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第四章 最強編

第173話 酩酊

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 マーリンの言葉で三人の張り合いは終わった。
 だが、その抗争の中でいちばんダメージを負ったリーズは、マーリンの癒しでも精神の回復が足りなかったらしく、おもむろに席を立った。

「わ、わたくしはお先に失礼して自室に戻りますわ」

「おう」

 リーズは小卓を迂回してキーラの部屋のドアを開いた。

 しかし、なぜか立ち止まり、出ていこうとしない。それに気づいたキーラが顔を上げると、彼女の顔が青くなった。

 何事かと俺もエアも振り向いて確認した。

「――ッ!?」

 戦慄とはこのことか。目の据わったシャイルがそこに立っていた。

 リーズは後退あとずさりした。エアにぶつかりそうになったので、空気に包んでキーラの隣に運んだ。

「ねえ、私、仲間はずれにされているの?」

 瞳が赤くなっていないから、紅い狂気が出てきているわけではなさそうだ。だが、尋常な雰囲気ではない。さっきの内輪揉めの感じとはまったく違う。

 いや、待て。瞳が赤くないからといって紅い狂気ではないと断定するのは早計ではないか? 紅い狂気ならシャイルの瞳の色も自在に変えられそうなものだ。
 シャイルのフリをして自分が出てくることもできるだろうし、あるいはシャイルを操っているという可能性もある。

「シャイル、おまえ、いまどっちだ!」

「どっちか片方しかないと思ってる? おバカさん!」

 シャイルの口角が吊り上った。
 しかし彼女の俺を見る目は氷より冷たい。

「まさか、両方同時だと!? やめろ! これ以上シャイルを苦しめるな!」

「そんなの、いまさらすぎるわ。彼女の地獄はとっくの昔に始まっているのに。でも安心して。彼女は愉しんでいるわ。狂気に泥酔して壊れているから、苦痛と愉悦の区別もつかなくなっているの」

 シャイルは瞳を薄紅色に染めた。
 ほおが裂けそうなほどまでに口角が吊り上げられ、白い歯を剥き出しにして、首をかしげながら笑った。

「だったら、解放する! シャイルをおまえから解放してやる!」

 俺は空気を槍状に固めて飛ばす。
 しかし、シャイルに届く直前で槍が進行方向を変えて天井に突き刺さった。

「お友達を攻撃していいの?」

 紅い狂気は人の体から別人の体へと移ることができる。もしシャイルの体がダメージを受ければ、いちばん近い俺の体に戻ってくるはずだ。

「シャイルの体を盾にするなら攻撃を防ぐなよ」

「これは私の体でもあるから防ぐわよ。でも、シャイルはお友達に殺意を持って攻撃されたことをしかと認識しているわ。可愛そうに。ふふふふ」

 俺が何かをすれば、それを逆手に取られる。すべてがシャイルをおとしめる方向へとつながる。あまり迂闊うかつな行動は取れない。

 それにしても空気の魔法の方向を捻じ曲げるとは、いったいどういう能力だ。そもそも空気の槍を感知できること自体がおかしい。

「おまえ、本当に半分ずつか? ほぼ狂人のほうだろ」

「やっぱりおバカさん。半分ずつなわけないでしょう。両方100%よ。シャイルは友達に攻撃されるよりも、自分の手で友達を攻撃するほうがお好みらしいわ。涙が出るほどに好きなのよね」

 シャイルの瞳が完全に紅く染まり、完全なる狂酔シャイルと化した。
 その目からドロリと赤い雫がにじみ出てきて頬を伝う。血の涙が止まらず筋となる。
 彼女が俺に向かって手をかざすと、手のひらから炎が噴き出した。

 俺は即座に空気で包み込んだマーリン、キーラ、リーズの三人とともに部屋の窓から飛び出した。エアも俺に続く。
 寮の中庭の上空からキーラの部屋を見下ろす。
 キーラの部屋は完全に炎で満たされていた。

「きゃああああ! あたしの部屋がああああ!」

「まずい! 部屋どころじゃないぞ!」

 キーラの部屋の炎は寮全体へと爆発的に広がった。このままでは寮生全員が焼死する。
 俺は即座に空間把握モードを展開し、寮生たちを二酸化炭素のバリアで覆った。二酸化炭素のバリアで直接的な火傷や一酸化炭素中毒を防ぐことはできても、熱の遮断まではできない。いまの俺でも原子の振動を抑えて熱を遮断できるのは、せいぜいバリア一つ分が限界だ。

