この私がか!?

日和崎よしな

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第一章 この私がそこに至るまでの経緯

第11話

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 目的地が近づいてきた。

「もうすぐ着くぞ。今宵こよいは君に極上のイタリアンをご馳走ちそう――」

「待ってください。私たち、けられています」

「……ああ、もちろん、この私も気づいていたとも」

 なんだってぇ⁉ 尾けられているだとォ⁉ みさき美咲みさき、よく気がついたな。いったい誰だ、この私のデートを尾行するなどという無粋ぶすいかつ無礼ぶれいやからは?

 この私はバックミラーでじっくりと後続車を観察した。
 後ろの車におかしな点は見られず、岬美咲がなぜ尾行されているなどと感じたのか理解不能だったが、よく目をらして観察してみると、後ろの車のさらに一台挟んだ後ろを走っているバイクに見覚えがあった。
 顔はフルフェイスヘルメットで確認できないが、黒のバイクに黒のライダースーツが映し出すシルエットは船橋ふなはしさとるに違いなかった。

 あんの野郎……。

 しかし尾行者の正体が知れているのならば怖くはない。
 あんな奴は無視してレストランに入るのも一つだ。
 だが、二人で食事しているところに奴が割って入ってきたときには、名状しがたい憤怒ふんぬがこの私を襲うだろう。
 奴は岬美咲とも一度顔を合わせているのだから、無下むげに追い払うわけにもいかぬ。
 岬美咲の前でこの私が憤怒に顔を赤く染めるなどという醜態しゅうたいさらすわけにはいかぬ。

「イタリアンをご馳走する予定だったが、延期にせねばならぬようだ。申し訳ない。しかし君の安全のためにも、この私は必ず奴をまこうではないか」

 先ほどさえぎられた言葉が、さも尾行をまくことを宣言するものだったかのように取りつくろう言い回しで宣言した。

「仕方ありません。気にしないでください。尾行を振り切ることには私も協力します」

 岬美咲は携帯端末で地図を検索し、この先の走行ルート候補を導き出した。

「よい経路は見つかったかな?」

「はい。三つ先の信号を左に曲がってください」

「うむ、承知した」

 信号を二つ過ぎ、そして三つ目の信号が迫った。
 この私はあえてウィンカーを出さず、交差点の半ばまで進んでからギリギリの左折をした。スピードは交差点侵入前から落としていたが、後続車から警笛けいてきを鳴らされた。「凡夫ぼんぷめ!」とぼやきたかったが、声に出すのは我慢した。

「これを左? 大丈夫かね? どう見ても山に入っていく道だが」

「だからこそです」

 後続車の後ろにいる黒バイクはというと、あらかじめ左折のウィンカーを出しており、自然な形で左折をしてきた。

「あのバイク、最初から左折するつもりのようだったが、本当に我々を尾行しているのか?」

 黒ずくめのライダーの姿は、船橋理のシルエットと一致しているものの、実際に顔を見たわけではないため、それが本当に船橋理なのかどうかは分からない。

「私たちがスピードを落としていたから、左折することは確信していたと思います。いまの交差点には右折専用レーンがあるから、左車線にいるのに右折することは考えられませんし」

「なるほど。もし我々が直進したとしても、バイクも左折をやめればいいだけの話ということか。それで、これからどうするのだ? しばらくは一本道のようだが。というか、この道はちゃんと大きな道に出られるのか?」

 この私の視界に映るのは、ゆるやかな登り勾配こうばいと、うっそうと茂る木々たちだった。
 道も曲がりくねっていて、最初のカーブの先は、暗黒に染まる緑が目隠しをしていて何も見えなかった。

「問題ありません。しばらくS字カーブが続きますが、安全運転で行きましょう」

「う、うむ……」

 黒バイクはノロノロと後ろをついてくる。
 もしもこの私がテキトーに停車などしたら、あのバイクはどうするのだろう、などと考えていると、それを見透かしたように岬美咲がげんを述べた。

「私たちが尾行に気づいていることは、あの人ももう気づいているでしょう。だから私たちが何をしても、あの人はベッタリとくっついてくるはずです。停まれば停まるし、飛ばせば飛ばしてきます」

 岬美咲は尾行に詳しい。それは経営コンサルタントに必要な知識なのだろうか。それとも、美しい彼女にはストーカーが多く、それをまく技術に長けてしまったのだろうか。
 本人にいてもよいのだが、一所懸命に端末をつついて思案している彼女の邪魔をしてはならぬと思い、心の中で疑問をにぎりつぶした。

 山道に入ってほんの二、三分したころだった。岬美咲が尾行をまく手立てを編み出したらしく、突如として声を張った。

日暮ひぐらしさん、次のカーブを曲がったら下りの直進があるので、そこを飛ばしてください。その後のカーブの先にある十字路を右折してください」

「うむ、分かった」

 黒バイクは我々から少し距離を置いてついてきていた。
 カーブを曲がった先の緩やかな下り勾配で車を飛ばし、次のカーブに差しかかったとき、黒バイクはまだ坂の上にいた。
 この私はスピードを落としつつも急いでカーブを曲がりきり、そこにあった十字路を右に入った。

