異世界忍者譚 (休止中)

michael

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第一部

その12の巻 王女の心。

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カッ、カッ、カッ。

 地下牢へと続く通路に二人の足音が響いていた。一馬とソフィアの二人である。

(あれ、いつの間にか王女様と二人きり?  あれ、みんなは何処いずこへ?)

    あの決闘の後、クレイは肩をアルゴルに貸し、片手でイザベラの足を掴み医務室へ向かった。つまり、モンブレン神聖王国のトップ達は、ソフィアを除き全員医務室送りになっていた、ある意味。
    ふと、一馬は自分の少し前を歩くソフィアを見る。
 ソフィアは肩下まであるストレートの金髪を軽く揺らしながら屹然きつぜんと歩いている。その歩みにはいささかの躊躇ためらいも無く堂々としたものだ。
 
(よくよく考えたら、綾様以外の女の子とこんな風に歩くのは初めてだ。しかもこんな美少女と。……そう思ったら何か身体が強張ってきた)

 よくよく考えないとこういう事に思い当たらないのが、一馬の一馬たる所以ゆえんである。
 さっきまで自分が散々泣かしていた少女に対し、一馬はやたらと緊張していた。そしてそれを誤魔化すために話しかけた。

「あー、あー、あー、うん。……ソフィア王女、ところで俺たちは何処に向かっているんだ?」

「もちろん勇者アヤに会うためです。勇者アヤに国を救って貰えるようにお願いしなくては」

「ああ、それで何で俺も一緒に向かっているんだ?」

「何を言っているんですか?  勇者アヤはこちらの言葉は話せません、プリムスは話せます。プリムスには勇者アヤに会って私との間の通訳になって貰います」

(あれっ?)

 二人は無言で歩き続ける。
 二人の足音だけがこの通路の支配者だ。

(何かおかしい?  あれ、俺が偽名を使う理由とか何だっけ?)

 一馬は歩きながら手を組んで思い出してみた。
 『医者ドクター』との会話の記憶が断片的に頭をぎる。

(ーー君は直接、しばらくは綾君と合わない方が良いーー) 

(ーー君と会った瞬間に、彼女の心のエントロピーが振り切れているーー)

(ーー会った瞬間に、今回のようなイレギュラーが起きるかも知れないーー)

(ーー綾君に君が一馬だと認識されなかったら良いーー)

(ーー変装して偽名を使えばいいんだーー)

(僕は『医者ドクター』だ。神様じゃない。あいつらのような力はない、けどあいつらほど勝手ではないつもりだ!)

 記憶の中の『医者ドクター』は注射器を片手に襲いかかって来た!

「うわーーーーーー!」

 思わず一馬は絶叫した。

「きゃあーーーーー!」

 いつの間にか立ち止まって黙り込んでいた一馬を、心配して覗き込んでいたソフィアもびっくりして悲鳴をあげた。

「何ですか、プリムス!  立ち止まって考え込んでいると思ったら、いきなり叫んで!  あなたは、いきなり人間ですか!」

「い、いや!  『医者ドクター』が!  注射器で!  あの!  『医者悪魔』が!」

「……落ち着いてください、プリムス。ほら」

 パニックを起こして尻餅をつき、子供の様になっていた一馬を、ソフィアは優しく抱きしめた。
 イザベラのお陰で、ソフィアは幼児化する大人への対処に手馴れていた。
 そのまま何度も頭を撫でながら優しく囁く。

「大丈夫、怖い事はない。だから、落ち着いて。ねっ、大丈夫でしょう?」

(ふわぁ、綾姉みたいだ。すごく落ち着く。……あれ?) 

 しばらく一馬はソフィアのなされるがままになっていた。
 顔にソフィアのささやかな胸の感触を感じる。
 耳には優しい声と息の感触。
    女の子特有の甘く癒される匂いも感じる。
 一馬は頭に血が上って行くのが分かった。
 自分の心臓の音が耳から聞こえて、うるさくてたまらない。

(ヤバい。とにかくヤバい。なんでかわからんがヤバい。暴れだしそうだ。……ともかく王女の安全を)

 渾身の意志力を総動員して、両手でソフィアを引きはがす。
 ソフィアは不思議そうな顔をして一馬を見ている。イザベラの場合だと、大抵そのまま寝てしまうのだ。
 そのソフィアの透き通るようなブルーの瞳を意識した一馬は爆発した。

「あー!  あー!  あー!  あー!  あーーーーーー!」

 一馬は猛スピードで壁から天井に向けてくさびを打ち込み始めた。
    その奇行にソフィアは、なすすべもなくポカンとしている。
 一馬はそのくさびを利用して天井に張り付いた!

「猿渡流忍術!  壁蜘蛛!」

 いきなり奇声を上げ天井に張り付いた一馬をソフィアは見上げる。
 一馬は天井からソフィアを見下ろす。
 屋内なのに二人の間を風が吹いた、気がした。
 一馬は驚愕した声でソフィアに問い掛ける。

「……ソフィア王女。貴女は……くの一だったのですね?」

 屋内なのに再び二人の間を風が吹いた、気がした。

「……何を言っているのですか?  とにかく降りてきなさい。このままでは話しにくくて仕方がありません」

「イエス、マイ王女プリンセス

 一馬は降りて来て、正座した。
 何となくそういう気持ちだったのだ。
 一馬の顔にはまだソフィアの胸の感触が残っている。
 
(クレイ、お前はこれに敗れたのだな。これは……仕方ない)

 一馬が見上げた天井に、クレイの幻影が浮かび始める。
    クレイは実に良い笑顔でサムズアップをしていた。
 その幻影を突き破り、ソフィアが一馬の目の前に立った。 

