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第五章 王国編
第186話 ヌイ
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ミューイはヌイを肩車した状態で、建物の傍に立っている電灯にしがみつき、建物の壁に足をかけ、そろりそろりと下りていく。
「助けるにしたって、もっと場所を選んでほしいものだわ……」
よりにもよって階段も梯子もない二階建ての建物の屋上に連れてこられて、放置されてしまった。
たしかに一人にしてとは言ったが、まさかここまでありがた迷惑な仕打ちを受けるとは思わなかった。
唯一の幸いは、そこが防具店だったことだ。
店の裏手には蓋のない木箱が置いてあり、売れ残って在庫処分されたと思われる品が乱雑に詰め込まれていた。
その中から古びたベージュのマントを引き抜き、頭から被った。通常は肩に掛けるものであるが、サイズが大きいのでミューイにとってはフーデットマントとしてちょうどよかった。
「あら、私たちおそろいね」
マントを被ったミューイはヌイと格好が似ていた。二人組でいたほうが追っ手の目をごまかしやすいだろうか。
いや、一緒にいてはヌイを巻き込んでしまう。
「ヌイ、よく聞いて。私と一緒にいると危ないわ。だからここでお別れよ」
ヌイはイーターなのか何なのか分からない存在だが、ミューイの言葉を理解している様子だった。
ヌイは首を横に振った。ぬいぐるみだから表情は変化しない。声も発しない。だからその動作、仕草だけで感情を表現する。
「寂しいの? でも分かって。私は追われているの。私と一緒にいるところを見られたら、あなたも仲間だと思われて捕まってしまうわ。それにあなたは人ではないから、もし捕まったら実験やら拷問やら何をされるか分かったものじゃないわ」
ヌイが両手でミューイの手を掴んだ。断固として離別を拒否するつもりらしい。説得は無理そうだ。
「……分かったわ」
ヌイを一人で逃がしたところで、ヌイはヌイで捕まえられる可能性も高い。自分と一緒にいるよりはマシだろうと考えたが、幼い子供のようなヌイは、もしかしたら自分が導いたほうがまだ安全かもしれない。
「キューカ、いざとなったらヌイを連れて飛んで逃げて」
いままで姿を消していたキューカは、ミューイの声に乗って姿を現した。
「ミューイモ、タスケル」
ミューイと契約しているキューカにとって、最も大事なのはミューイだ。ヌイを優先してくれと言っても無理な話なのだ。
だが、キューカはミューイ「モ」と言った。ミューイの想いを少なからず酌んでくれているようだ。
「ありがとう、キューカ」
ミューイはマントのフードを目深に被って顔を隠しながら往来を歩いた。
普段の平穏な街並みとは打って変わって、多数の王国騎士たちが巡回してものものしい雰囲気に様変わりしている。
王国騎士だけではない。賞金稼ぎらしき人たちの眼光もひときわ鋭い。おそらく手配書が出されているのだ。
王家名騙りとなれば最低でも百万モネイ。相場としては二百万か三百万といったところだろう。
それだけの懸賞金がかけられ、標的が力のない少女となれば、賞金稼ぎの目の色が変わるのも当然だし、少しでも出費を抑えたい王国が騎士を駆り出すのも必然のこと。
「おい、あんた」
突然、ミューイは背後から声をかけられた。男の声。
顔が見えないようにうつむいた状態で振り返る。当然ながらミューイからも相手の顔が見えないが、首から下の格好から察するに賞金稼ぎだ。
「何でしょう?」
浮浪者を装い、かすれた声で応対する。そのかすれ声は音の操作で作った声なので、うまい具合に衰弱したふうを表現できていた。
しかし男は食い下がった。顔を見せろと強引に迫る。
ミューイはたまらずヌイを抱き上げて逃げ出したが、一瞬で肩を掴まれ捕まってしまった。
そのとき――。
「おーい、誰か手を貸してくれ! 第三王女の偽物を見つけたぞ!」
声のした方で二つの足音が走っている。要請を聞きつけて王国騎士もそちらへ駆け出した。
賞金稼ぎはミューイの肩を突き離すと、舌打ちをしてそちらへ駆けていった。
ミューイはさっきの声とは反対方向へと歩き、裏路地へ入った。
もちろん、さっきの救援要請も足音もミューイとキューカが音の操作で作り出したものだった。
