上 下
155 / 302
第四章 最強編

第154話 緊急事態

しおりを挟む
 黄昏たそがれ時、赤く燃える光を背に、一人の少女が魔導学院の校舎を見下ろしていた。風があるが、純白のワンピースも黒くつややかな長い髪もなびかない。
 彼女の冷たい視線は、標的をにらむでもなく、ただじっと見据えている。
 彼女は静かに右手を挙げ、手のひらを天に向けて広げた。

 新たに風が生まれ、ありの行列のように道を作り、一所に向かって移動しつづける。
 そこに生まれた透明な球体は、表面で静かな風の音を発しながら膨れ上がっていく。

 彼女の見下ろす先、魔導学院の校舎内では、生徒たちが終業して帰路につけることに胸を弾ませていたが、その中の数人が異変に気がついた。
 彼女たちはだんだんと増す息苦しさに胸を押さえ、一人、また一人とひざを着き、しまいには倒れてしまう。
 それを見てようやく周りの者たちも気がつくのだ。空気が薄くなっていると。

「息が……苦しい……」

 息ができないわけではない。吸っても吸っても足りないのだ。酸素が。

 魔導学院の生徒でその異変が起こり得ること、そしてその異変の正体、それを知れて対処することができるのはただ一人。

 ダース・ホーク。

 四天魔最強の男にしてE3エラースリーの一人、闇の概念種の魔導師、ダース・ホークである。
 彼は人成したエアからゲス・エストを助けた際に、彼のつぶやいた懸念のことを考えていた。

「世界の危機……」

 可能性はいちばん低いと考えていた。
 エアがエストを襲ったのは、まずい感情を食わせつづけたエストに対し、報復でもしようとしているのだと思った。

 しかし、エアが襲ったのはエストだけではなかったのだ。
 新たなるターゲットは魔導学院の生徒、教員、そのすべてだ。魔導師も魔術師も関係ない。無差別攻撃。もしかしたら学院の次は各国をすべて襲う可能性だってある。

 だが、そんな先のことを心配している場合ではない。
 ダースは闇を通した巡視により学院の状況を察知し、急いでエアの姿を探した。

 エアが最も警戒したのはエストで、その彼に最初に奇襲をしかけたが、その際にダースのことを空間把握モードで監視していたということは、エストの次にダースを警戒していたということ。
 つまり、エストを手負いにしたいま、エアが最も警戒しているのはダースだ。

 そのことを考慮して、ダースはできるだけ明るい場所を探した。その甲斐あって、エアの姿はあっさりと見つかった。
 やはり闇の接近を発見しやすく、かつ闇を繰り出しにくい場所にいた。陽の光を受ける空ほど最適な場所はない。

 ダースは迷った。説得を試みるべきか、奇襲でエアの攻撃を妨害するか。
 だが、迷うべき時ではない。学院の生徒や教員たちの様子からして、一刻を争う事態なのは明白。エアは一帯の空気を集めることにより、ターゲットから酸素を奪うと同時に、集めた超圧縮空気玉で学院を校舎ごと押し潰すつもりだ。
 ダースは決断した。

「闇幕!」

 エンマク。それは煙幕とかけての命名だった。
 校舎の影から噴き出した闇が爆発的な膨張を見せ、一気に校舎を包み込み、飲み込むように縮小して消えた。
 魔導学院は更地になった。もちろん、消滅したわけではなくダースが校舎ごと生徒と教員たちを安全な場所に移したのだ。

「邪魔をしないでちょうだい、ダース・ホーク。最初に殺されたいなんて、ワガママがすぎるわよ」

「そんなワガママを言った覚えはないな」

 ダースは闇幕から分離した闇の一部を円盤にして、その上に立っていた。彼もまた空を飛ぶことができる。
 エアはそんなダースを冷たい視線で見下ろしていた。

「エストと学院をどこへやったの?」

「おや? 君なら一瞬で探し出せそうなものだけど、違うのかい?」

「精霊のころでも一瞬では無理よ」

「人成したいまではなおさら、か。色んな魔法を使える代わりに、一つの魔法の力は弱まったかな?」

 エアの視線がいっそう鋭くなった。ダースの言葉をあおりと捉えたというよりは、能力に関する探りを入れてきた魂胆を不快に感じたようだった。

「あなたにも情報は与えない。万が一にもあなたを逃した場合、その情報はエストに共有されるだろうから」

「僕が逃げられる確率が万に一つってかい? こっちは戦って勝つ気でいるんだけどねぇ」

「そのつもりでいてくれたほうがありがたいわ」

 エアの頭上にある空気玉はダースにははっきりとは見えないが、わずかに空間が歪んでいるように見えるため、それがいまだ少しずつ大きくなっているのが分かる。
 もちろん、ダースはダースでエアに気づかれないよう魔法の仕込みをしている。

「ところで、あなたは苦しくないの?」

「口の中は真っ暗闇だからね。周囲の空気がなくなっても、他所から口内に直接空気を送り込める」

「そう……。だったら、私からも贈ってあげるわ」

 ついにエアが右手を動かした。レバーを傾けるように、天へ掲げていた腕を伸ばしたまま前方へと下ろした。
 エアの頭上にあった巨大な空間のひずみが、周囲の空気をなおも巻き込みながら、ダースの方へと進行する。

「けっこう速いな……」

 飛んで逃げようとすれば、おそらく間に合わずに吸い込まれる。そもそもダースは飛ぶのはあまり得意ではない。いつものやり方は自分の影に潜ってのワープだ。
 今回も足場の闇をワープホールに変えて潜ろうとしたが、身体が動かなかった。

