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第一章 この私がそこに至るまでの経緯
第18話
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「話すことなど、もう何もない」
「そう身構えないでください。成果はともかくとして、説得するという目的だけは果たしました。ここからは楽しい雑談をしましょう。ほら、日暮さん、前に数当てゲームをしたでしょう? 覚えてます?」
相変わらず無邪気な子供のように、爛々とした笑顔で、嬉々として語る船橋理。
奴はこの私との会話をまるで心の底から楽しんでいるように見える。信じがたいことだが、本当にそう見えるのだ。
「ああ。貴様が賭けにしようと言いだして、無様にも惨敗したアレのことだな?」
その賭けというのは、1から9までの九つの数字の中から、二つの数字を船橋が思い浮かべ、この私がそれを当てるというものだった。
もしこの私が数字を二つとも言い当てたなら、この私が船橋に一つ要求を出し、船橋はほぼ無条件でその要求をのむ。
もし数字が二つとも外れたなら、船橋の質問に対し、この私がそのすべてに答える。
イカサマができないよう船橋のサイン入りの紙にこの私が数字を書くという徹底した公平性のもとでそれはおこなわれ、そして、この私は見事に船橋の思い浮かべた数字、3と8を的中させた。
あのときの船橋の顔は傑作だった。
いつ思い出しても愉悦に浸ることができる。
「なに、恥じることはない。この私に人の心を読む力があるとも知らずに、貴様が功を焦ってゲームを賭けにしようなどと言っただけのこと。否、やはり恥ずべき愚行だったかな。上格者たるこの私の素養を見誤った点について、深く反省すべきだ」
ははは、と船橋は乾いた笑いを漏らした。
「もう一度、あのゲームをやりましょう。リベンジマッチです」
「断る!」
二度目はそうそう当たらない。心を読まれると分かった敗者が策を講じて再挑戦してくれば、さすがのこの私でも簡単には心を読みきれない。
「まあ、そう言わずに。賭けではなくゲームなので、負けても失うものはありません。失うとしたら、せいぜいプライドくらいのものです。それに、今度のゲームで数字を当てるのは私のほうです」
「ほう……」
探偵小僧がこの私の心を読むだと?
面白い。
高貴なるこの私の心を凡夫たる探偵小僧になど読まれるはずがない。
そしてこの話を持ちかけたのは船橋であり、負けたときに受けるプライドへの傷はもちろん、船橋のほうが大きい。
「よかろう。受けてやる」
この私が答えると、船橋はポケットから探偵手帳を取り出し、そこに挟んでおいた紙切れを取り出した。
「実はすでにこの四つ折りの紙にあなたが言う数字を書いてあります」
「なんだと⁉」
この私は九つある数字の中からたった二つを選ぶというのに、船橋はこの私の顔すら見ぬうちに数字を用意していたというのだ。
「私がやるのはあなたが見せたような読心術ではありません。未来予知です」
「馬鹿な。そんなオカルトが存在してたまるか!」
「やってみれば分かることですよ。さあ、とっととやりましょう」
「……よかろう」
船橋が木目調のテーブルの上に数字を書いた紙を置き、その上に指を立てた。船橋の指示に従い、この私もその紙の上に指を置いて紙を押さえつけた。
これで紙のすり替えは不可能というわけだ。
船橋は未来予知と言ったが、所詮は単なる予想、予測にすぎぬ代物であろう。探偵の言うところの、いわゆる推理というやつだ。お手並みを拝見しようじゃないか。
師匠は伝説の名探偵だったのかもしれぬが、天才の助手が天才になれるわけもない。今度こそ船橋理の凡夫度合いを見定めてやる。
「さあ、日暮さん、数字を二つ言ってください。1から9までの九つの数字のうち、異なる二つの数字です」
この私は船橋にそう促されたが、すぐには答えなかった。船橋なんぞに数字を当てられてたまるものかという思いで、慎重に数字を選ぶ。
だが二つの数字を当てるなぞ、この私でもなければそうそうできまい。テキトーに数字を選べばよかろう。
……3、8。
馬鹿か私は! これではとんだ凡夫ではないか。
駄目だ。慎重に、もっと慎重に考えねば。
よし、決めたぞ。
諸君……、諸君!