「早く王都を離れましょう。そうだわ、護神中立国へ逃げましょう。あそこなら絶対安全だもの」
ミューイはヌイを下ろし、手を引いて裏路地を足早に歩いた。
もう少しで表通りに出る。ここからはまた警戒しなければならない。
そう思っていたら、背後から声をかけられ、驚きのあまり心臓が跳ねた気がした。
「見つけたよ」
その少し低めのこもった声には聞き覚えがあった。
さっき自分を魔法で移動させた少年だ。また余計なお節介をかけにきたのだろうか。
いや、これ以上悪い状況など想像もつかない。この少年のことは好きになれないが、いまは頼るしかない。
「そういえば、まだ名乗っていなかったよね。僕はコータだよ。君の名は……いや、やっぱりいいや。本当の名前は教えてもらえないだろうからね」
ミューイはコータが何を言っているのか分からなかった。妙になれなれしいのも理解できなくて、いささか不気味に感じていた。
それでも彼に頼るしかない自分が惨めで情けない。
コータはミューイのことをじっと見て、続けて話した。
「上空から見ていたが、声のした方には誰もいなかった。君は音の操作型魔導師のようだね。それが分かっていれば怖くない」
嫌な予感はしていた。それが悪寒となってミューイの背中を走り抜けた。錯覚だと分かっているが、まるで包丁の刃を立てて全身を撫でられるような痛みを感じてしまう。ネットリとした不安感がまとわりついて息苦しい。
「僕が君を捕まえる。僕からは逃げられないよ」
コータは自分を助けに来たのではない。捕らえにきたのだ。
ただ、いまのミューイの心を支配しているのは、恐怖ではなく気持ち悪さだった。
コータの目は王国では珍しい黒い瞳をしているが、ハンターや王国騎士のようにギラついていない。
いちばん近いとしたら、休暇に兄上が馬車で小旅行に出かけるときの目に似ている。趣味か、娯楽か。そんな軽い気持ちで自分を捕まえようとしている。命がけで逃げている自分を、この男は……。
「待って。話を聞いて」
コータは即座に首を横に振った。話を聞く気はまったくないらしい。
「話をする相手は僕じゃないだろう? 王国へ引き渡す。そこで話をすることだ」
「王国に捕まれば殺される」
「だったら僕から口添えしてあげるよ。ちゃんと君の話を聞いてあげるようにって」
何なんだ、この人は。どこの馬の骨とも知れない少年が口添えしたところで、王国がそれを聞くわけないではないか。
ミューイはこぼれそうな涙を堪え、肩を震わせた。
悔しい。
何が悔しいかといえば、すべてだ。この状況を作った張本人に捕まること。その結果、コータがヒーロー気取りで気分良く報酬をもらうであろうこと。それから、清くありたいと願っていた自分の心が荒んでいくこと。
世界は美しいのに、人間は醜い。それをここまで痛烈に思い知るくらいなら、ハリグマに裂き殺されていたほうがマシだったとさえ思う。
「あなたさえいなければ……」
「そうだね、僕さえいなければ君は逃げおおせたかもね」
違う。こいつさえいなければ、ガーディーが自分の身分を証明してくれたはずなのだ。こいつのせいで、王女ではなく犯罪者にされてしまった。
許せない。憎たらしい。悔しい。悲しい。
ミューイは半分は諦めた。
その半分というのは、ミューイ自身が捕まることだ。だがミューイは一人じゃない。残り半分は絶対に諦めるわけにはいかない。ヌイを逃がさなくては。
「キューカ!」
ミューイはヌイを逃がしてほしくてキューカを呼んだ。
キューカがミューイの声に乗って姿を現す。
「精霊か! 逃がさないよ」
コータが即座に魔法を使い、キューカを遠くへ飛ばした。ミューイがキューカを使って逃げると思ったのだろう。
キューカを頼れないと知ったミューイは、ヌイを自分の背後に追いやるように隠した。
「そのぬいぐるみ、いま自分で動かなかったか? まさか、イーターを従えているのか!?」
ミューイは振り返ってすぐにヌイを抱きしめた。コータの魔法の餌食にならないよう自分の体で覆い隠そうとしたのだ。
だが、ミューイの腕の感触は消えた。
コータの方を見ると、コータが左手でヌイの頭を掴み、その姿をまじまじと観察していた。
ミューイはコータからヌイを取り戻そうとするが、身体が動かなかった。まるで穴に生き埋めにされたように、腕や脚に力を入れても身体がその場から動かないのだ。
「君の位置を固定した。そしてコイツの位置を僕の正面へ移動させた。僕は位置の概念種の魔導師だ。抵抗するだけ無駄だよ」