「ダースッ! ダァァァァァスッ!」

 俺の二度の叫びが届いたか、滞空する俺の足元に黒い空間が現われて、そこから暁寮生たちがボトボトと中庭の地面に落とされた。
 彼女たちは悲鳴の大合唱をあげ、それは闇のワープゲートが消えてもしずまらなかった。

「間に合ったね!」

「よくやった。この前の件はこれでチャラにしてやる」

 暁寮はその名を体現するかのように煌々こうこうと燃え盛った。
 その中から狂酔シャイルは出てきた。炎は彼女を避けている。

 俺はそんな狂酔シャイルの前へと降り立った。
 部屋の焼失に泣くキーラたち三人をほかの寮生たちの近くに下ろした。
 エアはまだ上空で様子をうかがっている。
 ダースは俺の半歩後ろまで歩いて近づいてきたが、横に並ぼうとはしなかった。

 俺の前で立ち止まった狂酔シャイルは、俺の背後を一瞥いちべつした。
 一瞬で悲鳴がやんだ。
 暁寮生たちは石化したかのように固まっている。一定範囲の空間だけ時間が止まっているようだ。

 そして、彼女は開口一番、なんの脈絡もないことを言った。

「定規で重量は測れないでしょう?」

 何の話だ。これもあのときみたいに未来の質問に対する返事を先取りしているのか?
 とにかくいまはわけが分からないから無視だ。こんなバケモノを相手に、思考リソースを少しでも無駄にしてはならない。
 とにかく情報が必要だ。狂気の爪を振り下ろされるより先に対処法を見つけなければならない。

「いまの攻撃、火種のないところから火炎を生んだな。シャイルは火の操作型魔導師だ。火の創造はできない。シャイルに焼かせたつもりだろうが、いまのはシャイルの魔法とは言えない」

「ふふふ。火種は私が生んだけれど、操作したのはシャイルよ」

「それも違う。おまえがシャイルに操作させただけだろう。シャイルの意思なわけがない。そもそもおまえの能力は何なんだ? 複数の魔法が使えるのか?」

「教えてあげてもいいけれど、対価が必要じゃないかしら」

「対価? 何が望みだ!」

「私に名前をつけてほしいの。紅い狂気とかいう通り名ではなく、ちゃんとした私の名前を。三文字でね」

 名前なんて自分でつければいいのに、なぜ俺に頼むのだろうか。なんにせよ、ここで得られる情報に比べれば、それは安い対価ではないか。
 俺は三文字の言葉をいくつか思い浮かべる。ちなみに四文字や二文字の名前を思い浮かべようとしても思考に霧がかかってしまい、案が出てこない。俺の思考が紅い狂気に干渉されているようだ。

「よし、決めた。おまえの名前は……」

「駄目! そいつに名前を与えちゃ駄目だ!」

 突如、下方から声がした。リムだ。シャイルの精霊、仔犬型の炎の化身。リムは喋れないはずだがしゃべった。少年の声なのに、どこかおごそかな響きだった。

せなさい!」

 狂酔シャイルがリムに向かって手をかざし、握りつぶす動作をした。するとリムは蝋燭ろうそくが池に落ちたみたいにわずかな煙を残して消えた。

 だが、声は消えなかった。今度は背後から声がする。さっきと同じ声だ。

「そいつは《狂気の支配者》のまがい物。もしも本物の《狂気の支配者》と同じ名前を与えてしまったら、そいつは限りなく本物に近づいてしまう」

 背後を振り向くと、今度は仔猫型の電気の塊がこちらへ歩み寄ってきていた。キーラの精霊、スターレである。
 俺に近づくスターレに、ダースは戸惑いながらも道を開けた。

「エスト、リムやスターレが自我を持って喋っているが、これはどういうことだい? 君は何か知っているのか?」

「いや、知らないよ。ただ察しているだけだ。おまえ、会ったことがあるなら声に聞き覚えがあるんじゃないか?」

「まさか……」

 ダースは気がついて三歩ほど後ずさった。
 エアも精霊だったころにリムやスターレと同じ経験があるため、精霊の体を使ってメッセージを送ってくる者の正体にはいち早く気がついているはずだ。

鬱陶うっとうしいわね。魔導師を全員殺せば出てこられなくなるのかしら?」

 狂酔シャイルの視線が俺たちの背後へと移される。
 俺とダースはとっさに身構え、エアが魔導師たちの前に降り立った。

「待て。最後に一つだけ伝えたら僕は消える。ゲス・エスト、僕に会いに来い」

 俺を見上げたスターレは、バチバチっという音を残して姿を消した。

 紅い狂気の溜息ためいきが俺たちの耳へと流れ込んでくる。
 忘れかけていた悪寒に再びまとわりつかれ、俺は狂酔シャイルの微笑に心拍数を上げた。
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