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第四章 谷良内嘉男

第22話

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 俺は、なぜ、こいつの家にいる?
 ちょっと考えることを放棄しすぎたか……。

 トシと親密になった翌日、土曜日のこと。
 気づけば俺は谷良内家のトシの部屋にいた。
 俺はトシの入れたカフェラテを振舞われていた。

 トシは首元が大きく開いたグレーのVネックシャツに黒い七分袖シャツを羽織っている。黒シャツにはオレンジの星やらピンクのハートの刺繍が施されていて、なかなかに御洒落ないでたちだと思う。
 首からはハートのシルバーネックレスをぶら下げている。
 彼の艶やかな長い髪は後ろでまとめられ、前髪は黒いピンでテッペンに留めてある。

 彼は御洒落おしゃれだ。さすがはイケメンといったところだろうか。
 しかし若干、女々めめしい。コーディネートの一つひとつを取ってみれば、それは男性の御洒落の範囲内なのだが、それがあまりにも多いと女々しい趣味だと感じざるを得ない。

 部屋もそうだ。シックな木製家具で統一しているようで、テーブルには肉球模様のクロスが敷かれていたり、クッションがピンクだったりする。

 やっぱりこいつ、そっち系だ。ただの同性愛者かと思いきや、お姉系成分が多少なりとも含まれているようだ。

「今日は簡単には帰さないからね」

 あずさちゃーん、俺をトシからも守ってくれーっ。

 お姉ちゃーん……よりはトシの面倒を見ているほうが楽だな、断然。

「で、何だっけ?」

 テーブル越しに向かい合った俺とトシは、カフェラテをすすりながらトークタイムを満喫していた。
 いや、トシは満喫、俺は消化していた、と言ったほうが妥当だろう。

「僕がどこの部活に所属しているって話はしたっけ?」

「ああ、この前、聞いたよ。文芸部だろ?」

 トシは妙に真剣な面持ちでうなづき、部屋にあった黒い手提てさかばんを引き寄せてそれをあさった。

「今日、隼人はやとを部屋に呼んだのは……」

「あ、ねえ、やっぱり君づけで呼んでくれないかな? トシに隼人って呼ばれるのは、なんだかくすぐったくて」

 本当はくすぐったいというより、むずがゆいからだ。

「え、でも、菊市きくいち君は隼人のことを隼人って呼んでいるよね?」

 だぁあああああっ!
 あんな腐れ縁と惰性で交友が続いているだけのような男にライバル意識を燃やすんじゃねぇよ! メラメラと闘志を燃やすような瞳で俺をまっすぐ見つめるんじゃないよ、まったく。

「あいつはバカだから仕方ないの」

「そっか、分かった。じゃあ君づけにするよ」

 あら、納得しちゃったよ。

「で、何だっけ?」

「そうそう、これを読んでほしいんだ。ちょっと読んでみてくれないか?」

 そう言ってトシが差し出したのは、分厚いコピー用紙のたばだった。
 いちばん上のコピー用紙の中央に一行だけ何かが書いてある。

「え、これ何?」

「小説」

「トシが書いたの?」

「そう」

「ジャンルは?」

官能かんのう

「絶対嫌だ!」

 思わず身震いした。
 鳥肌が立った。
 涙が出そう。
 これほどまでに残念なイケメンを、俺は見たことがない。さすがにこれはトシのことが好きな女子でも引くのではなかろうか。
 少なくとも俺はドン引きだ。意中の相手に自作の官能小説を読ませるなんて……。

「安心して。男同士とかじゃないから。それにただの官能小説じゃないんだ。ホラー成分もある。つまり、ホラーと官能のダブルジャンルなんだ」

「だから官能が嫌だっつってんだよ。BLは問題外」

「えーっ、どうしても?」

「い、や、だ」

「ゴホッ、ゴホッ、そこまで嫌がるなら、ゴホッ、無理にとは言わないけど、ゲホッ、ゴホゴホゴホッ、ゲホッ、ゲボッ、ゴッホ」

「あー、もう! 分かった、分かったから! 貸せ!」

 ああ、せっかくの休日が……。
 休日はゆっくり休ませてくれよ。
 姉に気絶させられているうちに休日が終わっているのも嫌だが、読みたくもない下品な小説を読まされて疲れるのも嫌だ。


    ***


 もう三時間が経過していた。開始時間を見ていなかったから四時間かもしれない。
 トシにひたすら見守られる中、俺は速読する気持ちで視線を高速で走査そうささせ、ようやくトシの書いた小説を読み終えた。
 ドサッという音を立てて原稿を勢いよくテーブルに置く。

「どう、だった?」

「はぁ、疲れた。でも、まあ、……面白かったよ」

「え、本当? 本当に?」

「ああ、うん」

 そう、お世辞じゃなくて。
 意外と面白かった。

 最初が嫌悪から始まっていてハードルが低かったということもあるだろうが、それを抜きにしても、こいつの小説は面白かった。

 小説のタイトルは『セックスゾンビ』だった。

 あらすじや設定を簡単に説明すると、こんな感じ。



 舞台はとある女子高校。

 突然現れた一人のゾンビからウイルスが感染し、どんどん女子高生たちがゾンビになる。
 この作品はその感染経路が特徴的で、接触感染でもなく、血液感染でもなく、空気感染でもない。