「その子を離して! あなたの目的は私でしょう?」
「コイツがイーターなら見過ごせない。人に危害を加えるかもしれないからね。おそらくぬいぐるみの中にイーター本体が入っているんだ。人形のフリをして人を食べる機会をうかがっているに違いない。確かめさせてもらうよ」
コータがヌイに右手を伸ばす。
「駄目ッ! やめてぇっ!」
そのとき、そのミューイの叫びが衝撃波となってコータを直撃し、少しだけ怯ませた。その影響でコータの左手からヌイが地面に落ちた。
「びっくりしたなぁ。でも、それだけだ」
ミューイはもはや泣くことしかできなかった。
再びコータがヌイに手を伸ばす。その手を、ヌイが打ち払った。
「え?」
ヌイが能動的に動いたのを見るのは、コータはもちろんミューイも初めてのことだった。そして、ミューイの位置からは見えないが、コータにはヌイの顔が見えている。ヌイには表情があり、糸でできた口がへの字に曲がっていた。
コータは戸惑いに一瞬だけ硬直したが、逃がすまいと素早くヌイに掴みかかった。
だが、ヌイはコータの手を横からかいくぐり、芋のような手で後頭部を上から下へと叩いた。
それは誰の目にも質量のない軽いパンチに見えたが、意外なことにコータは地面に勢いよく叩きつけられた。
そしてヌイがコータの背中に乗ると、コータが悲鳴と呻き声をあげる。
「馬鹿な。身体が動かない。おも……い……」
地面に突っ伏して顔も上げることができない。地面しか見えないコータには魔法が使えない。
コータの額には汗がにじみはじめた。それはようやく自分が命がけのやり取りをしていることを実感し、恐怖しはじめていることを物語っていた。
ほどなくしてコータは気絶した。
「ヌイ、ありがとう。逃げましょう!」
ミューイはフードを目深に被り、ヌイの手を引いた。
空高くで硬直していたキューカはコータの魔法から解放され、ミューイと合流して姿を消した。
ミューイはいまの光景を見て、ヌイはハリグマよりも強いのではないかと思った。喜びよりも戸惑いが大きかった。
コータの言い分も一理ある。ヌイの正体は得体が知れない。イーターなのかどうかも分からない。ヌイが危険な存在である可能性は否定できない。
だけど、自分はヌイを信じたいし、この気持ちを大切にしたいと思っている。
ミューイのヌイを引く手にためらいはなかった。
「助けるにしたって、もっと場所を選んでほしいものだわ……」
よりにもよって階段も梯子もない二階建ての建物の屋上に連れてこられて、放置されてしまった。
たしかに一人にしてとは言ったが、まさかここまでありがた迷惑な仕打ちを受けるとは思わなかった。
唯一の幸いは、そこが防具店だったことだ。
店の裏手には蓋のない木箱が置いてあり、売れ残って在庫処分されたと思われる品が乱雑に詰め込まれていた。
その中から古びたベージュのマントを引き抜き、頭から被った。通常は肩に掛けるものであるが、サイズが大きいのでミューイにとってはフーデットマントとしてちょうどよかった。
「あら、私たちおそろいね」
マントを被ったミューイはヌイと格好が似ていた。二人組でいたほうが追っ手の目をごまかしやすいだろうか。
いや、一緒にいてはヌイを巻き込んでしまう。
「ヌイ、よく聞いて。私と一緒にいると危ないわ。だからここでお別れよ」
ヌイはイーターなのか何なのか分からない存在だが、ミューイの言葉を理解している様子だった。
ヌイは首を横に振った。ぬいぐるみだから表情は変化しない。声も発しない。だからその動作、仕草だけで感情を表現する。
「寂しいの? でも分かって。私は追われているの。私と一緒にいるところを見られたら、あなたも仲間だと思われて捕まってしまうわ。それにあなたは人ではないから、もし捕まったら実験やら拷問やら何をされるか分かったものじゃないわ」
ヌイが両手でミューイの手を掴んだ。断固として離別を拒否するつもりらしい。説得は無理そうだ。
「……分かったわ」
ヌイを一人で逃がしたところで、ヌイはヌイで捕まえられる可能性も高い。自分と一緒にいるよりはマシだろうと考えたが、幼い子供のようなヌイは、もしかしたら自分が導いたほうがまだ安全かもしれない。
「キューカ、いざとなったらヌイを連れて飛んで逃げて」
いままで姿を消していたキューカは、ミューイの声に乗って姿を現した。
「ミューイモ、タスケル」