 十字路もいままでと変わらず見晴らしが悪く、身を隠すにはもってこいの場所だった。右折したすぐ後にもカーブが続き、この私はそれをゆっくりと進みつづけた。

「まいたようだな」

「ええ。でも、実はこの先、行き止まりになっているんです」

「なに⁉」

 彼女は平然とその恐ろしい事実を言ってのけた。さすがのこの私ですら驚かざるを得ない事実を。

「地図によると、あの十字路を直進した場合と、左折した場合に大きい道に出ることができます。直進すれば遮蔽物しゃへいぶつがなく、バイクに見つけられて追いつかれていたでしょう。左折すればバイクに見つからずに大きい道に出ることができますが、大きい道に出るということは、必ずどこかで信号に捕まるので、やはりバイクには追いつかれていたと思います」

「しかしなぜ、バイクが左折すると分かるのだ? 直進はしないとしても、右と左のどちらに曲がるかは分からないのではないか? だとすると、もしバイクが行き止まりのこちら側に来てしまったら、追い詰められることになる」

 もっとも、追い詰められたとして、相手が船橋ならば何をされるということもないだろう。
 ただ、この私にとって危惧きぐされ得る最悪の事態は、船橋がこの私を殺人犯呼ばわりして岬美咲に警告することだ。

 ただし、船橋だと思い込んでいては危険だということもこの私は承知している。
 たとえば高貴なるこの私を狙った強盗だとか、岬美咲を狙った誘拐魔だったとしたら、こちらの道は逃げ場がないし、助けを呼ぼうにも近くに人はいない。
 実に危険だ。

「あのバイクは十字路で停まり、携帯端末で地図を見て道を確認するはずです。右と左、それぞれの道がどこにつながっているかを。そして私たちがこの山道に誘い込んだということは、私たちがこの道を知っているはずとも考えます」

「なるほど。先ほどの話を聞いて、この私は十字路を左に曲がったほうがよかったのではないかと考えたが、その裏を突いたというわけだな? しかし、我々を見失ったとしても、あやつはしばらく近辺を探しまわっているだろうな。迂闊うかつには動けん」

「ええ。だから、今晩はこの山を下りることはできません」

「なんだと⁉ つまり、今晩はこの山の中で車中泊ということか?」

 岬美咲と二人きりで一晩を過ごすというのは悪くはない。しかし、環境が悪すぎる。食料もなければトイレもない。

「心配はいりません。泊まる場所ならちゃんとあります」

 しばらく進むと、彼女の言ったとおり、ちゃんと整った環境がそこにあった。しかし、そこは彼女が誘導した場所としては、いささか意外な場所であった。

「ここは……。こんなところに町? いや、これはラブホテルか!」

 車庫のついた一軒家が等間隔で並んでいた。どれも似た外観で、車庫には有料駐車場にあるような黄色いロック板が設置されている。

「ミサキさん、君は、その……いいのかね?」

「え? ええ、かまいませんよ」

「本当に?」

「はい。私は明日も休日です。さすがに一晩も待てば、あのバイクもあきらめているでしょう。あ、もしかして、日暮さんは明日、仕事でした?」

 岬美咲はあくまで黒バイクの尾行をまくことに本気であり、冷静な発言をしている。ラブホテルというものを意識して下心をいだくのは、彼女に対して失礼な気がした。
 無論、この私にはそのような低俗な欲望はないのだが、彼女が望むのであれば、この私は彼女の望みを積極的に叶えてあげたいと思っているわけである。
 もちろん、それは彼女のためであって、この私自身のためではない。

「いや、そうではないが、君はこんな場所でかまわないのだろうか、と思って」

「夜を明かすのに、ビジネスホテルもラブホテルも変わりはありません。お気遣きづかい、ありがとうございます」

 岬美咲はニコリと微笑ほほえんだ。その笑顔が建前上のものかどうかはこの私にも知れぬことだ。
 彼女は気丈きじょうかつ冷静に振舞ふるまっているが、本当は得体の知れぬ尾行者に恐怖しているかもしれないし、あるいはこんな下賤げせんな所に高貴なるこの私と彼女自身を導いてしまったことを恥じっているかもしれない。

 この私と同じく高貴なる彼女に、そんなみじめな思いはさせられぬ。この私が岬美咲をエスコートしようではないか。



 駐車場に車を停め、一見は一軒家にしか見えないホテルの室内に入ると、この私の視界に新鮮な光景が飛び込んできた。
 富豪の住む豪邸ごうていの寝室のような部屋が、だいだい色のおだやかな光に照らされている。フカフカのベッドに巨大な液晶テレビ、ガラス製の小卓、シャワールームにつながる木製扉。
 部屋には下賤さを感じるものなど一つも存在しなかった。

 岬美咲は尾行者の心当たりをこの私に尋ねてこなかった。
 きっとこの私が自ら語るまで待つつもりだろう。なんと思慮深く思いやり深いことか。
 せっかく時間があるのだから、どう言い繕うか、じっくり考えるとしよう。