「それでプリムス。いったいどうしたのですか、説明して下さい?」

「実は綾さ……勇者綾と直接会うのはまずいのだ。俺がこの世界にいると云う事も秘密にして欲しい。勇者をあくまで影から守る存在、それが忍者」

「表舞台には出たくないと?  それは本人にも存在をさとられないぐらいに、と云う事ですか?」

「そうだ。もう知ってしまった六人は仕方ないが、味方にも極力知られたくない」

「その理由は?」

「忍者だから、と云う事で納得して欲しい」

 正座したままの一馬の瞳にソフィアは目を向けた。その心の全てを見るつもりで、覗き込む。一馬も真っ直ぐ向いて決して逸らさない。
 一馬は真面目な話とかをして忍者モードに入ると、こういうのも平気である。
 その瞳で相手を見極めていたソフィアは、やがて笑い声をあげた。

「負けました。まるで、アルゴルのように真直ぐで、イザベラのように純粋です。わかりました。全て信用します。さあ、立って下さい」

 そう言ってソフィアは笑顔で一馬に手を差し伸べた。
 人を心の底から、ほっとさせるような良い笑顔だ。
 その手を取って立ち上がりながら、一馬は安堵の溜息を吐いて安心した。

「ところで本名は何と言いますか?」

「ああ、猿渡一馬さるわたりかずま……」

(あれっ?)

 屋内なのに三度みたび二人の間を風が吹いた、気がした。
 一馬の顔から滝のような汗が流れ落ちる。
 ソフィアの笑顔は恐ろしいぐらいに変わらない。
 一馬には時間と云う時計の針が止まっている気がしていた。
 しかし無情にもソフィアは、その時計の針を動かしてきた。

「サルワタリ、カズマですか?  ではこれからは、プリムスの事はと呼びますね。カ、ズ、マ?」

「ええぇーー!  いやいやいやいや!  俺はプリムスです!  王女様!  聞いてください!  そんな、カズマ何て忍者は知りません!」

「カズマ。口調も変わってますよ。そちらが素なのですね?」

 狼狽して慌てふためく一馬を、さも愉快そうに見ながらソフィアがさらに確認してくる。
 そのソフィアの態度に一馬もとうとう諦めて、文字通り両手を上げて降参した。

「参りました、ソフィア王女様。降参です。もう苛めないで下さい」

「そう言われても、私も散々苛められましたからお相子あいこです。それと私のことはソフィアで結構です。……それと王女は要りませんし、気安く話しかけて下さい」

「でもそれだと立場があるのでは?」

「構いません。貴方は異世界人です。私共の権威に囚われる必要は無いでしょう。信頼の証とでも思って下さい」

「わかりまし……いや、分かった。では改めて宜しく、ソフィア」

「ええ、こちらこそ宜しくお願いします。カズマ」

 一馬が差し出した右手をソフィアも右手で受ける。
 二人は握手を交わしたまま笑顔で話を続けた。

「では俺からも信頼の証として、ソフィアの頼みなら何でもきこう。俺に出来る範囲だけど……」

「そうですね、……では、私を守って下さいというのはどうですか?」

 一馬の提案に悪戯っぽく笑いながらソフィアは言った。

「分かった。俺はソフィアを守る」

 一馬は簡単そうに強く言った。
 ソフィアはそこまで即答が返って来ると思っておらず少し面食らった。
 何か心の奥底でざわつくものを感じる。

「あら、でも私は王女ですよ?  私を守るという事は国を守るという事ですよ。貴方は前に国は救わないと言いませんでしたか?」

「ああ、言った。でも俺は権威に囚われ無くていいんだろ?」

 一馬は異世界人だ。自分達のいさかいに巻き込まれて欲しくなかった。
 王女と云う立場も綺麗そうに見えて、中身はドロドロだった。貴族達との政治闘争や、他国との外交問題に巻き込まれる事もある。自分もいずれは政略結婚するのだろう。
 そこまで考えてソフィアは気付いてしまった。王女と云う立場を自分が重荷に感じている事に。
 いさかいに巻き込まれて欲しくないとか信頼の証だなんてとんでもない。ただ、王女を付けずに呼んで欲しかっただけなのだ。そうすれば、その間だけは王女で無いのだから。
 いささか後ろめたい気持ちを感じながらソフィアは答えた。 

「……ええ、そうです」

 簡潔な答えを返したソフィアに、一馬は迷いなく力強く断言した。

「だから俺は王女ソフィアで無く、ただソフィア、お前を守る」

 一馬は瞳は相も変わらずに真直ぐにソフィアの目を見ている。その瞳には嘘や迷いの欠片もない。
 ソフィアは突然身体の奥から何かが湧き上って来るのを感じた。
 顔が火照って来るのが分かる。動機も激しくなってきた。
 何故か一馬の顔を見る事が出来なくなり下を向いてしまった。
 
「ソフィア、どうした?」

 うつむいたソフィアを不思議がって一馬が覗き込んでくる。
 ソフィアはさらに顔を背けてしまう。

「ソフィア、手もなんだかすごい力が入っているんだが?」

 そう言われて、ずっと握手を続けていた事に気が付いた。
 急に恥ずかしくなってしまって、思わず手を振り払ってしまった。

「い、行きましょう!  ゆ、勇者アヤを待たせる訳にはいきません!」

 そう宣言すると後ろを見ずに早足で歩き始める。
 ソフィアは困惑していた、自分の気持ちに。
 これまで王女として育てられたソフィアには、恋愛と云う言葉は知っていてもそれがどう云うものかは分かっていなかった。
    だから、自分の気持ちが何か分からなかった。ただ今は、自分の心を持て余す事しか出来なかった。

(あれ、俺なんかやっちゃたかな?)

 振り払われた手を見ながら、戸惑った顔で一馬はソフィアの後を追った。

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