「ちっ!」

 ダースの体は空気で固定されていた。このままでは空気玉に飲み込まれる。ダースはとっさに足場の闇の方を上昇させた。

 ダースは地上にまばらに生えた木の影から姿を現した。影のない所に出ることはできない。
 場所が移動したことによって空気へのリンクが解除され、ダースの体の拘束は解けた。
 だが、エアはダースの出現位置をすぐに予測して空間把握モードを展開したので、ダースはすぐに見つかった。

 さっきの空気の玉はまだ空中に留まっている。
 それが再びダースの方へと向かう。

 ダースはエアの背中に存在する影を操作した。それはワンピースの影だ。
 服は完全に肌に密着しているわけではないので、どうしても背中に影の部分は生まれる。それを利用したのだ。
 エアの背中から細く伸びた影は二手に枝分かれして、エアの首に左右から巻きついた。そして、それをグッと締め上げる。

「うっ!」

 エアはとっさに首に巻きついたものを掴もうとしたが、巻きついたものが影であるため、掴むことはできなかった。
 敵は闇の魔導師。首を絞めるものの正体を悟ったエアは、両手を首から遠ざけた。そして、エアの周囲に強烈な光が発生する。
 ダースの影はエアの光によってぎ払われた。

「異世界出身者はつくづくからめ手が好きね」

「僕の場合は魔法が概念種だからね」

 エアがダースに向かって手を掲げた。
 先ほどの空気玉はエアの首を絞めた祭に静止してから動いていない。別の攻撃だ。
 ダースは身構えたが、エアの攻撃は目に見えるものではなかった。

「なっ……まさか……」

 急激な温度上昇によりダースの意識は朦朧もうろうとし、思考力の低下した頭の中には、とにかく逃げなければということだけが巡った。

 無我夢中で闇の中に飛び込もうとするも、空気で拘束されて止められる。
 もはや無意識のレベルで闇を広げては動かした。まさに死に物狂い。
 闇をむやみに動かした結果、ダースはどうにか自分の体を闇で覆うことに成功して、自分が移動させた魔導学院の屋上に己の体を放り出したのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

契約師としてクランに尽くしましたが追い出されたので復讐をしようと思います

やなぎ納屋
ファンタジー
 ヤマトは異世界に召喚された。たまたま出会った冒険者ハヤテ連れられて冒険者ギルドに行くと、召喚師のクラスを持っていることがわかった。その能力はヴァルキリーと契約し、力を使えるというものだ。  ヤマトはハヤテたちと冒険を続け、クランを立ち上げた。クランはすぐに大きくなり、知らないものはいないほどになった。それはすべて、ヤマトがヴァルキリーと契約していたおかげだった。それに気づかないハヤテたちにヤマトは追放され…。

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

〈完結〉この女を家に入れたことが父にとっての致命傷でした。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」アリサは父の後妻の言葉により、家を追い出されることとなる。 だがそれは待ち望んでいた日がやってきたでもあった。横領の罪で連座蟄居されられていた祖父の復活する日だった。 十年前、八歳の時からアリサは父と後妻により使用人として扱われてきた。 ところが自分の代わりに可愛がられてきたはずの異母妹ミュゼットまでもが、義母によって使用人に落とされてしまった。義母は自分の周囲に年頃の女が居ること自体が気に食わなかったのだ。 元々それぞれ自体は仲が悪い訳ではなかった二人は、お互い使用人の立場で二年間共に過ごすが、ミュゼットへの義母の仕打ちの酷さに、アリサは彼女を乳母のもとへ逃がす。 そして更に二年、とうとうその日が来た…… 

転生貴族のスローライフ

マツユキ
ファンタジー
現代の日本で、病気により若くして死んでしまった主人公。気づいたら異世界で貴族の三男として転生していた しかし、生まれた家は力主義を掲げる辺境伯家。自分の力を上手く使えない主人公は、追放されてしまう事に。しかも、追放先は誰も足を踏み入れようとはしない場所だった これは、転生者である主人公が最凶の地で、国よりも最強の街を起こす物語である *基本は1日空けて更新したいと思っています。連日更新をする場合もありますので、よろしくお願いします

転生受験生の教科書チート生活 ~その知識、学校で習いましたよ?~

hisa
ファンタジー
 受験生の少年が、大学受験前にいきなり異世界に転生してしまった。  自称天使に与えられたチートは、社会に出たら役に立たないことで定評のある、学校の教科書。  戦争で下級貴族に成り上がった脳筋親父の英才教育をくぐり抜けて、少年は知識チートで生きていけるのか?  教科書の力で、目指せ異世界成り上がり!! ※なろうとカクヨムにそれぞれ別のスピンオフがあるのでそちらもよろしく! ※第5章に突入しました。 ※小説家になろう96万PV突破! ※カクヨム68万PV突破! ※令和4年10月2日タイトルを『転生した受験生の異世界成り上がり 〜生まれは脳筋な下級貴族家ですが、教科書の知識だけで成り上がってやります〜』から変更しました

屋台飯! いらない子認定されたので、旅に出たいと思います。

彩世幻夜
ファンタジー
母が死にました。 父が連れてきた継母と異母弟に家を追い出されました。 わー、凄いテンプレ展開ですね! ふふふ、私はこの時を待っていた! いざ行かん、正義の旅へ! え? 魔王? 知りませんよ、私は勇者でも聖女でも賢者でもありませんから。 でも……美味しいは正義、ですよね? 2021/02/19 第一部完結 2021/02/21 第二部連載開始 2021/05/05 第二部完結

処理中です...