 岬美咲は革張りのメニューを開いて、料理の品ぞろえに目を落としていた。
 慣れないであろうこの空間に戸惑っているという様子でもなく、無理して気丈きじょうに振舞っているわけでもなさそうである。
 この私は静かに彼女を見守ることにした。
 困ってもいない人に手を差し伸べるのは失礼というもの。つゆれて元気な草花にあえて水をやるのと同様に、ナンセンスな行為である。

「ワインがあるわ。日暮さんは普段、ワインはお飲みになりますか?」

「まあ、たまに」

 ほとんど飲まない、というのを言い換えた結果をこの私は口にした。
 ほとんど飲まないというのは、一度飲んだきり、というのを言い換えた言葉でもある。

 豪奢ごうしゃなベッドに腰をかけたこの私は、岬美咲の背中をじっと見つめている。
 彼女の華奢きゃしゃな背中は可憐かれんとうとい。あでやかでしなやかな髪が肩にかかり、小さなたき清流せいりゅう想起そうきさせる。
 岬美咲は立ち上がり、室内に設置された電話で料理を注文した。赤ワインと、それに合いそうな品を数点注文した。

 数分後、料理が運ばれてきた。
 小窓から差し入れられた料理を、この私は小洒落こじゃれたガラス製小卓へと運ぶ。
 料理はパスタである。ソースは赤くなく、何のパスタかは知らぬ。ミートソースでもなく、ナポリタンでもない。バジリコなんちゃらと言っていた気がする。
 この私の知らぬメニューが存在するとは、イタリアンも奥が深い。

 岬美咲はワインを運んだ。
 氷がいっぱいに詰まったステンレスのワインクーラーに、キンキンに冷えたワイングラス。彼女の注文した赤ワインはばっちりムードを引き立てている。
 さすがは岬美咲。この私が見込んだ女性だけのことはある。

 岬美咲が卓上のレイアウトを整え、晩餐ばんさんを開始した。
 彼女はワインの香りをいでからグラスに口をつけた。

「んー、この味はあまり好きではないわ。日暮さんはいかがですか?」

 しっとりれたくちびる催促さいそくの言葉をなげかけられ、この私はミサキと同じ手順で赤黒い液体を口に流し込んだ。

「どうだろうな。悪くはないが、この私にとっても好みの味ではない」

 この私は見栄みえを張ってそう言った。
 見栄というのは「悪くはない」と知ったかぶりした部分のことである。正直に言うと、まずかった。
 ワインの味などこの私には分からぬ。こんなものは気取った凡夫の飲み物だ。
 ワインというのは高級なものであればおいしいと聞くが、あいにく、この私がそれを口にする機会はこれまでに一度もなかった。
 もっとも、初めてワインを飲んだときにいまのような気分になり、二度と飲むまいと誓ったのだから当然だが。
 だいいち、こういうところで出てくる安物のワインがおいしいわけがないのだ。
 岬美咲が好きでないと言っているのだから、誰が飲んでも美味しくないワインなのだ。

「でも、捨てるのはもったいないです。せっかくだし、雰囲気をたのしみながら二人で飲みましょう」

 彼女の提案にはしぶい思いだったが、彼女の発想自体には好印象であった。
 どこぞの豚女は贅沢ぜいたく糸目いとめをつけない自分本位の最低な奴だったが、岬美咲は節度せつどというものをわきまえているし、食べ物を粗末にしない。
 人としての格が違う。

 料理を愉しむのもそこそこに、岬美咲は部屋に設置された大画面テレビに興味を示した。

「日暮さん、これ、映画も観られるみたいですよ。あ、新しいものがそろっているみたいです」

「ほう。何か観たいものがあれば観るといい」

 岬美咲は放映リストから、かねてより見たいと思っていた映画を見つけ、チャンネルを合わせた。
 岬美咲は映画に夢中になり、ときおりはしゃいではこの私に声をかけてくる。

 この私は岬美咲がほとんど口をつけなくなったワインを何度も口に運び、手持ち無沙汰ぶさたの解消と、このまずい液体の消費ノルマの達成につとめた。

 岬美咲は上機嫌である。
 しかし、赤黒い呪われた液体を幾度となく喉へ流し込んでいるこの私はというと、だんだん気持ち悪くなり、何度となく吐きそうになった。
 こらえる時間が続いた。

 ワインの残量をやっと半分まで減らしたというところで、この私も少し休憩することにした。
 退屈な恋愛映画を岬美咲の隣で観る。腰に手を回そうと思ったが、この私は上げかけた腕の力を抜いた。岬美咲は座った状態にもかかわらず、上体をしきりに動かしてはしゃいでいる。
 アクション映画ではなく青春ものの邦画であり、どこにはしゃぐ要素があるのか、この私にはせなかった。

 ああ、眠くなってきた。
 眠い。
 もしかしたら、このまま、寝てしまうかもしれない。

 その思考が、後に思い出せるこの日の最後の記憶だった。
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