久しく呼びかけていなかったからといって、気を緩めるな!
おまえたち、おまえさんたち。諸君ならば何の数字を選ぶかね?
うむ、聞こえるぞ。
二度目ともなると、さすがにバラバラだな。一部、この私と同じ数字を選んだ者もいるようだ。
だがそれが凡夫のおまえたちにしろ、上格者のおまえさんたちにしろ、二度目ともなれば偶然であろう。
この私と異なる数字を選んだ者たちよ、たとえ船橋に数字を当てられたとしても、気を落とす必要はない。
所詮、その事象は偶然の産物なのだから。
この私は決意を固め、船橋と視線をぶつけた。
そして、物怖じしているなどと勘違いされぬよう、堂々と二つの数字を言い放ってやった。
「2と6だ!」
船橋は表情を変えなかった。
悔しがるでもなく、喜ぶでもない。無表情のまま、ゆっくりとテーブル上の紙から指を離した。
この私は紙をすくい上げ、開き、そして視線を落とした。
そこには《2・6》と書かれていた。
船橋が無表情を崩し、フッと笑った。
この私を馬鹿にしているというよりは、数字が的中して安堵している様子だった。
だが実際にそうだとしたら、なおさら腑に落ちぬ。当てずっぽうではなく、確かなる自信があったことになる。
「…………」
当てられるとは思っていなかった。
この粋がった凡夫の喜びを叩き落としてやりたいが、そのためのよい言葉が思い浮かばぬ。
この私は改めて船橋理が数字を書いた紙を確かめたが、どこにも細工らしきものはなかった。
「どんなトリックを使った? 教えたまえよ」
辛うじて凡夫に対する接し方を保ち、この私は謎の解明に向けて、屈辱の一歩を踏みしめた。
「私は読心術ではなく未来予知と言いましたが、未来のあなたの心を読んだので、未来予知でもあり、読心術でもある、ということになりますか。一言で言ってしまえば、推理です」
「凡夫風情にこの私の心理状態が分かるだと? それも目の前にこの私がいない状態でか?」
「ええ。それを説明するためには、以前に私の思い浮かべた数字を言い当てたときのあなたを暴く必要がありますが、よろしいですね?」
「ふん。好きにしろ」
船橋はニヤリと笑った。上格者たるこの私からの承認の言葉が嬉しいのだろう。
「以前は私が思い浮かべた3と8をまんまと言い当てられましたが、まずはあれについて暴きましょう。まず確率の観点から言うと、九つの数字から二つの数字を選ぶときに3も8も含まれない確率は約50%です。厳密に計算するならば、《3と8を除く七つの数字から任意の二つの数字を選ぶ組み合わせ》割ることの《九つの数字から任意の二つの数字を選ぶ組み合わせ》を計算することによって、あなたが予想した3と8がどちらも含まれない《予想外れの組み合わせ》を思い浮かべる確率を求めることができます。この確率を1から引けば、思い浮かべた数字に3または8またはその両方が含まれる確率になります。計算式は、
1 - 7C2 / 9C2 = 1 - ( 7×6 / 2×1 ) / ( 9×8 / 2×1) = 1 - 7 / 12 =5 / 12
となります。とにもかくにも、九つから二つを選ぶとなると確率が低いように思えますが、実際には約半分の確率で当たるわけです」
船橋は探偵手帳の数式を書いたページを、この私の目の前に押しつけるように差し出した。
この私はそれを払いのけ、反論を試みる。
「しかしこの私はおまえの思い浮かべた数字をピタリと言い当てたぞ。それも二つともだ。片方だけ当てるにも半分に満たない確率だというのに、二つともを当てるとなると、確率はズバリ 1 / 36 だ。この低い確率をおまえは偶然だとでも言うつもりか?」
