃えている。
 いくつかの要石には、見たことのない模様や文字らしき跡が刻まれている。
 
 手足はある。服は下着のままだ。強盗に刺された傷は、跡形もない。

「生きてる……生きてるけど」

 私は一瞬だけ安心して、すぐに心の中で騒ぎ出した。ここ、どこォ?!

 転生・転移の女神、ルールルルとやらにの一方的な説明で、何もわからないまま転移させられた先が、なんか地下の底。こんなの納得できるわけがない。
 なぜなら、私に与えられたチート能力は[整理整頓]だから。

 生前、私は汚部屋製造機だった。うずたかく積もる洗濯物と郵便物の山は部屋の隅を埋めていき、やがて床は踏むたびに何かがパキパキと折れる音のする堆積物のミルフィーユになってゆく。
 働いて、家に帰り、獣の巣のような部屋の隙間に体を埋めて眠る。そんな生活はもう二度とごめんだった、だから願ったのだ、整理整頓が出来るようになりたいと。

 心を落ち着けて、女神の名を呼ぶ。
「ルルルルルー」
 何も起こらない。
「ルルルール・ルールル」
 チリ一つ動かない。
「ルルルルルルル!!」
  ヤケになって叫ぶと、ピコン!と視界の端に女神の顔が現れた。

「ルルールル・ラララー!です! 何か困った事がありますか?」

 困った事しかない。私は怒鳴り叫び力の限りに文句を言おうと思って口を開く。

「あの……えと……使い方……」
「え?」
「いや、だから……チートの……」
「ちょっと良く聞こえないんですけど、もしかしてチート能力の使い方ですか?簡単ですよ! 整理整頓したい対象を視野に入れて、整理整頓したいように命令するんです! するとびっくり! 相手がどんな存在階級であってもガード不能!整理整頓されちゃうんです!」
「え、あ、えと、それって、その」
「詳しいことはやってみたらわかります!それじゃまた!あ!今度呼ぶときは正しい名前で呼んでくださいね!ルルールル・ラララー!です!」

 それだけ言うと、顔は消えてしまった。
 
 対象を視野に入れて、命令する。そんな簡単なことなのか。私は床に落ちている石のかけらを見て、命令した。

「せ、整理整頓!」

 何も起こらない

「か、片付いてください」

 石は、スンとしたまま何の反応もしない。

「え、あ、えと、あの……どこかに行って!」

 石は動かない。私は涙ぐみながら女神の名を呼んだ。

「ルルルールルルルール!」
「だからぁ、名前違うんですってば!」

 ポン、と顔が現れた。

「か、片付けたい、のに、えと、その」
「(呆れたような深いため息)いいですか、その石は元々どこかに整理整頓されていた物ではないんです。風化なのか、モンスターが壊したのか、理由はわからないけど岩壁から剥がれてそこに転がっている。つまり?」
「え、あの、その」
「(さらに深く話を打ち切りたい気持ちを込めたため息)適切な言葉を選ばないと、命令にならないんですよ。整理整頓するための言葉、いろいろありますよね?」

 ない。そんな言葉、知らない。知ってたらもっと、生きてる間に部屋をきれいに片付けられたはずだ。言葉がその人の人生を形作ると言うならば、私の人生に整理整頓の4文字は存在しなかった。

「あ…へ、へへへ」

 私が傷ついた心を隠すための卑屈な笑いを浮かべていると、宙に浮かんだ女神の顔がひきつった。そこまで嫌悪する事か。と私がさらに卑屈に笑うと、女神が叫ぶ。

「違います、うしろ! うしろにケールティウスが居ます!直接見たら目が見えなくなりますよ!存在階級で言えば100倍くらい上です!なんでこんな地下ダンジョンに?」
「ケ、な、何ですか」
「巨大なナメクジの腹が膨らんで、そこから千匹のヘビが顔を出してると思ってください!見ちゃダメですよ!全身が穴だらけにされます!」

 もう、どうでもよかった。強盗に刺されて、異世界に飛ばされて、ナメクジとヘビの合体したやつに殺される。直接見たら目が潰れる?いいよ、もう。
 私は振り向き、ケールティウスとやらを見た。廊下の向こう側から、ずるりぬるりと身をくねらせて、鎌首をもちあげたナメクジが近づいてくる。全身から粘液が垂れ下がり、確かに膨らんだ腹からはヘビのような細長い触手が牙を剥いてうねっている。
 確かに何も知らないで見たら、恐怖で卒倒していたかもしれない。キッチンの皿の下から出て来たら隣近所に響くほどの叫び声でも上げていたことだろう。
 だが、今の私には、どーーーーでもよかった。
 むしろ、笑えた。
 なぜなら、ナメクジの首のところがライオンの顔みたいになっていたからだ。

「いや、要素多すぎ、ライオンとヘビとナメクジでいいじゃん。分けろ分けろ」

 私が半笑いで手のひらをヒラヒラさせながら言うと、それは起こった。

 めりめり、バキバキ、ぶちぶち、ずるっ、ずるっ。

 ケールティウスの体が引き裂かれて、ライオンの首が床にぼとりと落ちる。膨らんだ腹からは、無数のヘビが見えない毛抜きに引っ張られるように抜け落ちていく。ナメクジは力を失って地面に倒れ、ちぎれたヘビたちは、うねりながら岩の隙間に逃げていった。

「ほ、ほらね!言ったでしょう!あなたのチート能力[整理整頓]は、存在階級なんて関係ない、神に等しい力を持つモンスターだって、一撃で倒せちゃうんですよ!」

 私の視野に入った状態で、女神の顔がひきつった笑いを見せた。

「え、えと、その……」

 どうやら私は、化け物相手なら平気で喋れるらしい。人間の形をしていると、どうもうまくいかない。けれど、こいつに言うべき言葉はわかってる。女神というのがどんな存在階級にいるのかは知らないけれど、私の力はこいつにもきっと、いつか届く。
 私の殺気に気づいたのか、女神は姿を消した。

 私は、小石を再び視野にいれた。

「元あった場所の方を向け」

 小石はカタンと動いて向きを変えた。確かに、近くの岩壁が削れて、そこにうまくハマるような割れ目がある。

「戻れ」

 ひゅっ、かちん。
 小石は弾かれたように飛び、元の場所に戻った。通り道にいたら、体に穴が空きそうな速さだ。

 ぺきぺきぱき、すん
 そして、小石はまるで、割れたことなんてなかったみたいに、元通りにくっついた。

 
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