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第六章 試練編

第224話 第三試練

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 真っ白な空間に灰色のモヤが出る。
 風が俺の髪をで、手や首にザラッとした砂の感触が走った。
 俺たちが見上げる前方に灰色の粒子が集まっていき、大きな骨を形作る。そしてそれらがいくつも組み合わさり、全長十メートルくらいのドラゴンを形成した。

 テリブルドラゴンは、骨の竜だった。

 俺は先手必勝とばかりに空気の刃を飛ばそうとした。
 しかし次の瞬間――。

 ――ヒュゥウウウウイエッエッエッエッ!

 怪鳥を思わせるその慟哭どうこくは、鮮烈で熾烈しれつで苛烈かつ強烈だった。声帯がないくせに馬鹿でかい声できやがる。

 俺は攻撃を再開しようとしたが、魔法を出すのに失敗した。魔法が封じられたわけではない。集中力を欠いたことによる失敗だ。
 同じ場所に留まりつづけるのはよくないと考え動こうとしたが、足もすくんで動けない。

「そうか、俺は……」

 怖気おじけづいている。
 恐怖に身を強張こわばらせ、自分自身にストップをかけている。

「いまの鳴き声、強制的に恐怖を与える効果があるみたいね」

 エアも硬い表情で骨竜を見上げていた。

 テリブルドラゴンは飛んでいるのではなく浮いている。翼も骨なので風に乗ることはできない。羽ばたくことなく、宙に静止している。
 しかしいつまでもそうしているわけではない。ぬるりと動きだし、顔を下げて俺たちを見下ろした。
 眼窩がんかに緑色の光が宿り、俺たちの方へと降りてくる。

「突っ込んでくるぞ! 動けッ!」

 それはエアへの呼びかけというよりも、自分の体に言い聞かせる言葉だった。
 骨竜への恐怖よりも、動かない自分の体への怒りが上回ったとき、ようやく俺の体は硬直から解放された。
 横へと跳んでそのまま空気で自分の体を空中へ押し上げ、加速する。

 ――ヒュゥウウウウイエッエッエッエッ!

「なッ! 嘘だろ……」

 なんの前兆もなくかん高い奇声が響き渡る。
 またしても体が硬直し、魔法が強制的に解かれて俺は落下した。唯一幸いなことは、俺もエアもまだ飛行高度が低かったことだ。
 落下して地面に足から突っ込み、足をくじいた。その勢いで両手を着き、数回転して腹ばいに伏した。
 足も手も胸も顔も痛い。
 痛みのおかげか、さっきよりは硬直からの回復が早かった。

「エア、大丈夫か? 飛ぶときはあまり高度を上げるな」

「分かっているわ。でもあの鳴き声をどうにかしなきゃ」

「そうだな。口でもふさいでみるか?」

 俺はそれを冗談で言ったつもりだったが、エアは即座に行動に移した。
 リング状の巨大な岩石をテリブルドラゴンの口にはめる形で創造した。
 骨のくせに鳴けるのだから、口を覆ったところで無関係に鳴き声を発してくるというのが俺の考えだ。虫の鳴き声が実は羽の音であるように。

 しかし、ダメ元でも試してみる価値はある。
 そういうわけで俺とエアがテリブルドラゴンの反応をうかがっていると、テリブルドラゴンの全身、骨という骨から紫色の煙が噴射された。
 その煙は一瞬で消えたが、口を縛る岩石がグツグツと音を立て、蜂の巣みたいに穴ぼこになって崩れ落ちた。

「あれは、酸か?」

「何か分からないけれど、近づくのは危険ね」

 自分の口を塞ぐ岩石マズルを即座に破壊したテリブルドラゴンだったが、すぐには鳴いてこなかった。
 鳴くタイミングがさっぱり分からない。鳴くのが完全に不定期なら、それがいちばん厄介な性質だ。