計算式は単純に、2 / 9 × 1 / 8 = 1 / 36 となる。
九つの数字から特定の二つの数字――3または8――を選び、その後、八つの数字から特定の一つの数字――3と8のうち一回目で選ばれなかったほうの数字――を選ぶ確率の計算である。
「ええ、極論としては偶然ですよ。しかし確率はそんなに低くはありません。数学的には正しい確率だとしても、心理学やら統計学やらを加味すると正しい確率ではありません。あなたなら《嘘のゴサンパチ》という言葉を聞いたことがあるでしょう? 人はテキトーに数を思い浮かべるときに最も思い浮かべやすい数字が3つあり、それが3と5と8です。あなたはその中の3と8を持ち出しました。これでは二つともを外すほうが難しいくらいだと思います」
「結局は偶然としか説明できていないが、探偵君、本当にそれでよいのかね? 現に私は当てているのだよ。おまえさんの思い浮かべた数字を」
「私もあなたの数字を当てています。それにもう一度試みたとして、あなたは私の数字を当てられますか?」
「それは……」
この私が船橋の思い浮かべる数字として3と8を選んだ理由は、おおむね船橋が言ったとおりである。
「まあ、無理でしょうね」
「そんなことはどうでもいい。それより貴様がこの私の思い浮かべた数字、2と6をどうやって見抜いたのか教えたまえよ」
この私は少し声を荒げて怒気を見せたが、船橋は淡々とこの私との会話を続けた。
「ええ、お教えしましょうとも。私はあなたに3と8を当てられたことから、あなたが《嘘のゴサンパチ》を知っていた可能性が極めて高いと考えました。つまり、《人が数字を思い浮かべる際に思い浮かべやすい数字》と言われている3と5と8はまず言わないだろうと考えたわけです。だって、あなたは私に数字を当てさせまいとしているわけですから、自分の使う手法を相手も使ってくる可能性がある以上、避けざるを得ません。それにそれらの数字を言えば、あなたの言うところの凡夫になってしまうのですから、3、5、8は口が裂けても言えないでしょう。ここで残る数字は1、2、4、6、7、9の六つですが、このうち、4と9はすぐに消せます。というのも、日本人は死を連想させる4と、苦を連想させる9を避けたがる傾向にあります。だからこの問題で最も思い浮かべて紙に書く確率の低い数字が4と9です。あなたは一度はこの二つの数字にしようと考えたかもしれません。しかし、当の心を読むと言っている人間は、あなたが一度出し抜いた相手なのです。やり返してきた以上、数の心理学を踏まえた上で、裏をかいて4と9を狙い打ちしてくる可能性はかなり高いはずです。だから避けました。答える側であるあなたからしても、裏をかくとか、そういう博打は最後の手段です。博打はお嫌いでしょう? あなたは安牌があるなら確実にそちらを切る男です。残るは1、2、6、7の四つ。あなたはこの四つでおおいに迷ったことでしょう。しかし私は2と6に即決しました。なぜなら、1と7は目立つ数字だからです。1は一番や一等など、とにかく輝かしい数字ですし、7も日本人にとっては最も縁起がよく、何かにつけて大当たりの数字です。この二つはあまりにも眩しい数字です。心を隠したくて、しかも極めて保守的なあなたには、これらの無難ではない数字を選べるはずがありません。あなたはこういうところで間違いなく2と6を選ぶ人です」
「心を、読まれた……」
なんということだ。すべて船橋の言うとおりの筋書きで、この私は2と6を選んだのだ。
こやつ、本当に心が読めるのか?
「ええ、読みました」
「視えているのか?」
だから、この私があの豚女を殺したことも見抜けたのか?