 絶頂感染である。

 つまり、絶頂を共有すると感染する。厳密には空気感染だが、ウイルスの感染力が弱いために免疫力低下を狙うのだ。
 ウイルスに感染してゾンビ化すると、普通のゾンビものの作品では食欲に歯止めが利かなくなるところだが、この作品では性的欲求に歯止めが利かなくなる。
 その結果、ゾンビは身近な人物に手当たりしだいに手を出す。
 先にも述べたが、感染は絶頂の共有であり、性交を必要としないのがこのウイルスの厄介なところである。
 ゾンビが手近な友達や同級生をとっつかまえ、もてあそぶ。いわゆる前戯的な行為に及ぶわけである。それによって、正常な人間を絶頂に導く。
 ゾンビは相手が絶頂すると勝手に自動的に自然に――むしろ不自然だが――絶頂し、感染が完了するわけである。

 ゾンビのターゲットは男女関係なく、ゾンビ自身の行動原理も男女関係ない。

 ゾンビには幹部ゾンビというのがある。
 黒幕は女子高の女理事長で、ウイルスの開発者でもあるのだが、その彼女により直接ゾンビ化された数名の教員や生徒は幹部ゾンビとして、多少の自我を持って行動することができる。
 自我を持った結果、その幹部ゾンビが人を襲うときに行うのが、らし、である。性交ではない。行為が激しくなるどころか、その逆だ。

 設定の説明はこれでひと通り済んだだろうか。

 次はシナリオについてだ。

 永遠の愛を誓った女子高生徒の伊達だて淑子としこと、男性教師の早田はやたとおるの二人が主人公で、それぞれの逃亡物語がストーリーの柱である。
 物語は女子生徒篇と男性教師篇、そして合流篇の三部構成となっている。

 女子生徒篇では、幹部ゾンビである男性体育教師と、その手下となったクラスメイトゾンビに伊達淑子が追いまわされる。
 淑子は多くの同級生たちに追いまわされ、追い詰められ、一度、階段下にて男性体育教師に捕まる。
 男性体育教師には「絶頂したら、おまえ自ら俺を求めるようになるのだ」などと焦らしプレイなるものをほどこされるが、上階で逃げまわる早田徹に突き飛ばされたゾンビが落下してきて、どうにか逃げ出すことに成功する。

 男性教師篇では、早田徹が女子生徒および女教師から逃げまわり、ゾンビのいない隠れられる場所を探してまわる。
 しかし大量のゾンビに取り囲まれ、女子生徒の柔らかい手に絶体絶命の危機を迎えるが、なんやかんやで抜け出すことに成功する。

 合流篇では、伊達淑子と早田徹が合流し、力を合わせて逃げまわる。
 時に励ましあい、時にお互いがお互いの目の前で蹂躙じゅうりんされ、そんなこんなでどうにか学校から抜け出すことに成功する。

 オチは、学校外もすでにゾンビだらけだったという黄金パターンである。

 以上が官能ホラー小説作品、『セックスゾンビ』の概要である。



「いやぁ、官能小説っていうわりに卑猥ひわいな表現は少なめだし、存外スリリングで楽しめたよ」

「ありがとう。嬉しいよ。でも、今回これを隼人君に読んでもらったのは、新人賞に応募するための試し読みをしてもらいたかったからなんだ。どこか不自然な部分や矛盾しているところはなかったかい?」

 新人賞か。なるほど、趣味にしては頑張っているな、と思う。感心すらする。
 もしこれが俺を楽しませるために書いたのだったらドン引きだが。

「ああ、あるよ。用字用語とか、そういう専門的なところは知らんけど、素人の俺でも明らかに、変だ、駄目だ、と思うところがある」

「え……どこ?」

 トシはファイナルアンサーと言った直後のクイズ回答者のような神妙な面持おももちで俺の目をじっと見据え、どんな指摘が飛び出すかとソワソワしながら尻尾を振る忠犬のように待った。

「この部分。さすがにこれはないな。この『ピーがピーピーされてピーをピーがピーしてピーピーピー』の部分。ピーってなんだよ! これじゃ駄目だろ。わけが分からん」

「いやぁ、この部分は卑猥すぎて、さすがにこれを言葉にするのははばかられるかなって」

「じゃあ官能小説なんか書くなよ。どうにかうまいこと表現するか、もういっそのこと直球投げろよ。そういうジャンルなんだから」

「じゃあこんなのはどう?」

 トシがサササーっと改稿かいこうして、その部分を指で指し示しながら再提出した。

「うーん、なになに? 『彼女が○を打つと、彼は×を打ち込んできた』……○×ゲームじゃねーんだよ! 具体的に書けって」

 トシは困った女子みたくモジモジしだした。
 うつむいて、チラチラとこちらを見上げる。

「えーっ、そんな、書けないよ。隼人君って、エッチだね」

「バカ野郎!」
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