ミューイと契約しているキューカにとって、最も大事なのはミューイだ。ヌイを優先してくれと言っても無理な話なのだ。
だが、キューカはミューイ「モ」と言った。ミューイの想いを少なからず酌んでくれているようだ。
「ありがとう、キューカ」
ミューイはマントのフードを目深に被って顔を隠しながら往来を歩いた。
普段の平穏な街並みとは打って変わって、多数の王国騎士たちが巡回してものものしい雰囲気に様変わりしている。
王国騎士だけではない。賞金稼ぎらしき人たちの眼光もひときわ鋭い。おそらく手配書が出されているのだ。
王家名騙りとなれば最低でも百万モネイ。相場としては二百万か三百万といったところだろう。
それだけの懸賞金がかけられ、標的が力のない少女となれば、賞金稼ぎの目の色が変わるのも当然だし、少しでも出費を抑えたい王国が騎士を駆り出すのも必然のこと。
「おい、あんた」
突然、ミューイは背後から声をかけられた。男の声。
顔が見えないようにうつむいた状態で振り返る。当然ながらミューイからも相手の顔が見えないが、首から下の格好から察するに賞金稼ぎだ。
「何でしょう?」
浮浪者を装い、かすれた声で応対する。そのかすれ声は音の操作で作った声なので、うまい具合に衰弱したふうを表現できていた。
しかし男は食い下がった。顔を見せろと強引に迫る。
ミューイはたまらずヌイを抱き上げて逃げ出したが、一瞬で肩を掴まれ捕まってしまった。
そのとき――。
「おーい、誰か手を貸してくれ! 第三王女の偽物を見つけたぞ!」
声のした方で二つの足音が走っている。要請を聞きつけて王国騎士もそちらへ駆け出した。
賞金稼ぎはミューイの肩を突き離すと、舌打ちをしてそちらへ駆けていった。
ミューイはさっきの声とは反対方向へと歩き、裏路地へ入った。
もちろん、さっきの救援要請も足音もミューイとキューカが音の操作で作り出したものだった。
「早く王都を離れましょう。そうだわ、護神中立国へ逃げましょう。あそこなら絶対安全だもの」
ミューイはヌイを下ろし、手を引いて裏路地を足早に歩いた。
もう少しで表通りに出る。ここからはまた警戒しなければならない。
そう思っていたら、背後から声をかけられ、驚きのあまり心臓が跳ねた気がした。
「見つけたよ」
その少し低めのこもった声には聞き覚えがあった。
さっき自分を魔法で移動させた少年だ。また余計なお節介をかけにきたのだろうか。
いや、これ以上悪い状況など想像もつかない。この少年のことは好きになれないが、いまは頼るしかない。
「そういえば、まだ名乗っていなかったよね。僕はコータだよ。君の名は……いや、やっぱりいいや。本当の名前は教えてもらえないだろうからね」
ミューイはコータが何を言っているのか分からなかった。妙になれなれしいのも理解できなくて、いささか不気味に感じていた。
それでも彼に頼るしかない自分が惨めで情けない。
コータはミューイのことをじっと見て、続けて話した。
「上空から見ていたが、声のした方には誰もいなかった。君は音の操作型魔導師のようだね。それが分かっていれば怖くない」
嫌な予感はしていた。それが悪寒となってミューイの背中を走り抜けた。錯覚だと分かっているが、まるで包丁の刃を立てて全身を撫でられるような痛みを感じてしまう。ネットリとした不安感がまとわりついて息苦しい。
「僕が君を捕まえる。僕からは逃げられないよ」
コータは自分を助けに来たのではない。捕らえにきたのだ。
ただ、いまのミューイの心を支配しているのは、恐怖ではなく気持ち悪さだった。
コータの目は王国では珍しい黒い瞳をしているが、ハンターや王国騎士のようにギラついていない。
いちばん近いとしたら、休暇に兄上が馬車で小旅行に出かけるときの目に似ている。趣味か、娯楽か。そんな軽い気持ちで自分を捕まえようとしている。命がけで逃げている自分を、この男は……。
「待って。話を聞いて」
コータは即座に首を横に振った。話を聞く気はまったくないらしい。
「話をする相手は僕じゃないだろう? 王国へ引き渡す。そこで話をすることだ」
「王国に捕まれば殺される」
「だったら僕から口添えしてあげるよ。ちゃんと君の話を聞いてあげるようにって」
何なんだ、この人は。どこの馬の骨とも知れない少年が口添えしたところで、王国がそれを聞くわけないではないか。
ミューイはこぼれそうな涙を堪え、肩を震わせた。
悔しい。
