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最終章 狂酔編

第237話 シャイル救出(※挿絵あり)

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 いや、配置換えを完了したというのは少しだけ早かった。
 俺の宿願を果たし、最後の一ピースを埋めなければならない。

「カケラ、戦う前にシャイルを返してもらうぞ」

「戦う前に? 戦って力ずくで奪い返しなさいよ。返せと言われて返すとでも思っているの?」

 カケラが純粋に疑問を投げかけてきたのは初めてではないだろうか。
 やはりカケラは俺の心が視えていない。俺が作戦を言葉として考えたりイメージとして想像したりせず、単に漠然とした理解を持っているだけだと思考をすくい上げられないようだ。
 とても小さいが、これもカケラの隙には変わりない。

「もちろん力ずくだ。こうするんだよ!」

 俺は白木の小箱のふたを開けてカケラに向けた。中から白いモヤがあふれ出す。

「私が作ったものとは違うようだけれど、それは封魂の箱かしら? 封魂の箱は意識を失わせた相手の魂しか入れることができない……」

 そこまで言って、カケラは自分の体に起きた変化にハッとした。
 しかし驚いたのは一瞬。すぐに未来の情報を得て何が起こるか察したのだろう。
 しかし抵抗する様子はない。口を閉じたカケラは腕を組んでジッと俺を見下ろしている。その無表情は意図して作ったポーカーフェイスのようだ。

 封魂の箱から出る白いモヤがカケラに達したとき、カケラの頭上から光が飛び出して箱へと吸い込まれていった。

「おまえは俺が説明しなくても理解しているのだろうが、いちおう説明してやろう。俺がおまえに名前をつけ、おまえがそれを受け入れたことで、おまえは確固たる個となった。いままでのおまえはシャイルの精神に寄生した概念でしかなかったが、いまのおまえは名前を得て一人の人間となったのだ。シャイルとおまえは完全に別人となった。だが、体は一つしかない。その都合上、おまえが覚醒しているときはシャイルの意識は失われている状態になった。そうさせたのは、おまえにカケラという名前をつけた俺だから、俺がシャイルの意識を失わせたことになるというわけだ」

 カケラは少しほおを緩めた。

「魂の分離、おめでとう。でもね、ゲス・エスト。あなた、とんでもない愚行を犯してしまったわね。私からその娘を分離させることで、私の存在を完全な個にしてしまったわ。私に名前をつける以上の愚行よ。ふふふ、ご苦労様」

 たしかにカケラの狂気の密度が上がった気がする。
 だがそれでいい。もしいままでシャイルが共存していることでカケラの狂気が抑えられていたのだとしたら、それはその分だけシャイルが苦しんでいたということにほかならない。

「助ける手段があるのにシャイルに犠牲になってもらう選択肢なんてあるわけない。それに、これで遠慮なくおまえをぶちのめせる」

「まぁ! それは楽しみ! でもまだでしょう? 早くやることを済ませなさいよ。そして、百パーセントの意識を私に向けなさい。そのときこそ最上級の狂気を堪能させてあげるわ」

 そう、まだシャイルの救出は完了していない。シャイルの魂を箱に閉じ込めた状態では、彼女を救ったことにはならない。

 俺のその思考をカケラは読み取ったのだろう。あるいは未来を知ったか。カケラは腕を組んだまま俺を見下ろして動かない。本当にただじっと待っている。
 システムがよく分からないが、言い訳の余地がないほど完全に準備した上で戦うことが、俺たちに与える狂気の純度に関わるのだろう。
 そうと分かっていても、シャイルをこの状態のままにしてはおけないし、こくだが彼女にも戦力になってもらう必要がある。

「待たせたな……。返還、シャイル」

 本人に聞こえているか分からないが、おれはボソッとつぶやいた。
 右手に封魂の箱を持つ俺は、左手に封体の箱を持った。

 白い銀ラメの箱と黒い金ラメの箱。その二つの箱の蓋を指で弾き、箱の口を俺の前方へと向けた。
 すると、二つの箱からまばゆい光が解き放たれた。
 黒い箱から出てきた光が少女の体を形作り、白い箱から出てきた光がその体の頭の中へと入った。

 魔導学院の制服を着た少女が、俺の前に目を閉じてたたずんでいる。
 その彼女がゆっくりと目蓋まぶたを開いた。
 それは紛れもなくシャイル・マーンであった。
 元のシャイルも神が創ったのだから、新しい体であっても神が創った以上は本物なのだ。

 彼女の瞳に俺が映った瞬間、シャイルの目には大量の涙が浮き出てはこぼれ落ちた。
 俺の胸に飛び込んできて、両腕を俺の背中に回し、顔を俺の胸に押しつけた。
 そして声をあげて泣いた。

「遅いよ、エスト。辛かったよ。すごく、すごくキツかった。とてつもなく苦しかった」

 俺は左手をシャイルの背に回し、右手で頭を優しく撫でた。
 シャイルは俺には想像もつかないほどの苦しみを味わったことだろう。

「すまなかった。本当に、すまなかった」

 俺にはそれ以上のことは言えなかった。
 普通なら紅い狂気に寄生される原因を作った俺を許せるはずがない。
 だがシャイルは度を越したお人好しだ。俺は許されたい気持ちはあるが、彼女に簡単に俺を許してほしくない。
 しかし、度を越した慈愛精神というシャイルの抱える精神的な問題は、しくも紅い狂気によって解決されたらしい。荒療治あらりょうじにも程があるが。
 泣きやんだシャイルは顔を上げて、充血した目で俺を見て微笑ほほえんだ。