いや、そんなことはあり得ない。奴の言うとおり、推理によってこの私の心理が暴かれたのだ。
もっとも、こちらの線も信じがたいことなのだが。
だが奴はそうなのだと言う。
「いいえ、視えませんけど、あなたの性格と状況から、推測によって思考を読むことはできます」
こやつ、どうやら凡夫ではなかったらしい。
侮っていた。
もっと早くから警戒しておくべきだった。
この船橋理という男にこの私自身の情報を多く与えすぎてしまった。
もしかしたら、この私が船橋の抹殺を企てていることにも気づいているやもしれぬ。
いや、間違いなく気づいている。
この男、どうやってか、この私の携帯に登録されているカノンの電話番号を書き換えたのだから。
早く、一刻も早く、こやつを抹殺せねば。これは一刻を争う。
カノンを待たずにこの私がやるか?
海に落とすか?
いまのこの状況は絶好のチャンスではないか?
おまえさんたちはどう思う?
おまえたちのほうには訊いていないから黙れ。
ああ、どうしよう……。
「おっと、そろそろ二十分です。では私はこれで失礼します。期待してお待ちしていますよ。あなたが考えた結果、起こす行動を」
船橋がスッと立ち上がり、どこからか取り出した黒無地のキャップを頭に被せた。
「ま、待て!」
「何か?」
「あ、いや……」
キャップの影が落ちて暗くなっているが、船橋はキラキラと光る瞳でこちらを見下ろし、ニコリと笑った。
「では、失礼します」
この私は振り向いて船橋の後姿を目で追った。船橋は少しうつむき、電話を終えて戻ってきた美咲とすれ違い、どこかへと去っていった。
「お待たせ。あら、どうしたの? そんな怖い顔をして」
「あ、いや、すまない。なんでもない」
「そう? ならいいけれど……」
この後、しばらく美咲の言葉が頭に入ってこなかった。
「そう身構えないでください。成果はともかくとして、説得するという目的だけは果たしました。ここからは楽しい雑談をしましょう。ほら、日暮さん、前に数当てゲームをしたでしょう? 覚えてます?」
相変わらず無邪気な子供のように、爛々とした笑顔で、嬉々として語る船橋理。
奴はこの私との会話をまるで心の底から楽しんでいるように見える。信じがたいことだが、本当にそう見えるのだ。
「ああ。貴様が賭けにしようと言いだして、無様にも惨敗したアレのことだな?」
その賭けというのは、1から9までの九つの数字の中から、二つの数字を船橋が思い浮かべ、この私がそれを当てるというものだった。
もしこの私が数字を二つとも言い当てたなら、この私が船橋に一つ要求を出し、船橋はほぼ無条件でその要求をのむ。
もし数字が二つとも外れたなら、船橋の質問に対し、この私がそのすべてに答える。
イカサマができないよう船橋のサイン入りの紙にこの私が数字を書くという徹底した公平性のもとでそれはおこなわれ、そして、この私は見事に船橋の思い浮かべた数字、3と8を的中させた。
あのときの船橋の顔は傑作だった。
いつ思い出しても愉悦に浸ることができる。
「なに、恥じることはない。この私に人の心を読む力があるとも知らずに、貴様が功を焦ってゲームを賭けにしようなどと言っただけのこと。否、やはり恥ずべき愚行だったかな。上格者たるこの私の素養を見誤った点について、深く反省すべきだ」
ははは、と船橋は乾いた笑いを漏らした。
「もう一度、あのゲームをやりましょう。リベンジマッチです」
「断る!」
二度目はそうそう当たらない。心を読まれると分かった敗者が策を講じて再挑戦してくれば、さすがのこの私でも簡単には心を読みきれない。
「まあ、そう言わずに。賭けではなくゲームなので、負けても失うものはありません。失うとしたら、せいぜいプライドくらいのものです。それに、今度のゲームで数字を当てるのは私のほうです」
「ほう……」
探偵小僧がこの私の心を読むだと?