何が悔しいかといえば、すべてだ。この状況を作った張本人に捕まること。その結果、コータがヒーロー気取りで気分良く報酬をもらうであろうこと。それから、清くありたいと願っていた自分の心が荒んでいくこと。
世界は美しいのに、人間は醜い。それをここまで痛烈に思い知るくらいなら、ハリグマに裂き殺されていたほうがマシだったとさえ思う。
「あなたさえいなければ……」
「そうだね、僕さえいなければ君は逃げおおせたかもね」
違う。こいつさえいなければ、ガーディーが自分の身分を証明してくれたはずなのだ。こいつのせいで、王女ではなく犯罪者にされてしまった。
許せない。憎たらしい。悔しい。悲しい。
ミューイは半分は諦めた。
その半分というのは、ミューイ自身が捕まることだ。だがミューイは一人じゃない。残り半分は絶対に諦めるわけにはいかない。ヌイを逃がさなくては。
「キューカ!」
ミューイはヌイを逃がしてほしくてキューカを呼んだ。
キューカがミューイの声に乗って姿を現す。
「精霊か! 逃がさないよ」
コータが即座に魔法を使い、キューカを遠くへ飛ばした。ミューイがキューカを使って逃げると思ったのだろう。
キューカを頼れないと知ったミューイは、ヌイを自分の背後に追いやるように隠した。
「そのぬいぐるみ、いま自分で動かなかったか? まさか、イーターを従えているのか!?」
ミューイは振り返ってすぐにヌイを抱きしめた。コータの魔法の餌食にならないよう自分の体で覆い隠そうとしたのだ。
だが、ミューイの腕の感触は消えた。
コータの方を見ると、コータが左手でヌイの頭を掴み、その姿をまじまじと観察していた。
ミューイはコータからヌイを取り戻そうとするが、身体が動かなかった。まるで穴に生き埋めにされたように、腕や脚に力を入れても身体がその場から動かないのだ。
「君の位置を固定した。そしてコイツの位置を僕の正面へ移動させた。僕は位置の概念種の魔導師だ。抵抗するだけ無駄だよ」
「その子を離して! あなたの目的は私でしょう?」
「コイツがイーターなら見過ごせない。人に危害を加えるかもしれないからね。おそらくぬいぐるみの中にイーター本体が入っているんだ。人形のフリをして人を食べる機会をうかがっているに違いない。確かめさせてもらうよ」
コータがヌイに右手を伸ばす。
「駄目ッ! やめてぇっ!」
そのとき、そのミューイの叫びが衝撃波となってコータを直撃し、少しだけ怯ませた。その影響でコータの左手からヌイが地面に落ちた。
「びっくりしたなぁ。でも、それだけだ」
ミューイはもはや泣くことしかできなかった。
再びコータがヌイに手を伸ばす。その手を、ヌイが打ち払った。
「え?」
ヌイが能動的に動いたのを見るのは、コータはもちろんミューイも初めてのことだった。そして、ミューイの位置からは見えないが、コータにはヌイの顔が見えている。ヌイには表情があり、糸でできた口がへの字に曲がっていた。
コータは戸惑いに一瞬だけ硬直したが、逃がすまいと素早くヌイに掴みかかった。
だが、ヌイはコータの手を横からかいくぐり、芋のような手で後頭部を上から下へと叩いた。
それは誰の目にも質量のない軽いパンチに見えたが、意外なことにコータは地面に勢いよく叩きつけられた。
そしてヌイがコータの背中に乗ると、コータが悲鳴と呻き声をあげる。
「馬鹿な。身体が動かない。おも……い……」
地面に突っ伏して顔も上げることができない。地面しか見えないコータには魔法が使えない。
コータの額には汗がにじみはじめた。それはようやく自分が命がけのやり取りをしていることを実感し、恐怖しはじめていることを物語っていた。
ほどなくしてコータは気絶した。
「ヌイ、ありがとう。逃げましょう!」
ミューイはフードを目深に被り、ヌイの手を引いた。
空高くで硬直していたキューカはコータの魔法から解放され、ミューイと合流して姿を消した。
ミューイはいまの光景を見て、ヌイはハリグマよりも強いのではないかと思った。喜びよりも戸惑いが大きかった。
コータの言い分も一理ある。ヌイの正体は得体が知れない。イーターなのかどうかも分からない。ヌイが危険な存在である可能性は否定できない。
だけど、自分はヌイを信じたいし、この気持ちを大切にしたいと思っている。
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