顧問と俺の出来心

木野葉ゆる

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観覧車

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 谷澤はマメだった。朝に晩にメッセージがある。『おはよう』とか、『おやすみ』とかのひとこととへんてこなキャラクターのスタンプ。
 谷澤誠やざわまこと、三十一歳、国語教師兼卓球部顧問。
 高校卒業までという期限付きのお試しの恋人である。
 俺は龍堂要りゅうどうかなめ、十七歳、高校二年、卓球部員。
 今朝のメッセージは、珍しく『おはよう』のひとことに続きがあった。『お昼に迎えに行きます。準備していてください』へんてこなキャラクターがオープンカーに乗っているスタンプ付きだ。谷澤と部活関連以外で出かけるのは初めてである。もしかして初デートのつもりだろうか。

「何着ていったらいいんだ? どこに行くかくらい書いて寄越せっての」

 トーストを齧りながら、俺はスマホの画面に文句を言った。

「なんだ、要はデートか?」

 マグカップに半分ほど入れたコーヒーに牛乳を注ぎながら、長兄のひびきが聞いてくる。

「要、デートだったらいいものやるよ。ちょっと待ってな」
 
 次兄のはるかがサラダをつついていたフォークを置いて、自室へと消えた。
 俺は三人兄弟の末っ子だ。両親は歯科医と歯科衛生士をしていて小さな歯科医院を開いている。忙しい両親の代わりに、兄達に構い倒されているから、寂しさを感じたことがない。響は製薬会社に勤めるサラリーマンで、遥は大学院生である。二人とも忙しいはずだが、俺の食事時間にはなるべく一緒にいてくれる。甘やかされていると思う。

「ほら、これ持って行けよ」

 遥が差し出したのは二枚のチケットだった。

「ありがとう。観覧車?」

 受け取ってみると、最近出来たアウトレットパークの観覧車のチケットだ。

「デートって言ったら観覧車は定番だろ。夜景が綺麗らしいぞ」

 俺と違って長身で甘い顔立ちの遥は、実は高所恐怖症である。貰ったものの持て余していたらしいチケットをくれたのだろう。

「遥、要には優しいのな。俺には金寄越せっていうくせに」
「当たり前だろ。稼ぎのある響と違って、高校生の要は少ない小遣いでやりくりしなけりゃならないんだから、優しい兄としては援助してやりたくなるでしょ」
「はいはい、そうだな。要、デート代足りなかったら小遣いやるぞ。遠慮するなよ」
「ふはっ、響だって要に甘いじゃん」

 兄達はきっと、俺のデート相手は可愛い女の子だとでも思っているのだろう。残念ながら、全然可愛くない中年教師( 男 )である。

「響兄も遥兄もありがとう。でも小遣いは大丈夫だから」

 俺は兄達に笑って席を立った。あんまり長居すると、根掘り葉掘り聞きだされかねない。中年教師に掘られたなんて知られたら、兄達はきっと谷澤を半殺しくらいにはするだろう。身内から犯罪者を出すわけにはいかないのだ。


 谷澤からは、昼前にメッセージがあった。俺は兄達に遅くなると告げて家を出た。




「谷澤って車持ってたんだ」

 よく分からないけどグレーの軽自動車は谷澤らしい気がした。車の中はかすかに煙草のにおいがした。

「よく来てくれましたね。急な誘いだったから来てくれないかと思いました」

 嬉しそうにそんなことを言って微笑んでるけど、絶対俺が来るって確信してただろ。食えないおっさんだ。

「なぁ、どこ行くつもり? 俺、○○アウトレットパークの観覧車のチケット、兄貴に貰ったんだけど、使う?」
「観覧車ですか。いいですね。是非行きましょう。その前にちょっと付き合ってください」

 そう言って連れてこられたのは美術館だった。ちょうど俺が好きな『だまし絵』の展示がされているらしい。

「俺がだまし絵が好きってよく知ってるな? なんで?」
「美術の井出先生はお喋りなんですよ」
「ふーん」

 中年の女教師、ふくよかでおおらかで、確かにあの先生はお喋りかもしれない。
 そして、谷澤と二人での美術鑑賞は、思いのほか楽しかった。お土産にパンフレットまで買ってもらって、俺はほくほくと谷澤の車に乗った。

「何が食べたいですか?」
「うーんと、俺、キュウリ以外は何でも食うよ?」
「キュウリが駄目なんですか?」
「そう、なんか青臭くて好きになれない」
「じゃぁ、ラーメンにしましょうか」

 小さなラーメン屋さんは、あっさりとした塩ラーメンの美味しいお店だった。ちょっと並んだけれど、待ち時間も楽しかった。

「観覧車、お好きですか?」
「初めてだからよくわかんねぇや」
「初めてなんですか? 意外ですね」
「そう? 俺の下の兄貴が高所恐怖症だから、観覧車は避けてたんだよね」
「なるほど。要君は高いところへいきですか?」
「うん。俺は平気だよ」

 時計を確認したら七時で、日もすっかり落ていた。観覧車で夜景を見るにはちょうどいい時間帯かもしれない。

「けっこうゆっくりなんだな」

 乗り込んだ籠は少しずつ高度を増していく。大きな窓から見える夜景は、様々な光の色で溢れていて、とても綺麗だった。

「キスしてもいいですか?」

 籠が頂上に近づいたとき、向かいの席にいたはずの谷澤が、俺の隣に来て、耳元にそっと囁かれた。
 俺は、黙ってうなずいた。

 もう、気付いてしまった。
 谷澤は悪いやつじゃない。一緒にいて、気を使わないし、楽しい。

「目を閉じて」

 観覧車の頂上で、唇の熱を分け合うようなキスは、いつもより早い鼓動まで伝ってしまいそうだった。
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