「こうなったら鳴かれる前にできるだけ早く撃破する。ただし、近づかず、高く飛ばず、速く飛ばずだ」

「分かった」

 かなり難しいことを言ったつもりだったが、エアは二つ返事で了解した。
 そんなエアが頼もしく、そして彼女の存在に俺は勇気づけられている。

「いくぞ!」

 俺は空気の操作に全神経を集中させ、圧縮空気の球をありったけ作った。大きさは野球ボールからバレーボールくらいまでさまざまだが、どれもこれ以上は凝結してしまうというところまで圧縮している。
 それをいっせいにテリブルドラゴンへと放ち、着弾したら空気が圧縮状態から解放され爆発へと発展する。

 ――ギィエエエェェッケッケッケッケッ。

 全方位から襲ってくる爆撃に、テリブルドラゴンは悲鳴をあげた。
 これは俺たちを恐怖のどん底に突き落とす鳴き声とは違う。相変わらず怪鳥のような奇声を放つが、俺たちに恐怖を与えるのは声そのものではなく、テリブルドラゴンの意思が乗った技のようだ。

「いまだ! 続け、エア!」

 言われるまでもなくエアは攻撃を繰り出していた。
 巨大な氷のとがったハンマーを、巨大な空気の手で握っている。空気の腕で遠心力を与え、思いっきり尖った部分をテリブルドラゴンの眉間みけんへと打ち込んだ。

 ――ギギギギィイイィギィギィギィ。

 さっきと違う悲鳴。なんとなくだが弱っているような声に聞こえる。恐怖の慟哭では印象的だった促音便がなくなっている。
 攻撃を途切れさせてはいけない。テリブルドラゴンに休む間を与えないように、そして鳴く間も与えないように、このまま波状攻撃をつづける。

 今度は俺の番だ。すでに空気を圧縮して巨大砲弾を作り上げている。
 空気を固めて作った砲筒へそれらの砲弾を装填し、そして……。

 ――ィエッエッエッエッ!

「うっ……」

 テリブルドラゴンは、今回は短い鳴き声で恐怖を与えてきた。
 俺の渾身のエグゾースト・バーストは発射されず、その場で解放されて大爆発が起こった。当然ながら俺がその直撃を受け、大きく吹き飛ばされる。
 幸いにもこの空間には壁がなく、激突によって深刻なダメージを受けることはなかったが、圧縮空気の暴発が直撃してタダで済むはずがない。

「くそっ……」

 視界は白くかすみ、耳鳴りが続く。
 顔に生暖かい温度を感じ、鼻水が出たかと思って手の甲で拭うと、ベットリト赤い血が付いていた。
 全身が痛みで強張り、体中が悲鳴をあげている。

「エスト、大丈夫!?」

「追加だ。自分の近くで空気を圧縮するな。それから頭上に固体を創造するな」

「うん……」

 それにしても、まさか恐怖の慟哭にショートカットが存在するとは思いも寄らなかった。
 さっきのはたとえ鳴かれても先に俺の攻撃がテリブルドラゴンに入るはずだった。それを見越してのことかは不明だが、テリブルドラゴンは素早く短く鳴くことで俺を妨害してきたのだ。

 いまは痛みが勝って恐怖による拘束効果は表れていない。
 しかし、体を動かすのは辛い。全身が痛い。
 天使のミトンが使えないのがかなり辛い。

 エアのほうは恐怖を強制されて落下し、硬直していたが、俺のことが気になったおかげで早めに恐怖から解放された。
 俺を心配して駆け寄ろうとするが、俺は手のひらを突き出してそれを静止した。

「エア、すまん。少し休ませてくれ。俺は空気になる」

 空気になる。

 これは空気の概念化魔法だ。
『空気になる』とは、存在感を消して相手に認識されなくなるほど希薄な存在になることである。
 俺は真っ白な床に仰向けに横たわった。

 俺が空気になった効果はエアにも及ぶ。
 エアはもう俺には見向きもせず、ただテリブルドラゴンを見上げて警戒している。
 テリブルドラゴンも空中をのっそり飛びながら、その視線をエアだけに注いでいる。