面白い。
高貴なるこの私の心を凡夫たる探偵小僧になど読まれるはずがない。
そしてこの話を持ちかけたのは船橋であり、負けたときに受けるプライドへの傷はもちろん、船橋のほうが大きい。
「よかろう。受けてやる」
この私が答えると、船橋はポケットから探偵手帳を取り出し、そこに挟んでおいた紙切れを取り出した。
「実はすでにこの四つ折りの紙にあなたが言う数字を書いてあります」
「なんだと⁉」
この私は九つある数字の中からたった二つを選ぶというのに、船橋はこの私の顔すら見ぬうちに数字を用意していたというのだ。
「私がやるのはあなたが見せたような読心術ではありません。未来予知です」
「馬鹿な。そんなオカルトが存在してたまるか!」
「やってみれば分かることですよ。さあ、とっととやりましょう」
「……よかろう」
船橋が木目調のテーブルの上に数字を書いた紙を置き、その上に指を立てた。船橋の指示に従い、この私もその紙の上に指を置いて紙を押さえつけた。
これで紙のすり替えは不可能というわけだ。
船橋は未来予知と言ったが、所詮は単なる予想、予測にすぎぬ代物であろう。探偵の言うところの、いわゆる推理というやつだ。お手並みを拝見しようじゃないか。
師匠は伝説の名探偵だったのかもしれぬが、天才の助手が天才になれるわけもない。今度こそ船橋理の凡夫度合いを見定めてやる。
「さあ、日暮さん、数字を二つ言ってください。1から9までの九つの数字のうち、異なる二つの数字です」
この私は船橋にそう促されたが、すぐには答えなかった。船橋なんぞに数字を当てられてたまるものかという思いで、慎重に数字を選ぶ。
だが二つの数字を当てるなぞ、この私でもなければそうそうできまい。テキトーに数字を選べばよかろう。
……3、8。
馬鹿か私は! これではとんだ凡夫ではないか。
駄目だ。慎重に、もっと慎重に考えねば。
よし、決めたぞ。
諸君……、諸君!
久しく呼びかけていなかったからといって、気を緩めるな!
おまえたち、おまえさんたち。諸君ならば何の数字を選ぶかね?
うむ、聞こえるぞ。
二度目ともなると、さすがにバラバラだな。一部、この私と同じ数字を選んだ者もいるようだ。
だがそれが凡夫のおまえたちにしろ、上格者のおまえさんたちにしろ、二度目ともなれば偶然であろう。
この私と異なる数字を選んだ者たちよ、たとえ船橋に数字を当てられたとしても、気を落とす必要はない。
所詮、その事象は偶然の産物なのだから。
この私は決意を固め、船橋と視線をぶつけた。
そして、物怖じしているなどと勘違いされぬよう、堂々と二つの数字を言い放ってやった。
「2と6だ!」
船橋は表情を変えなかった。
悔しがるでもなく、喜ぶでもない。無表情のまま、ゆっくりとテーブル上の紙から指を離した。
この私は紙をすくい上げ、開き、そして視線を落とした。
そこには《2・6》と書かれていた。
船橋が無表情を崩し、フッと笑った。
この私を馬鹿にしているというよりは、数字が的中して安堵している様子だった。
だが実際にそうだとしたら、なおさら腑に落ちぬ。当てずっぽうではなく、確かなる自信があったことになる。
「…………」
当てられるとは思っていなかった。
この粋がった凡夫の喜びを叩き落としてやりたいが、そのためのよい言葉が思い浮かばぬ。
この私は改めて船橋理が数字を書いた紙を確かめたが、どこにも細工らしきものはなかった。
「どんなトリックを使った? 教えたまえよ」
辛うじて凡夫に対する接し方を保ち、この私は謎の解明に向けて、屈辱の一歩を踏みしめた。
「私は読心術ではなく未来予知と言いましたが、未来のあなたの心を読んだので、未来予知でもあり、読心術でもある、ということになりますか。一言で言ってしまえば、推理です」
「凡夫風情にこの私の心理状態が分かるだと? それも目の前にこの私がいない状態でか?」
「ええ。それを説明するためには、以前に私の思い浮かべた数字を言い当てたときのあなたを暴く必要がありますが、よろしいですね?」