「もういいの、エスト。あなただけのせいじゃない。私が未熟だったのよ。私はどんな相手とも対話して分かり合いたいし、そのために最大限の努力もすべきだと思っている。それはいまも同じ。ただ、それでも絶対に分かり合えない相手もいるってことを私は思い知らされた。私が乗っ取られたのは、芯のない意地にすがりついていたからなのよ。私の信念なんて、紅い狂気に簡単に折られてしまったわ。気づいたときには、ただひたすら後悔と苦しみを繰り返すだけだった。でもね、エスト、私はあなたが助けてくれるって、ずっと信じていた。物理的にも精神的にも圧倒的な強さを持つあなたを見てきたからそう信じられた。それだけが唯一の希望だったし、そのおかげでこうしてシャイル・マーンとして戻ってこられた。あなたがいなければ、私の精神はとっくに崩壊してシャイルとしての魂は別の何かに変貌してしまっていたと思う。だからあなたは私を助けてくれた救世主、私の英雄なの」

 これは愛の告白とも受け取れる。だが、だとしたら……。

「シャイル、俺は……」

「分かっているわ。紅い狂気にあなたの心を見せられたから。エアさんが一番なんでしょう? 私は二番手でもいい。いいえ、私のことを好きでなくてもいい。ただ、私があなたのことを永遠に好きでいつづけることだけ許してほしい」

 その気持ちは嬉しいのだが、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
 だが、その罪悪感で断るのは彼女の想いにとっては見当違いだし、俺の自己満足以外の何ものでもない。
 空気が概念化したおかげで(たぶん)空気が読める男になった俺は、彼女にとっても俺にとっても最良の返答をした。

「許す! おまえは俺の特別枠の一人だ。想いたければ存分に想え」

「ありがとう」

 シャイルは満面の笑顔を俺に向けた。
 彼女も学院では随一の美少女だ。そんな彼女に最高の笑顔を贈られて、俺は心が洗われるようだった。

「ねえ、ところで特別枠って何人いるの?」

「えっ? そうだな……。エア以外で言うと、一、二、……四人くらいだな」

 ちなみにその四人とはシャイル、キーラ、リーズ、マーリンだ。
 ちなみに名前を挙げた順番に意味はない。

「四人!? へー、そう……」

「おまえ、もしかしてヤンデレタイプに進化したか? 言っておくが、俺はヤンデレ耐性百パーセントだからな。むしろいじめたくなるから気をつけろ」

「ヤンデレタイプはよく分からないけれど、意識を独占できるってことね」

「俺の気を引きたければ強くなれ」

「それは大丈夫。いまの私は強いよ。皮肉なことに、彼女のおかげでね」

 シャイルはカケラを強く睨み上げた。憎しみや怨念すらこもっていそうな強い眼差しでカケラを刺す。

 しかしカケラは冷ややかにシャイルを見下ろした。
 シャイルの首筋に汗が流れる。さすがにこの格差は埋めようがない。

「シャイル、十分だ。キューカ、シャイルと感覚共鳴してくれ」

 シャイルは紅い狂気がカケラとなった後は意識がなかったはずだから、カケララが世界各地に飛んで狂気を振りまいていることを知らない。だから感覚共鳴によって状況を理解してもらった。

「そう……、私はジーヌ共和国で戦えばいいのね」

「そうだ。いまのおまえなら故郷を守れるはずだ」

 ジーヌ共和国には軍隊があるとはいえ、敵は狂気の化身。アリクイにありが挑むようなものだ。
 それでも、こちらから送り込む戦力はシャイル一人だけ。ジーヌ共和国は俺の仲間を一人しか送り込まない唯一の国だ。
 だが、シャイルなら単身でカケララと渡り合えると信じている。感覚共鳴によって俺もシャイルを理解したのだから、そう信じることができる。
 おそらくシャイルはキーラより強い。

「行ってきます」

「頼んだ」

 ダースがワープゲートを改めて開き、シャイルはすぐに飛んだ。感覚共鳴からシャイルが外れた。

 俺はジーヌ共和国の空気人形を解除した。
 これでやっとカケラに対して全力が出せるようになった。

 カケラに対する戦力は、ゲス・エストこと俺と、最強の魔術師である相棒エア、E3エラースリーのダース・ホーク、リーン・リッヒ、盲目のゲン、イーターの頂点に君臨するドクター・シータ、この戦いでは鍵となるであろう感覚共鳴の魔術師キューカ、それから神の精霊兎の校長先生、この八人だ。
 マーリンについては一緒に戦うかネアに保護してもらうか迷ったが、彼女を紅い狂気からまもりきる自信はないし、戦闘力を持たないのでネアに保護してもらうことにした。
 彼女の生きるこの世界を護ることは、俺が戦う大きな動機となる。彼女には無事でいてもらわなければならない。

「待たせたな、カケラ!」

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