 俺は気配を消しているが、空間把握モードを使っているから、エアが空気の魔法を使っているのも感じ取れる。
 エアは頭上高くに空気を圧縮している。あれはおそらくエグゾースト・バーストの砲弾だ。

 エアの攻撃準備に気づいているのかは不明だが、テリブルドラゴンの動きが速くなった。エアへとまっすぐ突進してくる。
 エアは頭上に空気を集めつつ、回避のために空気で自分を包んで飛んだ。飛ばしすぎず、高く飛びすぎずというのも意識しなければならないので、かなり高度なマルチタスク能力が必要だ。

「速い!」

 テリブルドラゴンの動きがさらに加速した。
 頭骨の口がバックリと開いて鋭い牙が光る。それをガッチンと閉じるあごの強さは機工巨人をも想起させるもので、エアが飛ばしすぎないという制約を捨てて回避しなければ確実に体を裁断されていた。

「エア、危ない!」

 骨竜の攻撃は止まらなかった。
 噛みつきは外れたが、最初から連続攻撃を意図したもののようで、流れるように身をひるがえして、宙返りによる尻尾攻撃が繰り出された。
 エアは俺の呼びかけでとっさに空気の壁を作り防御を厚くしたが、骨の尻尾はそれをことごとく打ち砕いてエアに直撃した。

「エアーッ!!」

 俺は即座に魔法を使った。
 空気の概念化魔法 《空気になる》。対象は俺とエアの両方。そしてエアの元へと急いで飛ぶ。

「しっかりしろ。大丈夫か?」

 俺は倒れたエアを抱き起こし、小声で呼びかけた。
 エアはギリギリ気を失っていない状態だったが、意識が朦朧もうろうとしているようで、俺に何かを言おうとしても、それがうめき声になってしまう。

「くそっ、強すぎる……」

 いまは俺もエアも概念化魔法で空気みたいに存在感を消しているのだが、警戒はしておくべきだと思いテリブルドラゴンを見上げると、奴はジッとこちらをまっすぐに見つめていた。

「これは……」

 どういう状態だ? 俺とエアを認識できている? 認識はできていないが敵の存在を感じ取っている?

 ――ヒュゥウウウウイエッエッエッエッ!

「うっ……」

 やはりこいつは敵の存在を感じ取っている。
 恐怖の慟哭に続いて体中から紫の煙を撒き散らしている。今度は一瞬で消えない。延々と振りきつづけている。
 俺たちは恐怖に体が硬直しているというのに、何でも溶かす超危険な煙が降りてきている。

「マジか、コイツ!」

 こいつ、敵を見失うと全体攻撃を乱発してくる性質のようだ。
 このモードにしてはいけなかった。

「うぐぅ」

 俺は体が硬直したらやろうと決めていた自傷行為を敢行かんこうする。太腿ふとももに右手の五指の爪を突きたてて、思いっきり引き上げるのだ。
 その右手すら硬直していたので、最初は唇を噛み千切らん勢いで噛んだ。唇の痛みで腕が動き、太腿の痛みで全身が動いた。
 痛みのおかげで魔法を使う際に邪魔をしてくる恐怖は追い払えたが、今度は痛みに魔法を使うための集中を妨害される。
 それでもどうにか煙の圏外へと飛んで逃げることができた。

 両腕でエアを抱えてゆっくり低く飛びまわる。
 概念化魔法を解除するとテリブルドラゴンの紫煙は止まった。

「エスト……」

「大丈夫か!? エア、大丈夫なのか?」

 エアはどうにか自分の魔法で自身を浮かせ、俺の手から離れた。

「いまはそんなこと訊かないで。大丈夫じゃなくても無理をしなきゃいけないときだもの」

 大丈夫じゃない、ということだ。
 早くどうにかしなければエアが死んでしまうかもしれない。
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