「ふん。好きにしろ」
船橋はニヤリと笑った。上格者たるこの私からの承認の言葉が嬉しいのだろう。
「以前は私が思い浮かべた3と8をまんまと言い当てられましたが、まずはあれについて暴きましょう。まず確率の観点から言うと、九つの数字から二つの数字を選ぶときに3も8も含まれない確率は約50%です。厳密に計算するならば、《3と8を除く七つの数字から任意の二つの数字を選ぶ組み合わせ》割ることの《九つの数字から任意の二つの数字を選ぶ組み合わせ》を計算することによって、あなたが予想した3と8がどちらも含まれない《予想外れの組み合わせ》を思い浮かべる確率を求めることができます。この確率を1から引けば、思い浮かべた数字に3または8またはその両方が含まれる確率になります。計算式は、
1 - 7C2 / 9C2 = 1 - ( 7×6 / 2×1 ) / ( 9×8 / 2×1) = 1 - 7 / 12 =5 / 12
となります。とにもかくにも、九つから二つを選ぶとなると確率が低いように思えますが、実際には約半分の確率で当たるわけです」
船橋は探偵手帳の数式を書いたページを、この私の目の前に押しつけるように差し出した。
この私はそれを払いのけ、反論を試みる。
「しかしこの私はおまえの思い浮かべた数字をピタリと言い当てたぞ。それも二つともだ。片方だけ当てるにも半分に満たない確率だというのに、二つともを当てるとなると、確率はズバリ 1 / 36 だ。この低い確率をおまえは偶然だとでも言うつもりか?」
計算式は単純に、2 / 9 × 1 / 8 = 1 / 36 となる。
九つの数字から特定の二つの数字――3または8――を選び、その後、八つの数字から特定の一つの数字――3と8のうち一回目で選ばれなかったほうの数字――を選ぶ確率の計算である。
「ええ、極論としては偶然ですよ。しかし確率はそんなに低くはありません。数学的には正しい確率だとしても、心理学やら統計学やらを加味すると正しい確率ではありません。あなたなら《嘘のゴサンパチ》という言葉を聞いたことがあるでしょう? 人はテキトーに数を思い浮かべるときに最も思い浮かべやすい数字が3つあり、それが3と5と8です。あなたはその中の3と8を持ち出しました。これでは二つともを外すほうが難しいくらいだと思います」
「結局は偶然としか説明できていないが、探偵君、本当にそれでよいのかね? 現に私は当てているのだよ。おまえさんの思い浮かべた数字を」
「私もあなたの数字を当てています。それにもう一度試みたとして、あなたは私の数字を当てられますか?」
「それは……」
この私が船橋の思い浮かべる数字として3と8を選んだ理由は、おおむね船橋が言ったとおりである。
「まあ、無理でしょうね」
「そんなことはどうでもいい。それより貴様がこの私の思い浮かべた数字、2と6をどうやって見抜いたのか教えたまえよ」
この私は少し声を荒げて怒気を見せたが、船橋は淡々とこの私との会話を続けた。
「ええ、お教えしましょうとも。私はあなたに3と8を当てられたことから、あなたが《嘘のゴサンパチ》を知っていた可能性が極めて高いと考えました。つまり、《人が数字を思い浮かべる際に思い浮かべやすい数字》と言われている3と5と8はまず言わないだろうと考えたわけです。だって、あなたは私に数字を当てさせまいとしているわけですから、自分の使う手法を相手も使ってくる可能性がある以上、避けざるを得ません。それにそれらの数字を言えば、あなたの言うところの凡夫になってしまうのですから、3、5、8は口が裂けても言えないでしょう。ここで残る数字は1、2、4、6、7、9の六つですが、このうち、4と9はすぐに消せます。というのも、日本人は死を連想させる4と、苦を連想させる9を避けたがる傾向にあります。だからこの問題で最も思い浮かべて紙に書く確率の低い数字が4と9です。あなたは一度はこの二つの数字にしようと考えたかもしれません。しかし、当の心を読むと言っている人間は、あなたが一度出し抜いた相手なのです。やり返してきた以上、数の心理学を踏まえた上で、裏をかいて4と9を狙い打ちしてくる可能性はかなり高いはずです。だから避けました。答える側であるあなたからしても、裏をかくとか、そういう博打は最後の手段です。博打はお嫌いでしょう? あなたは安牌があるなら確実にそちらを切る男です。残るは1、2、6、7の四つ。あなたはこの四つでおおいに迷ったことでしょう。しかし私は2と6に即決しました。なぜなら、1と7は目立つ数字だからです。1は一番や一等など、とにかく輝かしい数字ですし、7も日本人にとっては最も縁起がよく、何かにつけて大当たりの数字です。この二つはあまりにも眩しい数字です。心を隠したくて、しかも極めて保守的なあなたには、これらの無難ではない数字を選べるはずがありません。あなたはこういうところで間違いなく2と6を選ぶ人です」
「心を、読まれた……」
なんということだ。すべて船橋の言うとおりの筋書きで、この私は2と6を選んだのだ。
こやつ、本当に心が読めるのか?
「ええ、読みました」
「視えているのか?」
だから、この私があの豚女を殺したことも見抜けたのか?
いや、そんなことはあり得ない。奴の言うとおり、推理によってこの私の心理が暴かれたのだ。
もっとも、こちらの線も信じがたいことなのだが。
だが奴はそうなのだと言う。
「いいえ、視えませんけど、あなたの性格と状況から、推測によって思考を読むことはできます」
こやつ、どうやら凡夫ではなかったらしい。
侮っていた。
もっと早くから警戒しておくべきだった。
この船橋理という男にこの私自身の情報を多く与えすぎてしまった。
もしかしたら、この私が船橋の抹殺を企てていることにも気づいているやもしれぬ。
いや、間違いなく気づいている。
この男、どうやってか、この私の携帯に登録されているカノンの電話番号を書き換えたのだから。
早く、一刻も早く、こやつを抹殺せねば。これは一刻を争う。
カノンを待たずにこの私がやるか?
海に落とすか?
いまのこの状況は絶好のチャンスではないか?
おまえさんたちはどう思う?
おまえたちのほうには訊いていないから黙れ。
ああ、どうしよう……。
「おっと、そろそろ二十分です。では私はこれで失礼します。期待してお待ちしていますよ。あなたが考えた結果、起こす行動を」
船橋がスッと立ち上がり、どこからか取り出した黒無地のキャップを頭に被せた。
「ま、待て!」
「何か?」
「あ、いや……」
キャップの影が落ちて暗くなっているが、船橋はキラキラと光る瞳でこちらを見下ろし、ニコリと笑った。
「では、失礼します」
この私は振り向いて船橋の後姿を目で追った。船橋は少しうつむき、電話を終えて戻ってきた美咲とすれ違い、どこかへと去っていった。
「お待たせ。あら、どうしたの? そんな怖い顔をして」
「あ、いや、すまない。なんでもない」
「そう? ならいいけれど……」
この後、しばらく美咲の言葉が頭に入ってこなかった。
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ミステリー
売れない歌人であり、陰陽師の末裔・土御門保憲の元には、家柄を頼って様々な相談事が舞い込む。
相談事を持ち込む主犯である雑誌記者・蘆屋いすゞとは、趣味の紅茶を通しての持ちつ持たれつの間柄。
ある時、いすゞが持ち込んだのは、浅草オペラの興行主からの依頼。
――劇場に潜む『怪人』の正体を明かしてほしい。
渋々引き受けた保憲を待ち構えていたのは、プリマドンナを次々と襲う事故死の謎だった――。
不定期連載。
どうぞよろしくお願いいたします。
(2023.2.5 追記)
少しの間、連載をお休みさせて頂きます。
申し訳ございません。
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